当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍病院 金岡分院 (大阪第一陸軍病院)

大阪府堺市北区長曽根町には大阪陸軍病院 金岡分院がありました。
同院は大阪衛戍病院 金岡分院として発足、大阪陸軍病院 金岡分院を経て大阪陸軍病院大阪第一陸軍病院に改編されます。

また隣接して馬糧倉庫金岡陸軍練兵場、北側に堺憲兵分隊がありました。
大二病院 ス 大阪陸軍病院金岡分院 忠魂碑(堺)
▲金岡公園に遺る大阪陸軍病院 金岡分院の忠魂碑

【探索日時】
平成21年2月26日
平成23年12月14日

【更新情報】
平成24年10月2日:大幅改訂(写真追加、書式変更、「探索記」分離)
平成29年5月27日:大阪陸軍病院金岡分院の位置、説明訂正





大阪陸軍病院 金岡分院周辺の陸軍施設配置
騎兵第四聯隊 騎四、輜重四、第二陸軍病院 国土地理院(230220)(堺)
▲昭和23(1948)年2月20日の長曽根町周辺の空撮(NI-53-15-5
 停戦直後から米軍キャンプとして大幅に改変されているので、余り参考になりません。

騎兵第四聯隊 騎四、輜重四、陸軍病院 騎四、輜重四、陸軍病院(堺)
▲現在の地図に施設を転写したもの
 境界は参考資料、空撮、遺構から判断しましたが、明確な史料が無く一部推測です。

※緑文字が当記事の紹介施設
① 騎兵第四聯隊(のち捜索第四聯隊)
② 輜重兵第四聯隊
③ 馬糧倉庫
④ 大阪陸軍病院 金岡分院
⑤ 金岡陸軍練兵場
⑥ 堺憲兵分隊

名称については一般的な昭和12(1937)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
(カタカナは遺構など、上掲地図参照)
馬糧倉庫
参考文献には「陸軍糧秣廠」と記載されていますが、陸軍糧秣廠は東京の本廠、大阪・広島・滿洲の支廠の総称のため、当地の施設は普通に考えて大阪陸軍糧秣支廠の倉庫と思われます。

昭和20(1945)年10月、米軍に接収され「Camp Kanaoka」と改称に、昭和27(1952)年4月28日、我が国が主権を回復したのに伴い返還され、現在は近畿管区警察学校になっています。

シ 塀
他の場所に遺されている物と同型の塀が50m程遺されています。
写真を撮影し忘れました・・・

その他
塀の西側にコンクリート製の掩体壕状構造物に囲まれた油槽の様な物があります。
当地一帯は戦後、米軍により大幅に改変されているため、米軍時代の構造物かも知れません。
詳細は不明です。
大二病院 騎兵第四聯隊 コンクリート製建物(警察学校内)(堺)
▲写真左端に写っている塀が上記の塀シです。

※警察学校東側一帯は平成23年12月14日に再探索に行った際、大規模な造成が行われており、塀シや「kanレポート」様で紹介されている半地下施設は破壊されてしまったと思われます。


大阪陸軍病院 金岡分院
昭和9(1934)年4月1日、大阪衛戍病院 金岡分院(建坪500坪、工費6万円)として開院、昭和12(1937)年11月10日、大阪衛戍病院(大手前)が大阪陸軍病院に改称したのに伴い大阪陸軍病院 金岡分院に改称します。
昭和12(1937)年12月13日、日本赤十字社 大阪支部病院が大阪陸軍病院の管下に編入され、大阪陸軍病院 大阪赤十字病院に改称します。
昭和15(1940)年6月26日、第四師團は支那事変に出征、送還患者の激増に伴い⑤金岡陸軍練兵場に病棟37棟を増築します。
昭和17(1942)年5月20日、日本赤十字社大阪支部 阿武野分院が大阪陸軍病院の管下に編入、大阪陸軍病院 阿武野赤十字病院に改称します。
昭和18(1943)年、多数の病棟を有する大阪陸軍病院 金岡分院が本院になり大阪陸軍病院に、大阪陸軍病院本院は大手前分院に改編されます。
昭和20(1945)年5月10日、大阪第二陸軍病院(豊中市柴原:結核専門)の開院に伴い、大阪第一陸軍病院に改称します。
6月7日、B29爆撃機409機が大阪市東部に来襲、大手前分院が全焼してしまいます。
8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の院長は江村守一医少将、病床数2,731、分類は一等病院で管下に丹波、高槻、信太山、岩屋、白濱、大手前(空襲焼失)各分院、及び旧日赤の大阪赤十字、阿武野赤十字両病院がありました。
騎兵第四聯隊 騎四、輜重四、陸軍病院 分院配置図(堺)
▲大阪陸軍病院 金岡分院 配置図

8月末、大阪第一陸軍病院は米軍による接収を伝えられたため、大阪陸軍幼年學校(河内長野)に移転を開始、10月、病院は米軍に接収され「Camp Kanaoka」と改称にされます。
11月19日、我が国は連合国軍最高司令官総司令部から『陸海軍病院の返還に関する覚書(GHQ AG632)』を受領、12月1日、全国の陸海軍病院は厚生省に移管され、幼年學校跡地において国立大阪病院として開院します。

昭和33(1958)年、米軍の撤退に伴い大阪第一陸軍病院跡は大蔵省に返還、現在は近畿中央胸部疾患センター、マンションなどになっています。

ス 忠魂碑
金岡公園と警察学校の境の塀際にあります。
昭和16年9月1日、建立され、表面は「忠魂碑 大阪陸軍病院金岡分院長陸軍軍醫中佐従五位笹川竹蔵」、裏面は忠魂碑の由来が漢文で刻字されています。
大二病院 ス 大阪陸軍病院金岡分院 忠魂碑(堺)


大二病院 ス 付近のマンホール(堺)
▲忠魂碑付近に残る潜孔(マンホール)
 当時の物かは不明です。


金岡陸軍練兵場
騎兵第四聯隊、輜重兵第四聯隊の兵営と同時期に開設されましたが、昭和15(1940)年、第四師團の支那事変出征に伴う送還患者増加に伴い金岡分院の病棟が増設されました。

停戦後は米軍に接収され病棟は撤去、米軍施設が多数建設されます。
現在は金岡公園になり、詳細不明の以下の建物が遺されています。

D 建物
当時の建物にも思えますが、詳細は不明です。
大二病院 D 東から(堺)

E 建物
当時の建物にも思えますが、詳細は不明です。
左右に形状の違う建物が二個一になっていますが、接合した形跡も無いので、元々この形状だったと思われます。
大二病院 E 南西から(堺)
▲建物南側

大二病院 E 北西から(堺)
▲建物北側


堺憲兵分隊
遺構は何も遺されていません。
昭和9(1934)年5月、大阪衛戍病院金岡分院に隣接(場所不明)し、大阪憲兵隊堺憲兵分隊が開設しました。
後に金岡駅(現、堺市駅)前に移転、昭和20(1945)年3月30日、中部憲兵隊司令部堺憲兵分隊と改称し停戦を迎えます。

停戦後、民間に払い下げられたようで、現在は堺教会になっています。


主要参考文献
『旧帝国陸軍部隊一覧表 軍令付特設版』(平成8年 大内那翁逸)

『戦争はあかん!庶民の記録 第1集』(平成21年 金岡ピースメモリクラブ)

・国土地理院昭和23(1948)年2月20日の長曽根町周辺の空撮(NI-53-15-5

・Yahoo!地図
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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