当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

篠山陸軍墓地/篠山聯隊區司令部/篠山憲兵分隊

兵庫県篠山市にあった歩兵第七十聯隊兵営の南東には、篠山陸軍墓地篠山聯隊區司令部跡篠山憲兵分隊がありました。
篠山陸軍墓地 墓標 全景 北西から(篠山)
▲篠山陸軍墓地に眠る下士官・兵卒の個人墓標

【探索日時】
平成23年12月16日





歩兵第七十聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
歩兵第七十聯隊 篠山(大正9)(篠山)
▲大正9年頃の地図(大正9年測量 大日本帝國陸地測量部地形図44 福知山及篠山近傍)
 ※地図は施設に色付け加工しています。

歩兵第七十聯隊 篠山(221103)NI-53-14-14(篠山)
▲昭和22(1947)年11月3日の篠山町周辺の空撮(国土地理院 NI-53-14-14)
 ※空撮は加工しています。

歩兵第七十聯隊 現在 (篠山)
▲現在の地図に施設を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
①歩兵第七十聯隊 兵営
②篠山陸軍病院
③篠山陸軍練兵場
④篠山陸軍射撃場
篠山陸軍墓地
篠山聯隊區司令部跡
(大正14(1925)年5月1日、廃止)
篠山憲兵分隊(昭和20年3月16日、中部憲兵隊司令部神戸地區憲兵隊篠山憲兵分隊)
名称については一般的な昭和12(1937)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
⑤ 篠山陸軍墓地
明治40(1907)年9月19日、歩兵第七十聯隊の創設と兵庫県多気郡篠山町(現、篠山市)に兵営の建設が決定、聯隊招致を喜ぶ地元住民により王地山北麓の埋葬地4反1畝21歩(4136㎡)が献納され、明治41(1908)年2月、篠山陸軍埋葬地として開設、昭和13(1938)年5月5日、『陸軍墓地規則』により篠山陸軍墓地と改称されます。

昭和14(1939)年5月13日、㈶大日本忠霊顕彰會が発足し、7月7日、全国に忠霊塔の建立運動を開始します。
会の運動を受け昭和16(1941)年7月19日、『陸軍墓地規則』全文改正により、全陸軍墓地に一戦役又は一事変ごとに一基の忠霊塔を建設する事が下達されます。

昭和16(1941)年8月6日、「忠霊塔(堂)」建設の起工式が挙行され、歩兵第七十聯隊補充隊、篠山町を中心に各方面から参加した述べ17,000名余の勤労奉仕により、忠霊塔建立、招魂祭式場用地3,000坪(10反、10,000㎡)の拡張・整地が開始され、昭和18(1943)年4月末、工事完了、5月3日、献納式、15日、中部軍司令官・後宮淳大将、歩兵第七十聯隊補充隊長・吉田四郎大佐、各市町村代表臨席のもと忠霊塔の竣工式が盛大に挙行されます。
16日、最初の招魂祭が斎行され兵庫県出身の前田治中将(第三十五師團長、昭和15年5月23日、北支にて病没)以下1622柱の英霊を合祀します。

大東亜戰争停戦後、昭和21(1946)、忠霊塔は「遺芳殿」と改称、神戸聯隊區管内の英霊32,000柱余が合祀されています。
昭和31(1956)年6月、遺芳殿前の招魂祭式場跡地に遺芳館が建設、昭和61(1986)年、遺族会館が建設されました。


ス 門
篠山陸軍埋葬地、設置当初の参道入口と思われる門があります。
篠山陸軍墓地 ス 参道入口(篠山)
▲朽ちていますが片方の門扉が遺されています。

門を入って暫く登ると左手の開けた場所に27名の方が眠っています。
墓標は4列あり内訳は以下の通りです(没年月・表記)。
篠山陸軍墓地 墓標 1・2列 南から(篠山)
▲1、2列目の墓標

1列目
大正11年10月 未記入
〃 11年2月 死
〃 10年3月 病
〃 10年8月 死
〃 9年8月 病

2列目
大正8年10月 死
〃 9年8月 死
〃 9年9月 死
〃 9年11月 死
〃 9年6月 死
〃 8年8月 亡
〃 9年3月 病

篠山陸軍墓地 墓標 3・4列 南から(篠山)
▲3、4列目の墓標

3列目
大正8年1月 病
〃 8年9月 死
〃 9年10月 死
〃 7年3月 死亡
〃 7年11月 死亡
〃 3年4月 死亡
〃 2年11月 死亡

4列目
明治11年6月 病
〃 42年1月 死亡
〃 42年6月 死亡
〃 42年5月 死亡
〃 43年6月 死亡
〃 43年10月 死亡
〃 43年2月 死亡
〃 44年5月 死亡

亡くなった経緯を示す「死亡」が大正7年以降は「死」になる様ですが、大正8年の1名のみ「亡」と記されており、大正11年の1名は未記入です。


E 忠霊塔(堂)
篠山陸軍墓地 E 遺芳殿 西から(篠山)
▲昭和18(1943)年5月15日に竣工しました。
 昭和21(1946)、「遺芳殿」と改称、神戸聯隊區管内の英霊32,000柱余が合祀されています。

陸軍墓地最高所にある忠霊塔の南東に、佐藤俊信少尉の墓標があります。
篠山陸軍墓地に埋葬された歩兵第七十聯隊唯一の将校の方です。
篠山陸軍墓地 佐藤俊信少尉墓(Eの南東に1基のみ)(篠山)
▲正面は「陸軍歩兵少尉正八位佐藤俊信墓」
 右側面に没年月日「大正七年十一月十四日帰幽」
 左側面に死因「同年秋季演習中感染悪疫而遂歿矣」


篠山陸軍墓地の周辺には境界石標が建てられています。
セ 陸軍用地
参道入口付近、下記のソと並んであります。
篠山陸軍墓地 セ・ソ(前から)陸軍用地(篠山)
▲境界石標「陸軍用地」セ・ソ(前から)


ソ 陸軍用地
参道入口付近、上記のセと並んであります。


タ 陸軍用地
忠霊塔前の階段脇に、下記のチと並んであります。
篠山陸軍墓地 タ 陸軍用地(篠山)


チ 陸軍用地
忠霊塔前の階段脇に、上記のタと並んであります。
篠山陸軍墓地 チ 陸軍用地(篠山)


ツ 陸軍用地
陸軍墓地南西端にあります。
篠山陸軍墓地 ツ 陸軍用地(篠山)
▲左上に見える白い建物が忠霊塔(遺芳殿)


ト 陸軍用地
忠霊塔の南側の竹林内にあり、陸軍墓地南端を示す境界石標と思われます。
篠山陸軍墓地 ト 陸軍用地(篠山)


テ 忠魂碑
大正4年11月、篠山城天守台上に建立されました。
昭和20(1945)年8月15日、大東亜戦争停戦に伴いGHQの干渉を恐れ天守台下に埋めて隠されましたが、昭和26(1951)年9月9日、サンフランシスコ講和調印の当日に山崎担洞町長により再建され、入魂式及び篠山町戦歿者慰霊祭が挙行されます。
その後、時期は不明ですが篠山城の整備事業に伴い、現在地に移設されました。
篠山陸軍墓地 テ 忠魂碑(篠山)
▲揮毫は元帥子爵河村景明大将です。


⑥ 篠山聯隊區司令部
明治40(1907)年9月19日、歩兵第七十聯隊の創設決定に先んじて、9月17日、『軍令陸第三號』により『陸軍管區表』が改正、10月1日、篠山聯隊區(兵庫県氷上郡・多紀郡・有馬郡・川辺郡、大阪府豊能郡・三島郡・北河内郡)が創設、 陸軍省により多紀郡乾新町の用地が買収され、明治41(1908)年3月、篠山聯隊區司令部庁舎が開庁します。
大正14(1925)年4月6日、第三次軍備整理(宇垣軍縮)に伴い『軍令陸第二號』により『陸軍管區表』が改正され、5月1日、篠山聯隊區は廃止され、庁舎の一部は堺聯隊區司令部に移築されます。

現在は民有地になっており、遺構は何も遺っていません
篠山陸軍墓地 憲兵隊(左)・聯隊區司令部(右)(篠山)
▲篠山憲兵分隊(左)と篠山聯隊區司令部(右)


⑦ 篠山憲兵分隊
明治40(1907)年10月10日、陸軍省令第十七號『憲兵隊管區表』が改正され、兵庫県多気郡乾新町に憲兵分隊の設置が決定します。
乾新町の用地1反5畝17歩(1544㎡)が献納され、明治41(1908)年2月29日、庁舎が竣工し、3月10日、大阪憲兵隊篠山憲兵分隊が開設されます。
昭和20(1945)年3月30日、中部憲兵隊司令部神戸地區憲兵隊篠山憲兵分隊と改称し、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により篠山憲兵分隊は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。
その後、専売公社篠山出張所に移管され、現在はコミュニティセンターになっており、遺構は何も遺っていません


主要参考文献
『篠山町七十五年史』 (昭和30年 篠山町)
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休日…飲んで候(笑)

篠山は現在でも、長閑な田舎ですが…

当時は更に…
何も無い【ド田舎】であった事でしょう。

此処に配属された新兵サンの落胆ぶりが、目に見えるようです。

吉幾三の歌ではありませんが…

♪映画もネェ♪喫茶もネェ♪
♪ダンスホールは勿論ネェ♪
♪紙芝居すらやってこネェ♪
♪慰安所はあるけども♪
♪そこに居るのはババァだけ♪♪オラこんな部隊イヤだ~♪

こんな感じかな~(笑)

ところでこの墓地は、現在どちらの管理なのでしょうか?
見たところ、全く管理されていない様には見えませんが…
おそらく地元に縁のある仏様はは少ないのでしょう。

南無阿弥陀仏

返信不要
武運長久ヲ祈ル

Re: 休日…飲んで候(笑)

家事オヤジさん、こんにちは。
何も無い田舎と言う事もあり聯隊設置は大歓迎だった様で、旅館や商店街は大いに繁盛した様です。

篠山陸軍墓地の所有ですが、他の陸軍墓地同様に所在地の自治体、すなわち篠山市と思われます。
管理はどちらが行なっているのか不明ですが、同じく他の陸軍墓地同様に定期的な清掃は市が行ない、供養などは遺族会がされていると思われます。

大正8年が埋葬者の最後ですので、篠山聯隊區の兵庫県東部から大阪府北部までの出身者と思われます。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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