当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪海軍軍需部 安威倉庫

我が母校の北数km、茨木市安威に大阪海軍軍需部 安威倉庫がありました。
①壕内(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲現存地下壕の内部

【探索日時】
平成24年1月6日





遺構について ※青字は地図にリンクしています。
大阪海軍軍需部 安威倉庫
昭和16(1940)年11月20日、阪神海軍部が大阪警備府に改編された事に伴い、同日、大阪海軍軍需部が編成され、大阪警備府麾下に編入、大阪市東区北浜(現、中央区北浜)の野田屋ビル(現存せず)に事務所を開設します。
海軍軍需部は軍港、要港、及び大阪に置かれ、当該鎭守府、警備府に属し軍需品の準備、保管及供給、艦営需品、被服及び糧食の研究に関する事の他、必要に応じ兵器の修理を管掌しました。

大阪海軍軍需部は岸和田(レンガ2階12棟)、本田(レンガ2階1棟:本田國民學校借用)、集英(鉄筋3階1棟:集英國民學校借用)各倉庫を所有していましたが、昭和18(1943)年、大阪海軍軍需部は大阪警備府麾下部隊の増加に伴う軍需品需要の増加、また空襲からの疎開も兼ね大阪府三島郡山田村(現、吹田市)に山田倉庫(建物13棟・地下壕4本1,000m)を設営します。

昭和19(1944)年11月、山田倉庫の許容量が一杯になった事から、三島郡石河村(現、大阪府茨木市大字安威、同桑原)の丘陵地300,000㎡を借地し地上、防爆、地下倉庫を備えた安威倉庫の設営を開始します。

倉庫設営は㈱熊谷組が受注し労務者が主体となって行われ、完成を急ぐなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時、建物21棟(倉庫7棟、掩体式倉庫2棟)、東側の地下壕(隧道4本670m)が完成し物資の貯蔵が開始され、西側が掘削中でした。
主な保管品目は被服(軍衣、下着、航空服など)、糧食(米、缶詰、乾パンなど)、工事用具(建築用具、内装材など)で、停戦に伴い大阪地方復員局(大阪警備府から改称)を通じ大阪府に引き渡されました。

設営には海軍設營隊(高槻で湯淺蓄電池製造㈱の疎開にあたっていた第五八八一海軍設營隊か?)も加わっていた様ですが詳細は不明です。

なお、当該施設の名称について「大阪警備府軍需部 安威倉庫」との記述を散見しますが、大阪海軍軍需部 安威倉庫」の誤りです。
海軍軍需部は鎭守府・警備府の内部組織ではありません。

安威(23.3.30)(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲昭和23年3月30日の大阪海軍軍需部安威倉庫跡付近(国土地理院 NI-53-14-7)

安威倉庫 配置図(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲『近畿地区施設一覧(附青図)』所収の「8 大阪軍需部安威倉庫」

安威地下倉庫 配置図A(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲遺構(地下壕)を現在の地図に転写
 A地区(未完成)
 B地区( 〃 )
 C地区(完成)
  ・・・ 残存地下壕
  ・・・ 崩落
  ・・・ 不明
 青塗 ・・・ 崩落壕口

A 地 区
A地区は安威川右岸の道路沿いの竹やぶ内にあり、停戦時は未完成ながら最も長大な地下壕が遺されています。

① 地下壕 (開口)
壕口は資材小屋の後ろにあります。
壕口は管理された竹林(私有地)にあり、見学には許可が必要です。
①壕口(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲壕口

奥で直角に屈曲し②③の地下壕と連結していると言われますが、残念ながら水没のため調査不能です。
①壕内(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲壕内は水深1m程あります。


② 地下壕 (崩落)
竹林の中に壕口の痕跡が遺ります。
②壕口(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲完全に崩落しています

③ 地下壕 (崩落)
竹林の中に壕口の痕跡が遺ります。
③壕口(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲荒れた竹林の奥にある崩落跡

④ 地下壕 (開口)
竹林の中にあり、壕口が若干崩落していますが、内部は遺っている様ですが、水没しています。
④壕口(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲壕口

④壕内(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲壕口付近まで水没しています

④は①②③と横坑で繋がっている様ですが、崩落により行き止まりになっているそうです。


B 地 区
畑の奥の竹林にあります。
この場所は上掲の配置図に地下壕の記載が無く、「掩体」となっています。
⑤ 地下壕 (開口)
壕口左側が崩落で隠れているので、やや見つけにくいです。
⑤壕口(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲壕口

内部は水没していますが、ひざ上程度の浸水です。
⑤壕内(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲元々は10m程長かったようですが手前部分は崩落し溝状になっており、残存部分は10m程です

⑥ 地下壕 (開口)
⑥壕口(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲元々は⑤と同様の長さがあったと思われますが、手前部分10m程は崩落して溝状になり、3m程が遺されています


⑦ 地下壕 (崩落)
完全に崩落し、15m程の溝になっています。
⑦壕口付近(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲崩落し溝状になった地下壕

⑦壕 崩落部分(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲地下壕最深部と思われる水溜り


C 地 区
停戦時に完成しており軍需品の格納が行われていました。
戦後、壕口は閉鎖されてしまい、現在は位置も不明です。
⑧ 地下壕 (閉鎖)
⑨ 地下壕 (閉鎖)
⑨壕口(崩落部)(大阪海軍軍需部安威倉庫)
▲壕口と思しき付近に散らばるコンクリート片


⑪地下壕 (閉鎖)
民家建設により完全に滅失している様です。


ア 貨物自動車(トラック)駐車場
現在はバス停になっています。

イ 現場事務所跡
現在は更地になっています。

安威倉庫は上記地下壕以外に地上建物21棟(大阪海軍軍需部出張所1棟、熊谷組事務所1棟、木造倉庫7棟、掩体式倉庫2棟、労務者飯場など)がありましたが、詳細な配置は不明で遺構も遺されてい無いようです。

また、安威倉庫の北側には海軍協力会社の大日本銃砲 三島工場があり、外套砲、外套砲取付台、簡易小銃を製造していました。
外套砲は大型艦の主砲上部に取り付け、演習の際に経費節約のため演習弾の変わりに発射した訓練用の小型砲です。
10年程前まで工場建屋が遺っていた様ですが、現在は建て替えられてしまいました。


さて、この安威倉庫の遺構ですが、反日団体や朝鮮総連が絡んでいる事でも知られます。
A地区③と④の間の道路には茨木市により、簡単な地図と説明で構成された銘板が設置されていますが、その文章がかなり香ばしい・・・一言で言うとデタラメが書かれています。
この説明からすると安威倉庫の設営にあたった労務者は全員が「強制連行」された朝鮮人らしいです(笑)

最近ではこの「強制連行」神話はデタラメと言う事が熟知され賢明な諸兄が騙される事は無いと思いますが、まだまだ騙される方がいるのも事実です。
所謂「強制連行」と言われる事象は存在せず、戦後になって反日サヨクどもにより創りあげられた虚構です。
この言葉自体が当時の行政用語に無く、戦後同様に創られたイデオロギー色の強い造語です。

正確には単なる「労務者」であり、実態は自発的に応募、もしくは國民徴用令により合法的に徴用された人々(応徴士)です。
当時、朝鮮は我が国の一地方であり、時期は異なりますが國民徴用令の対象者は日本全土で、労務者には日本人、朝鮮人、台湾人がいました。
明確な員数資料が無い以上、史実に即し単に「労務者(応募、徴用含む)」との記述に留めるのが適切だと思います。

実は、この銘板は「強制連行840万人」(笑)を喧伝する朝鮮総連の恫喝により、当初市が用意した文章が改竄され「強制連行」の文言を入れさせられた事が判明しています(2010年6月10日 産経新聞)。

市民団体「戦争資料の偏向展示を正す会」が茨木市を含め大阪市内各地に建てられた同様の内容の4ヶ所の撤去を求めて運動をしていますが、現在のところ残念ながらそのままであり、ネットを見ているとこの記述を鵜呑みにしているサイトも見かけるので、害悪は計り知れません。
唯一の救いはこの銘板が余り人目のつかない場所に在ることです。
この様な害悪を撒き散らすだけで何の価値もない銘板は早々に撤去してもらいたいものです。
【参考記事】
2010.06.10 所謂「強制連行」なんて大ウソの捏造



主要参考文献
『阪警管下施設関係 軍需品集積所関係』(アジ歴 C08011198100

『阪警管下 軍需品保管目録』(アジ歴 C08010523000

『阪復総第六號 昭和20年12月7日』(アジ歴 C08010522900
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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