当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

長崎旅行 4日目

11月27日・28日・29日・30日の4日間行って来た長崎旅行の最終日です。
軍艦島(長崎旅行)
▲軍艦島(端島)






7:00に起床、ホテルバイキングで朝食を摂り、朝一番で廃墟マニアには有名な軍艦島(端島)に行きます。
昨日の雨もすっかり上がり、途中、渋滞に巻き込まれ焦りましたが、何とか20分前に到着しました。

軍艦島(端島) 【軍艦島クルーズ やまさ海運公式サイト】

文化7(1810)年、端島で石炭が発見され、佐賀藩の管理下で細々と採炭がされます。
明治23(1890)年、所有者の鍋島孫太郎が三菱社へ10万円で譲渡、その後、三菱により開発・採炭が行われ鉱夫の居住施設も次第に整備されるとともに島の周囲が段階的に埋め立てられました。
大正5(1916)年、我が国初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「三十號棟」が建設されます。
この頃から島を軍艦に見立てた報道がされ始め、当時三菱重工業長崎造船所で建造中だった戦艦・土佐に似ている事から「軍艦島」と通称されるようになります。
昭和16(1941)年、年間出炭量が約41万tに達します。

昭和35(1960)年には人口が5,267人に達し、人口密度は83600人/km²と世界一となり(東京特別区の9倍以上)、小中学校・店舗・病院・寺院「泉福寺」・映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場「白水苑」などが設置され、また当時高価だったテレビ、洗濯機、冷蔵庫はほぼ100%の普及率を誇ります。

しかし、主要エネルギーの石炭から石油への移行により徐々に衰退、昭和49(1974)年1月15日に遂に閉山、当時の人口は約2000人まで減っていましたが、4月20日までに離島し無人島となります。
平成13(2001)年、三菱マテリアルから高島町(当時)に無償譲渡(市町村合併により長崎市に継承)されて現在に至ります。

危険なため島内への立ち入りは禁止されていましたが、平成20(2008)年、長崎市が島南部に見学通路を整備、平成21(2009)年4月22日から観光客が上陸・見学できるようになりました(条例により見学施設以外は立入禁止)。

以前から廃墟マニアが漁船を貸し切って上陸、探索していました(多数の探索レポートがweb上に上がっています)が、現在は上陸が管理されているため単独渡航は難しい様です。
とは言え防波堤上には多数の釣り人がおり、変装したら行けそうな気もします・・・
やまさ海運のマルベージャ(長崎旅行)
▲やまさ海運のマルベージャ
 30分程で軍艦島に到着します。
 渡船は3社程が運行していますが、出港時間が異なります。

事前にネットで読んだ必勝法に従い乗船後、近づく軍艦島を正面に見る事が出来る2階に上がり右舷側に陣取ります。
急いで上がりましたが観光客は殆ど1階の船内に座っていました(^_^;)
航行中に係員から班分けの札が配られ、2階組は第2班に自動的に振り分けられます。
帰りの隻を早く取って写真撮影の場所を確保したいなら1班、少しでも長く島に滞在したなら2班になるようにしましょう。
三菱重工長崎造船所で艤装中の「すずつき」(左)と「てるづき」(右)(長崎旅行)
▲三菱重工長崎造船所で艤装中の最新鋭護衛艦「すずつき」(左)と同「てるづき」(右)

三菱重工長崎造船所で艤装中の新型DD?(長崎旅行)
▲同じく同造船所の船台に似たような艦型の艦が建造中ですが、詳細は不明。

出港から20分程で前方に手前にある中ノ島に見え隠れしながら、軍艦島が見えて来ます。
中ノ島の影に見える軍艦島(長崎旅行)
▲軍艦島の北東端から近付きます。

軍艦島(長崎旅行)
▲東から見た軍艦島全景
 東側は炭鉱地区、西側・北側は住居地区になっています。

軍艦島 (2)(長崎旅行)
▲貯水槽(左)と官舎(右)

軍艦島 (3)(長崎旅行)
▲鉱員住宅、端島小中学校

軍跡とはまた違う廃墟に興奮してしまいます(笑)

上陸後、3ヶ所ある見学場所でそれぞれ係員の解説を聞きながら写真を撮影します。
海風に曝されている遺構は思ったより破壊が激しく、大破している建物もあります。
軍艦島 (5)(長崎旅行)
▲第一見学場所から見た炭鉱地区
 中央の門型の遺構は石炭を運ぶベルトコンベアーの支柱

軍艦島 (6)(長崎旅行)
▲山上にある貯水槽
 貴重な真水は隣の中ノ島から送水管で運ばれていたそうです。

軍艦島 (7)(長崎旅行)
▲30号棟
大正5(1916)年に建築されたわが国初の鉄筋コンクリート製アパート

軍艦島 (8)(長崎旅行)
▲第一見学場所から見た巻上櫓・ニ鉱口桟橋

軍艦島 (9)(長崎旅行)
▲総合事務所

軍艦島 (10)(長崎旅行)
▲第三見学場所から見た仕上げ工場(左)・30号棟(右)

軍艦島 (11)(長崎旅行)
▲30号棟(右)・31号棟(左、昭和32年築)

軍艦島 (12)(長崎旅行)
▲プール

1時間ほど島に滞在、再び船に戻ります。
2班のため席の確保は難しいと思われましたが、またもや観光客は1階に座っており2階は行きに比べ若干多い程度でした。
離島後、船は島の周囲を回るので2階の左舷側の席を取りましょう。
僕は参考にしたサイトの表現が曖昧で右舷側に座っていましたが、難無く左舷側に移動できました。
軍艦島 (13)(長崎旅行)
▲北から見た軍艦島
 端島小中学校(左)・鉱員住宅(中央)・端島病院(右)

軍艦島 (14)(長崎旅行)
▲東側の鉱員合宿所
 屋上の櫓状の建物は端島神社

軍艦島 (15)(長崎旅行)
▲軍艦島全景 西から

島をゆっくり周遊、同じ航路にて長崎港に帰港しました。
船内にも手洗いはありますが、下船後に行く方は出口付近に陣取り、下船とともに待合室にダッシュすることをお勧めします。


亀山社中記念館 【公式サイト】 

9:00~17:00、年中無休、入館料:大人300円、駐車場なし(新大工町の有料駐車場利用、徒歩15分)
亀山社中記念館(長崎旅行)

言わずと知れた坂本龍馬と同志達が結成した我が国最初の商社といわれる「亀山社中」で、建物の所有者の厚意により、長崎市が当時の姿により近い形で整備・復元し公開しています。
亀山社中記念館 (2)(長崎旅行)
▲内部には復元された竜馬の愛銃、太刀、お龍の月琴、亀山社中の資料等が展示されています。

龍馬ファンならずとも聞いた事があるとは思いますが、とにかく行きづらい!
道が細いのは仕方無いとしても案内板や地図があまり無く、たどり着くのに苦労しました。
最低でもまともな地図が欲しいところです。

長い坂道、狭い路地、解りづらい場所にも拘らず、多くの観光客が訪ねて来るのはさすが龍馬、根強い人気だと思います。

近くに亀山社中資料展示場がありますが、あいにく昼休憩で休館中でした(゜Д゜;)


若宮稲荷神社(勤皇稲荷)

大楠公の守護神であった事から勤皇の志士達が篤く崇敬しました。
若宮稲荷(長崎旅行)


長崎縣護國神社

長崎縣護國神社には明治維新以降の長崎県ゆかりの殉国の英霊60,800余柱がお祀りされています。
長崎縣護國神社 拝殿
▲拝殿

友人とともに参拝を済ませ、境内の英霊に関する顕彰・慰霊碑を参拝し、御札と御守を授かります。
退出しようとしたところ、巫女さんから祖母にと「からいも飴」を授かりました。
ありがとうございます!


長崎平和公園・原爆公園

有料駐車場あり

長崎に来たら日本人としてココは外せません。
平和祈念像(長崎旅行)
▲平和祈念像

長崎刑務所浦上刑務支所跡(長崎旅行)
▲長崎刑務所浦上刑務支所の基礎
 平和公園は長崎刑務所浦上刑務支所跡にあります。
 原爆投下により建物は根元から倒壊全焼、職員18名、官舎居住者35名、収監者91名が即死しました。

平和公園に隣接して被曝建物の遺構が移設されている、原爆公園があります。
原子爆弾落下中心地碑(長崎旅行)
▲原子爆弾落下中心地碑
 昭和20(1945)年8月9日1102、米軍により広島に次ぐ2発目の原爆が投下され、この碑の直上500mで炸裂、一瞬にして73,884名の市民が焼殺されました。
長崎が選ばれたのは盆地で原爆の効果が得られ易いためと言われています。

浦上天主堂遺壁(長崎旅行)
▲全壊して浦上天主堂の壁

被爆当時の地層(長崎旅行)
▲工事中に発見された当時の地層


これにて長崎の観光は終了、大村に戻ります。
最後に大村で初日に回れなかった軍跡を探索、レンタカーを返却し空港に向かい帰阪しました。
長崎空港(長崎旅行)
▲長崎空港

旅行の4日間、当初は晴れか曇りの予報でしたが、3日目に雨に降られ予定を変更せざるを得ませんでした。
ただ、思っていたより寒くもなく、過ごしやすい4日間でした。
何より長崎の方々の温かさに接し、楽しく快適な4日間を過ごす事が出来ました。
土地勘が無いのであちこちで道を訪ねましたが、丁寧に教えて頂けるだけでは無く、わざわざ一緒に行って案内して下さったり、地下壕の鍵を取りに帰って下さったりと本当にお世話になりました。
大阪弁で言えば「ほんまエエ人ばっかりや!」です。

関西とは一味違う食文化に触れる事もでき、何より人の良い長崎にはまた行ってみたいと思います。
お世話になった全ての人にこの場を借りてお礼申し上げます。
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非公開コメント

私は九州には行った事がないので.拝見していると行ってみたい気持ちにさせられるコメント 素晴らしいですね。
続きを楽しみにしております。

Re: タイトルなし

花鳥風月さん、こんばんは。
実は私も去年まで九州には行った事が無く、去年熊本、今年は長崎と連続で行く事ができました。
文才が余り無いので、上手く伝えきれていませんが、そう言って頂けると嬉しいです。
私の行く場所は結構特殊なので(汗)、余り旅行の参考にはならないかも知れませんが両県とも非常に良い所でしたので是非訪れてみて下さい。

返答を頂き ありがとうございます。
あなた様のブログで十分 旅行した気分になっております。 若きし頃に同期入社した長崎出身の美人で性格も良くリーダー的存在の女性の顔が脳裏に浮かびましたね(笑)
失礼 不謹慎な話題で

長崎の 景色も異国情緒があっていいですね。
本場のチャンポンて美味しいでしょう。
関西では乱開発等々されて古き良き建物などが無くなりましたからね。

余談
大阪市内にでも江戸時代から新しい時代への激動時期の色々な物が戦災から免れて残っているのもありましたね。
たしかご先祖さんの墓の近くに新撰組の方のお墓がありました。
しかし、大阪は先の大戦で多くの歴史的な財産を失ったのには残念です。

長崎

花鳥風月様、こんばんは。
私の拙い写真と文章で長崎の雰囲気を味わってもらい、また嘗ての淡い気持ちを思い出して頂き恐縮です。

長崎の中心部は原爆で破壊されてしまい現在は「普通の都会的な街」ですが、市南部には煉瓦造りの建物や教会があり異国情緒があっていいですね。
本場のチャンポンはやはり美味しかったです!
何でも本場で味わうのに限りますね!

大阪市内でも江戸時代や明治時代、大大阪時代と言われた大正時代の建物が戦災を逃れ僅かながら遺されていますが、余り保存に感心が薄いのかして取り壊し、または放置されてしまってます。
非常に残念です。

新撰組は根強い人気がありますが、ご先祖様のお墓の近くの方も墓参りが絶えませんか?
やはり有名ドコロの一部の方だけなのでしょうか・・・

ブログ主様 こんばんは 冷え込みが厳しいようですが、風邪な凍結等々は大丈夫ですか? 昔々 文久時代の頃に荒物屋[今で言うならば小さい商社]を昔の堂島.今で言うならば北の玄関口辺りに営んでいたようです。
しかし、以前にお話ししたような経緯でね。 今あれば……
知る方も途絶えて居られないでしょうね。
ブログ主様みたいに本当の大阪の人では判らないでしょう。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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