当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

福知山陸軍演習廠舎 (旧工兵第十大隊)

京都府福知山市に所在する福知山成美高校は福知山陸軍演習廠舎(旧工兵第十大隊)の跡地にあります。
ク 兵舎 北東から(福知山)
▲福知山成美高校内に遺る兵舎(東半分のみ)

【探索日時】
平成23年12月4日、平成25年4月3日





歩兵第二十聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
福知山(大正9)(福知山)
▲大正9年頃の地図(大正9年測量 大日本帝國陸地測量部)
 ※赤塗部分が陸軍施設

福知山(22.11.3)(福知山)
▲昭和22(1947)年11月3日の福知山市周辺の空撮(NI-53-14-13)

福知山現在の地図(福知山)
▲現在の地図に施設を転写したもの

※緑文字が当記事の紹介施設
① 歩兵第二十聯隊
② 旧歩兵第二十旅團司令部
③ 福知山陸軍病院
④ 福知山聯隊區司令部(西側)・福知山憲兵分隊(東側)
⑤ 福知山陸軍練兵場
福知山陸軍演習廠舎(旧工兵第十大隊)
⑦ 福知山陸軍墓地
名称については一般的な昭和16(1941)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
(カタカナは遺構など、上掲地図参照)
第四師團演習廠舎(旧工兵第十大隊)
明治28(1895)年4月17日、日清間に講和条約が締結され、明治二十七八年戰役(日清戦争)が終結します。
講和条約により我が国は清国より遼東半島の領有を認められますが、5月14日、ロシア、フランス、ドイツの干渉(三国干渉)により領有を放棄せざるを得ませんでした。
当時、ヨーロッパ列強諸国による植民地獲得競争は極東にも及び、特にロシアの軍備は脅威的な事から我が国は安全保障の観点から軍備増強を決定します。
参謀次長・川上操六中将の発案のもと、陸軍省は第九回帝國議會(明治28年12月28日~明治29年3月28日)において6個師團、2個騎兵・砲兵旅團の増設を上程し、議決されます。
明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し、第七から第十二師團の編成、第十師團の姫路設置、歩兵第二十聯隊、工兵第十大隊の天田郡曽我井村(現、福知山市)への兵営設置が決定、27町歩6反の土地(全用地47町)が献納され、“師團設置”の流言により地価が暴騰するなか、柳島郡長以下地元有力者の尽力で坪70銭(通常30銭)で残りの用地を買収します。
8月19日、臨時陸軍建築部大阪支部福知山出張所が開設され、棟梁・松村雄吉氏(後、初代松村組社長)以下により兵営の建築が着工、明治31(1898)年11月25日、工兵営が竣工します。

明治29(1896)年12月1日、京都府紀伊郡伏見町(現、京都市伏見区)の工兵第四大隊からを基幹要員を抽出し工兵第十大隊第一中隊を編成、明治30(1897)年6月19日、曽我井村に建設中の兵営に転営、10月、大隊本部が、12月1日、第二中隊が、明治31(1898)年12月1日、第三中隊が編成され大隊は編成完結します。

大正14(1925)年5月1日、第三次軍備整理(所謂、宇垣軍縮)により第十七師團(岡山)が復帰、工兵第十大隊は工兵第十七大隊(岡山)兵営跡に移駐したため、福知山の工兵営跡は近隣の長田野(おさだの)陸軍演習場の廠舎として、同演習場を管轄していた第四師團の管理下に置かれます。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争の停戦に伴い、8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。
その後、成美学苑(現、学校法人成美学園)に払い下げられ、福知山商業高等学校(現、福知山成美高等学校)が開校し現在に至ります。

見学については事前に、福知山成美高校(0773-22-6224)に電話で申し込む必要があります。


ク 兵舎
本来は倍の巾がありましたが西側半分は破壊されてしまい、東側半分が遺され教室として使用されています。
ク 兵舎 北東から(福知山)

ク 兵舎 北西から(福知山)
▲兵舎西面はコンクリートで塞がれています。

兵舎の東側に現在は手洗いとして使用されている建物があります。
屋根裏換気口の形状等、古い建物の形状ですが詳細は不明です。
ク 兵舎東側の建物 北から(福知山)


ケ 建物
詳細は不明ですが、職員の方によると当時の建物の様です。
上掲の昭和22(1947)年11月の空撮にも写っています。
ケ 建物 南西から(福知山)
▲外観はかなり改築されていますが、屋根裏換気口や窓の形状等に古い建物の特徴が見れます。


コ 建物
詳細は不明ですが兵営内の最高所にあり、構造からして将校集会所と思われます。
コ 将校集会所? 東から(福知山)

コ 将校集会所? 北側入口(福知山)
▲建物中央にある入口
 庇のあった跡があります。

コ 将校集会所? 継ぎ目(福知山)
▲意図は不明ですが、建物は中央で継ぎ足されています(樋の部分)。
 基礎が東側はコンクリート、西側は煉瓦、窓の形状も異なります。

コ 将校集会所? 北側の軒下ガラリ(福知山)
▲西側の基礎(煉瓦製)の換気ガラリ
 殆どのガラリが失われています。


コの建物の北側には歩兵第二十聯隊の将校集会所前にある物と同型の防火水槽があります。
歩兵営の物は埋まっていましたが、こちらは現役で使用されています。
コ 将校集会所? 南側の防火水槽(福知山)


J 営門門柱?
福知山成美高校の校門として使用されています。
J 営門(現存?)(福知山)

J 営門(現存?) (5)(福知山)
▲陸軍時代の門柱と言われていますが、異常な程に綺麗です。
 煉瓦は全て面取り加工され、逆に飾りの笠石は100年前の物とは思えない程に鋭角がしっかり出て新品の様です。

福知山商業高校時代の門柱(福知山)
▲福知山商業高校時代の営門

福知山商業高校時代の門柱 (2)(福知山)
▲同じく福知山商業高校時代の営門

現在の門柱と比べると明らかに頂部笠石の数が異なります。


K 陸軍省所轄地
敷地外周の側溝に折れて転がっており、廃棄されるのも時間の問題と思われます。
K 陸軍省所轄地 (2)(福知山)
▲元々は側溝手前(四角い部分)にありました。


L 陸境一二号ノニ
高校のテニスコートの北側の森の中にあります。
L 陸境一二ノニ(福知山)
▲「ノ」以降の文字は埋まっていましたが掘ってみたところ「ノ二」が出土しました。


M 陸軍省所轄地
Lの石標の北側に抜けて転がっています。
M 陸軍省所轄地(福知山)


N 陸境一二号ノ三
コ建物の東側の外周にあります。
N 陸境一二ノ三(福知山)


O 陸境一二号ノ四
O 陸境一二ノ四(福知山)


P 陸用地
P 陸用地(福知山)
▲見え難いですが「陸用地」と刻字されています。


Q 陸用地
Q 陸用地(福知山)
▲これも「陸用地」と刻字されています。

当第四師團演習廠舎(旧工兵第十大隊)の周囲は「陸軍省所轄地」、「陸境」、「陸用地」の3種類の境界石標が建てられています。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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