当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

長崎旅行 1日目

11月27日・28日・29日・30日の4日間、長崎旅行に行ってきました。
玖島城 板敷櫓(復興)(長崎旅行)
▲玖島城 板敷櫓(復興/大村市)






今回は有給消化の為まとまった休日を取る事が出来たので、友人と4日の日程で長崎の自衛隊、周辺の軍跡、市内観光などを巡って来ました。
行き先は当初、「沖縄」の予定でしたが、僕が2年前に行ったところなので長崎に変更しました。
長崎へは電車で行くには不便なため、飛行機で直行する「近畿日本ツーリスト」のツアーを利用しました。

朝7:30に新大阪に集合、9:00発のJALに乗機、10:30に長崎空港に到着しました。
伊丹空港(長崎旅行)

市内で食事場所を探すのも面倒なので、空港内の食堂で長崎名物のちゃんぽんを食べました。
個人的にゴチャッと混ざった料理が好きでは無いのですが、名物は食べないと!との思いで食べましたが、なかなか美味しかったです。
ちゃんぽん(長崎旅行)

食後にレンタカーを借り、出発します。

初日は空港のある大村市を巡ります。
市内に点在する第二十一海軍航空廠、大村海軍航空基地、陸軍関連の遺構を見学しながら移動しましたが、軍跡・遺構の詳細は後日別記事で紹介します。
第二十一海軍航空廠 C 退避壕 北側入口(長崎軍跡)
▲第二十一海軍航空廠 退避壕

大村海軍航空基地 A 掩体壕 北から(長崎軍跡)
▲大村海軍航空基地 掩体壕

玖島城 【公式サイト】

登城無料、駐車場無料(周辺に多数)
玖島城 板敷櫓(復興)(長崎旅行)
▲玖島城 板敷櫓(復興)

慶長3(1598)年、切支丹大名として有名な大村純忠の嫡子・喜前(嘉前、よしあき)が豊臣秀吉没後の政情不安に備え築城を開始、翌慶長4(1599)年、三城城から居城を移します。
築城途中に箕島(長崎空港の島)の方が適地では?との意見が出され、城地の再検討がされましたが、結局は玖島に落ち着いた様です。

慶長19(1614)年、嫡子・純頼により拡張・改修、その際、加藤清正による指導を受けたと言われ、随所に清正流の美しい扇の勾配をもつ石垣が見られます。

第12代・純熈(すみひろ)の時に明治維新を迎え廃城、建造物は破却されましたが、平成4(1992)年、板敷櫓が復元されました。
玖島城 本丸南側(長崎旅行)
▲本丸南側の台所門枡形
 現在は公園化して堀は埋め立てられていますが、往時は大手に至る細い土橋、さらに本丸への複雑な枡形虎口など近世城郭らしい縄張りが見て取れます。

玖島城 お船蔵跡(長崎旅行)
▲玖島城最大の見所である御船蔵跡(県指定史跡)
 殆どの城郭で埋められいる事が多い船蔵の跡が完存しています。

現在は大村公園となっており、本丸跡に明治17(1884)年に鎮座した大村氏歴代を祀る大村神社が建立されています。
玖島城 本丸 大村神社(長崎旅行)


陸上自衛隊 竹松駐屯地 【公式サイト】

2週間前までに事前連絡のうえ日程調整、入場無料
竹松駐屯地 ホーク(長崎旅行)

竹松駐屯地は大東亜戰争停戦まで「大村海軍航空基地」(大正11年から)がありました。
戦後、米軍に接収され、昭和24(1949)年4月、航空隊跡地に長崎大学水産学部が開設、昭和27(1952)年7月、水産学部跡地に竹松駐屯地が開設されました。
現在は西部方面隊第2高射特科団隷下の第7高射特科群(ホーク部隊)が駐屯、西の護りを固め我が国の平和を護っています。

まずは広報の方に広報資料館を案内・・・と行きたいところでしたが、数時間前に偶然同じく大阪から元同航空隊隊員の方が見学に来られており少々混乱していた様です。
こちらの資料館は決して大きくありませんが、非常に貴重な昭和19年に撮影された大村海軍航空基地の鮮明な航空写真、建物配置図を始め大村空の写真、高射特科群(ホーク部隊)の写真、対空迎撃システムの大型ダイオラマなど基地の歴史が短時間で理解できる様になっています。
竹松駐屯地 陸軍史料(長崎旅行)
▲陸軍史料
 他、大村航空基地関連の写真や図面が数点展示されています。

竹松駐屯地 陸自(長崎旅行)
▲対空防衛システムがダイオラマで立体的に解説されています。

続いて基地内に遺る海軍遺構を案内して頂きます。
同駐屯地は陸自の基地改修モデルと位置付けられていたため、率先して建物が改修されてしまい遺構は殆ど遺っていません・・・
と言いたいですが、ネット地図の空撮でも一目瞭然な巨大な煉瓦造の格納庫が2棟遺されています。
しかし!!残念ながらこの格納庫はホーク部隊の訓練場になっており、隊員の方ですら立入りが制限され一般人の撮影はできません。
幅50mはあろう巨大な煉瓦格納庫が撮影できないのは惜し過ぎます(;ω;)
ただ、近くで見学はできるので近くまで行って見学しましたが、鉄骨組の煉瓦積で益々未練が残っただけでした。
10年後くらいにはホークから短SAM・近SAMに改編予定だそうで、その時には撮影しても問題無いそうです。
10年か・・・(^_^;)

その他にも50mプール、防空監視哨、本部防空壕など少数ですが遺構が遺されています。
大村海軍航空基地 ウ 防空監視哨(本部庁舎上にあった) 移設(竹松駐屯地)(長崎軍跡)
▲大村空本部庁舎の屋上にあった防空監視哨

駐屯地の説明を伺いながら遺構を見学、1時間ほど滞在し駐屯地を後にしました。

お忙しい中かなり無理を効いて頂き御案内して頂いた2名の広報の方、駐屯地の方、ありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。


陸上自衛隊 大村駐屯地 【公式サイト】

2週間前までに事前連絡のうえ日程調整、入場無料

大村駐屯地は大東亜戰争停戦まで「歩兵第四十六聯隊」(明治30年から)がありました。
戦後、米軍に接収され、昭和20(1945)年10月、長崎師範学校が一旦入りますが米軍接収のため退去、昭和21(1946)年12月、米軍退去により再度同校が入り、昭和27(1952)年7月、大村駐屯地が開設されました。
現在は第16普通科連隊、第4施設大隊などが駐屯、西の護りを固め我が国の平和を護っています。

まずは広報の方に御案内していただき資料館である「鎮西精武館」を見学します。
こちらの鎮西精武館は近世から現在に至るまでの大村の軍事の歴史を中心に解説されています。
歩兵第四十六聯隊 A 聯隊本部庁舎(現、(大村駐屯地 資料館) 南東から(長崎軍跡)
▲資料館「鎮西精武館」
 歩兵第四十六聯隊本部庁舎を転用しています。

大村駐屯地 展示史料(長崎旅行)
▲近世展示
 当世具足や武具、古地図等が展示されています。

大村駐屯地 展示史料 (2)(長崎旅行)
▲軍装、小火器、歩四十六関連の写真、地図等が展示されています。

大村駐屯地 展示史料 (3)(長崎旅行)
▲陸上自衛隊・大村駐屯部隊の歴史、そして長崎といえば雲仙普賢岳の災害派遣の展示がされています。

鎮西精武館見学後は鎮西精武館周辺に点在する建物を見学(全部は無理、以前は北側にも建物がありましたが全て破壊されてしまい、現在は西側・南側に数棟)し駐屯地を後にしました。

お忙しい中かなり無理を効いて頂き御案内して頂いた広報の方、駐屯地の方、ありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。

駐屯地をはしごの後、大村市を後にして宿泊する佐世保に向かいました。


リソル佐世保(宿泊) 【公式サイト】

こちらのホテルは佐世保駅前にあり非常に便利です。
今回は食事なしのプランのため到着後、駅前の居酒屋で食事を摂り、明日の探索に備え10時頃に就寝しました。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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