天地人 第4回「年上の女」
今回は天正元(1573)年7月~翌天正2(1574)年3月頃です。
まず上杉景虎と景勝の妹(華姫)との婚儀が行われました。
景虎が華姫に自分の悩みを話す場面で、「養子として武田、上杉とたらい回しにされた云々」という台詞がありましたが、景虎が武田信玄の養子になったという説はかなり以前に否定されています。
黒田基樹氏によると景虎は一時、北条幻庵の養子になった後、越相同盟の成立に伴い謙信の養子になったとされています。
信長から洛中洛外図屏風が贈られてきました。天正2(1574)年3月と言われています。
しかし、残念ながら謙信は関東に出陣中で帰国は5月になります。
屏風に描かれた赤毛氈鞍覆を掛けた馬と塗輿の一行=謙信が、花の御所=京の支配者である信長に挨拶に参上する→信長が謙信に宣戦布告するという謎かけになっていました。
この洛中洛外図屏風に謙信が描かれているという説ですが、以前「その時歴史」で唱えてた説ですね。
ただ、毛氈鞍覆と塗輿は白傘袋とともに、守護の格式を示すものですが、守護は無数にいてますので、これをもって描かれているのが謙信とするには無理がありますが、ドラマとしては面白いですね。
兼続」とお船の淡い交情がありましたが、のちに2人が夫婦となる伏線ですかね?

まず上杉景虎と景勝の妹(華姫)との婚儀が行われました。
景虎が華姫に自分の悩みを話す場面で、「養子として武田、上杉とたらい回しにされた云々」という台詞がありましたが、景虎が武田信玄の養子になったという説はかなり以前に否定されています。
黒田基樹氏によると景虎は一時、北条幻庵の養子になった後、越相同盟の成立に伴い謙信の養子になったとされています。
信長から洛中洛外図屏風が贈られてきました。天正2(1574)年3月と言われています。
しかし、残念ながら謙信は関東に出陣中で帰国は5月になります。
屏風に描かれた赤毛氈鞍覆を掛けた馬と塗輿の一行=謙信が、花の御所=京の支配者である信長に挨拶に参上する→信長が謙信に宣戦布告するという謎かけになっていました。
この洛中洛外図屏風に謙信が描かれているという説ですが、以前「その時歴史」で唱えてた説ですね。
ただ、毛氈鞍覆と塗輿は白傘袋とともに、守護の格式を示すものですが、守護は無数にいてますので、これをもって描かれているのが謙信とするには無理がありますが、ドラマとしては面白いですね。
兼続」とお船の淡い交情がありましたが、のちに2人が夫婦となる伏線ですかね?

