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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

川西航空機㈱姫路製作所 鶉野工場・工員住宅

近年遺構の一部が整備され、紫電改の実物大模型で知られる姫路海軍航空基地に隣接し川西航空機㈱姫路製作所 鶉野工場が、同工場の北西に工員住宅がありました。
2-4 全景 川西航空機㈱姫路製作所 鶉野工場 工員住宅(加西鶉野)
▲現在の工員住宅街

【探索日時】
令和元(2019)年12月28日





大阪陸軍航空補給廠 姫路出張所 横穴式格納壕

福崎町田口、桜地区に大阪陸軍航空補給廠 姫路出張所横穴式格納壕が設定されていました。
く 内部大阪陸軍航空補給廠 姫路出張所 横穴式格納壕(兵庫福崎)
▲桜地区に遺る横穴式格納壕

【探索日時】
平成27(2015)年3月11日





大阪陸軍航空補給廠 姫路出張所

妖怪伝説で知られる福崎町に大阪陸軍航空補給廠 姫路出張所がありました。
B 北から 大阪陸軍航空補給廠 姫路出張所(大阪河内長野)
▲農道沿いに遺る裏門門柱

【探索日時】
平成27(2015)年3月11日





第十一警備大隊 陣地壕

観光名所「布引の滝」の程近くに第十一警備大隊 陣地壕が遺ります。
第十一警備大隊 5→1・2・3・4(兵庫神戸)
▲地下壕の内部

【探索日時】
平成31(2019)年4月12日





川西航空機㈱ 甲南製作所

飛行艇US-2の製造で知られる新明和工業㈱航空機事業部 甲南工場は川西航空機㈱ 甲南製作所の跡地にあります。
川西航空機㈱ 甲南製作所 A 総組立工場 東から(兵庫)
▲甲南工場に遺る飛行機総組立工場

【探索日時】
平成27(2015)年12月25日





青野原憲兵分遣隊

兵庫県小野市に所在した戰車第六聯隊の東側1.3kmに青野原憲兵分遣隊がありました。
青野原憲兵分遣隊 ノ 正門 西から (2)(兵庫小野青野原)
▲公民館にあった門柱

【探索日時】
平成26年1月22日、令和1年9月8日





戰車第六聯隊

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の南端に戰車第六聯隊がありました。
兵営では後に戰車第十九聯隊戰車第十九聯隊補充隊戰車第四十二聯隊が編成、最終的に陸軍騎兵學校が移駐して来ます。
なお戰車第十九聯隊補充隊は司馬遼太郎こと福田定一先生が入営したことでも知られています。

また隣接して姫路陸軍病院 青野原分院青野原陸軍射撃場戰車聯隊自動車訓練所がありました。
戰車第六聯隊 セ 南門 南から(兵庫小野青野原)
▲兵営跡に遺る門柱

【探索日時】
平成25(2013)年8月11日、平成26(2014)年1月26日





青野原陸軍演習場 高岡陸軍演習廠舎(旧青野原俘虜収容所)

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の北端に高岡陸軍演習廠舎がありました。

同廠舎に隣接し大正年間に青野原俘虜収容所が開設されます。
高岡陸軍演習廠舎 H 浴場 北東から(兵庫小野青野原)
▲兵庫県登録文化財に指定された青野原俘虜収容所の将校用浴場

【探索日時】
平成26(2014)年1月26日、令和2(2020)年9月15日

【改訂情報】
令和2(2020)年9月26日・・・写真追加





青野原陸軍演習場 大門陸軍演習廠舎

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の東端に大門陸軍演習廠舎がありました。

同廠舎は元々、陸軍省騎兵局 青野軍馬育成所(のちに軍馬補充部 青野支部)として建設されます。
大門陸軍演習廠舎 C 廠舎 北西から(兵庫小野青野原)
▲民家に転用されている廠舎の一部

【探索日時】
平成26(2014)年1月26日





青野原陸軍演習場(旧軍馬補充部 青野支部)

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在する陸上自衛隊・青野原演習場は青野原陸軍演習場でした。
同演習場は元々、陸軍省騎兵局 青野軍馬育成所(のちに軍馬補充部 青野支部)として発足します。
青野原陸軍演習場 493「∧∧∧陸軍」(兵庫小野)
▲陸自青野原演習場外周に遺る境界石標

【探索日時】
平成25(2013)年8月11日、平成26(2014)年1月26日





大阪海軍病院 (旧甲子園ホテル)

同ホテルは戦時中、大阪海軍病院として転用されました。
大阪海軍病院(甲子園ホテル) 北から (2)(兵庫)
▲武庫川女子大学 甲子園会館となった大阪海軍病院(旧甲子園ホテル)

【探索日時】
平成27年2月16日

【改訂情報】
平成31年4月30日・・・武庫川女子大学 甲子園会館の許可を得て写真掲載





大阪陸軍造兵廠 播磨製造所

アナゴの豊漁場で知られる兵庫県高砂市に大阪陸軍造兵廠 播磨製造所がありました。
大阪陸軍造兵廠 播磨製造所 A・B・C 北西から(兵庫高砂)
▲㈱神戸製鋼所 高砂製作所に遺る播磨製造所の建屋

【探索日時】
平成25(2013)年3月5日、平成28(2016)年11月23日、
平成31(2019)年4月30日4月12日

【改定情報】
平成31(2019)年4月17日・・・遺構追加
令和4(2022)年1月13日・・・滅失情報追加





川西航空機㈱ 姫路製作所 鶉野工場 格納庫 【移設】

兵庫県姫路市西中島に加西市に所在した姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊)に隣接して建設された、川西航空機㈱ 姫路製作所 鶉野工場格納庫が移設されています。
姫路海軍航空基地 川西航空機㈱ 姫路製作所 鶉野工場 格納庫(移設) 南西から(姫路加西)
▲運送会社の倉庫として使用されている格納庫

【探索日時】
平成25年3月5日





姫路海軍航空基地 飯盛山戦闘司令部

兵庫県加西市に所在した姫路海軍航空基地の北3kmの飯盛山に地下戦闘司令部がありました。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ケ 西側壕口(兵庫加西)
▲フラワーセンター内に遺る戦闘司令部入口

【探索日時】
平成25(2013)年2月15日





姫路海軍航空基地 稲荷山配水池

兵庫県加西市に所在した姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊)から南西に1.5kmの若森稲荷神社裏山に稲荷山配水池がありました。
姫路海軍航空基地 稲荷山配水池 ま 配水池 南東から (3)(兵庫加西)
▲稲荷山山上に遺る配水池

【探索日時】
平成25(2013)年2月14日





姫路海軍航空基地 防空砲台

兵庫県加西市に所在した姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊)周辺に防空砲台が設営されていました。
姫路海軍航空基地 防空砲台 き 機銃座 北西から(兵庫加西)
▲畑に遺る機銃座

【探索日時】
平成25(2013)年2月14・15日、3月5・12日、
令和元(2019)年12月29日

【改訂情報】
令和2(2020)年1月2日・・・遺構追加





姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) 居住地区

戦国武将・後藤基次の出身地と言われる兵庫県加西市に、姫路海軍航空基地があり姫路海軍航空隊が所在しました。
“姫路”を冠していますが、所在地は姫路市から北東に20km離れた加西市です。

居住地区には多数の耐弾施設、地下施設が設営されていました。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) あ 戦闘指揮所 南東から(兵庫加西)
▲民有地に遺る戦闘指揮所

【探索日時】
平成25(2013)年2月14・15日、3月5日、
令和元(2019)年12月29日

【改訂情報】
令和元(2019)年6月27日・・・遺構の滅失情報追加
令和2(2020)年1月2日・・・遺構追加





姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) 飛行場地区

戦国武将・後藤基次の出身地と言われる兵庫県加西市に、姫路海軍航空基地があり姫路海軍航空隊が所在しました。
“姫路”を冠していますが、所在地は姫路市から北東に20km離れた加西市です。

同航空基地の飛行場地区には滑走路3本(コンクリート1、転圧2)、外周には飛行機用掩体が設営されていました。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ね 滑走路 北東から(兵庫加西)
▲現存が珍しいコンクリート舗装の滑走路

【探索日時】
平成25(2013)年2月14・15日、3月5日、
令和元(2019)年12月29日

【改訂情報】
令和元(2019)年6月27日・・・遺構の滅失情報追加
令和2(2020)年1月2日・・・遺構追加





三木陸軍飛行場 高射砲陣地

兵庫県三木市、稲美町、加古川市に跨って所在した三木陸軍飛行場西端、加古川市に高射砲陣地がありました。
三木陸軍飛行場 高射砲陣地 a 高射砲座 入口 北北西から(兵庫)
▲林の中に遺る高射砲座

【探索日時】
平成25(2013)年2月3日





三木陸軍飛行場

戦国期、三木合戦が行われた事で知られる兵庫県三木市、同稲美町、同加古川市またがる地域に三木陸軍飛行場がありました。
三木陸軍飛行場 ④格納庫基礎 西側 北側5・6・7・8 南西から (2)(兵庫)
▲住宅地に遺る格納庫基礎

【探索日時】
平成25(2013)年2月2・3日、13日、令和3(2021)年3月8日

【改訂情報】
令和3(2021)年6月5日・・・飛行機用掩体D・E・F 追加





加古川陸軍射撃場

加古川市上荘(かみそう)町には加古川陸軍射撃場がありました。
加古川陸軍射撃場 B 番宅 北西から(兵庫)
▲民家に転用された番宅と思われる建物

【探索日時】
平成25(2013)年2月1日





加古川第二陸軍病院

兵庫県加古川市山手には歩兵第百六聯隊の兵営に隣接して加古川第二陸軍病院がありました。
加古川第二陸軍病院 キ 排水施設(関係ない?) 北西から(兵庫)
▲甲南加古川病院北側の斜面に遺る揚水施設

【探索日時】
平成25(2013)年2月1日





歩兵第百六聯隊 (のち陸軍航空通信學校 神野教育隊)

兵庫県加古川市山手には歩兵第百六聯隊の兵営がありました。
兵営は後に陸軍航空通信學校 神野教育隊になります。
歩兵第百六聯隊 ア 営門 西から(兵庫)
▲甲南加古川病院駐車場に遺る歩兵第百六聯隊営門門柱(袖門)

【探索日時】
平成25(2013)年2月1日、3日、令和2(2020)年2月13日

【改訂情報】
平成29(2017)年11月10日・・・遺構現況追加
令和2(2020)年2月16日・・・遺構追加





大阪陸軍航空補給廠 神野出張所

兵庫県加古川市加古川町に所在する加古川刑務所は大阪陸軍航空補給廠 神野(かんの)出張所の跡地にあります。
大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 F 西側壕口 (3)(兵庫)
▲林の中に遺る格納壕

【探索日時】
平成25(2013)年1月31日、2月1日





高射砲第三聯隊(のち陸軍航空通信學校 加古川教育隊)

兵庫県加古川市野口町には高射砲第三聯隊の兵営がありました。
兵営は後に陸軍航空通信學校 加古川教育隊が入り、さらに加古川教導航空通信團司令部が設置され、加古川教育隊は同團第一教育隊に改編されます。
高射砲第三聯隊 タ 営門 南西から(兵庫)
▲ハリマ化成㈱の正門として遺る高射砲第三聯隊営門

【探索日時】
平成25(2013)年1月31日、2月1日、平成31(2019)年4月12日

【改訂情報】
令和2(2020)年1月7日・・・遺構名称改訂





加古川第一陸軍病院

兵庫県加古川市尾上(おのえ)町に所在した陸軍航空通信學校 尾上教育隊に隣接して加古川陸軍病院がありました。
加古川陸軍病院は後に加古川第一陸軍病院と改称します。
加古川第一陸軍病院 セ「陸軍」 南東から(兵庫)
▲浜の宮公園に遺る加古川第一陸軍病院の「陸軍」境界石標

【探索日時】
平成25年1月31日





陸軍航空通信學校 尾上教育隊

兵庫県加古川市尾上(おのえ)町の浜の宮公園一帯には陸軍航空通信學校 尾上教育隊がありました。
尾上教育隊は後に加古川教導航空通信團 第二教育隊に改編されます。
陸軍航空通信學校 尾上教育隊 ク 基礎 北西から(兵庫)
▲浜の宮公園に遺る陸軍航空通信學校 尾上教育隊の建物基礎

【探索日時】
平成25(2013)年1月31日





加古川陸軍飛行場

兵庫県加古川市には加古川陸軍飛行場がありました。
加古川陸軍飛行場 ア「陸軍」 南西から(兵庫)
▲畑の中に遺る加古川陸軍飛行場の境界石標

【探索日時】
平成25(2013)年1月31日

【改訂情報】
令和4(2022)年6月20日・・・三菱製紙㈱高砂工場の煙突追加





川西航空機㈱ 寳塚製作所

兵庫県宝塚市に所在する新明和工業㈱本社、同宝塚工場、及び阪神競馬場は川西航空機㈱ 寳塚製作所の跡地にあります。
川西航空機㈱宝塚製作所 北西から (2)(兵庫)
▲川西航空機㈱寳塚製作所跡地に遺る隧道式試射場附属屋

【探索日時】
平成25(2013)年1月8日





尼崎憲兵分隊

兵庫県尼崎市には尼崎憲兵分隊がありました。
尼崎憲兵分隊 北側(西側)石垣 北西から(尼崎)
▲敷地正面(西側)石積

【探索日時】
平成23(2011)年5月23日





大阪陸軍兵器補給廠 川西陸軍官舎

兵庫県伊丹市、宝塚市、川西市にまたがり存在した大阪陸軍兵器補給廠川西分廠の北500mに、分廠の官舎(川西陸軍官舎がありました。
川西陸軍官舎 i 南から(川西)
▲残存する官舎の1棟

【探索日時】
平成26(2014)年5月18日





大阪陸軍兵器補給廠 川西分廠

兵庫県伊丹市、宝塚市、川西市にまたがり大阪陸軍兵器補給廠 川西分廠がありました。
大阪陸軍兵器補給廠 川西分廠 オ 「陸軍」55 南東から(川西・伊丹)
▲外周に残る「陸軍」の刻字のある境界石標

【探索日時】
平成21(2009)年11月1日、平成26(2014)年5月18日





篠山陸軍墓地/篠山聯隊區司令部/篠山憲兵分隊

兵庫県篠山市にあった歩兵第七十聯隊兵営の南東には、篠山陸軍墓地篠山聯隊區司令部跡篠山憲兵分隊がありました。
篠山陸軍墓地 墓標 全景 北西から(篠山)
▲篠山陸軍墓地に眠る下士官・兵卒の個人墓標

【探索日時】
平成23(2011)年12月16日





篠山陸軍射撃場

兵庫県篠山市にあった歩兵第七十聯隊兵営の北西に、篠山陸軍射撃場がありました。
篠山陸軍射撃場 D 監的壕 北西から(篠山)
▲監的壕(左が射垜、右が射場)

【探索日時】
平成20(2008)年4月13日、平成23(2011)年12月5日・16日、
平成30(2018)年10月22日





篠山陸軍練兵場

兵庫県篠山市にあった歩兵第七十聯隊兵営の南側に隣接し、篠山陸軍練兵場がありました。
篠山陸軍練兵場 コ 陸軍用地 西から(篠山)
▲「陸軍用地」境界石標

【探索日時】
平成23(2011)年12月16日





篠山陸軍病院

兵庫県篠山市にあった歩兵第七十聯隊兵営の北側に隣接し、篠山陸軍病院がありました。
篠山陸軍病院 エ 門柱 東から(篠山)
▲篠山陸軍病院 正門門柱

【探索日時】
平成20(2008)年4月13日、平成23(2011)年12月5日・16日

【更新日時】
平成29年10月25日・・・遺構追加





歩兵第七十聯隊

兵庫県篠山市に「丹波の鬼聯隊」と謂われた歩兵第七十聯隊の兵営がありました。

兵営では後に歩兵第百七十聯隊歩兵第二百十六聯隊歩兵第百六十八聯隊第三十一航空通信聯隊第十四航空通信聯隊第二十一航空通信隊第三対空無線隊が編成されます。
歩兵第七十聯隊 営門(篠山)
▲営門門柱

【探索日時】
平成20(2008)年4月13日、平成23(2011)年12月5日・16日

【更新日時】
平成29(2017)年10月25日・・・遺構追加





大阪陸軍兵器補給廠 三輪倉庫

兵庫県三田市三輪に大阪陸軍兵器補給廠 三輪倉庫がありました。
ゴルフ場駐車場南側の半地下壕(大阪陸軍兵器補給廠 三輪倉庫)
▲山林に遺る半地下壕跡

【探索日時】
平成23(2011)年12月30日





大阪陸軍造兵廠 相野分工場

兵庫県三田市藍本に大阪陸軍造兵廠 相野分工場がありました。

三田 ③カ壕内 (3)(大造 相野分工場)
▲山林に遺る地下工場跡

【探索日時】
平成23(2011)年12月30日





軍事保護院 傷痍軍人兵庫療養所

兵庫県三田市に所在する国立病院機構 兵庫中央病院は軍事保護院 傷痍軍人兵庫療養所の後身です。
方位盤(傷痍軍人兵庫療養所)
▲駐車場に遺る方位盤

【探索日時】
平成23(2011)年12月30日





輜重兵第十聯隊

姫路城の北2㎞に所在する陸上自衛隊・姫路駐屯地、及び自衛隊官舎は輜重兵第十聯隊の跡地にあります。

兵営では後に輜重兵第十七大隊、輜重兵第百十聯隊、輜重兵第五十四聯隊、輜重兵第八十四聯隊が編成されます。
また兵営南側には城北陸軍練兵場がありました。
輜重兵第十聯隊 建物キ 南東から(姫路駐屯地)
▲陸上自衛隊・姫路駐屯地に遺されていた兵舎(滅失)

【探索日時】
平成23(2011)年5月16日

【更新情報】
平成30(2018)年2月14日・・・遺構現状追加





野砲兵第十聯隊

姫路城の北2㎞に所在する陸上自衛隊・姫路駐屯地は野砲兵第十聯隊の跡地にあります。

兵営では後に野砲兵第二十三聯隊、野砲兵第百十聯隊、野砲兵第五十四聯隊が編成されます。
野砲兵第十聯隊 建物エ(砲廠) 南東から(姫路駐屯地)
▲陸上自衛隊・姫路駐屯地内に遺る砲廠

【探索日時】
平成23(2011)年5月16日、11月6日





騎兵第十聯隊 (のち捜索第十聯隊)

姫路城の北2㎞に所在する陸上自衛隊・姫路駐屯地、及び市立広嶺中学・小学校は騎兵第十聯隊の跡地にあります。

聯隊は後に捜索第十聯隊に改編され、兵営では第十七師團捜索隊、騎兵第百十大隊、捜索第五十四聯隊が編成されます。
賀陽宮恒憲王殿下 御手植 中隊長松田仁五郎書(姫路遺構)
▲自衛隊教習所内に遺る「賀陽宮恒憲王殿下 御手植」碑

【探索日時】
平成23(2011)年11月6日





姫路陸軍射撃場

姫路城の西側約2㎞に姫路陸軍射撃場がありました。
「陸軍」石標 西面 X(姫路遺構)
▲畑地に遺る「陸軍」境界石標

【探索日時】
平成23(2011)年9月7日





姫路歩兵作業場

姫路城の西2㎞の栗林山の姫路陸軍墓地に隣接して姫路歩兵作業場がありました。
陸軍省所轄地 く 東面(姫路遺構)
▲民家に遺る境界石標

【探索日時】
平成23(2011)年5月15日





姫路陸軍墓地

姫路城の西2㎞の栗林山(名古山)に姫路陸軍墓地があります。

陸軍墓地 入口(姫路遺構)
▲姫路陸軍墓地 現状

【探索日時】
平成23(2011)年5月15日





姫路陸軍病院

姫路城東側に所在する国立病院機構姫路医療センターは姫路陸軍病院の後身です。

また姫路城北側には姫路城東陸軍練兵場、姫路陸軍病院 姫山分院、姫路陸軍拘禁所、陸軍教化隊がありました。
姫路陸軍病院 I「陸軍」石標(姫路・兵庫)
▲姫路医療センターに遺るコンクリート塀と境界石標

【探索日時】
平成23年6月3日





第十師團兵器部 (旧姫路陸軍兵器支廠)

姫路城北東一帯に姫路陸軍兵器支廠がありました、支廠は後に第十師團兵器部、第五十四師團兵器部を経て、大阪陸軍兵器補給 姫路分廠に改編されます。
姫路陸軍兵器支廠 西倉庫 東からパノラマ写真(姫路遺構)
▲姫路市立美術館に転用された第十師團兵器部 西倉庫

【探索日時】
平成23(2011)年5月16日、6月3日





第十師團長 官舎

姫路市に所在するカトリック淳心会日本管区本部は第十師團長官舎を転用しています。
第十師團長官舎 洋館部分 北西から
▲第十師團長官舎(洋館部分)

【探索日時】
平成23(2011)年5月16日





第十師團司令部 ・ 歩兵第八旅團司令部 ・ 姫路聯隊區司令部

姫路城西側に第十師團司令部、歩兵第八旅團司令部、姫路聯隊區司令部がありました。

司令部では後に第十七師團司令部、第百十師團司令部、第五十四師團司令部、第八十四師團司令部、第百五十四師團司令部が編成されます。
D「陸軍」石標(姫路遺構)
▲師團司令部跡に遺る境界石標

【探索日時】
平成23(2011)年6月3日





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Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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