当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

小峰陸軍墓地

熊本市内には花崗山(はなおかやま)と小峰(おみね)の2ヶ所の陸軍墓地があります。
続いて小峰陸軍墓地を紹介します。
小峰陸軍墓地 小峰陸軍埋葬地入(口)(熊本陸軍遺構)
参道にある「小峰陸軍埋葬地 入(口)」の石標







小峰陸軍墓地は熊本市北部の下立田村小峰畑(現、熊本市中央区黒髪「小峰墓地」)【地図】にありました。

※青字は地図にリンクしています
昭和6年頃の地図★拡大(大正15年測量、昭和6年部分修正 大日本帝國測量部)
▲昭和6年頃の地図(大正15年測量、昭和6年部分修正 大日本帝國陸地測量部)
 大江町の歩・騎・工・輜重兵営跡の北側「陸軍埋葬地」の表記が小峰陸軍墓地

小峰陸軍墓地
▲現在の地図(赤枠が陸軍墓地の範囲)

明治8(1875)年7月31日、東京・仙臺・名古屋・廣島・大阪・熊本各鎭臺に埋葬地の設置を示達したで『陸軍省達第三十一號』により開設されます。
明治13(1880)年5月28日、内務省が買収した西側の隣接地700坪を受領し拡張します。

昭和29(1954)年、都市計画の実施により個人墓標は全て引抜かれコンクリートで固められたうえ土中に埋められ、その上に忠霊塔が建てられてしまいます。
現在、軍関連の合葬碑は忠霊塔前にある駐車場周辺に固まって並んでおり、それ以外の敷地は拡張され小峰墓地となっています。

小峰陸軍墓地 忠霊塔(戦後)地下に墓標(熊本陸軍遺構)
忠霊塔
 大慈寺開基・寒巖禅師の揮毫、海老原喜之助の油絵「殉教者」をブロンズ彫刻してはめ込んであります。

特に埋葬者が激増する訳でもない戦後にワザワザ既存の墓標を引抜き、この様な状態にしてしまうのは理解に苦しみます。

忠霊塔の西側に陸軍墓地時の合葬碑3基が残されています。
小峰陸軍墓地 済南事變忠死者之陽(昭和4年3月)(熊本陸軍遺構)
済南事變忠死者之碑
 昭和4(1929)年3月、工兵第六大隊、第六師團雇員により建立されました。
 昭和3(1928)年5月3日、支那国民党革命軍(蒋介石)による邦人虐殺(済南事件)に端を発した済南事変において第六師團は国府軍と交戦しますが、その際散華された将兵の合葬碑です。

小峰陸軍墓地 滿州事變戦没者合祀碑(昭和9年7月13日)(熊本陸軍遺構)
滿州事變戦没者合祀碑
 昭和9(1934)年7月13日に建立されました。

小峰陸軍墓地 祀 支那事変 大東亜戰争 忠魂(昭和20年頃→54年8月15日)(熊本陸軍遺構)
祀 支那事変 大東亜戰争 忠魂
 碑文によると、合葬碑を建設中に大東亜戰争停戦を迎え、そのまま無銘のまま組立てられていましたが、昭和54(1979)年、有志により碑銘を刻入して完成しました。
製作時期からして、当初造られていたのは「支那事變」の合葬碑だったと思われます。


同じく忠霊塔の西側にある戦後に建立された碑
小峰陸軍墓地 忠魂碑(昭和42年8月12日)(熊本陸軍遺構)
忠魂碑
 昭和42年8月12日、ブーゲンビル島遺族会により建立されました。

熊本の第六師團は優勢な米豪軍相手に孤立したブーゲンビル島で苦闘を続け、兵力が1/10になり停戦を迎えます。
戦後、民間初の遺骨収集団を結成し、現地で遺骨を収集し共に帰国、この場所に埋葬しました。

小峰陸軍墓地 熊本陸軍予備士官学校第十一期生 戦没者慰霊之碑(平成7年)(熊本陸軍遺構)
熊本陸軍予備士官学校第十一期生 戦没者慰霊之碑(平成7年)

小峰陸軍墓地 大日本航空熊本訓練所 慰霊の塔(戦後)(熊本陸軍遺構)
大日本航空熊本訓練所 慰霊の塔(戦後)

小峰陸軍墓地 原爆犠牲者の碑(戦後)(熊本陸軍遺構)
原爆犠牲者の碑(戦後)
忠霊塔の東側にあります。


また、忠霊塔から西に少し離れた場所に「丁丑感旧(ていちゅうかんきゅう)碑」が建っています。
西南の役で西郷隆盛の挙兵に呼応して決起した熊本隊戦没者の追悼碑で、明治18(1885)年、佐々友房らによって手取本町に建てられますが、大正12(1923)年、小峰に移設されます。

残念ながら撮影し忘れました(;ω;)
「丁丑感旧碑」についてはこちらのブログに記載されています。


この他、熊本県内には西南の役(明治10(1877)年2月14日~9月24日)で戦病没した官軍将兵を埋葬した「官軍墓地」21ヵ所、同じく「薩軍墓地」(数不明)があります。
七本官軍墓地(熊本陸軍遺構)
七本(ななもと)官軍墓地 (熊本市植木町轟 国有地

植木・吉次・木留、辺田野・平野・滴水などで散華した各鎭臺・近衛兵の軍人276名、軍夫10名、警察官14名が埋葬されています。

小峰陸軍墓地 七本柿木台場薩軍墓地(熊本陸軍遺構)
七本柿木台場薩軍墓地熊本県熊本市植木町大字轟
木留・七本原付近で散華した薩軍、熊本隊の兵329名が埋葬されています。

参拝当日は歩くのも困難なほどの豪雨で、「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」と唄われた田原坂の戦いもこの様な豪雨の中、戦われたのかと感慨深く思いました。

参考文献
・熊本県 公式サイト
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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