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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

東京第二陸軍造兵廠 香里製造所 官舎

大阪府枚方市に所在した東京第二陸軍造兵廠 香里製造所の南西端に軍人・軍属用の官舎がありました。
東京第二陸軍造兵廠 香里製造所 官舎 A 南から(大阪)
▲所長官舎と思われる住宅

【探索日時】
平成21(2009)年12月27日、平成27(2015)年1月16日・20日、令和元(2019)年12月12日





地黄防空監視哨

「能勢の妙見さん」で知られる豊能郡能勢町地黄(ぢおう)に所在する、能勢妙見宮奥の院南側の山頂に地黄防空監視哨がありました。
地黄防空監視哨 A 聴音壕 (2)(大阪)
▲山林に遺る聴音壕

【探索日時】
平成29(2017)年12月29日





後山 防空陣地

観光地として名高い福山市鞆の浦の背後に聳える後山(あとやま)に後山 防空陣地がありました。
後山高射砲陣地 A 七糎野戰高射砲 砲座 (2)(広島福山)
▲山林内に遺る八八式七糎野戰高射砲用の砲床

※後述の様に実態不明な事から題名は一般的に言われる「高射砲陣地」では無く「防空陣地」としています

【探索日時】
平成26(2014)年4月12日





岡山飛行場(岡山地方航空機乗員養成所)・大刀洗陸軍飛行學校 岡山教育隊

岡山市南区浦安南町一帯に岡山飛行場及び岡山地方航空機乗員養成所がありました。
飛行場は後に陸軍に移管され大刀洗陸軍飛行學校 岡山教育隊が設置されます。
岡山飛行場 A 橋脚 北東から(岡山)
▲用水路に遺る橋脚

【探索日時】
平成26(2014)年4月10日





久居・半田地下工場 北側地区

津市半田の郊外に地下工場が設営されていました。
久居・半田地下工場 H 壕口(三重半田青谷)
▲地下工場の入口

【探索日時】
平成26(2014)年3月8日





久居・半田地下工場 南側地区

津市半田の郊外に地下工場が設営されていました。
三菱重工業㈱ 第三製作所久居地下工場 A 内部 (30)(三重久居半田青谷)
▲地下工場跡の内部

【探索日時】
平成26(2014)年3月8日





千種陸軍演習場・千種陸軍演習廠舎

菰野町に千種陸軍演習場、その北東端に千種陸軍演習廠舎がありました。
千種陸軍演習場 A 北堡塁(三重菰野千種)
▲林に遺る北堡塁の演習用特火点(の残骸)

【探索日時】
平成26(2014)年3月21日





天見防空監視哨

南海電鉄高野線「天見駅」南東に聳える菊水台(376m)に天見防空監視哨がありました。
天見防空監視哨 ア 聴音壕(大阪河内長野)
▲山頂に遺る聴音壕

【探索日時】
平成29(2017)年12月26日





竹永陸軍飛行場

菰野町竹永に陸軍の秘匿飛行場の一つ、竹永陸軍飛行場がありました。
竹永陸軍飛行場 B 戦闘指揮所 南東から(三重菰野竹永)
▲雑木林に遺る戦闘指揮所

【探索日時】
平成26(2014)年3月21日





菰野町の千種村凱旋門と里程標

菰野町に千種村凱旋門と朝上村の里程標が遺ります。
凱旋門 西から(三重菰野)
▲千種村凱旋門

【探索日時】
平成26(2014)年3月20日





鈴鹿陸軍飛行場

鈴鹿市北西部の追分町、椿一宮町一帯に鈴鹿陸軍飛行場がありました。
鈴鹿陸軍飛行場 B 掩体壕 南東から(三重鈴鹿椿)
▲杉林に遺る航空機用の無蓋掩体壕

【探索日時】
平成26(2014)年3月10日





第二海軍燃料廠 工員住宅

四日市市に所在した海軍燃料廠最大の第二海軍燃料廠の西側に工員住宅がありました。
第二海軍燃料廠 工員住宅 11(三重四日市)
▲空家になっている工員住宅

【探索日時】
平成31(2019)年1月16日





第二海軍燃料廠 官舎

四日市市に所在した海軍燃料廠最大の第二海軍燃料廠の西側に高等官用の官舎がありました。
第二海軍燃料廠 官舎 9(三重四日市)
▲民家に転用されている官舎

【探索日時】
平成31(2019)年1月16日





第二海軍燃料廠 山手工場

四日市市に所在した海軍燃料廠最大の第二海軍燃料廠の西側に山手工場がありました。
第二海軍燃料廠 山手工場 D 内部(三重四日市)
▲試製「秋水」の燃料のうち甲液保管用に設営された貯蔵用隧道

【探索日時】
平成26(2014)年3月19日、平成31(2019)年1月15日





第二海軍燃料廠 鈴鹿川取水場

四日市市に所在した海軍燃料廠最大の第二海軍燃料廠の南側に鈴鹿川取水場がありました。
第二海軍燃料廠 鈴鹿川取水場 K 取水場 南東から (2)(三重四日市)
▲現在も稼働中の鈴鹿川取水場 河原田第一喞筒所と境界石標

【探索日時】
平成31(2019)年1月15日





「秋水」とマル呂 吸収塔

名古屋空港に隣接した名古屋航空宇宙システム製作所史料室に対B29爆撃機専用の局地戦闘機として開発された試製「秋水」の復元機、京都市東山区竹村町に燃料精製装置の一部、マル呂 吸収塔が遺ります。
秋水 マル呂吸収塔 (3)(京都)
▲秋水の燃料「呂號乙藥」のうち濃縮過酸化水素(甲液)精製に使用予定だったマル呂 吸収塔

【訪問日時】
・名古屋 平成27(2015)年12月3日
・京都 平成30(2018)年4月20日
・呉 平成19(2007)年11月26日
・筑波 平成27(2015)年3月28日





第二海軍燃料廠

三重県四日市市塩浜町に所在する昭和四日市石油㈱は海軍最大の燃料製造所であった第二海軍燃料廠の跡地にあります。
第二海軍燃料廠 ウ 電氣員詰所 南西から(三重四日市)
▲昭和四日市石油㈱に遺る電氣員詰所

【探索日時】
平成31(2019)年1月15日





第一鈴鹿海軍航空基地(鈴鹿海軍航空隊)格納庫 【移設】

近鉄の塩浜検修車庫に鈴鹿市に所在した鈴鹿海軍航空隊第一鈴鹿海軍航空基地)の格納庫が移設されています。
鈴鹿海軍航空隊 第二格納庫(移設) 南西から(三重鈴鹿)
▲移設された第二格納庫

【探索日時】
平成26(2014)年3月19日





鈴鹿海軍航空隊(第一鈴鹿海軍航空基地)

鈴鹿市に設営された第一鈴鹿海軍航空基地鈴鹿海軍航空隊がありました。

また、隣接して第二鈴鹿海軍航空基地、第二海軍航空廠 鈴鹿分廠、三菱重工業㈱名古屋航空機製作所 三重工場が設置されます。
鈴鹿海軍航空隊 隊門(三重鈴鹿)
▲移設・保存されている隊門と番兵塔

【探索日時】
平成26(2014)年3月19日、平成31(2019)年4月30日1月17日





大阪海兵團・大阪海軍警備隊(大阪商科大學)

大阪市住吉区に所在する大阪市立大学の前身・大阪商業大學に大阪海兵團が置かれていました。
大阪海兵団(大阪商科大学) 1 兵舎 北西から(大阪市立大学)
▲兵舎に転用されていた予科学舎

【探索日時】
平成31(2019)年5月2日





鈴鹿海軍工廠 關分工場

亀山市関町に鈴鹿海軍工廠の疎開工場である關分工場がありました。
關分工場は他に関出張所、関町防空工場、関地下工場と呼称されていた様です。
鈴鹿海軍工廠 関分工場 P 内部奥のコンクリート巻立て 壕口方向から(三重鈴鹿)
▲森林公園に遺る地下工場の隧道

【探索日時】
平成26(2014)年3月18日、令和元(2019)年12月5日





鈴鹿海軍工廠 道伯工員住宅・大池工員住宅

鈴鹿市に所在した鈴鹿海軍工廠の東側に工員用の道伯工員住宅・大池工員住宅がありました。
鈴鹿海軍工廠 道伯工員住宅 1(三重鈴鹿)
▲民家に転用されている工員住宅(空家)

【探索日時】
平成31(2019)年1月19日





鈴鹿海軍工廠 住吉工員住宅

鈴鹿市に所在した鈴鹿海軍工廠の東側に工員用の住吉工員住宅がありました。
鈴鹿海軍工廠 住吉工員住宅 7(三重鈴鹿)
▲民家に転用されている工員住宅

【探索日時】
平成31(2019)年1月19日





鈴鹿海軍工廠 國府工員住宅

鈴鹿市に所在した鈴鹿海軍工廠の西側に工員用の國府工員住宅がありました。
鈴鹿海軍工廠 國府工員住宅 5(三重鈴鹿)
▲民家に転用されている工員住宅

【探索日時】
平成31(2019)年1月19日





鈴鹿海軍工廠 官舎

鈴鹿市に所在した鈴鹿海軍工廠の北側に軍人、軍属用の官舎がありました。
鈴鹿海軍工廠 官舎 1 乙二 (3)(三重鈴鹿)
▲空家になっている高等官用の乙二號官舎

【探索日時】
平成25(2013)年10月8日、平成31(2019)年1月19日





鈴鹿海軍工廠 山の手発射場

鈴鹿市に所在した鈴鹿海軍工廠の南側に山の手発射場がありました。
鈴鹿海軍工廠 山の手発射場 I 着弾場 内部 東から (1)(三重鈴鹿)
▲リサイクルセンター内に遺る停弾覆洞

【探索日時】
平成26(2014)年3月18日





鈴鹿海軍工廠

サーキット場で有名な鈴鹿市に鈴鹿海軍工廠がありました。
鈴鹿海軍工廠 F 鈴鹿海軍工廠 門札(移設) (2)(三重鈴鹿)
▲鈴鹿海軍工廠の門札

【探索日時】
平成26(2014)年3月18・19日





大阪海軍工作部 (佐野安船渠㈱)

西成区南津守に所在するサノヤス造船㈱大阪製造所に大東亜戦争中、大阪海軍工作部が置かれていました。
大阪海軍工作部(佐野安) 大阪海軍工作部(佐野安)001(大阪)
▲現在も使用中の乾船渠(奥の赤い煙突の船が入っている場所)

【探索日時】
平成30(2018)年7月16日





横須賀海軍警備隊 高茶屋高角砲台

津市高茶屋に所在した津海軍工廠の北側に横須賀海軍警備隊 高茶屋高角砲台がありました。
同砲台は後に名古屋港湾警備隊に移管されます。
高茶屋防空高角砲台 イDから内部 (2)(三重津)
▲砲座と思われる円形窪地

【探索日時】
平成31(2019)年1月18日





津海軍工廠 櫻茶屋工員住宅

津市高茶屋に所在した津海軍工廠の北側に官舎、い號・ろ號工員住宅櫻茶屋工員住宅がありました。
津海軍工廠 工員住宅 12(三重津)
▲4戸連棟の残存2棟を1棟に改築した住宅

【探索日時】
平成31(2019)年1月18日





津海軍工廠 い號・ろ號工員住宅

津市高茶屋に所在した津海軍工廠の北側に官舎、い號・ろ號工員住宅がありました。
津海軍工廠 工員住宅 22(三重津)
▲一般住宅として使用中の2階建て工員住宅

【探索日時】
平成31(2019)年1月18日





津海軍工廠 官舎

津市高茶屋に所在した津海軍工廠の北側に官舎工員住宅がありました。
津海軍工廠 官舎 1 丙 (4)(三重津)
▲空家になっている丙號官舎

【探索日時】
平成31(2019)年1月17日





海軍兵學校 地下壕

江田島に所在した海軍兵學校の程近くに複雑な形状の地下壕が設営されていました。
海軍兵學校 地下壕 表紙(広島江田島)
▲内部の様子

【探索日時】
令和1(2019)年7月29日





名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠 横穴式疎開火薬庫

関ヶ原町に所在した名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠の周辺谷筋に横穴式疎開火薬庫が130箇所ほど設定されていました。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 疎開火薬庫76 地下壕(奥)と爆風除け(前)(岐阜関ヶ原)
▲爆風避けを備えた横穴式疎開火薬庫

【探索日時】
平成26(2014)年2月4・12日





名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠(火薬庫・弾薬庫編)

慶長5(1600)年9月15日、天下分け目の関ヶ原合戦で知られる関ヶ原町に名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠が所在しました。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 H 洞窟火薬庫 本室(滋賀関ヶ原)
▲洞窟式火薬庫

※第二回目は關ヶ原分廠の核心である火薬庫の紹介です。

【探索日時】
平成26年2月4・12日





名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠(管理・試験設備編)

古戦場で知られる関ヶ原の西側に名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠がありました。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ア 営門門柱 南東から (2)(滋賀関ヶ原)
▲道路沿いに遺る営門

※遺構が多いので、今回は關ヶ原分廠の管理・試験設備のみを紹介します。

【探索日時】
平成26年2月4・12日





青野原憲兵分遣隊

兵庫県小野市に所在した戰車第六聯隊の東側1.3kmに青野原憲兵分遣隊がありました。
青野原憲兵分遣隊 ノ 正門 西から (2)(兵庫小野青野原)
▲公民館にあった門柱

【探索日時】
平成26年1月22日、令和1年9月8日





戰車第六聯隊

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の南端に戰車第六聯隊がありました。
兵営では後に戰車第十九聯隊戰車第十九聯隊補充隊戰車第四十二聯隊が編成、最終的に陸軍騎兵學校が移駐して来ます。
なお戰車第十九聯隊補充隊は司馬遼太郎こと福田定一先生が入営したことでも知られています。

また隣接して姫路陸軍病院 青野原分院青野原陸軍射撃場戰車聯隊自動車訓練所がありました。
戰車第六聯隊 セ 南門 南から(兵庫小野青野原)
▲兵営跡に遺る門柱

【探索日時】
平成25(2013)年8月11日、平成26(2014)年1月26日





青野原陸軍演習場 高岡陸軍演習廠舎(旧青野原俘虜収容所)

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の北端に高岡陸軍演習廠舎がありました。

同廠舎に隣接し大正年間に青野原俘虜収容所が開設されます。
高岡陸軍演習廠舎 H 便所 (2)(兵庫小野青野原)
▲民家内に遺る青野原俘虜収容所の浴場

【探索日時】
平成26年1月26日





青野原陸軍演習場 大門陸軍演習廠舎

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の東端に大門陸軍演習廠舎がありました。

同廠舎は元々、陸軍省騎兵局 青野軍馬育成所(のちに軍馬補充部 青野支部)として建設されます。
大門陸軍演習廠舎 C 廠舎 北西から(兵庫小野青野原)
▲民家に転用されている廠舎の一部

【探索日時】
平成26年1月26日





青野原陸軍演習場(旧軍馬補充部 青野支部)

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在する陸上自衛隊・青野原演習場は青野原陸軍演習場でした。
同演習場は元々、陸軍省騎兵局 青野軍馬育成所(のちに軍馬補充部 青野支部)として発足します。
青野原陸軍演習場 493「∧∧∧陸軍」(兵庫小野)
▲陸自青野原演習場外周に遺る境界石標

【探索日時】
平成25年8月11日、平成26年1月26日





三瓶原陸軍演習場・三瓶原陸軍演習廠舎

歩兵第二十一聯隊で歌い継がれた『濱田の兵隊』に♪浜田の兵隊いくさが強い 強い筈だよ三瓶さんべ山 三瓶山おろしに鍛へた腕ぢゃもの腕ぢゃもの~と歌われた三瓶山一帯に三瓶原陸軍演習場、三瓶山南側に三瓶原陸軍演習廠舎がありました。
三瓶原陸軍演習場 カ 監的所 西から(島根大田)
▲牧場に遺る監的所

【探索日時】
平成30年12月21日





濱田陸軍墓地

歩兵第二十一聯隊兵営の北1kmに濱田陸軍墓地があります。
濱田陸軍墓地 c下士官・兵卒(手前)南東から(島根浜田)

【参拝日】
平成25年12月4日





歩兵第二十一聯隊長舎宅・松原・天滿・杉戸・清水将校舎宅

歩兵第二十一聯隊長の衛戍した浜田市内に聯隊長舎宅・松原将校舎宅・天滿将校舎宅・杉戸将校舎宅・清水将校舎宅がありました。
歩兵第二十一聯隊 将校舎宅 C官舎 西から (2)(島根浜田)
▲民家に転用されている将校舎宅

【探索日時】
平成25年12月4日






濱田聯隊區司令部

濱田城阯の東麓に濱田聯隊區司令部がありました。
濱田聯隊區司令部 シ「5 陸用地」 北東から(島根浜田)
▲浜田税務署に遺る境界石標

【探索日時】
平成25年12月4日





濱田憲兵分隊

歩兵第二十一聯隊兵営の西に濱田憲兵分隊がありました。
濱田憲兵分隊 コ塀(北側)南から(島根浜田)
▲憲兵分隊跡に遺るコンクリート塀

【探索日時】
平成25年12月4日





濱田陸軍射撃場・濱田歩兵作業場

歩兵第二十一聯隊兵営の北西に濱田陸軍射撃場、及び濱田歩兵作業場がありました。
濱田陸軍射撃場 オ「陸軍用地」南から (2)(島根浜田)
▲射撃場に遺る境界石標

【探索日時】
平成25年12月4日





濱田陸軍練兵場

歩兵第二十一聯隊兵営の北側に濱田陸軍練兵場がありました。

<お断り>
濱田陸軍練兵場の写真を手違いで全削除してしまい当記事に写真は1枚もありません。
当記事は解説と遺構位置を示した地図だけの調査報告になります。


【探索日時】
平成25年12月4日





濱田陸軍病院

歩兵第二十一聯隊兵営の南側に濱田陸軍病院がありました。
濱田陸軍病院 イ 「陸(軍用地?)」境界石標 東から(島根浜田)
▲民有地との境に遺る境界石標

【探索日時】
平成25年12月4日





歩兵第二十一聯隊

伝統芸能「石見神楽」で知られる浜田市に歩兵第二十一聯隊がありました。

兵営では後に歩兵第四百十八聯隊歩兵第四百六十二聯隊歩兵第三百四十七聯隊が編成されます。
歩兵第二十一聯隊 A覆練兵場 北東から (表紙)(島根浜田)
▲浜田市立第一中学校に遺る第一覆練兵場

【探索日時】
平成25年12月4日





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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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