当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

写真

本日は友人と旅行計画を練るべくネットカフェへ行きました





まずは、母親に頼まれていた買い物をしにコーナン菅原店に行きました
菅原店は最近改装があったようで、本屋やお菓子売り場、靴売り場ができていたりと今までにない形の店になっています。

目当ての物をサッサと買って、ついでに自分の買い物もしてネットカフェに向かいます
この辺りでネットカフェを調べたところ、菅原店の近くに「M#DRIVE」という店がありました
隣のひごペットの駐車場に車を停めて、まずはセキセイインコを見に行きます
フムフム・・・やっぱりセキセイインコは可愛いのぉ~とニヤニヤしながら観察します。

そして、遂に初のネットカフェに緊張しながら突撃しました
受付で会員証を作り、個室に通されました。
個室はパソコン、テレビがあり清潔快適で落ち着く空間です
値段は最初の1時間が450円で飲み物飲み放題です

で、今日の題名「写真」ですが、友人が移動中の車中で「驚くモノ持ってきた」と言っていたモノでした。
友人も僕が多少の事では驚かないのを知っているのか、時たま飛び出す友人の「驚くモノ」はいつも「かなり驚くもの」です
運転中だったので車中で言われた事を忘れていたのですが、個室で見せてもらいました
最初は「おおぉ~!あじあ号の写真か」
大東亜第一・大陸超特急“あじあ”

続いて「おおぉ・・・これは!・・・大連埠頭、佳木斯駅、市場の様子、さらに関東軍司令部と関東軍司令官!満州各地の忠霊塔!貴重な写真やな~!」
(大連)東洋第一の大連埠頭旅客待合室 伸び行く佳木斯(チャムス) 佳木斯駅構内 汽関工場 (大連)何でも揃う有名な小崗子小盗兒 新京 関東軍司令部と歴代司令官 満州の忠霊塔

さらに最後に友人の「裏も見て」の一言に・・・

「・・・・・花火?・・・にしては・・・・」

「こっこ、これは・・・・・!!!!!!!」
写真の左上に明るい部分・・・・飛行機が堕ちてきています
写真の裏書きを拾っていくと・・・

「昭和二十年三月十四日・・・高射砲ニヨリ撃墜・・・B29・・・!!!!」
撃墜されるB29
何と、花火に見えたのは無数に撃ち上げられた高射砲の弾幕で、撃墜したB29の墜ちていく様を捕えた貴重な写真でした
僕も結構空襲時の写真は見て来ましたが、こんな決定的写真は初めて見ました
思わず興奮のあまり、鳥肌が立ってしまいました
後で落ち着いて解読したところ「昭和二十年三月十四日夜半 大阪空襲ニ際シ深部隊高射砲彈ニヨリ撃墜センB29」とあります。
昭和20年3月13日23:57分~14日3:25分に米軍のB29爆撃機274機が大阪市浪速区・西区・南区(現中央区)・港区・大正区・東区(現中央区)・西成区・天王寺区を襲った「第一次大阪大空襲」(被災面積:21.0平方キロ、被災戸数:136,107戸、被災者数:501,578人、死者:3,987人以上、重軽傷者:約8,500人、行方不明:678人)において、大坂方面に展開していた我が陸軍高射第三師團隷下の高射砲部隊(深部隊:詳細は不明)が敵機を撃墜した瞬間の写真でした
14日正午に行われた大本営発表によると、
「昨3月13日23時30分頃ヨリ約3時間ニ亙リB29約90機大阪地区ニ来襲雲上ヨリ猛爆セリ
右猛爆ニヨリ市街地各所ニ被害ヲ生ゼルモ火災ノ大部ハ本14日9時30分頃マデニ鎮火セリ」
さらに、同日午後4時30分、の追加発表
「昨3月13日夜半ヨリ本14日未明ニ亙リ大阪地区ニ来襲セル敵機ノ邀撃戦果次ノ如シ
撃墜…11機  損害ヲ与へタルモノ約60機」
とあり、この撃墜した11機のうちの1機が、この写真に写っているのでしょう

この写真は友人が勤め先で、戦時中に南満州鉄道(株)=満鉄で働いていた方がお持ちで、以前に友人からその話を聞いた僕が色々質問してみて、と頼んでいたら持ってきてくれたようです

その後興奮が冷めやらぬなか、旅行の宿を決めました

帰宅後、借りた写真をスキャンしていて気付いたのですが、「B29撃墜写真」に写っている高射砲の弾幕と思っていた閃光ですが、高さが精々2~300mしかないこと(近畿に配備されていた八八式七糎半野戦高射砲~9100m、九九式八糎高射砲~10420 m、十四年式十糎高射砲~10500m、三式十二糎高射砲~14000m)、炸裂した弾体から無数に小さい物体が火を引きながら落下していることから、「敵機の落とした焼夷弾」ではないでしょうか。
この焼夷弾によって一般住民が何十万と焼き殺された事を思えばこの写真、まさに「ざまぁ見ろ!!」という思いです。

よく「我が軍の高射砲は撃っても高度10000mを飛ぶB29には当たらず役に立たなかった」という記述を(意図的なものも含め)見ますが、これは明らかな誤りでB29は爆撃する際には低空(2000~6000m)で爆弾をばら撒くため、我が軍の高射砲で十分対応できました。現に帰還したB29の損傷で最も多いのは高射砲弾による損害(約70%)です。
ただ、残念なことにその絶対数が足りず、また高射算定具などの周辺機器の性能不足などの為に有効な反撃ができなかったのが実際です。
この写真の「深部隊」を始めとする多くの高射砲部隊は資料が乏しく詳しい事はほとんど分かっていませんが、本土防空の最後の砦として敵の爆弾にさらされながら祖国の空を護るべく決死の覚悟で高射砲を撃ち続けた勇士達がいたことを忘れてはならないと思います。

後日、中之島図書館で発見した『大阪市文化財総合調査報告(65)「西淡路(国次)高射砲陣地調査報告書」』(2006.12月 大阪市教育委員会事務局社会教育部文化財保護課)に引用された『高射戦史』(1978年 下志津(高射学校)編)の抜粋記事中の「高射砲第百二十二聯隊CO(中隊)長に「澤部志三郎中尉」という名がありました。
あの裏書きは「深部」ではなく「澤部」のようです。
中隊長は高射砲陣地の指揮官ですので、中隊長の名前をとって「○○隊」と呼ばれたりします。
配備された場所は分かりませんが第一大隊(山野広治少佐)の各中隊が配備された東淀川区西淡路、守口、鶴見(鶴見緑地)、今津西、西淀川区野里、大坂城南真田山のどこかだと思います。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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