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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

津聯隊區司令部

津城西側の三重県津市西之丸に津聯隊區司令部がありました。
津聯隊區司令部 ソ 塀 南西から(津 久居)
▲現存の塀

【探索日時】
平成21年7月15日、平成24年5月3日





歩兵第三十三聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
陸地測量部 久居(大正9測図・昭和7鉄道書込)着色
▲昭和7年頃の地図(大正9測図・昭和7鉄道書込 大日本帝國陸地測量部)

津聯隊區司令部 (現在)-聯隊區
▲現在の地図に施設を転写


遺構について※青字は地図にリンクしています
(アルファベット・カタカナ等は上掲地図の表記)

⑨ 津聯隊區司令部
明治21(1888)年5月14日、『明治二十一年勅令第二十九號「大隊區司令部条例」』により津大隊區(第三師管第五旅管、三重県安濃郡・桑名郡・員弁郡・三重郡・朝明郡・鈴鹿郡・奄芸郡・河曲郡・一志郡・飯高郡・飯野郡・多気郡・度会郡・答志郡・英虞郡・南牟婁郡・北牟婁郡))が制定され、津大隊區司令部が開設、第三師團に隷属します。

明治29(1896)年4月1日、津大隊區は『明治二十九年勅令第五十六號「聯隊區司令部条例」』により聯隊區に改編され、津大隊區司令部も津聯隊區司令部に改称します。
9月、西堀端(現、津市西之丸)の民有地300坪を買収、移転(移転前の所在地は不明)します。

大正14(1925)年4月6日、第三次軍備整理に伴い『大正十四年軍令陸第二號 陸軍管區表改正』により、5月1日、旅管は廃され第十六師管に移管、管区が三重県全域となり、津聯隊區司令部は第十六師團隷下となります。

昭和15(1940)年8月1日、中部軍司令部発足に伴い、津聯隊區は中部軍管區京都師管に属します。

昭和20(1945)年2月11日、津聯隊區は東海軍管區名古屋師管に移管され、津聯隊區司令部は留守第三師團隷下となります。
3月24日、作戦と軍政の分離が行われ、津聯隊區司令部内に津地區司令部が新編、4月1日、名古屋師管は名古屋師管區と改称され、名古屋師管區司令部が発足し、津聯隊區司令部、津地區司令部はその隷下となり、8月15日、停戦を迎えます。
8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により内務省を通じ大蔵省に移管、大蔵省名古屋財務局の管理下に置かれ、現在は国有地のまま裁判所官舎になっています。


ソ 塀
敷地西側に30m程が遺されています。
津憲兵分隊の塀と酷似しています。
津聯隊區司令部 ソ 塀 北東から(津 久居)
▲敷地側から
 控壁(塀を支える三角の部分)が支柱1本置きに付いています。

津聯隊區司令部 ソ 塀 東から(津 久居)
▲敷地外
 外側の控壁はかなり少ないのが分かります。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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