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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

八九式十五糎加農砲・九四式三十七粍砲・九一式魚雷(南部観光総合案内センター前)

沖繩陸軍病院 糸数分室として使用されていた糸数壕前(南部観光総合案内センター)に八九式十五糎加農砲九四式三十七粍砲九一式魚雷が展示されています。
八九式十五糎加農砲(沖縄)

【探索日時】
令和元(2019)年11月19日
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九六式十五糎榴弾砲(西原町立図書館)

かつて西原町立図書館前に九六式十五糎榴弾砲が展示してありました。
野戰重砲兵第一聯隊 九六式十五糎榴弾砲 九六式十五糎榴弾砲(西原町) (3)(沖縄)

【探索日時】
平成19(2007)年11月13日





獨立高射砲第二十七大隊英霊の碑と八八式七糎野戰高射砲

陸上自衛隊 南与座分屯地に隣接して獨立高射砲第二十七大隊英霊の碑八八式七糎野戰高射砲が遺ります。
獨立高射砲第二十七大隊英霊の碑・八八式七糎野戰高射砲 獨立高射砲第二十七大隊英霊の碑(沖縄)
▲獨立高射砲第二十七大隊英霊の碑 全景

【参拝日時】
平成19(2007)年11月12日





第二十四師團 第二野戰病院壕

観光地にもなっているひめゆりの塔(第三外科壕)のほど近くに第二十四師團 第二野戰病院壕が遺ります。
第二十四師團 第二野戰病院 第二十四師團第二野戦病院壕 (7)(糸洲沖縄)
▲壕前に建つ第二野戰病院の慰霊碑

【参拝日時】
平成19(2007)年11月14日、令和元(2019)年11月20日





沖繩陸軍病院 第三外科壕

観光地にもなっているひめゆりの塔沖繩陸軍病院 第三外科壕に建てられています。
同壕は一般的に伊原第三外科壕と呼ばれていますが、この地に壕があるのは殆ど知られていません。
沖繩陸軍病院 第三外科壕 ひめゆりの塔 (2)(伊原沖縄)
▲ひめゆりの塔(この前に壕口があります)

【参拝日時】
平成19(2007)年11月14日、令和元(2019)年11月20日





沖繩陸軍病院 第二外科壕

観光地にもなっているひめゆりの塔(第三外科壕)のほど近くに沖繩陸軍病院 第二外科壕が遺ります。
同壕は一般的に糸洲第二外科壕と呼ばれています。
沖繩陸軍病院 第二外科壕(糸洲沖縄)
▲陸軍病院第二外科壕碑と壕口

【参拝日時】
平成19(2007)年11月14日、令和元(2019)年11月20日





沖繩陸軍病院 第一外科壕

観光地にもなっているひめゆりの塔(第三外科壕)のほど近くに沖繩陸軍病院 第一外科壕が遺ります。
第一外科壕は伊原と波平の2ヶ所あり、こちらは伊原第一外科壕と呼ばれています。
沖繩陸軍病院 第一外科壕(伊原沖縄)
▲第一外科壕慰霊碑と壕口

【参拝日時】
平成19(2007)年11月14日、令和元(2019)年11月20日





沖繩陸軍病院 本部壕

観光地にもなっているひめゆりの塔(第三外科壕)のほど近くに沖繩陸軍病院 本部壕が遺ります。
同壕は一般的に山城本部壕と呼ばれています。
沖繩陸軍病院 沖縄陸軍病院之塔(山城沖縄)
▲本部壕付近に建つ沖縄陸軍病院之塔

【参拝日時】
平成19(2007)年11月14日、令和元(2019)年11月20日





南風原八五・六高地 沖繩陸軍病院 横穴式洞窟病院

南風原の黄金森一帯に沖繩陸軍病院横穴式洞窟内病院がありました。
現在、一般的に南風原陸軍病院壕と呼ばれています。
沖繩陸軍病院 イ→ウ(南風原沖縄)
▲公開されている第二外科壕の一つ

【探索日時】
平成19(2007)年11月12日、令和元(2019)年11月19日





重砲兵第七聯隊 第二中隊第二小隊 野砲砲台

沖縄最大の聖地・斎場御嶽(せーふぁうたき)の禊所ウローカーに面し重砲兵第七聯隊 第二中隊第二小隊 野砲砲台がありました。
当砲台の正式名称は不明でウローカー砲台の通称で知られます。
重砲兵第七聯隊 第二中隊第二小隊 野砲砲台 ア 北から (2)(ウローカー沖縄)
▲一番砲砲座

【探索日時】
令和元(2019)年11月19日





重砲兵第七聯隊 第二中隊本部 坑道陣地

沖縄最大の聖地・斎場御嶽(せーふぁうたき)の近傍に重砲兵第七聯隊 第二中隊本部の坑道陣地が遺ります。
重砲兵第七聯隊 イ→ケ(沖縄)
▲坑道陣地の内部

【探索日時】
令和元(2019)年11月19日





與那城防空監視哨

長大な石垣で有名な勝連城のほど近くに與那城防空監視哨がありました。
与那城防空監視哨 南から(沖縄)
▲與那城防空監視哨 全景

【探索日時】
令和元(2019)年11月21日





糸滿防空監視哨

糸満市山巓毛(さんてぃんもう)公園は糸滿防空監視哨の跡地にあります。
糸満防空監視哨 糸満防空監視哨跡基礎(沖縄)
▲山巓毛公園に遺る糸滿防空監視哨の基礎

【探索日時】
平成19(2007)年11月15日





本部防空監視哨

美しい自然で知られる本部(もとぶ)町に本部防空監視哨がありました。
本部防空監視哨 外観 (3)(沖縄)
▲本部防空監視哨の監視所

【探索日時】
令和元(2019)年11月21日





南西諸島海軍航空隊 戦闘指揮所

ゆいレール小禄駅の近傍、田原公園は南西諸島海軍航空隊 戦闘指揮所の跡地にあります。
南西諸島海軍航空隊 戦闘指揮所 ア 壕口 (2)(田原公園沖縄)
▲南西諸島海軍航空隊 戦闘指揮所 壕内

【探索日時】
令和元(2019)年11月21日





豊見城七四高地 沖繩方面根拠地隊司令部壕

豊見城市を見渡す小高い丘上に豊見城七四高地 沖縄方面根拠地隊司令部壕がありました。
同壕は一般的に海軍司令部壕として知られます。
沖縄方面根拠地隊 海軍司令部壕 ア 南西から(沖縄)
▲壕内に遺る司令官室

【探索日時】
平成19(2007)年11月12日、令和元(2019)年11月20日

【改訂情報】
令和3(2021)年8月29日 手榴弾痕についての考察追加





第三十二軍電波警戒隊 島村隊

首里高地東側1kmにある霊峰・弁ヶ嶽に第三十二軍電波警戒隊 島村隊がありました。
弁ヶ嶽電波警戒隊 南東から (2)(沖縄)
▲警戒隊関連と思われる耐弾施設

【探索日時】
平成19(2007)年11月15日、令和元(2019)年11月21日





沖繩本島北陸軍飛行場

紅イモが特産で知られる読谷村に沖繩本島北陸軍飛行場がありました。
当飛行場は義烈空挺部隊が突入した事で知られます。
沖縄本島北陸軍飛行場 イ・ウ(沖縄)
▲飛行場北側に遺る飛行機用掩体(左側は滅失)

【探索日時】
平成19(2007)年11月13日

【改訂情報】
令和3(2021)年12月7日・・・掩体の解説訂正





首里城南側 監視哨兼観測所

首里城の所在する首里高地南側に監視哨兼観測所が遺ります。
首里城の監視哨兼観測所 西から (2)(沖縄)
▲首里城南側に遺る監視哨兼観測所

【探索日時】
平成19(2007)年11月15日、令和元(2019)年11月21日





第三十二軍司令部 戦闘司令所 衛兵詰所・合同無線通信所

沖縄の象徴、先日惜しくも焼失してしまった首里城の北側に第三十二軍司令部 戦闘司令所 衛兵詰所・合同無線通信所が遺ります。
豊見城七四高地 沖繩方面根拠地隊司令部壕(海軍司令部壕)と並び有名な遺構です。
第三十二軍司令部壕 ア(沖縄)
▲衛兵詰所と言われる耐弾施設

【探索日時】
平成19(2007)年11月15日、令和元(2019)年11月21日





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盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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