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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

津憲兵分隊

三重県津市大倉のJR紀勢線・阿漕駅前に津憲兵分隊がありました。
京都憲兵隊 津分隊 シ 塀 北東から(津 久居)
▲現存の塀

【探索日時】
平成24年5月3日、平成25年4月21日





歩兵第三十三聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
陸地測量部 久居(大正9測図・昭和7鉄道書込)着色
▲昭和7年頃の地図(大正9測図・昭和7鉄道書込 大日本帝國陸地測量部)

久居 (現在)-2
▲現在の地図に施設を転写


遺構について※青字は地図にリンクしています
(アルファベット・カタカナ等は上掲地図の表記)

⑧ 津憲兵分隊
明治40(1907)年5月、三重県一志郡久居町(現、津市久居)に朝鮮駐箚中の歩兵第五十一聯隊兵営の設置が決定、久居町により用地買収が行われ施設建築が開始されます。
明治41(1908)年11月21日、歩兵第五十一聯隊が朝鮮から帰還、新兵営に入り、兵営の北西4kmの津市大倉に名古屋憲兵隊 津憲兵分隊が開設します。

大正14(1925)年5月1日、歩兵第五十一聯隊の復帰、歩兵第三十三聯隊の移駐に伴い京都憲兵隊管區に移管、京都憲兵隊 津憲兵分隊となります。

昭和20(1945)年2月28日、第百五十一聯隊補充隊に復員下令、名古屋師管區歩兵第四補充隊が編成されたのに伴い、再び名古屋憲兵隊管區に移管され名古屋憲兵隊 津憲兵分隊となります。

3月30日、『憲兵令 改正』により東海憲兵隊司令部 津地區憲兵隊(都築敦大佐)と改称し、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えます。

8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により内務省を通じ大蔵省に移管、名古屋財務局の管理下に置かれたのち売却され、現在は小児科医院になっています。

シ 塀
マンションの裏に10m程の塀が遺されています。
高さは1m程しかありません。
昭和20(1945)年7月24日、28日の津大空襲(死者1,239名)において、至近弾により穴の開いた部分が阿漕駅前に移設されています。
京都憲兵隊 津分隊 シ 塀 南東から(津 久居)
▲コンクリート塗り部分が移設のため撤去された部分です。

京都憲兵隊 津分隊 シ 塀 西側突き出し部分(津 久居)
▲西側に伸びる部分


ス 塀
小児科医院の駐車場に40m程の塀が遺されています。
シ同様に高さは1m程しかありません。
京都憲兵隊 津分隊 ス 塀 南東から(津 久居)
▲正面側(東端)

京都憲兵隊 津分隊 ス 塀 北東から(津 久居)
▲西側


セ 弾痕のある塀
シの一部が阿漕駅前に移設されています。
弾痕を見ると弾片と言うより機銃掃射の痕跡の様に見えます。
京都憲兵隊 津分隊 セ 塀の一部(移築)(津 久居)
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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