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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

京都霊山護國神社

観光地からほど近い京都市東山区に京都霊山護國神社が鎮座されています。
京都霊山護國神社 霊山護国神社(京都)
▲境内

【参拝日】
平成20(2008)年4月6日
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青野原憲兵分遣隊

兵庫県小野市に所在した戰車第六聯隊の東側1.3kmに青野原憲兵分遣隊がありました。
青野原憲兵分遣隊 ノ 正門 西から (2)(兵庫小野青野原)
▲公民館にあった門柱

【探索日時】
平成26年1月22日、令和1年9月8日





戰車第六聯隊

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の南端に戰車第六聯隊がありました。
兵営では後に戰車第十九聯隊戰車第十九聯隊補充隊戰車第四十二聯隊が編成、最終的に陸軍騎兵學校が移駐して来ます。
なお戰車第十九聯隊補充隊は司馬遼太郎こと福田定一先生が入営したことでも知られています。

また隣接して姫路陸軍病院 青野原分院青野原陸軍射撃場戰車聯隊自動車訓練所がありました。
戰車第六聯隊 セ 南門 南から(兵庫小野青野原)
▲兵営跡に遺る門柱

【探索日時】
平成25(2013)年8月11日、平成26(2014)年1月26日





青野原陸軍演習場 高岡陸軍演習廠舎(旧青野原俘虜収容所)

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の北端に高岡陸軍演習廠舎がありました。

同廠舎に隣接し大正年間に青野原俘虜収容所が開設されます。
高岡陸軍演習廠舎 H 浴場 北東から(兵庫小野青野原)
▲兵庫県登録文化財に指定された青野原俘虜収容所の将校用浴場

【探索日時】
平成26(2014)年1月26日、令和2(2020)年9月15日

【改訂情報】
令和2(2020)年9月26日・・・写真追加





青野原陸軍演習場 大門陸軍演習廠舎

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の東端に大門陸軍演習廠舎がありました。

同廠舎は元々、陸軍省騎兵局 青野軍馬育成所(のちに軍馬補充部 青野支部)として建設されます。
大門陸軍演習廠舎 C 廠舎 北西から(兵庫小野青野原)
▲民家に転用されている廠舎の一部

【探索日時】
平成26(2014)年1月26日





青野原陸軍演習場(旧軍馬補充部 青野支部)

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在する陸上自衛隊・青野原演習場は青野原陸軍演習場でした。
同演習場は元々、陸軍省騎兵局 青野軍馬育成所(のちに軍馬補充部 青野支部)として発足します。
青野原陸軍演習場 493「∧∧∧陸軍」(兵庫小野)
▲陸自青野原演習場外周に遺る境界石標

【探索日時】
平成25(2013)年8月11日、平成26(2014)年1月26日





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盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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