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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

豊橋陸軍墓地

吉田城阯に所在した歩兵第十八聯隊の東側に豊橋陸軍墓地があります。
北側全景 豊橋陸軍墓地(愛知豊橋)
▲豊橋陸軍墓地 全景

【参拝日時】
平成27(2015)年4月15日
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歩兵第十八聯隊 兵舎 【移設】

愛知県下の高校に吉田城阯に所在した歩兵第十八聯隊 兵舎の一部が移設されています。
兵舎(移築) 東から 歩兵第十八聯隊(愛知豊橋)
▲兵舎と言われる建物

【探索日時】
平成27(2015)年4月13日





歩兵第十八聯隊

徳川四天王筆頭・酒井忠次が城代を務めた事で知られる吉田城阯に「東海の勇兵」と称された歩兵第十八聯隊がありました。

兵営では後に歩兵第百十八聯隊歩兵第二百二十九聯隊が編成され、陸軍飛行場設定部(のちに陸軍航空基地設定練習部に改編)が置かれます。
ア 営門 南東から 歩兵第十八聯隊(愛知豊橋)
▲豊橋公園入口に転用されている営門

【探索日時】
平成27(2015)年4月13日





東海海軍航空隊 豊橋基地隊 大崎宿舎

渥美湾海上に設営された豊橋海軍航空基地から海軍橋を渡った対岸、大崎村に東海海軍航空隊 豊橋基地隊大崎宿舎がありました。
a1 喞筒室?・a2 北東から 豊橋海軍航空基地・豊橋海軍航空隊(愛知豊橋)
▲私有地内に遺る飲用水喞筒所

【探索日時】
平成27(2015)年4月14日





豊橋海軍航空基地 老津送信所

渥美湾に浮かぶ海上航空基地だった豊橋海軍航空基地の対岸に老津送信所がありました。
b 老津送信所 西から 豊橋海軍航空基地・豊橋海軍航空隊老津送信所(愛知豊橋)
▲耐弾送信所兼発電機室の入口

【探索日時】
平成27(2015)年4月14日





豊橋海軍航空基地 隧道弾庫

渥美湾に浮かぶ海上航空基地だった豊橋海軍航空基地の対岸に隧道弾庫が遺ります。
B 内部 豊橋海軍航空基地・豊橋海軍航空隊隧道弾庫(愛知豊橋)
▲魚雷の実用頭部が格納されていた隧道弾庫

【探索日時】
平成27(2015)年4月14日





豊橋海軍航空基地(豊橋海軍航空隊)

豊橋市の西側、渥美湾海上に豊橋海軍航空基地がありました。
ア 海軍橋 北西から 豊橋海軍航空基地・豊橋海軍航空隊(愛知豊橋)
▲現役で使用されている海軍橋

【探索日時】
平成27(2015)年4月14日





老津陸軍飛行場

豊橋市に所在した高師原陸軍演習場の南西端に老津陸軍飛行場がありました。
A 耐弾壕 南から (2) 老津陸軍飛行場(愛知豊橋)
▲台地上に遺されていた耐弾施設(滅失)

【探索日時】
平成27(2015)年4月14日





高師原陸軍演習場・老津陸軍演習廠舎

スイカ栽培で有名な高師原(たかしはら)天伯原(てんぱくばら)高師原陸軍演習場、夫々の西端に高師原陸軍演習廠舎老津陸軍演習廠舎がありました。
エ 陸軍(移設) (5) 高師原陸軍演習場・老津陸軍演習廠舎(愛知豊橋)
▲移設されている境界石標

【探索日時】
令和3(2021)年2月16日





名古屋海軍航空基地(名古屋海軍航空隊・愛知時計電気㈱伊保工場)

世界的自動車メーカートヨタ自動車の企業城下町として知られる豊田市に名古屋海軍航空基地が所在し、名古屋海軍航空隊愛知時計電気㈱伊保工場がありました。

航空基地、航空隊ともに「名古屋」を冠していますが、所在地は名古屋市から20km東の豊田市です。
B 戦闘指揮所 a・b 北東から 名古屋海軍航空基地・名古屋海軍航空隊(愛知豊田)
▲竹やぶに遺る戦闘指揮所

【探索日時】
平成27(2015)年4月11日





明治海軍航空基地(居住地区)

安城市に所在した明治海軍航空基地の南北に居住地区(兵舎地区)がありました。
E 弾薬庫 南から 明治海軍航空基地(愛知安城)
▲居住地区に遺る弾薬庫と言われる煉瓦造建物

【探索日時】
平成27(2015)年4月11日






明治海軍航空基地(飛行場地区)

戦国時代、織田家と今川・松平家の抗争の舞台となった安城市に明治海軍航空基地がありました。
C 耐弾式爆弾分散庫 南西から 明治海軍航空基地(愛知安城)
▲畑に遺る耐弾式爆弾分散庫

【探索日時】
平成27(2015)年4月11日





岩津海軍航空基地(岩津牧場)

岡崎海軍航空基地の北東4km、岩津町に海軍の秘匿航空基地、岩津海軍航空基地岩津牧場まきばがありました。
E 北側壕口 岩津海軍航空基地(岩津牧場)(愛知岡崎・安城)
▲民有地に遺る地下壕

【探索日時】
平成27(2015)年4月11日





第三岡崎海軍航空隊 本部庁舎・格納庫 【移設】

岡崎海軍航空基地跡の程近くで操業する(合)野田味噌商店に第三岡崎海軍航空隊の本部庁舎、格納庫が移設されています。
E 移築兵舎カオエ(左から) 南東から岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲移設されている“格納庫”とされる建物

【探索日時】
平成27(2015)年4月11日





岡崎海軍航空基地(第三岡崎海軍航空隊)

岡崎市と安城市にまたがり所在した岡崎海軍航空基地第一岡崎海軍航空隊第二岡崎海軍航空隊第三岡崎海軍航空隊、及び第二海軍航空廠 鈴鹿支廠 岡崎補給工場が所在しました。
D 喞筒室基礎 北西から岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲民家に遺る第三岡崎海軍航空隊の飲用水ポンプ場の基礎

【探索日時】
平成27(2015)年4月11日、令和3(2021)年2月21日





第一岡崎海軍航空隊・第二岡崎海軍航空隊

徳川家康の祖、松平氏の拠点として知られる岡崎市と安城市にまたがり岡崎海軍航空基地がありました。

同地には第一岡崎海軍航空隊第二岡崎海軍航空隊第三岡崎海軍航空隊の3個航空隊、及び第二海軍航空廠鈴鹿支廠岡崎補給工場が所在しました。
A 防空監視哨(移設転用)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲移設されている第一岡崎海軍航空隊の防空監視哨

【探索日時】
平成27(2015)年4月11日





名古屋陸軍造兵廠 鷹来製造所

花札の絵柄に登場する小野道風の生誕地で知られる春日井市に名古屋陸軍造兵廠 鷹来(たかき)製造所がありました。
名古屋陸軍造兵廠 鷹来製造所 ア 本館 北東から(愛知春日井)
▲名城大学農学部付属農場内に遺る鷹来製造所 本館

【探索日時】
平成28(2016)年12月3日





名和高射砲陣地(てんりう隊陣地:太佐山)

東海市太佐山(たざやま)に名和高射砲陣地てんりう隊陣地)がありました。
当時の史料には西500mの平山にあった陣地(ながら隊陣地)と併せ「名和高射砲陣地」と記載されていますが、混同を避けるため一般的に太佐山高射砲陣地と呼称されています。
名和太佐山高射砲陣地 表紙(愛知太佐山)
▲初回探索時に唯一露出していた二番砲砲床

【探索日時】
平成29(2017)年2月8日、令和2(2020)年10月13日





笠寺高射砲陣地

弥生時代後期の環濠集落跡が出土した事で知られる笠寺公園に笠寺高射砲陣地がありました。
笠寺高射砲陣地 第二砲座(愛知名古屋)
▲保存されている砲床と砲側弾薬置場(奥)

【探索日時】
平成26(2014)年12月27日





高射第二師團司令部(名古屋市公會堂)

名古屋市が最初に設置した公園として知られる鶴舞(つるま)公園に建つ名古屋市公会堂に高射第二師團司令部が所在しました。
高射第二師團司令部(名古屋市公會堂) 正面(愛知名古屋)
▲名古屋市公会堂

【探索日時】
令和2(2020)年10月13日





名古屋陸軍造兵廠 高蔵製造所

名古屋陸軍造兵廠 熱田製造所に隣接して名古屋陸軍造兵廠 高蔵(たかくら)製造所がありました。
名古屋陸軍造兵廠 L 高蔵 圧延工場(愛知名古屋)
▲在りし日の圧延工場





名古屋陸軍墓地

千種区に所在する平和公園に名古屋陸軍墓地が移設されています。
名古屋陸軍墓地 ㉒兵 全景(愛知名古屋)
▲兵卒墓域

【参拝日】
令和3(2021)年2月22日





八龍戦闘射撃場

守山区大森八龍一帯に八龍戦闘射撃場がありました。
八龍戦闘射撃場 ク 陸軍 (2)(愛知名古屋)
▲八龍緑地公園内に遺る境界石標

【探索日時】
令和2(2020)年12月17日





小幡原陸軍射撃場

名古屋市守山区の中央に位置する小幡地区一帯に小幡原陸軍射撃場がありました。
小幡原陸軍射撃場 イ 陸軍省所轄地(愛知名古屋)
▲山林に遺る境界石標

【探索日時】
令和2(2020)年12月17日





猫ヶ洞工兵作業場

名古屋市千種区に所在する公園墓地、平和公園は猫ヶ洞(ねこがほら)工兵作業場の跡地にあります。
猫ヶ洞工兵作業場 陸軍 境界石標 (2)(愛知名古屋千種)
▲民家脇に移設されている境界石標

【探索日時】
平成26(2014)年12月26日





留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂)

名古屋市千種区、末森城二之丸に所在する愛知縣昭和塾堂留守第三師團司令部が移転していました。
留守第三師團司令部は後に名古屋師管區司令部に改編されます。
留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂) 南西から(愛知名古屋千種)
▲愛知縣昭和塾堂

【探索日時】
平成26(2014)年12月26日





名古屋陸軍造兵廠 千種製造所

名古屋城東方、千種(ちくさ)区に名古屋陸軍造兵廠 千種製造所がありました。
名古屋陸軍造兵廠 千種製造所 ク 塀東端 南から(愛知名古屋千種)
▲公務員住宅に遺る試射場の塀

【探索日時】
平成26(2014)年12月26日





名古屋陸軍造兵廠 熱田製造所

三種の神器の一つ、 草薙御剣を奉祀する熱田神宮のほど近くに名古屋陸軍造兵廠 熱田製造所がありました。
名古屋陸軍造兵廠 熱田製造所 H 南西から(愛知名古屋熱田)
▲倉庫会社内に遺る水圧工場(奥)、第一鍛工場

【探索日時】
平成26(2014)年12月27日





名古屋陸軍兵器補給廠

名古屋城東方、千種区に名古屋陸軍兵器補給廠がありました。

同廠は名古屋陸軍兵器支廠として発足、改編後は第三師團兵器部 倉庫が併設されます。
名古屋陸軍兵器補給廠 ア「陸軍」 (2)(愛知名古屋)
▲道路に遺る境界石標

【探索日時】
平成26(2014)年12月26日





歩兵第六聯隊 被服庫 【移設】

愛知県内のある企業の敷地内に歩兵第六聯隊 被服庫が移設されています。

【探索日時】
平成27(2015)年4月12日

※当記事には写真がありません。
見学当初は掲載予定写真の確認ののち掲載許可を頂いていたのですが、この度ブログ記事作成に際し確認を求めたところ、昨今の社会状況の変化に伴い、残念ながら掲載を見送って欲しいとの依頼を受け全写真を削除しました。
せっかく記事を造ったので、遺構の存在記録のため写真無しで挙げさせて頂きます。






名古屋城内陸軍射的場

名古屋城三之丸東端に名古屋城内陸軍射的場がありました。
射的場は後に第三師團 馬糧庫に転用されます。
名古屋城内陸軍射的場 ツ 射だ 南西から(愛知名古屋)
▲公務員住宅裏に遺る射垜

【探索日時】
平成26(2014)年12月26日





第三師團 火藥庫

名城・名古屋城の御深井丸に第三師團 火藥庫がありました。
第三師團 火藥庫 南西から(愛知名古屋)
▲名古屋城御深井丸に遺る第二弾薬庫(通称「乃木倉庫」)

【探索日時】
平成27年12月2日





歩兵第六聯隊

名城・名古屋城の二之丸に歩兵第六聯隊がありました。

聯隊では後に歩兵第二百二十八聯隊、歩兵第百九十六聯隊、歩兵第三百三十七聯隊などが編成されます。
歩兵第六聯隊 セ 営門(西鉄御門)(愛知名古屋)
▲営門として使用された二之丸大手二之門

【探索日時】
平成26年12月26日





第三師團司令部(第十三方面軍司令部、東海軍管區司令部)

名城・名古屋城の三之丸に第三師團司令部がありました。
師團司令部では後に第三十八師團司令部、第四十三師團司令部、第百四十三師團司令部、第三百三師團司令部を編成します。

第三師團司令部庁舎はのちに第十三方面軍司令部及び東海軍管區司令部に転用されます。
第三師團 ア 塀 南西から(愛知名古屋)
▲農水省用地に遺る第三師團司令部の煉瓦塀

【探索日時】
平成26(2014)年12月26日





名古屋航空宇宙システム製作所 小牧南工場史料室の「零式艦上戦闘機五二型甲」と「秋水」

名古屋空港の隣接地にあった名古屋航空宇宙システム製作所 小牧南工場史料室零式艦上戦闘機秋水が展示されていました。
名古屋旅行2日目 零戦五二型 (2)(271203)
▲復元された零戦五二型甲

【見学日時】
平成27(2015)年12月5日





三菱重工業株式會社 名古屋發動機製作所 楽田地下工場

貴重な近代建築が多数移築されている事で知られる「博物館 明治村」のほど近くに三菱重工業㈱名古屋發動機製作所の疎開工場である楽田地下工場がありました。
三菱重工業㈱名古屋發動機製作所 楽田地下工場 壕口(愛知犬山)
▲唯一遺る地下工場の壕口

【探索日時】
平成28(2016)年12月3日





三菱重工業株式會社 名古屋發動機製作所(第四製作所)

名古屋大学医学部一帯に三菱重工業株式會社 名古屋發動機製作所がありました。
三菱重工業㈱ 名古屋発動機製作所 総合事務所 本館 北西から(愛知名古屋)
▲在りし日の三菱重工業㈱ 名古屋發動機製作所 総合事務所(本館)

【探索日時】
平成24(2012)年12月26日





三菱重工業株式會社 名古屋航空機製作所

名古屋市港区大江町に所在する三菱重工業㈱ 名古屋航空宇宙システム製作所 大江工場三菱重工業㈱ 名古屋航空機製作所の後身になります。
三菱重工業㈱ 名古屋航空機製作所 A 総合事務所北西から(愛知名古屋)
▲三菱重工業㈱ 名古屋航空機製作所 総合事務所

【探索日時】
平成24(2012)年12月27日





各務原陸軍飛行場 格納庫 【移設】

名古屋市に各務原陸軍飛行場(岐阜県各務原市)から移設された格納庫が遺ります。
各務原陸軍飛行場 移設格納庫 北東から(愛知)
▲格納庫全景

【探索日時】
平成29(2017)年2月8日





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盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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