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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍造兵廠 枚方製造所 中宮工員住宅

大阪府枚方市に所在した大阪陸軍造兵廠 枚方製造所の周辺に工員住宅がありました。
6 大阪陸軍造兵廠 枚方製造所 中宮工員住宅(大阪)
▲ほぼ原型のまま遺る工員住宅

【探索日時】
令和4(2022)年6月13日





大阪陸軍造兵廠 枚方製造所 水源地

枚方(ひらかた)市に所在した大阪陸軍造兵廠 枚方製造所は作業用、防火用水を淀川を水源地として取水していました。
F 磯島ポンプ場 北から 大阪陸軍造兵廠枚方製造所給水ポンプ場 (大阪)
▲枚方市磯島取水場に遺る給水ポンプ場

【探索日時】
令和4(2022)年2月21日





横山陸軍演習廠舎

和泉市善正町に所在した横山陸軍演習場に隣接して横山陸軍演習廠舎がありました。
A 廠舎 北西から横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲完存する廠舎

【探索日時】
平成27(2015)年12月18日





横山陸軍演習場

関西のラジオCMでおなじみ「国華園」のほど近く、和泉市善正町に横山陸軍演習場がありました。
イ「陸軍」境界石標(是ヨリ東九米境界) (4)横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲演習場跡に遺る「是ヨリ東九米境界」の刻字のある境界石標

【探索日時】
平成27(2015)年12月18日





大阪陸軍幼年學校

南朝の忠臣・楠木正成公ゆかりの地、金剛山を仰ぐ地に大阪陸軍幼年學校(千代田台)がありました。
方位盤(移設) (2) 大阪陸軍幼年學校(大阪河内長野)
▲郷土資料館に移設されている方位盤

【探索日時】
平成27(2015)年12月18日





東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場

「チキンラーメン発祥の地」として知られる池田市に東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場がありました。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 あ 事務所? 南から(大阪池田)
▲中学校内に遺る事務所

【探索日時】
平成25(2013)年1月20日、平成30(2018)年7月1日、
令和元(2019)年7月29日





中部軍管區防疫部・大阪第二陸軍病院(大阪帝國大學醫學部付属醫院 石橋分院)

大阪大学豊中キャンパスに所在した大阪帝國大學醫學部付属醫院 石橋分院中部軍管區防疫部大阪第二陸軍病院がありました。
中部軍管區防疫部・大阪第二陸軍病院 南西から (2)(大阪豊中)
▲中部軍管區防疫部、大阪第二陸軍病院が開設された大帝大 石橋分院管理棟・病棟

【探索日時】
令和2(2020)年1月24日





東京第二陸軍造兵廠 香里製造所 官舎

大阪府枚方市に所在した東京第二陸軍造兵廠 香里製造所の南西端に軍人・軍属用の官舎がありました。
東京第二陸軍造兵廠 香里製造所 官舎 A 南から(大阪)
▲所長官舎と思われる住宅

【探索日時】
平成21(2009)年12月27日、平成27(2015)年1月16日・20日、令和元(2019)年12月12日





地黄防空監視哨

「能勢の妙見さん」で知られる豊能郡能勢町地黄(ぢおう)に所在する、能勢妙見宮奥の院南側の山頂に地黄防空監視哨がありました。
地黄防空監視哨 A 聴音壕 (2)(大阪)
▲山林に遺る聴音壕

【探索日時】
平成29(2017)年12月29日





天見防空監視哨

南海電鉄高野線「天見駅」南東に聳える菊水台(376m)に天見防空監視哨がありました。
天見防空監視哨 ア 聴音壕(大阪河内長野)
▲山頂に遺る聴音壕

【探索日時】
平成29(2017)年12月26日





大阪海兵團・大阪警備隊(大阪商科大學)

大阪市住吉区に所在する大阪市立大学の前身・大阪商業大學に大阪海兵團が置かれていました。
大阪海兵団(大阪商科大学) 1 兵舎 北西から(大阪市立大学)
▲兵舎に転用されていた予科学舎

【探索日時】
平成31(2019)年5月2日





大阪海軍工作部 (佐野安船渠㈱)

西成区南津守に所在するサノヤス造船㈱大阪製造所に大東亜戦争中、大阪海軍工作部が置かれていました。
大阪海軍工作部(佐野安) 大阪海軍工作部(佐野安)001(大阪)
▲現在も使用中の乾船渠(奥の赤い煙突の船が入っている場所)

【探索日時】
平成30(2018)年7月16日





四條畷 防空監視哨

小楠公こと楠木正行公の銅像が建っている事で知られる四條畷市の飯盛山に四條畷 防空監視哨がありました。
四條畷防空監視哨 国威宣揚 国旗掲揚台 (2)(大阪)
▲飯盛山山頂に遺る四條畷防空監視哨の監視小屋

【探索日時】
平成22年4月11日





大日本國防婦人會 關西本部會館

大坂城のほど近く歩兵第八聯隊、歩兵第三十七聯隊に近接して大日本國防婦人會 關西本部會館がありました。
大日本國防婦人會館 關西本部會館 建物(改築) (2)(大阪)
▲今は無き大日本国防婦人会館 関西本部会館

【探索日時】
平成21年1月13日





大阪陸軍航空廠 玉手山洞窟

大阪府柏原市には八尾市に所在した大阪陸軍航空廠の疎開倉庫である玉手山洞窟がありました。
大阪陸軍航空廠 玉手山洞窟 ⑤ア 壕口(大阪)
▲玉手山公園に遺る地下壕

【探索日時】
平成27(2015)年1月2日、平成29(2017)年3月7日





株式會社 藤永田造船所

大阪府住之江区に大阪市内で唯一、駆逐艦を建造し「駆逐艦の藤永田」と称された株式會社 藤永田造船所がありました。
藤永田造船所 ア 第二製缶工場 北から(大阪)
▲三井造船マシナリー・サービス㈱に遺る遺されていた製缶工場

【探索日時】
平成29(2017)年8月15日

【改定情報】
令和3(2021)年11月23日・・・滅失情報追加





海軍艦政本部 大阪倉庫

大正区南恩賀島(おかじま)に海軍省外局で造艦に関する事務を管掌した海軍艦政本部大阪倉庫がありました。
海軍艦政本部 大阪倉庫 ア(左)・イ(右) 西から(大阪)
▲倉庫会社に遺る倉庫

【探索日時】
平成29(2017)年6月4日





和泉憲兵分遣隊・同分遣隊長官舎

平安期に活躍した陰陽師・安倍晴明の母親・葛の葉(キツネ)の出身地で知られる信太山に和泉憲兵分遣隊、隣接して分遣隊長官舎がありました。
和泉憲兵分隊長官舎 東から(信太山)
▲大阪府和泉市伯太(はかた)町に遺る和泉憲兵分遣隊長官舎

【探索日時】
平成24(2012)年4月29日、平成27(2015)年12月18日





大阪陸軍練兵場

大阪府東大阪市に大阪陸軍練兵場がありました。
大阪陸軍練兵場 陸軍石標 西側(大阪)
▲民家の車除けに転用された境界石標

【探索日時】
平成22(2010)年12月18日、平成25(2013)年2月22日





國次高射砲陣地

大阪市東淀川区西淡路に國次高射砲陣地がありました。
当高射砲陣地は全国的に見ても珍しい高架式砲座、及び指揮所が完存していました。
国続高射砲陣地 D三番砲座(左)・E四番砲座(右) 北から(大阪)
▲住宅に転用されていた高架式高射砲砲座(左:三番、右:四番砲砲座)

【探索日時】
平成20(2008)年6月15日、平成24(2012)年12月30日、
令和元(2019)年10月23日、令和2(2020)年1月13日

【改訂情報】
令和元年10月28日・・・砲座詳細追加
令和2年1月13日・・・指揮所詳細追加





大阪陸軍兵器補給廠枚方分廠 現地説明会

本日は枚方市に所在した大阪陸軍兵器補給廠枚方分廠の現地説明会に行って来ました。
大阪陸軍兵器補給廠枚方分廠 現地説明会 f ヰ號火薬庫・五號乾燥火薬庫 南東から(大阪)
▲出土した火薬庫基礎と現存の土塁の一部(左)





大阪陸軍航空廠 駒ヶ谷洞窟

大阪府羽曳野市に八尾市に所在した大阪陸軍航空廠の疎開工場兼倉庫の駒ヶ谷洞窟がありました。
大阪陸軍航空廠 駒ヶ谷② 切羽(大阪)
▲駒ヶ谷洞窟に遺る崩落した地下壕跡

【探索日時】
平成27(2015)年1月2日、平成29(2017)年3月7日

【更新情報】
平成29(2017)年9月13日、⑥追加





大阪陸軍造兵廠 枚方製造所 枚方町営 霧島寮

大阪府枚方市に所在した大阪陸軍造兵廠 枚方製造所の周辺に工員住宅がありました。
⑥霧島寮 霧島寮 西から(大阪)
▲霧島寮全景

【探索日時】
平成27(2015)年1月20日





大阪陸軍造兵廠 枚方製造所 枚方町営 殿山工員住宅

大阪府枚方市に所在した大阪陸軍造兵廠 枚方製造所の周辺に工員住宅がありました。
④枚方官舎 I 南東から(大阪)
▲枚方製造所北側に遺る殿山工員住宅

【探索日時】
平成27(2015)年1月20日

【改訂情報】
令和4(2022)年6月18日 ・・・全面改訂





大阪陸軍造兵廠 枚方製造所

大阪府枚方(ひらかた)市に大阪陸軍造兵廠 枚方製造所がありました。
大造枚方製造所 C 鍛造・鋳物工場 南西から(大阪)
▲㈱小松製作所 大阪工場内に遺る搾出工場

【探索日時】
平成22(2010)年1月2日、10日、平成26(2014)年11月9日、
平成27(2015)年1月20日

【更新情報】
平成22(2010)年11月16日・・・地図追加
平成27(2015)年5月27日・・・大幅改訂
令和4(2022)年5月6日・・・建物名称訂正
令和4(2022)年6月5日・・・建物 追加





大正陸軍飛行場 柏原陸軍官舎/藤井寺陸軍官舎/藤井寺陸軍合宿舎

大阪府柏原市、及び藤井寺市に大正陸軍飛行場に所在した部隊の官舎合宿舎がありました。
大正 ⑩柏原陸軍官舎 F 南東から(八尾)
▲柏原陸軍官舎 将校用官舎

【探索日時】
平成24(2012)年10月6日





大正陸軍飛行場 予備滑走路・掩体壕

大阪府八尾市に所在した大正陸軍飛行場(現、八尾駐屯地・八尾空港)の滑走路は飛行場内2本に加え、近隣に3本の予備滑走路を備えていました。
大正予備滑走路 L 掩体壕 西から(八尾)
▲古墳に築造された無蓋掩体壕

【探索日時】
平成21(2009)年3月17日、平成25(2013)年2月22日





大阪陸軍航空廠・大阪陸軍航空補給廠

大阪府八尾市に所在した大正陸軍飛行場(現、八尾空港)に隣接して大阪陸軍航空廠(後に大阪陸軍航空補給廠が併設)がありました。
大阪陸軍航空廠 F 格納庫控壁 南東から(八尾)
▲国有地内に遺る格納庫控壁

【探索日時】
平成20(2008)年10月11日、平成22(2010)年3月17日、
平成25(2013)年2月22日





第十一飛行師團司令部

大阪府八尾市に所在した大正陸軍飛行場(現、八尾空港)の北東側に第十一飛行師團司令部がありました。
第十一飛行師團 ア 「陸軍」石標(八尾)
▲公園に移設された「陸軍」の境界石標





大正陸軍飛行場

大阪府八尾市に所在する陸上自衛隊 八尾駐屯地、及び八尾空港は大正陸軍飛行場の跡地にあります。
A 戦闘指揮所  北東から(八尾)
▲陸上自衛隊八尾駐屯地内に遺る飛行第二百四十六戰隊 戦闘指揮所

【探索日時】
平成20(2008)年10月11日、平成21(2009)年3月17日、10月10日ほか近所のため随時





高槻倉庫/川崎航空機工業株式會社 高槻地下工場

大阪府高槻市成合にはタチソの名称で知られる地下壕群、高槻倉庫のち川崎航空機工業株式會社 高槻地下工場がありました。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥ウからのエ・南壕口 北から(高槻 タチソ)
▲第二工場地区の地下壕

【探索日時】
平成24(2012)年2月17日、2月24日、3月3日、3月11日





川崎重工業株式會社 泉州工場

大阪府岬町に川崎重工業株式會社 泉州工場がありました。
川重泉州工場  入口から奥(多奈川 岬町)
▲工場裏山に遺る地下壕

【探索日時】
平成24(2012)年1月31日、令和2(2020)年2月2日

【改定情報】
令和2(2020)年2月10日・・・遺構追加





大阪海軍軍需部 安威倉庫

我が母校の北数km、茨木市安威に大阪海軍軍需部 安威倉庫がありました。
①壕内(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲現存地下壕の内部

【探索日時】
平成24(2012)年1月6日





黄金塚古墳 演習陣地

大阪府和泉市上代町(うえだいちょう)に所在する黄金塚古墳(和泉黄金塚古墳)に大東亜戦争末期に陣地が築城されました。
黄金塚陣地#12881;
▲黄金塚古墳南東側の塹壕

【探索日時】
平成23(2011)年12月27日





大阪警備府 司令長官官舎

南北朝期、南朝の忠臣・北畠顕家卿が討死した場所として知られる大阪府阿倍野区北畠に大阪警備府司令長官官舎がありました。
因みに拙ブログ名は顕家卿の父・親房卿が著した『神皇正統記』が由来です。
ア 塀 北西から(大阪警備府司令長官舎)
大阪税関北畠宿舎に遺る境界塀
 滅失しました

【探索日時】
平成23年12月14日





大阪陸軍糧秣支廠

大阪市港区の天保山に大阪陸軍糧秣支廠がありました。
獣魂碑(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲天保山公園に遺る獣魂碑

【探索日時】
平成22(2010)年7月16日





旧騎兵第四聯隊

戦国期最後の合戦である大坂の陣において真田信繁が真田丸を築いた眞田山に面して騎兵第四聯隊がありました。

聯隊は後に堺市に転営、跡地は大阪市に移管されます。
騎兵第四聯隊 ミ 忠魂碑脇の「陸軍省所轄地標柱(大阪陸軍遺構)
▲外周に遺る境界石標とコンクリート塀

【探索日時】
平成22(2010)年12月18日





眞田山陸軍墓地

戦国時代最後の合戦、大坂の陣に際し大坂方の真田信繁が築いた出城・真田丸があったとされる眞田山付近に眞田山陸軍墓地があります。
西南の役(眞田山陸軍墓地)
▲眞田山陸軍墓地 兵卒墓域

【参拝日時】
平成22(2010)年12月18日、以降地元のため随時





大阪陸軍造兵廠 本部、第一製造所、第四製造所

我が大阪の象徴とも言える大坂城に東洋一の兵器工場と謳われた大阪陸軍造兵廠(本部、第一製造所、第四製造所)がありました。
化学分析所(大阪陸軍遺構)
▲長年放置されている大阪陸軍造兵廠 化学試験場

【探索日時】
地元のため随時





大阪偕行社

大坂城北東に大阪偕行社がありました。

大阪偕行社に隣接して附属小學校大阪軍人會館がありました。
大阪偕行社 門柱(大阪陸軍遺構)
▲追手門学院大手前中学校の校門に転用された大阪偕行社正門門柱

【探索日時】
平成21(2009)年1月13日、平成23年(2011)年4月12日





大阪陸軍病院 (大阪陸軍病院 大手前分院)

大坂城北西に大阪陸軍病院がありました。

同病院は後に大阪陸軍病院 大手前分院に改編されます。
大阪第一陸軍病院 東側の石組(大阪陸軍遺構)
▲大阪合同庁舎外周に遺る大阪陸軍病院の外周石組

【探索日時】
平成23年(2011)年7月5日

【改訂情報】
平成29(2017)年5月31日・・・大阪陸軍病院の略史訂正





大阪聯隊區司令部 (旧 堺聯隊區司令部)

大坂城西側に大阪聯隊區司令部がありました。

同地には先に堺聯隊區司令部が所在、また隣接して大阪憲兵隊司令部第四師團経理部・同兵器部倉庫第四師團長官舎が立ち並んでいました。
大阪聯隊區司令部跡 正面入り口付近 北から(大阪陸軍遺構)
▲市営駐車場に遺る大阪聯隊區司令部のコンクリート柵

【探索日時】
平成21(2009)年1月13日、平成23年(2011)年7月5日






歩兵第三十七聯隊

大坂城南に所在する大阪医療センターは歩兵第三十七聯隊の跡地にあります。

兵営では後に歩兵第百三十七聯隊歩兵第二百十七聯隊歩兵第九十三聯隊歩兵四百十四聯隊歩兵三百四十四聯隊が編成されます。
歩兵第三十七聯隊跡碑 全景(大阪陸軍遺構)
▲克忠、歩兵第三十七聯隊跡、歩兵第三十七聯隊創立一〇〇周年記念碑(左から)

【探索日時】
平成21(2009)年1月13日





大阪陸軍被服支廠

難波宮跡公園の東側、法円坂住宅一帯に大阪陸軍被服支廠がありました。

被服支廠南側の石垣と壁(大阪陸軍遺構)
▲法円坂住宅に遺るコンクリート塀

【探索日時】
平成23(2011)年4月25日





歩兵第八聯隊

大坂城外南側に我が陸軍の中で最も歴史の古い歩兵第八聯隊がありました。

兵営では後に歩兵第百八聯隊歩兵第九十二聯隊歩兵第四百十三聯隊歩兵第三百四十三聯隊が編成されます。

また、兵営北側に大阪城南陸軍射撃場がありました。
歩八 南門 (2)(大阪陸軍遺構)
▲難波宮跡に遺る歩兵第八聯隊兵営の南門

【探索日時】
平成21(2009)年1月13日、平成23年(2011)年4月12日





大阪陸軍兵器補給廠

大坂城二之丸に大阪陸軍兵器補給廠、及び倉庫大阪陸軍刑務所がありました。

大阪陸軍刑務所は後に城外に移転し、跡地に第四師團司令部が移転してきます。
大阪陸軍兵器補給廠 門と塀(大阪陸軍遺構)
▲大阪陸軍兵器補給廠の正門

【探索日時】
地元のため随時





第四師團司令部(中部軍、第十五方面軍・中部軍管區司令部)

我が大阪の象徴である大坂城本丸に『鉄道唱歌』において「三府の一に位(くらい)して 商業繁華の大阪市 豐(ほう)太閤のきづきたる 城に師團はおかれたり」と歌われた第四師團司令部がありました。

のちに第四師團司令部は二之丸に移転、庁舎は中部軍第十五方面軍中部軍管區司令部として使用されます。
また隣接して第三十五航空情報隊本部がありました。
①司令部庁舎 (2)(大阪陸軍遺構)
▲現在も偉容を誇る第四師團司令部庁舎
  拙ブログのトップ画像も勿論、大阪の誇り第四師團司令部庁舎です!

【探索日時】
地元のため随時

【改訂情報】
平成23(2011)年11月18日・・・内部特別公開時の様子追加
平成25(2013)年9月20日・・・自動車庫の遺構追加
令和4(2022)年4月21日・・・地下壕関係追記
大阪城 陸軍 師団 第四師団 第4師団 司令部 航空情報隊 防空情報隊 女子通信 ミライザ大阪城 MIRAIZA OSAKA-JO





大坂城周辺の陸軍施設

我が大阪市の象徴とも言える大坂城(大阪城)ですが、他の大城郭同様に数多くの陸軍施設が設置されていました。
大阪城復興天守 令和4年 (大阪陸軍遺構)
▲昭和6(1931)年11月7日に復興された大坂城天守





第五十二魚雷調整班 東山横穴(中川原横穴)

伊丹飛行場から北に6km、五月山北麓に第五十二魚雷調整班が使用した東山横穴(中川原横穴)ありました。
池田 ①坑 中央(伊丹陸軍飛行場)
▲崩落した壕口の一つ

【探索日時】
平成22(2010)年3月14日





伊丹飛行場

大阪府豊中市と兵庫県伊丹市にまたがり所在する大阪国際空港(伊丹空港)は伊丹飛行場の跡地にあります。
箕面 B 壕口 北西から(伊丹陸軍飛行場)
箕面山南麓に遺る格納壕
 埋設されました

【探索日時】
平成22(2010)年3月14日、平成25(2013)年1月20日

【更新情報】
平成28(2016)年4月20日・・・「箕面格納壕」追加。本文改訂。





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盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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