当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

花崗山陸軍墓地/花崗山招魂社

熊本市内には花崗山(はなおかやま)と小峰(おみね)の2ヶ所の陸軍墓地があります。
まずは花崗山陸軍墓地(隣接の県官墓地・花崗山招魂社)を紹介します。
花崗山陸軍墓地 南西から(熊本陸軍遺構)
▲花崗山陸軍墓地 全景






花崗山陸軍墓地は熊本城の南西にある花崗山の中腹【地図】にあります。
昭和6年頃の地図★拡大(大正15年測量、昭和6年部分修正 大日本帝國測量部)
▲昭和6年頃の地図(大正15年測量、昭和6年部分修正 大日本帝國陸地測量部)
 熊本城と左下の春日射撃場の中間にある「陸軍墓地」の表記が花崗山陸軍墓地

花崗山陸軍墓地 花崗山陸軍墓地(熊本陸軍遺構)
▲現在の花岡山
 赤枠・・・花崗山陸軍墓地
 青枠・・・県官墓地
 オレンジ・・・花崗山招魂社

花崗山陸軍墓地

花崗山陸軍墓地 花崗山陸軍埋葬地 入口(熊本陸軍遺構)
▲南側にある墓地入口
 「花崗山陸軍埋葬地」の石標が建っています。

当墓地は明治9(1876)年10月24日に発生した神風連の変で散華した熊本鎭臺司令長官・種田政明少将、参謀長・高島茂徳中佐、大島邦秀中佐以下116名を埋葬するために開設されました。

と現地説明板には記されているのですが、神風連の変における鎭臺側の散華者は約60名なので数が合いません。
隣接する県官墓地に埋葬されている県関係者、警察も含んだ数かも知れません。
また、同変で散華した歩兵第十三聯隊長・與倉知実中佐は小峰陸軍埋葬地に埋葬されており、神風連の変の散華者全員が埋葬されている訳でも無さそうです。

花崗山陸軍墓地 熊本鎭臺司令長官・種田政明少将、参謀・高島茂徳中佐、大島邦秀中佐の墓標(熊本陸軍遺構)
▲南隅にある熊本鎭臺司令長官・種田政明少将、参謀・高島茂徳中佐、大島邦秀中佐の墓標(左から)

花崗山陸軍墓地 墓標(熊本陸軍遺構)
▲斜面に離れて建つ歩兵中尉と工兵少尉の墓標
 当墓地は南から将校・下士官・兵卒の順に配置が区分けされていますが、この2基のみ離れて(兵卒地区の西側斜面)にあります。

花崗山陸軍墓地 北東から(熊本陸軍遺構)
▲墓地 全景(兵卒地区から)

花崗山陸軍墓地 北から(熊本陸軍遺構)
▲墓地 全景(兵卒地区から)
 折れた墓標が多く見受けられます・・・

参拝に訪問したのが初秋だったため落ち葉が堆積し雑草が茂り荒れた感じでしたが、ネットで検索すると定期的に清掃されているようです。
たまたま荒れている時期に行ったと信じたいです。

ただ雑草は兎も角、北側の兵卒地区を中心に折れている墓標が多く、早急に何とかしてもらいたいものです。

当陸軍墓地は西南の役に際し、薩軍が熊本城を砲撃するための大砲陣地が構築されたため荒廃、その後、復旧されますが大東亜戰争後に再び荒廃したのを地元の有志により整備され現在に至ります。
花崗山陸軍墓地 薩軍砲座跡 (2)(熊本陸軍遺構)
薩軍砲座の址

花崗山陸軍墓地 薩軍砲座跡(熊本陸軍遺構)
▲大砲を据え付けた削平地
 本来は陸軍墓地の敷地であり、墓標が並んでいたと思われます。

花崗山陸軍墓地 軍人・軍属合葬碑(熊本陸軍遺構)
軍人・軍属 合葬之碑
 右面の碑文によると、西南の役で薩軍に荒らされた墓地を役平定後に復旧しましたが、墓標が亡失したり、埋葬場所の特定が困難だったりした埋葬者136名(明治5~9年の平時病没者)を合葬した物です。

何時もでしたら撮影する前に一通り参拝し軽く草を刈ったりするのですが、当日は参拝も困難な程の豪雨のため草刈りは省略しました。
そのため、雑草が多く写り込んだうえ、雨に焦点が合ってしまうなど今ひとつの写真になってしまいました。
同じく境界石標も探索したかったのですが、できる状況では無く断念しました・・・


東側に隣接して「県官墓地」があり同じく神風連の乱で斬死した安岡良亮熊本県令、明治19(1886)年7月に病没した乃木恒子(乃木希典大将の息女)が埋葬されています。
花崗山陸軍墓地 熊本県令安岡良亮之墓(熊本陸軍遺構)
熊本県令従五位・安岡良亮之墓

花崗山陸軍墓地 乃木大将の娘・恒子女史の墓(熊本陸軍遺構)
乃木氏恒子之墓

乃木大将のは明治18(1885)年5月21日、少将に昇進、6月、新設された歩兵第十一旅團長に任じられ熊本に赴任します。
翌19(1886)年4月、長女・恒子が誕生しますが、僅か3ヶ月後の7月、夭折してしまいます。


その他、敷地内には戦後に建立された神風連の変関連の石碑があります。
花崗山陸軍墓地 神風連百周年之碑(熊本陸軍遺構)
神風連の変百周年之碑
 昭和51(1976)年10月24日、春日郷土史保存会により建立

花崗山陸軍墓地 明治九年十月神風連之変 戦死者追福碑(熊本陸軍遺構)
明治九年十月神風連之変 軍官民戦死者追福碑
 昭和51(1976)年10月、神風連百年記念事業委員会により建立

明治8(1875)年7月31日、東京・仙臺・名古屋・廣島・大阪・熊本各鎭臺に埋葬地の設置を示達した『陸軍省達第三十一號』では面積2,800坪と定められていますが、花崗山陸軍墓地は600坪弱ほどしかありません。
小峰に陸軍埋葬地(のち陸軍墓地)開設の準備中の明治9(1876)年10月24日、神風連の変が勃発、多くの散華者が発生したため、急遽、招魂場がある既存の霊域に埋葬地を開設したのではないでしょうか?


花崗山招魂社

花崗山陸軍墓地 花岡山招魂社(熊本陸軍遺構)
▲花崗山招魂社 拝殿
 非常に安っぽい建物です・・・

花崗山には明治2(1869)年2月、肥後藩主・細川韶邦、弟の細川護久により招魂場(明治7年、招魂社に、昭和28年、花崗山招魂社に)が建立され、宮部鼎蔵増実命を始め戊辰の役以降の150余柱の英霊を祭祀しています。

花崗山陸軍墓地 殉死警察官・県官の碑(熊本陸軍遺構)
殉死警察官・県官の碑

 招魂社拝殿のすぐ横にあります。
 表面はかなり摩滅していますが、小さな文字が刻まれています。
 よく見ようと思ったのですが、なぜか碑の後ろに蜂の巣箱(写真の白い箱)があり蜂が飛び回っているので諦めました。


主要参考文献
現地説明板

アジ歴『明治八年 陸軍省達全書』内
    「工兵第六方面内同上〔陸軍埋葬地面積を定む〕」(C08070776500)
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まとめtyaiました【花崗山陸軍墓地/花崗山招魂社】

熊本市内には花崗山(はなおかやま)と小峰の2ヶ所の陸軍墓地があります。まずは花崗山陸軍墓地(隣接の県官墓地・花崗山招魂社)を紹介します。▲花崗山陸軍墓地 全景

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No Title

花岡山と言えば、近くに「阿蘇殿松の跡」もありますね。斬首された阿蘇惟光公は我々の先祖の主君でした。
神風連の変は、偲ぶたびに心が洗われる思いです。

Re: No Title

菊陽さん、こんにちは。

「阿蘇殿松の跡」は招魂社の参道にありますね。
石碑と市教育委員会が立てた木柱がありますが、詳細な解説は無く数奇な運命を辿る阿蘇氏を偲ぶべくも無いのは残念です。
知ってる人しか分からない史跡でした。

神風連の変は、ともに国を思った先人達の悲劇だと思います。
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大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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