加古川陸軍射撃場
加古川市上荘(かみそう)町には加古川陸軍射撃場がありました。
▲民家に転用された番宅と思われる建物
【探索日時】
平成25(2013)年2月1日
<遺構について>
④ 加古川陸軍射撃場
加古川陸軍射撃場は射線2本を備えた大型の射撃場でしたが、加古川陸軍飛行場と同時期の昭和12(1937)年ごろに開設されたと思われるものの、史料が全く無く設立経緯から停戦後の状況など詳細は不明です。
他の陸軍施設同様、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』(昭和20年8月28日、閣議決定)に基づき内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局支部の管理下に置かれた後、払い下げられたと思われます。
現在は中央、東側にあった防弾土堤、北端の射垜は全て崩され、射場から中央付近までの南側が昭和24(1949)年1月、両荘中学が発足、中央から北端の射垜までが住宅地、公園になっています。
▲射撃場南東端付近から北を望む
道路左側が射撃場
以下の遺構は国土変遷アーカイブから推定、現地取材で裏付けを取りました。
B 建物
現在は民家に転用されています。
大きさから射撃場の管理者が宿泊した番宅と思われます。
▲北西から
▲東側、南側は一部増築されていますが、ほぼ当時のままの様です。
▲北東隅には井戸もあります。
C 建物
こちらも現在は民家に転用されています。
大きさから標的や備品を格納していた標的庫と思われます。
▲南西から
南側は改築、東側は増築されていますが、こちらもほぼ当時のままの様です。
▲北から
状態は良好です。
各地の射撃場には番宅と標的庫が設置されていましたが、この両方が遺されているのは非常に珍しいと思います。
境界石標がありそうな西側の斜面も入ってみましたが、山林との境界を示す山界標しか無く、おまけに途中から荒れ方が酷いくなってきたので踏査は諦めました。
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▲民家に転用された番宅と思われる建物
【探索日時】
平成25(2013)年2月1日
<遺構について>
④ 加古川陸軍射撃場
加古川陸軍射撃場は射線2本を備えた大型の射撃場でしたが、加古川陸軍飛行場と同時期の昭和12(1937)年ごろに開設されたと思われるものの、史料が全く無く設立経緯から停戦後の状況など詳細は不明です。
他の陸軍施設同様、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』(昭和20年8月28日、閣議決定)に基づき内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局支部の管理下に置かれた後、払い下げられたと思われます。
現在は中央、東側にあった防弾土堤、北端の射垜は全て崩され、射場から中央付近までの南側が昭和24(1949)年1月、両荘中学が発足、中央から北端の射垜までが住宅地、公園になっています。
▲射撃場南東端付近から北を望む
道路左側が射撃場
以下の遺構は国土変遷アーカイブから推定、現地取材で裏付けを取りました。
B 建物
現在は民家に転用されています。
大きさから射撃場の管理者が宿泊した番宅と思われます。
▲北西から
▲東側、南側は一部増築されていますが、ほぼ当時のままの様です。
▲北東隅には井戸もあります。
C 建物
こちらも現在は民家に転用されています。
大きさから標的や備品を格納していた標的庫と思われます。
▲南西から
南側は改築、東側は増築されていますが、こちらもほぼ当時のままの様です。
▲北から
状態は良好です。
各地の射撃場には番宅と標的庫が設置されていましたが、この両方が遺されているのは非常に珍しいと思います。
境界石標がありそうな西側の斜面も入ってみましたが、山林との境界を示す山界標しか無く、おまけに途中から荒れ方が酷いくなってきたので踏査は諦めました。
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