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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

津陸軍練兵場/津陸軍射撃場/津歩兵作業場

三重県津市久居の陸上自衛隊・久居駐屯地にあった歩兵第三十三聯隊兵営に隣接して津陸軍練兵場、兵営の北2kmに津陸軍射撃場、射撃場の西600mに津歩兵作業場がありました。
津陸軍練兵場 ケ「陸軍用地」 北から(津 久居)
▲津陸軍練兵場の境界石標「陸軍用地」

【探索日時】
平成24年5月3日、平成25年4月21日

【更新情報】
平成25年6月22日:大幅改訂(遺構追加、地図訂正、加筆訂正)





歩兵第三十三聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
陸地測量部 久居(大正9測図・昭和7鉄道書込)着色
▲昭和7年頃の地図(大正9測図・昭和7鉄道書込 大日本帝國陸地測量部)

歩兵第三十三聯隊22923(久居駐屯地)国土地理院NI-53-9-9
▲昭和22(1947)年9月23日の久居周辺の空撮(国土地理院 NI-53-9-9
 ※空撮は加工しています。

久居 (現在)
▲現在の地図に施設を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
①歩兵第三十三聯隊 兵営
②歩兵第三十旅團司令部
③津陸軍病院
津陸軍練兵場
⑤津陸軍墓地
⑥津陸軍墓地跡地
津陸軍射撃場
⑩歩兵営拡張地
⑪陸軍病院 〃
津歩兵作業場
※⑧津憲兵分隊・⑨津聯隊區司令部は別記事にて紹介します。
名称については一般的な昭和11(1936)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
(アルファベット・カタカナ等は上掲地図の表記)
④ 津陸軍練兵場
明治40(1907)年5月、三重県一志郡久居町(現、津市久居)に朝鮮駐箚中の歩兵第五十一聯隊兵営の設置が決定、久居町により用地買収が行われ、施設建築が開始されます。
明治41(1908)年11月21日、歩兵第五十一聯隊が朝鮮から帰還、新兵営に入り、津陸軍練兵場が開設します。

昭和20(1945)年8月15日、停戦に伴い、28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により内務省を通じ大蔵省に移管、大蔵省名古屋財務局の所管となります。
昭和27(1932)年7月10日、警察予備隊・第7普通科連隊第3大隊の開設に際し訓練場として移管、現在は陸上自衛隊久居駐屯地の訓練場になっています。
津陸軍練兵場 練兵場 東から(津 久居)
▲津陸軍練兵場跡にある久居駐屯地訓練場


キ 境界石標?
民家の前に境界石標の一部と思われる四角い石があります。
津陸軍練兵場 キ 石標(津 久居)
▲上部(地上部分)は欠損しており、遺った部分もコンクリートで埋められ殆ど見えないため確認できません。
 地面に這いつくばって僅かな隙間から覗いて見ましたが、何も見えませんでした・・・。


ク 陸軍用地
民家の敷地内にあります。
建物の影に隠れていますが、敷地外から辛うじて半分見えます。
津陸軍練兵場 ク「陸軍用地」 南から(津 久居)
▲道路から望遠レンズで撮影


ケ 陸軍用地
練兵場と民有地の境を示す側溝上の斜面にあります。
上記キ・ケと異なり、コンクリート製です。
津陸軍練兵場 ケ「陸軍用地」 北から(津 久居)


コ 陸軍用地
ケと同様、側溝上の斜面にあり、コンクリート製です。
津陸軍練兵場 コ「陸軍用地」 北から(津 久居)


大正天皇御野立所御手植の松
練兵場北端の入り口付近にあります。
津陸軍練兵場 大正天皇御野立所御手植の松(津 久居)

津陸軍練兵場 大正天皇御野立所御手植之松 碑(戦後)(津 久居)
▲松の根本に昭和31(1956)年1月10日、時の久居駐屯地司令により建立された石碑があります。


⑦ 津陸軍射撃場
明治40(1907)年5月、三重県一志郡久居町(現、津市久居)に朝鮮駐箚中の歩兵第五十一聯隊兵営の設置が決定、久居町により用地買収が行われ、施設建築が開始されます。
明治41(1908)年11月21日、歩兵第五十一聯隊が朝鮮から帰還、新兵営に入り、津陸軍射撃場が開設します。

昭和20(1945)年8月15日、停戦に伴い、28日、大蔵省名古屋財務局の所管となり、一部は払い下げられ畑、住宅地に転用、北側の一部が警察の射撃場を経て自衛隊官舎になります。
現在、自衛隊官舎は移転、跡地は売地になり、大半は住宅地になっています。

戦後しばらくは射垜、流れ弾除けの土堤が遺っていた様ですが次第に更地化され、現在は区画が辛うじて遺っている程度です。
近所の方に聞き込みをしましたが「境界石標は見た事無い」との事で、元々無かった?のかも知れません。
津陸軍斜面場 北端付近から南を(津 久居)
▲射撃場跡北端付近(射垜)から南(射場)
 手前の「売払予定地」の看板のある草原が防衛省用地です。

歩三十三・歩五十一 津陸軍射撃場(津 久居)
▲津陸軍射撃場(歩兵第五十一聯隊当時)
 奥に射垜、両側に流れ弾除けの土堤が見えます。


⑫ 津歩兵作業場
明治41(1908)年11月21日、歩兵第五十一聯隊の朝鮮から帰還とともに開設されます。
昭和20(1945)年8月15日、停戦に伴い、28日、大蔵省名古屋財務局の所管となり、現在は老人ホーム、農地等になっていますが、一部山林が遺っています。

農作業をされている方に聞き込みをしたところ「境界石標は見た事が無い、戦後、農地改良・区画整理が行われた為無くなったのではないか?」との事でした。
歩三十三・歩五十一 歩兵作業場 南東から(津 久居)
▲写真右の緑屋根の建物(老人ホーム)から左奥側の山林辺りまでが歩兵作業場でした。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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