当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

長池陸軍演習場・長池陸軍演習廠舎

京都府久世郡富野荘村字長谷山(現、城陽市富野長谷山)一体には、長池陸軍演習場と付属の長池陸軍演習廠舎がありました。
A 廠舎 南から (3)(長池陸軍演習場)
▲長池陸軍演習廠舎跡に遺る廠舎(中央から西側)






長池陸軍演習場・長池陸軍演習廠舎の場所・現況
※青字は地図にリンクしています
長池(大正11測図・昭和4鉄道)部分着色(長池陸軍演習場)
▲大正11年頃の地図(大正11年測図、昭和4鉄道補入 陸地測量部)
 紫・・・長池陸軍演習廠舎
 赤・・・長池陸軍演習場

長池(現在)(長池陸軍演習場)
▲現在の地図に敷地を転写
 ①長池陸軍演習廠舎
 ②長池陸軍演習場

長池陸軍演習場は明治42(1909)年、43(1910)年に陸軍省臨時建築部により用地買収(1反40円)が行われ、有志による献納地と合わせた217町歩(2,152,000㎡)の取得用地に設置されます。

長池陸軍演習廠舎は演習場に続き明治44(1911)年に用地買収が行われ、45(1912)年、明治三十七八年戰役(日露戦争)時の濱寺俘虜収容所(大阪府泉北郡高石村)の仮廠舎を移築して完成しました。

管轄は第十六師團(京都)、後に京都師團、中部軍管區司令官と変遷し、大東亜戰争停戦まで京都・大阪の諸団体、奈良・和歌山歩兵隊、高槻工兵隊が使用しました。

停戦後、演習場は米軍の接収を経て陸上自衛隊に引き継がれ、若干の面積縮小はあるものの現在も我が国土防衛に寄与する重要な施設となっています。

また、廠舎地区は民間に払い下げられ民間企業、住宅、自衛隊用地になっています。


遺構について
廠舎地区内に廠舎2棟(両方とも減築・改築)が遺されています。

廠舎と言うのは演習場、射撃場等、部隊が常駐しない場所に設けられる簡易の宿泊施設です。
施設としては一般的に本部(中隊長室・士官室・事務室)、廠舎(下士官・兵用宿舎)、守衛所、厩、調理所・庖厨・配食場、井戸、浴室、洗面所、便所等が設けられていたようで、普段は主管(予備役・後備役将校、准士官)1名・雇員数名が常駐し管理していました。
ちなみに長池陸軍演習場の管理者定数は主管1名のみでした。
長池陸軍演習廠舎(23.3.31 NI-53-14-3)(長池陸軍演習場)
▲廠舎地区の空撮(昭和23年3月31日 国土地理院 NI-53-14-3)
 茶色部分は演習場

長池(現在)-廠舎地区(長池陸軍演習場)
▲建物・遺構配置図
 オレンジ:建物遺構(点線:破壊撤去部分)
 :建物(詳細不明)
 黒線:当時の道路
 青線・廠舎地区境界

A 廠舎
本来は倍の長さがありましたが、東側が詰められ半分の長さになっています。
A 廠舎 南から (2)(長池陸軍演習場)
▲A廠舎(中央から東側)

A 廠舎 南から(長池陸軍演習場)
▲A廠舎 近影

写真でも分かるように空家になって年月が経っている様で、保存状態は非常に悪いです。


B 廠舎
本来はA廠舎と同等の大きさでしたが、東西が詰められ1/6程の長さになっており、北側が大きく開口のうえ屋根が増築され農機具置き場になっています。
B 廠舎 南東から~消した(長池陸軍演習場)
▲B廠舎

B 廠舎 内部(長池陸軍演習場)
▲B廠舎の内部(破れた壁から撮影)
 内部の天井は洋小屋組(トラス構造)で、当時の大型建物によく見られる構造です。

通常、哨舎内部は中央に土間、両側に板の間が設けられていた様ですが、この建物は倉庫に改築されており、板の間は撤去されています。

A廠舎同様に空家になって年月が経っている様で保存状態はA廠舎よりもさらに悪く、いつ倒壊しても不思議ではない感じです。

廠舎は2棟とも空き家になって久しいと思われますが、地権者が居られると思われ勝手に入ると不法侵入となりますので、見学は周囲の生活道路からのに留めましょう。
ただ、ご覧のように2月でこの草の状態なので、夏場は雑草に埋もれて全く見えないと思います。


C 建物
上掲の昭和23年の空撮に写っていないようなので、戦後の建物と思われます。


D 建物
上掲の昭和23年の空撮に写っているようなので、廠舎関連の建物と思われますが詳細は不明です。
位置からして本部でしょうか?
C(奥)とD(手前) 南西から(長池陸軍演習場)
▲C建物(奥)とD建物(手前)


E 建物
E 北西から(長池陸軍演習場)
詳細は不明です。


F 建物
F 北東から(長池陸軍演習場)
▲腰壁部分がコンクリートで塗り立てられています。
詳細は不明です。


G 洗面所
コンクリート製の洗面台が2基、遺されています。
G 洗面所 (2)(長池陸軍演習場)
▲洗面台、水槽、洗面台の順で配置されています。
 手前の鉄製タンクは関係無いと思います。

G 洗面所(長池陸軍演習場)
▲全体的に雑草に覆われています・・・

水道管の様な管がありますが、当時の物でしょうか?

上掲の昭和23年の空撮を見ると建物が写っているので、当時は屋根が着いていたと思われますが現在はありません。


A北側の建物(関係無い?)(長池陸軍演習場)
▲A廠舎の北側高台にある民家の庭先にある木造建物
 本来、この高台も廠舎地区の一部でしたが、詳細は不明です。


長池陸軍演習場 入口(長池陸軍演習場)
廠舎地区の入口付近
 陸上自衛隊の車両が演習場から駐屯地に帰還していきました。
 「訓練、お疲れ様です!」

廠舎地区の入口付近のコンクリート塊(長池陸軍演習場)
▲廠舎地区の入口付近に転がるコンクリートの基礎
 門柱の残骸?

演習場・廠舎の敷地外周には境界石標があると思われますが、周囲は採石場・山林になっており探索は困難そうなので諦めました。


ア 道標
「左 長池陸軍演習場道」「右 中村 向原 道」と刻字された道標が2本建っています。
ア 長池陸軍演習場 道しるべと演習場道(長池陸軍演習場)
▲道標と長池陸軍演習場道

現在は演習場方面に行く広い道路が50m程北側から斜めに着いていますが、当時はこの道標のある細い道路しかありませんでした。


主要参考文献
『陸軍演習場規則』(各年代) アジ歴

『 〃 中改正の件』( 〃 ) アジ歴
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ほうほう

長池 と言えば なんか 射撃で行ったような 違う場所だったか… 大昔で記憶が 旧軍の廠舎が残ってたとは(◎o◎)知らなかったです 昔も演習で廠舎に泊まったりしましたが 最初見たときゃ 汚い掘っ建て小屋や~ と 思いましたが 三日目には快適な宿舎に感じてきてしまいました 笑 天幕で寝るよりはるかに良い!

ひろしさん、こんばんは。

長池は航空写真で見る限り射撃場があるので、行かれているかも知れませんね。
廠舎は簡易の宿舎ですので、全国的にも残っているのは珍しいのでは無いでしょうか?
近隣では近年まで饗庭野に1棟ありましたが、近年破壊されてしまったようです。
ただ、長池の廠舎はボロボロで、残念ながら破壊されるのは時間の問題だと思います。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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