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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

津陸軍墓地

三重県津市久居野村に津陸軍墓地がありました。
津陸軍墓地 陸軍墓地 入口(津 久居)
▲津陸軍墓地 参道入口

【探索日時】
平成21年7月15日、平成24年5月3日

【更新情報】
平成25年6月22日:大幅改訂(遺構追加、地図訂正、加筆訂正)






歩兵第三十三聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
陸地測量部 久居(大正9測図・昭和7鉄道書込)着色
▲昭和7年頃の地図(大正9測図・昭和7鉄道書込 大日本帝國陸地測量部)

歩兵第三十三聯隊22923(久居駐屯地)国土地理院NI-53-9-9
▲昭和22(1947)年9月23日の久居周辺の空撮(国土地理院 NI-53-9-9
 ※空撮は加工しています。

久居 (現在)
▲現在の地図に施設を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
①歩兵第三十三聯隊 兵営
②歩兵第三十旅團司令部
③津陸軍病院
④津陸軍練兵場
⑤津陸軍墓地
⑥津陸軍墓地跡地
⑦津陸軍射撃場
⑩歩兵営拡張地
⑪陸軍病院 〃
※⑧津憲兵分隊・⑨津聯隊區司令部・⑫津歩兵作業場は別記事にて紹介します。
名称については一般的な昭和11(1936)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
(アルファベット・カタカナ等は上掲地図の表記)
⑤ 津陸軍墓地
明治40(1907)年5月、三重県一志郡久居町(現、津市久居)に朝鮮駐箚中の歩兵第五十一聯隊兵営の設置が決定、久居町により用地買収が行われ施設建築が開始されます。
明治41(1908)年11月21日、歩兵第五十一聯隊が朝鮮から帰還、新兵営に入り、兵営の北北西3kmの久居町諸戸山(現、明神町、⑥の位置)に津陸軍埋葬地が開設します。

昭和8(1933)年5月、陸軍省は『陸普三二二五號』により軍備改編による転営部隊に対し、旧埋葬地からの英霊移転に伴う合祀碑建設を下達します。

しかし、津陸軍埋葬地は兵営より遠隔且つ辺鄙な場所に所在し、参拝に不便なため思案していたところ、軍の苦慮を聞き及んだ(財)三重縣干城會が所有する野村神社(明治末期、久居元町に移転し川併神社に合祀)跡地1,989坪(⑤の位置)を陸軍埋葬地用地として献納する事を申し出ます。

昭和9(1934)年3月15日、陸軍埋葬地用地は第十六師團経理部に受納され、旧埋葬地は大蔵省名古屋税務監督局に引き渡されます。

昭和13(1938)年5月5日、『陸軍墓地規則』により津陸軍埋葬地は津陸軍墓地と改称されます。

昭和20年(1945年)8月15日、停戦を迎え、津陸軍埋葬地は他の陸軍墓地同様に大蔵省に移管後、津市に移管され墓地公園となり現在に至ります。

祭祀については毎年5月末、歩三三会により郷土の英霊の遺徳を偲び慰霊祭が斎行されて来ましたが、平成8年(1996)年から久居英霊合祀碑顕彰会が引き継ぎ、感謝の誠が捧げられています。

津陸軍墓地は移転に伴い合祀碑が建立されたため、個人墓標はありません。


陸軍墓地入口 石標
陸軍墓地の入口にあります。
津陸軍墓地 陸軍墓地 標柱(津 久居)


手水鉢
陸軍墓地の入口を入って右手にあり、「水浮」と刻字されている様です。
当時は屋根などが付いていたと思いますが、現在は失われています。
津陸軍墓地 手水鉢(水浮)(津 久居)


合祀碑
陸軍墓地の中央にあります。
昭和9(1934)年3月7日に建立され、揮毫は時の歩兵第三十三聯隊長・西垣真一大佐(第13代)です。
津陸軍墓地 合祀碑(津 久居)

合祀碑が建立された3月7日は、献納された陸軍埋葬地用地が正式に受納された3月15日より前です。
敷地献納に関わる公文書を追っていくと、2月3日、第十六師團経理部長・生田正男一等主計正から陸相・林銑十郎大将への上申書に「合祀碑建設工事ノ関係アルニ付至急認可相成度・・・」と急ぐ内容であり、3月9日に陸相より『陸普第一四一二號』で献納地を受納する旨の通達が出されていますが、その回答を待たずに建立された様です。


合祀碑の由来
合祀碑の北側にあります。
平成九年三月、(社)郷友会三重県支部により建立されました。
津陸軍墓地の由来、合祀碑、滿洲事變戰病沒者合同墓碑、軍馬軍犬之碑、戦後の祭祀について簡単に記述されています。
津陸軍墓地 合祀碑 由来(津 久居)

記述によると合祀碑について「三重県の郷土部隊である歩兵第三十三連隊が満州派遣の任務を終り帰還するに際し現地の土を持ち帰りこれを積んで建立されたものです。」と記述されていますが、歩兵第三十三聯隊は昭和9(1934)年8月17日、滿洲駐箚が下令され、昭和11(1936)年7月7日、久居に帰還しているので合祀碑に刻字された建立日と年月日が合いません。
満期除隊になって帰還した方が土を持ち帰ったとも考えられますが、背景や時期を考えると滿洲から持ち帰った土は「滿洲事變戰病沒者合同墓碑」の建立に使用したと解釈する方が妥当ではないでしょうか?


滿洲事變戰病沒者合同墓碑
合祀碑の南側にあります。
津陸軍墓地 滿洲事變戰病沒者合同墓碑(津 久居)


シベリア抑留死没者慰霊之碑「平和の礎」 (戦後)
平成18(2006)年11月、(財)全国強制抑留者協会三重県支部 三重県シベリア抑留死没者慰霊碑建立委員会により建立されました。
津陸軍墓地 シベリア抑留死没者慰霊之碑「平和の礎」(津 久居)


サ 軍馬軍犬之碑
陸軍墓地から離れた場所にあり、なぜ離れているのか不明です。
昭和18(1943)年10月24日、三重縣畜産組合、北支派遣川岸兵團加藤權部隊、前大日本國防婦人會久居町分會により建立されました。
揮毫は川村尚武中将です。
津陸軍墓地 サ 軍馬軍犬之碑(津 久居)


津陸軍墓地 サ 軍馬軍犬之碑  鳥居跡(津 久居)
▲軍馬軍犬之碑の前には鳥居があった様です。
 鳥居の基礎と思われるコンクリート構造物


⑥ 津陸軍埋葬地跡
明治41(1908)年11月21日、歩兵第五十一聯隊の兵営設置に伴い開設されますが、兵営から離れた辺鄙な場所にあり、参拝に支障をきたすため廃止され大蔵省に移管されました。
現在は資材置き場?や竹林になっています。
津陸軍墓地 ⑥ 旧陸軍墓地(津 久居)


※津陸軍埋葬地の南側に「歩兵作業場」がありましたが、区画が不明瞭なため探索しませんでした。
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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