当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

高槻倉庫/川崎航空機工業株式會社 高槻地下工場

大阪府高槻市成合にはタチソの名称で知られる地下壕群、高槻倉庫のち川崎航空機工業株式會社 高槻地下工場がありました。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥ウからのエ・南壕口 北から(高槻 タチソ)
▲第二工場地区の地下壕

【探索日時】
平成24年2月17日、2月24日、3月3日、3月11日






名称について
現在、高槻地下倉庫(かつき か うこ)の頭文字から「タチソ」の略称で知られていますが、正式な名称では無い様です。

工事を施工した間組の社史『間組百年史』には「川崎航空機高槻地下工場(タチソ工事)」とあり、タチソの名称は現場での秘匿名称の様です。

高槻に関する陸軍の一次史料は皆無の様ですが、同時期に施工された松代大本營が「松代倉庫」(『陸亜密第二四七四號「松代倉庫新設工事」)と呼称されており、戦後に高槻の飯場に居座った労務者に関する大蔵省大阪財務局の決議書に「旧陸軍高槻倉庫」(昭和22年12月8日『旧陸軍高槻倉庫臨時構築物売払決議書』)と見える事から陸軍の秘匿名称は「高槻倉庫」だったと思われます。

実際に使用する予定だった川崎航空機工業㈱の准社史『川崎重工業株式会社明石工場50年史』に地下壕に関する記載は見えませんが、滝野町に疎開した9ヶ所の工場が北播工場のと総称、三木市に設置された林間・地下工場を三木工場と総称している同社の命名基準からして、可動した際は高槻市大字芥川の元鐘淵紡績㈱高槻工場に疎開していた液冷発動機部門と合わせ単に「高槻工場」と総称されていたと思われます。
※拙ブログでは芥川の「高槻工場」と区別するため、「高槻“地下”工場」と表記します。

因みに戦後の米軍の調査報告書には「KAWASAKI DISPERSAL POINT」(川崎疎開地区)、「KAWASAKI AIRCRAFT COMPANY TAKATSUKI UNDERGROUND PLANT」(川崎航空機工業㈱ 高槻地下工場)と記載されています。


施設の概要
昭和19(1944)年9月、マリアナ諸島の失陥により米軍の本土空襲が迫る中、大坂城に所在した中部軍司令部の移転先として建設が開始されますが、航空機生産施設の防空態勢の徹底的強化のため、川崎航空機工業㈱明石工場の発動機工場(三式戦のハ一四〇發動機の製造)の移転先として計画変更されます。
その後、決號作戰(本土決戦)で和歌山に敵が上陸した際の軍需品補給地として、地下工場に軍需品倉庫の併設が開始されます。
地下工場は第一工場のみ完成し、工作機械の据付中に停戦を迎えます。


高槻倉庫川崎航空機工業㈱ 高槻地下工場 周辺
川崎地下工場/高槻倉庫 川崎航空機 高槻工場(23330)NI-53-14-7(高槻 タチソ)
▲昭和23(1948)年3月30日の高槻市成合地区の空撮(国土地理院 NI-53-14-7

川崎地下工場/高槻倉庫 米戦略爆調査団報告書(高槻 タチソ)
▲『米国戦略爆撃調査団報告書』掲載の見取図

川崎地下工場/高槻倉庫 GHQ文書(高槻 タチソ)
▲『GHQ/SCAP文章(RG331)NO.7433』(管理人清書)の見取図

川崎地下工場/高槻倉庫 川崎航空機 高槻工場(現在)①(高槻 タチソ)
▲第一工場周辺(桧尾川東側『GHQ/SCAP records』の見取図を転写)の現在地図

川崎地下工場/高槻倉庫 川崎航空機 高槻工場(現在)②(高槻 タチソ)
▲第二工場及びその他の施設(桧尾川西側)の現在地図


遺構について
※ABCDEFは管理人が便宜上区分けしたもので、分類、順番とも正式な物ではありません。
また寸法はほぼ歩測(数m単位は実測)なので、数m単位で誤差が出ている可能性があります。

ABCDEF:地区
①②③:地下壕
アイウ:地下壕以外の遺構や特記
ⅠⅡⅢ:進入路・・・鹿害防止のためあちこちに金網が張ってあるので注意
薄赤:当時の?作業道
薄黄:建設業者や採石業者
薄茶:畑



A 第一工場
昭和19(1944)年11月、中部軍司令部の移転先として最初に着工され、昭和20(1945)年2月、川崎航空機工業㈱の疎開工場に転用されます。
8月15日の停戦時、16本の地下壕が完成(床面積9,300㎡、全長2,000m)、うち6本には工作機械40台、発電機等の据付が行われ、20日の操業に向け準備中でした。

戦後、西側は砕石場化に伴い爆破・破壊、山ごと削られ完全消滅していますが、東側は崩落して埋没しているものの土中には地下壕が遺されている可能性があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 川崎航空機 高槻工場(現在)①(高槻 タチソ)
▲第一工場周辺(桧尾川東側『GHQ/SCAP records』の見取図を転写)の現在地図

① 地下壕
壕口は巾1.5×高さ0.8mあり、進入は可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 A① 壕口(高槻 タチソ)
▲壕口は斜面を少し登った場所にあります。

内部はコンクリート巻立てが施工され、巾1.5×高さ1.5mありますが15m地点で崩落しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 A① 内部(高槻 タチソ)
▲内部は巻立てが割れていますが、これは地圧による圧潰では無く戦後採石業者が爆破した跡だそうです。

左側の壁面に電線を吊る金具が9本、右側の壁面(本来は天井)に照明器具を取付けたと思われるボルトが遺ります。


② 地下壕
壕口は巾0.6×高さ0.3mと殆ど埋没、進入できません。
川崎地下工場/高槻倉庫 A② 壕口(高槻 タチソ)
▲壕口は斜面を少し登った場所にあります。

川崎地下工場/高槻倉庫 A② 内部(高槻 タチソ)
▲①と同様に内部はコンクリート巻立て(割れずに完存)が施工されていますが、20m地点で崩落しています。

同じく左側壁面に吊金具・天井にボルト、右側壁面に電線を通したワイヤーが多数ぶら下がっています。


③ 地下壕跡
崩落して幅2×長さ30mの溝状になっています。
川崎地下工場/高槻倉庫 A③ 崩落(高槻 タチソ)


④ 地下壕跡
崩落して幅2×長さ30mの溝状になっています。
川崎地下工場/高槻倉庫 A④ 崩落(高槻 タチソ)


ア 土製構築物
3m×3mの「コ」字型をした土製の土堤が4基連結して並んでいます。
詳細は不明です。
川崎地下工場/高槻倉庫 Aア―1 コの字土堤(高槻 タチソ)
▲写真左側に向かって開口しています。

川崎地下工場/高槻倉庫 Aア―4 コの字土堤(高槻 タチソ)
▲写真上側に向かって開口しています。


イ 空気孔?
空気孔と言われる直径5m程の孔があります。
山を登って疲れたので、上から見るだけにしました。
川崎地下工場/高槻倉庫 Aイ 縦坑(高槻 タチソ)


B 第二工場
昭和20(1945)年4月頃に着工したと言われ、第一工場とほぼ同じ規模になる計画で、山の南北から掘削、縦坑同士を連結する横坑も一部開通しましたが、停戦により未完成でした。

戦後、そのまま放置されたため当時の状態を留めていますが、壕口・内部天井の崩落が著しいです。
川崎地下工場/高槻倉庫 B第二工場地区(高槻 タチソ)
▲道路左側の山に第二工場があります。

川崎地下工場/高槻倉庫 川崎航空機 高槻工場(現在)②B(高槻 タチソ)
▲B第二工場の現在地図

Ⅰ 進入路
川崎地下工場/高槻倉庫 B第二工場地区への入口(高槻 タチソ)
真商興産の外周(鉄板の壁:写真左側)に沿って川沿いを進むと高槻市が建てた「この山には危険な箇所がある」との看板があり、その先に③の壕口が見えます。
北側壕口、南側壕口ともに壕口前に当時ものと思われる作業道が通っています。

① 掘削跡?
掘削跡があった様ですが、岩盤が露出しているだけで痕跡は不明です。
川崎地下工場/高槻倉庫 B① 掘削面?(高槻 タチソ)


② 地下壕
壕口は巾2.6×高さ1.9mあり、進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 B② 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで、18.6m地点で巾4mに拡幅、全長33.6mあります。
拡幅している辺りの天井が大きく崩落(他の殆どの地下壕が山型に天井が崩落)しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 B② 内部から壕口(高槻 タチソ)
▲拡幅部付近から壕口方向


③ 地下壕
壕口は巾2.5×高さ1.8mあり、進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 B③ 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで全長に渡り崩落、27.3m地点で巾4mに拡幅、すぐ左側に巾4.9×長さ7mの横坑があり、全長は78.4mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B③ 横坑付近から切羽(高槻 タチソ)
▲拡幅部

川崎地下工場/高槻倉庫 B③ 横坑(高槻 タチソ)
▲横坑

横坑の壕床両側に支保工の穴が遺ります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B③ 横坑 支保工孔 北側(高槻 タチソ)
▲側壁㈱に支保工の孔跡が遺ります。


④ 地下壕
壕口は巾2.5×高さ1.6mあり、進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 B④ 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで、29.4m地点で巾4mに拡幅(高さ3.2m)、すぐ左側に巾3.5×長さ7mの横坑があり、全長は65.1mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B④ 切羽から壕口(高槻 タチソ)
▲切羽付近から壕口方向

11.2m付近の壕床に枕木跡、横坑・縦坑切羽に発破用に削岩機で開けた孔が多数遺ります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B④ 壕床の枕木 壕口から少し入った場所(壕口から)(高槻 タチソ)
▲壕床に遺る枕木跡

川崎地下工場/高槻倉庫 B④ 横坑の切羽にある削岩機跡(高槻 タチソ)
▲横坑の切羽に遺る削岩機跡


⑤ 地下壕
壕口は巾3.3×高さ1.3mあり、進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑤ 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで、20.3m地点で巾4.2mに拡幅(高さ3.2m)、すぐ左側に横坑があり、全長は59.5mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑤ 縦坑拡幅部(高槻 タチソ)
▲縦坑拡幅部

川崎地下工場/高槻倉庫 B⑤ 切羽から壕口(高槻 タチソ)
▲切羽付近から壕口方向

11.2m付近の壕床に枕木跡、切羽に発破用に削岩機で開けた孔が多数遺ります。
コウモリが多数生息し、切羽に発破用に削岩機で開けた孔が多数遺ります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑤ 切羽の削岩機跡(高槻 タチソ)
▲切羽に遺る削岩機跡


⑥ 地下壕
B第二工場で唯一南北に貫通(71.3m)し、内部4ヶ所にコンクリートの巻立てが施工されています。
横坑の痕跡が全く無く、巾も2.4mと均一で狭い事から作業用の通路と思われます。
北側の壕口は巾3×高さ1.5mあり、進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥北 壕口(高槻 タチソ)

ア コンクリート巻立て
北側壕口から11.9m地点にあります。
コンクリート巻立てはエと同規格で長さ4.63×巾2.4m×高さ2m、コンクリート厚は北側30cm、南側12㎝あります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥ア コンクリート製巻立 北から(高槻 タチソ)
▲アとエ2ヶ所の巻立ての側壁は戦時中の鉄道隧道にも良く見られる前後左右のみがコンクリートで覆工されており、工期短縮・資材節約を行ったと思われます。

川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥ア コンクリート製巻立内の堰板 南から(高槻 タチソ)
▲「木筋」と解説している資料もありますが、堰板ごとコンクリートを打設し巻立てを造るのは隧道工事の基本の様です。

川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥ア・イ間の支保工跡(右) 北から(高槻 タチソ)
▲アとイの間には支保工の柱跡が左右3本づつあります。


イ コンクリート巻立て
アから8.4m地点にあります。
コンクリート巻立てはウと同規格で、長さ3.57×巾2.4m×高さ2mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥イ 巻き立て 北から(高槻 タチソ)
▲イとウの間は天井が大きく崩落(写真の巻立て奥)しています。


ウ コンクリート巻立て
イから19.6m地点にあります。
コンクリート巻立てはイと同規格で、長さ4.63×巾2.4m×高さ2mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥ウ・エ(奥) 巻き立て 北から(高槻 タチソ)
▲ウ巻き立てとエ(奥) 


エ コンクリート巻立て
ウから4.2m地点にあります。
コンクリート巻立てはアと同規格で、長さ3.57×巾2.4m×高さ2mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥エ 巻き立てと南壕口 北から(高槻 タチソ)

10.5mで南側の壕口(巾1.5×高さ0.6m)に至りますが、壕口から7m程は土砂が堆積しており、かなり天井が低くなっています。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥南 壕口 内部から(高槻 タチソ)
▲南側の壕口直前

川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥南 壕口(高槻 タチソ)
▲南側壕口


南側壕口の西側に人為的な溝状の窪地がありますが、地下壕の崩落跡でしょうか?
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑥南 壕口西側の壕口?(高槻 タチソ)


⑦ 地下壕
壕口は巾3.1×高さ1.1mあり、進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑦ 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで、10.5m地点で巾4.2mに拡幅(高さ3.2m)、全長は21.7mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑦ 壕内から壕口(高槻 タチソ)
▲切羽付近から壕口方向


⑧ 地下壕
壕口は巾2.8×高さ2mあり、B第二工場で最も壕口の状態が良く進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑧ 壕口(高槻 タチソ)

壕口から10.5mの右側壁面に巾90×奥行50×高さ90cmの四角い穴があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑧ 壕口右側の台(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで、18.2m地点で巾4.2mに拡幅、左右に横坑があり左側は幅4.2×長さ7m、右側は21mで⑨に連結、全長は32.2mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑧ 切羽から壕口(高槻 タチソ)
▲切羽付近から壕口方向

川崎地下工場/高槻倉庫 B⑧ 横坑から⑨方向・オ崩落部(左)と壕口(右)(高槻 タチソ)
▲⑧の左側横坑前から⑨方向(オの崩落部)(左)と⑧壕口(右)


⑨ 地下壕
壕口は巾2×高さ0.9m、内部は次第に低くなり進入できません(⑧から進入)。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑨ 壕口(右)とオ崩落部(左)(高槻 タチソ)
▲⑨壕口(左)とオ崩落部(右)

川崎地下工場/高槻倉庫 B⑨ 横坑から壕口(右下)とオ崩落部(左)(高槻 タチソ)
▲⑨壕口(右下)とオ崩落部(左)

内部は素掘りのままで、左右に横坑があり左側は21mで⑧に連結、右側は3.5mで天井が抜けています。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑨ 切羽付近の崩落(高槻 タチソ)
▲⑨地下壕の内部は崩落が激しいです。

オ ⑨右側横坑の崩落
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑨ 横坑のオ崩落部(高槻 タチソ)
▲抜けた天井(外から)


川崎地下工場/高槻倉庫 B⑨ 壕口前のズリ捨て場(高槻 タチソ)
▲⑨壕口前のズリ捨て場


⑩ 地下壕
内部は素掘りのままで、4.9m地点で崩落しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑩ 壕口(高槻 タチソ)
▲壕口

川崎地下工場/高槻倉庫 B⑩ 壕内の崩落(高槻 タチソ)
▲崩落した壕内


⑪ 地下壕
内部は素掘りのままで、8.4m地点で崩落しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑪ 壕口(高槻 タチソ)
▲壕口

川崎地下工場/高槻倉庫 B⑪ 壕内の崩落(高槻 タチソ)
▲奥に僅かな隙間が有りますが、進入できません。


⑫ 地下壕
壕口は崩落により巾0.7×高さ0.3mしか無く、進入できません。
川崎地下工場/高槻倉庫 B⑫ 壕口(高槻 タチソ)
▲壕口遠景

川崎地下工場/高槻倉庫 B⑫ 壕口 (3)(高槻 タチソ)
▲壕口


★ 印
昭和23(1948)年の空撮を見ると、上掲地図の★印の場所に土砂を削った痕跡?があったので踏査してみましたが、特に何もありませんでした。


C 地区
B第二工場地区の西奥及び1本北の谷筋に位置し、A・Bとは異なる建設方式です。
昭和23(1948)年の空撮を見ても道路等が見当たらず交通の便が悪い場所にある事から地下工場に関する倉庫ではないでしょうか?。
全体的に掘削し始めた感じで、未完成と思われます。
川崎地下工場/高槻倉庫 川崎航空機 高槻工場(現在)②C(高槻 タチソ)
▲C地区の現在地図

① 地下壕
B第二工場⑥地下壕の南側壕口から山裾に沿って西に進んだ場所にあります。
壕口は巾3×高さ1.4mあり、進入可能です。
内部は素掘りのままで、全長は4.9mです。
川崎地下工場/高槻倉庫 C① 壕口(高槻 タチソ)


② 地下壕跡
崩落と言うより掘削始めた痕跡の様です。
川崎地下工場/高槻倉庫 C② 壕口(崩落)(高槻 タチソ)


③ 地下壕
進入可能ですが内部は素掘りのままで崩落が進み、全長は10mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 C③ 壕口(高槻 タチソ)
▲壕口

川崎地下工場/高槻倉庫 C③ 切羽(高槻 タチソ)
▲内部


④ 地下壕
壕口は巾5.4mあり、進入可能ですが内部は素掘りのままでかなり崩落が進み、21m地点で埋没しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 C④ 壕口(高槻 タチソ)
▲壕口

川崎地下工場/高槻倉庫 C④ 壕内の崩落部(高槻 タチソ)
▲壕内


⑤ 地下壕
B第二工場⑤地下壕から谷を挟んだ北側の急斜面にあります。
壕口は巾2×高さ1mあり、進入可能です。
内部は素掘りのままで状態が良く、全長は3.5mです。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑤ 壕口(高槻 タチソ)


⑥ 地下壕
B第二工場⑤地下壕から谷を挟んだ北側の急斜面にあります。
壕口は巾2.3×高さ1mあり、進入可能です。
内部は素掘りのままで巾2.2×高さ2.3mあり状態が良く、全長は4.2mです。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑥ 壕口(高槻 タチソ)


Ⅱ 進入路
真商興産の敷地(鉄板塀の外の駐車場、建機・砕石置場)を通り、谷筋を進みます。
廃車のダンプカーを過ぎた奥の削平地を進むと当時の作業道と思われる1m巾の道が現れるので、そのまま進みます。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑦・C⑧・C⑨のある山(左側)(高槻 タチソ)
▲中央の軽自動車と土盛の間を進みます。


⑦ 地下壕
⑦⑧の壕口前は巨大なズリ山があり、作業道からズリ山を超えたやや分かり難い場所にあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑦・C⑧前のズリ山(高槻 タチソ)
▲このズリ山を超えた所に壕口があります。

壕口は巾2×高さ1.1mあり、進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑦ 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで16m地点で左側に巾4.2×奥行1.4mの小横坑があり、23.1m地点で巾3.5mに拡幅、左右に横坑があり左側は幅3.4×長さ6.3m、右側は16.8mで⑧に連結、全長は37.8mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑦ 壕内から壕口(右は小横坑)(高槻 タチソ)
▲左側の小横坑(右側)、左側は壕口

川崎地下工場/高槻倉庫 C⑦ 拡幅部 切羽(高槻 タチソ)
▲拡幅部から切羽方向

形状は壕口から斜めに入り拡幅部に接続、壕床には枕木跡、左側の横坑の切羽に削岩機跡、拡幅部に支保工跡(120㎝間隔)が遺ります。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑦ 壕床の枕木跡(高槻 タチソ)
▲壕床に遺る枕木跡


⑧ 地下壕
壕口は巾1.8×高さ1.8mあり、C地区で最も壕口の状態が良く進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑧ 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで、29.4m地点で巾4mに拡幅、左右に横坑があり左側は16.8mで⑦に連結、右側は幅3.5×長さ7.7m、切羽には長1.4x高1mの段差がありベンチカット工法で掘削されていたのが分かります。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑧ 拡幅部から切羽(横坑直後)(高槻 タチソ)
▲拡幅部から切羽方向

川崎地下工場/高槻倉庫 C⑧ 右横坑(高槻 タチソ)
▲右側横坑
 写真は分かり難いですが、切羽が上下2段になっています。

全長は68.6mあり、55m地点で天井が崩落、壕床に枕木跡、拡幅部に⑦同様120cm間隔で支保工跡が遺り、カスガイ(160x50㎜)が落ちています。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑧ 壕床の枕木跡(高槻 タチソ)
▲壕床の枕木跡

川崎地下工場/高槻倉庫 C⑧ 拡幅部壁面の支保工跡(高槻 タチソ)
▲支保工跡(黒い窪み)

川崎地下工場/高槻倉庫 C⑧ カスガイ(高槻 タチソ)
▲カスガイ


⑨ 地下壕
壕口前(崩落して溝)は巨大なズリ山があり、作業道からズリ山を超えたやや分かり難い場所にあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑨ 前のズリ山 下から(高槻 タチソ)
▲⑨壕口前のズリ山

掘削当初の壕口付近は崩落により溝状になっており、現状より長かったと思われます。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑨ 壕口から前の溝(高槻 タチソ)
▲崩落し溝化した部分が20m程続きます。

壕口は巾1.4×高さ0.4mしか無く、進入は困難ですが可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑨ 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで巾1.8mあり浸水、23m地点で巾4.2mに拡幅、全長は40mあり、切羽にはさらに巾1.8×奥行2x高さ1.8mの小部屋?壕?があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑨ 壕内(高槻 タチソ)
▲浸水した壕内

川崎地下工場/高槻倉庫 C⑨ 切羽の減幅部(高槻 タチソ)
▲切羽に小部屋があります。

壕口が殆ど崩落し浸水しているため内部の状態が全体的に良く、側壁に堰板が埋まったまま遺っています。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑨ 壕内壁面に埋まる堰板(高槻 タチソ)
▲壁面の埋まる堰板


⑨から連なる斜面に地下壕の崩落した痕跡があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑨ 南側の崩落壕(高槻 タチソ)


Ⅲ 進入路
真商興産の敷地(鉄板塀の外の駐車場、建機・砕石置場)を通り、北側の尾根部に沿って進みます。


⑩ 地下壕
崩落と言うより掘削始めた痕跡の様です。
壕口は巾1.4×高さ1×奥行1mです。
川崎地下工場/高槻倉庫 C⑩ 壕口(高槻 タチソ)


★ 印
昭和23(1948)年の空撮を見ると、上掲地図の★印の場所に土砂を削った痕跡?があったので踏査してみましたが、特に何もありませんでした。


D 地区
地下壕群の最も南側の開けた谷筋にあり、C地区同様にA・Bとは異なる建設方式です。
昭和23(1948)年の空撮を見ると道路が最深部まで敷設され、周囲には多数の木造建物があった事から、昭和20(1945)年6月、決號作戰(本土決戦)に向けけ建設された軍需倉庫地区ではないでしょうか。
川崎地下工場/高槻倉庫 川崎航空機 高槻工場(現在)②D(高槻 タチソ)
▲D地区の現在地図

Ⅳ 進入路
新興住宅の奥にある更地(数年後には住宅が建つ雰囲気なので、進入が難しくなる?)から、そのまま谷の最深部に進みます。
川崎地下工場/高槻倉庫 D地区 全景 (2)(高槻 タチソ)
▲左側の露出した山肌と右側の鉄塔の間の茂みを奥に進みます。

① 地下壕
壕口は鉄筋を刺した土嚢で閉鎖、進入不可、内部も殆ど見えません。
川崎地下工場/高槻倉庫 D① 壕口(高槻 タチソ)
▲内部も殆ど見えません。


Ⅴ 進入路
琴堂池の東側のフェンスに沿って斜面を登り、フェンスの途切れた辺りから0.5m巾の道が斜面に造られているので、そのまま進みます。
川崎地下工場/高槻倉庫 D地区 全景(高槻 タチソ)
▲白いフェンスに添って斜面を登ります。

② 地下壕
壕口は鉄筋を刺した土嚢で閉鎖されていますが、巾1.7×高さ0.5mあり進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 D② 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで、3.5m地点で巾3.5mに拡幅(高さ6m)しますが天井が抜ける崩落があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 D② 崩落部から内部(高槻 タチソ)
▲拡幅部

27.3m地点でやや左側に屈曲し巾2.9x高さ1.7㎝に減幅、減幅部分は浸水しています。
全長は36.4mあり、全体的に天井が山型に崩落しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 D② 切羽から壕口(高槻 タチソ)
▲最深部の減幅部

ア 崩落
②地下壕は壕口から3.5m地点で天井が抜ける崩落が有ります。
川崎地下工場/高槻倉庫 D② 内部から崩落部(高槻 タチソ)
▲天井が抜けています。


③ 地下壕
壕口は鉄筋を刺した土嚢で閉鎖され、内部は素掘りのままで浸水し、10m程で崩落しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 D③ 壕口(高槻 タチソ)
▲壕口

川崎地下工場/高槻倉庫 D③ 壕内(高槻 タチソ)
▲内部


④ 地下壕
壕口は巾1.8×高さ1.8mあり、進入可能です。
内部は素掘りのままで、全長3mです。
川崎地下工場/高槻倉庫 D④ 壕内(高槻 タチソ)


⑤ 地下壕
壕口は巾2.3×高さ1.8mあり、D地区で最も壕口の状態が良く進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 D⑤ 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで長さ23.8m地点で右に直角に屈折、長さ7.7m地点で3.5x3.5mの小部屋があり、縦坑両側に支保工跡(直径40cm)が1m間隔で9ヶ所づつ、横坑右側に1ヶ所、奥の小部屋4隅に遺ります。
また、小部屋切羽に削岩機の孔が多数あります。
川崎地下工場/高槻倉庫 D⑤ 縦坑 壕内(高槻 タチソ)
▲縦坑に遺る支保工跡

川崎地下工場/高槻倉庫 D⑤ 縦坑から横坑(高槻 タチソ)
▲横坑

川崎地下工場/高槻倉庫 D⑤ 横坑 奥の部屋 切羽(高槻 タチソ)
▲最深部にある小部屋

縦坑は壕口から長さ17.5m地点まで浸水、横坑は屈折部から3.5m地点で浸水しています。


⑥ 地下壕
壕口は巾2.6×高さ1.4mあり、鉄筋を刺した土嚢が積まれて巾1.9×高さ0.7mに狭まっていますが進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 D⑥ 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで巾2.1x高1.9mあり、21m地点で⑦地下壕が斜めに連結し巾3.5mに拡幅、全長30mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 D⑥ 切羽(高槻 タチソ)
▲拡幅部は部屋状になっています。

壕口から⑦が連結する21m地点まで浸水しており、壁面両側に支保工跡が2m間隔で11ヶ所づつ、拡幅部の4隅に遺ります。
川崎地下工場/高槻倉庫 D⑥ 拡幅部から壕口(高槻 タチソ)
▲拡幅部から壕口方向

川崎地下工場/高槻倉庫 D⑥ 拡幅部四隅の支保工跡(高槻 タチソ)
▲拡幅部の四隅に遺る支保工跡


⑦ 地下壕
壕口は巾4mあり、鉄筋を刺した土嚢が積まれており内部までかなりの高さがあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 D⑦ 壕口(高槻 タチソ)
▲前日の大雨で壕口上部が一部崩落していました。

内部は素掘りのままで巾3.5mあり、14m地点で⑧地下壕に斜めに連結します。
川崎地下工場/高槻倉庫 D⑦ 壕内(高槻 タチソ)


イ 土製構築物
「コ」字型をした土製の土堤です。
外寸:巾5.8×奥行3×高1(開口部巾0.9)m/内寸:巾3.5×奥行2mあり、建物跡の様ですが詳細は不明です。
川崎地下工場/高槻倉庫 イ 南東から(高槻 タチソ)
▲分かり難いですが中央の太い樹木の辺りに開口部があり、左奥に向かって入って行きます。

同型の遺構は後述のE地区、F地区にも多数あり、高槻以外にも川棚海軍工廠石木工場(長崎)の地下壕付近でも見られます。


ウ 土製構築物
「コ」字型をした土製の土堤です。
外寸:巾9.1×奥行8.4×高1(開口部巾2.1)m/内寸:巾7.7×奥行4.2、向かって右側に「ロ」字型(2.1×2.1m)の土堤が付属します。
川崎地下工場/高槻倉庫 ウ 南西から(高槻 タチソ)
▲倒木の辺りに開口部があります。


★ 印
昭和23(1948)年の空撮を見ると、上掲地図の★印の場所に土砂を削った痕跡?があったので踏査してみましたが、特に何もありませんでした。
川崎地下工場/高槻倉庫 D地区東側(①の2ツ東の谷)の電柱(関係ない?)(高槻 タチソ)
▲①の2ッ東の谷にある木製電柱
 当時の物か不明です。


E 地区
B第二工場の3本北の谷筋にあり地下壕は殆ど無く、谷筋に沿って最深部までコンクリート製構造物が連続して並んでいます。
発動機の生産には金属調質・部品製造・組立て・試運転などの作業が必要です。
当初は轟音のする試運転場かと思いましたが(組立工場から離れ過ぎている、施設が分散し過ぎている)、材料となる鋼材の強靭性を向上させるため加熱操作する調質作業を地下壕内で行うのは困難と考えられるので、この地区が調質工場ではないでしょうか?全く別物だったりして・・・

因みに最初の踏査では全ての遺構が落ち葉、枯れ枝、倒木に埋もれ、何だか分からない状態の物もあったので、熊手を持参し再踏査、掃除して撮影しました。
川崎地下工場/高槻倉庫 川崎航空機 高槻工場(現在)②E(高槻 タチソ)
▲E地区の現在地図

川崎地下工場/高槻倉庫 E地区の谷(高槻 タチソ)
▲中央の谷部に遺構があります。

Ⅶ 進入路①
正攻法ですが、畑の外周は隈なく鹿害防止の柵が張られており、畑の所有者の方が不在の際は進入が不可能です。
農機具小屋の横に柵が外れる場所があり、そこから谷筋に入り川を渡り、斜面に沿って進むと荒れた畑の辺りから作業道が現れます。


Ⅵ 進入路②
何時でも入れますが、急斜面になるので注意です。
高見台の住宅地外周に沿って張ってあるフェンスを超え、谷を下ります。
僕は実線の場所から下りましたが、点線部を進めば順番に巡れます。
降りれそうな斜面を降ったので、目印は特にありません。

ア コンクリート製基礎
全長13.3m?(西側埋没で不明)×奥行5.6mあり、中央部に8x2x深さ0.4mの開口部があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eア 東から(高槻 タチソ)
▲掃除前

川崎地下工場/高槻倉庫 Eア 北東から(高槻 タチソ)
▲掃除後

ア・ウ・エは同じ規格で築造されています。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eア 南東から(高槻 タチソ)
▲開口部


イ コンクリート製基礎
北側が地形の変化で崩壊しているため全長4x2.7mの基礎が2基並んでいる様に見えますが、原形はア・ウ・エと同型の基礎と思われます。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eイ 東から(高槻 タチソ)
▲写真右側が崩落しています。


ウ コンクリート製基礎
全長14.7×奥行5.6mあり、南側から4.9m、北側から2.4mの中央部に8x2x深さ0.5mの開口部があります。
ア・ウ・エは同じ規格で築造されており、これらの中で最も保存状態が良好です。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eウ 東から(高槻 タチソ)


エ コンクリート製基礎
全長14×奥行4.9mあり、南側から4.9m、北側から2.1mの中央部に8x2x深さ0.5mの開口部があります。
ア・ウ・エは同じ規格で築造されています(実測寸法が異なるのは一部が土砂で埋もれているため)。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eエ 南東から(高槻 タチソ)

川崎地下工場/高槻倉庫 Eエ 南奥の崩落?(高槻 タチソ)
▲エの南側にある地下壕の崩落跡?


① 地下壕
壕口は崩落により巾1.5×0.4mしか無く、進入できません。
川崎地下工場/高槻倉庫 E① 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで壕全体が浸水しており、壁面に支保工跡が等間隔に19ヶ所づつ遺り、14.7mで直角に右折し②地下壕に接続します。
川崎地下工場/高槻倉庫 E① 壕内から壕口(高槻 タチソ)


② 地下壕
壕口は巾2.3×高さ1.1mあり、進入可能です。
川崎地下工場/高槻倉庫 E② 壕口(高槻 タチソ)

内部は素掘りのままで壕全体が浸水しており、壁面に支保工跡が等間隔に右側7・左側5ヶ所遺り、9.8mで直角に左折①地下壕に接続します。
川崎地下工場/高槻倉庫 E② 壕内(高槻 タチソ)

この地下壕北側は急斜面になっており作業道も途切れている事から、通路用の地下壕ではないでしょうか?


オ コンクリート製構造物
自然石をコンクリートで固めた「コ」字型の構造物があります。
外寸は巾1.3(中央に0.9の開口部)×奥行1.3m、内寸は巾2.8×奥行2.7、土堤の高さ0.8(基壇0.5・上部0.3mの2段積)×厚さ0.9mあります。
D地区にあった土製構築物の原形と思われ、オ・キは同じ規格で築造されています。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eオ 北西から(高槻 タチソ)
▲掃除前
 堆積物に埋もれ、何だか分かりません。

川崎地下工場/高槻倉庫 Eオ 北西から(高槻 タチソ)
▲掃除後
 堆積物を除去すると石積をコンクリートで固めた遺構が出土しました。


カ コンクリート製基礎
全体で唯一上から見ると凸型の開口部を持つ基礎です。
全長16.1x奥行4.9mあり南側は斜面、それ以外は土堤で囲まれ(元々は半地下?)、東西両端に1.8mの開口部があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eカ 開口部 南から(高槻 タチソ)
▲右側に土堤と開口部があります。

開口部は長辺2.4×高さ1.5mで両側に巾0.3x長さ2.5mの切欠があり、短辺2×高さ1.2m(高さ方向の左右に巾0.7mの溝が1.5m以上伸び(埋没しており不明))、開口部の深さは0.4m程あります。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eカ 開口部 北西から(高槻 タチソ)


キ コンクリート製構造物
自然石をコンクリートで固めた「コ」字型の構造物です。
外寸は巾1.3(中央に0.9の開口部)×奥行1.3m、内寸は巾2.8×奥行2.7、土堤の高さ0.8(オと違い1段積)×厚さ0.9mあります。
オ・キは同じ規格で築造されています。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eキ 北から(高槻 タチソ)
▲オと同じく堆積物に埋もれていましたが、掃除をすると遺構が出土しました。

キの西側の作業道は大きく崩れています。


ク コンクリート製基礎
発見当初は倒木や落ち葉等堆積物で完全に埋没しており、単なる削平地にしか見えませんでしたが、掃除をしたところコンクリート製基礎が現れました。
全体の寸法は倒木・堆積物多く不明ですが、開口部2.05×2.7m(内部は土で完全に埋没)の規格から後述のコ・サと同一規格と思われます。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eク 北東から(高槻 タチソ)
▲掃除前
 全く何か分かりません。

川崎地下工場/高槻倉庫 Eク 北から(高槻 タチソ)
▲掃除後


ケ コンクリート製基礎
全長14.7x奥行4.9mあり西側は斜面、それ以外は土堤で囲まれ(元々は半地下?)、南北に1.8mの開口部があります。
発見当初は倒木や落ち葉等堆積物で平滑なコンクリート基礎にしか見えませんでしたが、掃除したところ中央両側(南北)に6本づつのボルトが確認できました。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eケ 北東から(高槻 タチソ)
▲掃除前

川崎地下工場/高槻倉庫 Eケ 北東から(高槻 タチソ)
▲掃除後
 基礎上にボルト12本が見えます。

ボルトは直径25㎜x高50㎜で南北に3m開け6本づつ、それぞれ3本づつが130㎜の枠が付いた900×650㎜の窪みに265㎜の間隔を開け並んでいます。
発電機室でしょうか?
川崎地下工場/高槻倉庫 Eケ ボルト 南側(高槻 タチソ)


ケ基礎の南側の高台に人為的な削平地がありますが、基礎などは無い様でした。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eケ 南側に有る削平地(高槻 タチソ)
▲ケ基礎南側の削平地


コ コンクリート製基礎
E地区最深部にあります。
全長14.7×奥行4.3mあり、両端から6.3m・1.4mの中央部に2.05x2.7x深さ0.6mの開口部があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eコ 西南から(高槻 タチソ)

川崎地下工場/高槻倉庫 Eコ 南から(高槻 タチソ)
ク・コ・サは同じ規格で築造されており、これらの中で最も保存状態が良好です。
▲開口部


サ コンクリート製基礎
全長14.7×奥行4.3mあり、両端から6.3m・1.4mの中央部に2.05x2.7x深さ0.6mの開口部があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eサ 南西から(高槻 タチソ)

ク・コ・サは同じ規格で築造されており、表面に木の根が張っていますが比較的保存状態が良好です。


シ コンクリート製水槽
外寸は巾6×奥行4.53×高さ0.85m(斜面下で最大2.05m)ありコンクリート厚は26㎝、内寸は5.48×4.01(内部4隅の補強除く)×深さ2.5m(底部4辺の補強除く)あります。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eシ 南東から(高槻 タチソ)

川崎地下工場/高槻倉庫 Eシ 内部 北から(高槻 タチソ)
▲内部

川崎地下工場/高槻倉庫 Eシ 内部 ハシゴ(高槻 タチソ)
▲内部には梯子が付いています。

水槽上端には10㎝巾の溝と等間隔で16~18㎝の鉄筋が遺り、築造当時は木材の屋根が付いていたと思われます。

底に20㎝程の堆積物が溜まっていますが、保存状態は良好です。


ス 土製構築物
「コ」字型をした土製の土堤です。
外寸は巾4.8(中央に0.9の開口部)×奥行5.1m、厚さ0.9mあります。
川崎地下工場/高槻倉庫 Eス 北西から(高槻 タチソ)
▲倒木の辺りが開口部で、左側に向かって開いています。

オ・キ・スは同型ですが、スはコンクリートで固められていません。


③ 地下壕
壕口は巾2.8×高さ1.1m、全長は1.1mしか無く掘削始めた地下壕の様です。
川崎地下工場/高槻倉庫 E③ 開口部(高槻 タチソ)

この地下壕の東西両側にも地下壕を掘削しかけた様な岩盤の露出部があります。


F 地区
E地区の1本北の谷筋(全体の最北部)の国有林内にあり、地下壕は無く谷筋に沿って最深部まで建物跡と思われるコンクリート製を含む削平地が並んでいます。
全体的に間伐材捨場になっており、堆積物が多く不鮮明です。
一般には知られていない場所ですが、昭和23(1948)年の空撮に人為的な痕跡があったので踏査してみました。
川崎地下工場/高槻倉庫 川崎航空機 高槻工場(現在)②F(高槻 タチソ)
▲F地区の現在地図

川崎地下工場/高槻倉庫 F地区のある谷(高槻 タチソ)
▲右奥の谷部に遺構があります。
 撮影場所からは入れません。

Ⅷ 進入路
東側の畑の外周は隈なく鹿害防止の柵が張られており進入が不可能です。
E地区最東端付近から北側の鞍部にある獣道を登り、稜線辺りから西側に進む20cm巾程度の獣道を斜面に沿ってしばらく西進します。
川崎地下工場/高槻倉庫 F道順1(E地区) ここを登る(高槻 タチソ)
▲この鞍部に付いた道を登ります。

途中道が不明瞭になりますが、適当に斜面を下り、北側の小川の堰(コンクリート護岸)を渡った辺りに西側に伸びる作業道が出てきます。


ア 削平地
全長25.2×奥行6.4mの削平地で、南側は斜面、それ以外は土堤で囲まれ(元々は半地下?)、東西両端に2mの開口部があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fア 西から(高槻 タチソ)
▲写真左側に低い土堤があります。


イ コンクリート製基礎
全長13.3×奥行5.6mのコンクリート製基礎(西端は埋没で不鮮明)で、北側は斜面、それ以外は土堤で囲まれ(元々は半地下?)ています。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fイ 南東から(高槻 タチソ)
▲間伐材の捨場になっており、全面堆積物(土・雑草)で覆われています。

川崎地下工場/高槻倉庫 Fイ 中央の溝 北東から(高槻 タチソ)
▲南端・中央南北方向に20cm巾の溝があります。


ウ 削平地
全長21×奥行6.3mの削平地で、南側は斜面、それ以外は土堤で囲まれ(元々は半地下?)、東西両端に2mの開口部がありますが、かなり不明瞭です。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fウ 西から(高槻 タチソ)


エ コンクリート製基礎
全長25.9×奥行7.7mのコンクリート製基礎で、西側・北側は土堤で囲まれ(元々は半地下?)ています。
東側斜面に湧き水があるため全体的に水が溜まり、特に北側半分はぬかみが酷く、南東隅は地面とともに崩落しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fエ 北東から(高槻 タチソ)

西側土堤の内側に20cm巾の溝、中央より南側に13cm角の孔がありますが、全面堆積物(間伐材、土、雑草)で覆われており他にあるかは不明です。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fエ 南西隅の基礎から 南西から(高槻 タチソ)
▲南西隅のコンクリート基礎と溝

川崎地下工場/高槻倉庫 Fエ 角孔(高槻 タチソ)
▲柱孔?


オ 地下壕跡?
手前に巾2x深さ2mの陥没口があり、掘削中の地下壕の様に見えますが、間伐材捨場になっており詳細は不明です。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fオ 南から(高槻 タチソ)


カ 削平地
全長18.2×奥行6.3mの削平地で、北側は斜面、それ以外は土堤で囲まれ(元々は半地下?)ています。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fカ 土塁(左) 東から(高槻 タチソ)
▲削平地(右)の周囲に土堤(左)があり、左下に作業道がはしります。


キ 削平地
全長13.3×奥行7.7mの削平地で全面土砂で埋まっていますが、樹木が生えていない事からコンクリート打設の可能性があり、南側は地面とともに崩落しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fキ 南から(高槻 タチソ)

川崎地下工場/高槻倉庫 Fキ 南西のセメント袋のままのセメント(高槻 タチソ)
▲付近に固まったセメントが何袋か転がっています。


ク コンクリート製基礎
全長22.4×奥行6.3mのコンクリート製基礎で、外周に沿って20cm巾の溝があります。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fク 南西から(高槻 タチソ)

川崎地下工場/高槻倉庫 Fク 北東隅の基礎(高槻 タチソ)
▲北東隅に埋まるコンクリート製基礎


ケ 削平地
明確な区画が判然としません。
以下同様に削平地に樹木が生えておらず、空撮の人為的な痕跡の場所に比定しましたが参考程度です。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fケ 西北から(高槻 タチソ)


コ 削平地
明確な区画が判然としません。
同じく参考程度です。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fコ 北から(高槻 タチソ)


サ 削平地
明確な区画が判然としません。
同じく参考程度です。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fサ 南から(高槻 タチソ)


シ 削平地
明確な区画が判然としません。
全長17.5×奥行4.9mの削平地で東側の斜面が崩れかなり減幅しています。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fシ 北から(高槻 タチソ)


ス 削平地
明確な区画が判然としません。
全長11.9×奥行4.9mの削平地です。
川崎地下工場/高槻倉庫 Fス 北から(高槻 タチソ)


高槻倉庫川崎航空機工業㈱ 高槻地下工場の概要
昭和19(1944)年7月7日、サイパン島、8月3日、テニアン島、11日、大宮島(グアム)を相次いで失陥、B29による本土空襲が迫る中、7月11日、内閣において『緊急地下建設部隊ノ編成及運用ニ關スル件』(内閣閣甲第一七五號)が閣議決定、陸軍省を担当省、海軍・軍需・運輸通信・内務・厚生各省を協力省として地下工場建設の研究組織が発足します。

同時に隧道建設の専門技術を擁する運輸通信省鐵道總局は地下壕掘削専門の熱海・岐阜・信濃川・下關各地方施設部を編成します。
9月、大本營、及び本土防空を担う東部軍・中部軍・西部軍各司令部を移転するため、松代(長野)、浅川(東京)、平牧(岐阜)、高槻(大阪)、山家(福岡)の5ヶ所で地下施設の建設が開始されます。

9月上旬、中部軍経理部(佐藤勇助主計中将)が施主となり、岐阜地方施設部第二特設建設隊から鐡道戰闘隊(鈴木信孝隊長)が編成され、大阪府高槻市成合に中部軍司令部の地下施設建設が決定、測量隊により地質調査・測量が実施されます。

27日、運輸通信省の行政官により地権者に対し「軍施設の建設概要、労務者飯場・倉庫建設に要する農地・山林の借上・収用、農地の1坪3銭での一次借上契約、借上・収用期間は昭和19年10月より陸軍省が不要と判断するまで、現状復帰のうえ返還」とした建設計画、土地契約の説明が行われます。

10月、鐵道建設興業㈱(鹿島精一社長)により差配された施工を担当する㈱間組が高槻に到着、鐡道戰闘隊に編入され高槻建設隊(鈴木信孝隊長)を編成、中部軍経理部の事務所が現場から南2km(現、紅茸町付近)に、高槻建設隊本部が春日神社南東に設置され、製材所、機械修理工場、車庫、火薬庫、発電所、労務者の飯場などが周辺に建設されます。
建機の大半は鐡道戰闘隊が、不足分を間組が準備、木材は現地及び丹波方面から、セメント、燃料等は中部軍司令部から、糧食は大阪陸軍糧秣支廠茨木分廠(現、安威川カントリークラブ)から搬入されました。

飯場竣工とともに、建設工事の主力となる労務者3,500人が㈱間組の下請け業者を通じ、また工事の話を聞いて西日本を中心に全国から集結します。

サヨク系の資料には「危険な作業に朝鮮人を充てた云々」と言った記述を良く見ますが、当時の状況は青年・壮年の日本人の多くが出征しており、体格も日本人に勝り、長く土木業に従事している朝鮮人労務者が主力になるのは適材適所であり必然と言えます。
また、この時期陸海軍に土木建築専門の部隊が多く編成されていますが、臨時召集に応召した高年齢の兵が多く重労働の効率が悪かったと言われています。

11月、高槻建設隊の指揮監督のもと、労務者が中心となり桧尾川東側で高槻倉庫の掘削工事(タチソ工事)が開始、1日3交替の昼夜連続で施工が行われます。

11月24日、中島飛行機㈱武蔵製作所がマリアナ諸島からのB29により空襲されたのを受け、軍需省は各航空機会社に対し生産設備の分散疎開(生産疎開)を指示します。

11月末、川崎航空機工業㈱明石工場は兵庫県加東郡滝野町を中心に企業整備で転廃業した織布工場等9ヶ所を買収・借用(北播工場)し、歯車製造部門の分散疎開を決定します。
12月25日、運輸課を運輸部に強化、播州貨物自動車の協力を得て疎開を開始、昭和20(1945)年1月5日、移動を完了(職員3,000名、工作機械700台)し、6日、北播工場の操業を開始します。

15日、軍需省は川崎航空機工業㈱を含む重要軍需工場に対し、地下疎開工場の建設と機械設備の疎開を指示します。

19日、川崎航空機工業㈱明石工場にB29、62機が来襲、機体工場の3割超が破壊される大損害を受けてしまいます。

23日、『工場緊急疎開要綱』が閣議決定され、航空機及同部品工場を最優先に分散疎開、地下施設への移転を示達、『生産強化企業再整備及工場緊急疎開ノ一体的実施機構ニ関スル件』、『臨時生産防衞対策中央本部設置ニ關スル件』を同じく閣議決定し、重要軍需工場の疎開に関して政府機構を整備し、急速且つ計画的に実行する事、そのため軍需省に臨時生産防衞対策中央本部(吉田茂軍需相が兼務)を設置、『昭和二十年一月十二日 勅令第十號』により運輸通信省は地下建設本部を設置、その事務を分掌するため第一(熱海)・第二(岐阜)・第三(下関)地下建設部隊が編成されます。

25日、最高戰爭指導會議により、航空機・限定した特攻兵器の優先生産と強化、生産施設の防空態勢の徹底的強化等を含む大東亞戰爭完遂のための基礎態勢を確立する『決戰非常措置要綱』が提案され、閣議決定されます。

『決戰非常措置要綱』を受け、高槻倉庫は中部軍司令部から川崎航空機工業㈱の疎開先に計画変更され、建設にあたっていた高槻建設隊は第二地下建設部隊に編入、高槻建設隊は第一作業隊(桧尾川東側の第一工場)、第二作業隊(桧尾川西側の第二工場)、第三作業隊(輸送)、第四作業隊(機械)、第五作業隊(建築)を編成し引き続き地下施設建設の指揮監督にあたります。

3月、内閣直属の技術院に建設技術動員本部が設置され、陸軍・海軍・軍需・運輸通信・内務・厚生各省により研究された『地下工場建設指導要領』の普及、現場指導にあたります。

同月、川崎航空機工業㈱明石工場は大阪金属工業㈱等の協力工場、三木工場、伊保分工場、大津分工場、學校作業場等に疎開を進める一方、昭和19(1944)年8月に買収した鐘淵紡績㈱高槻工場(川崎航空機工業㈱高槻工場)、東洋紡績㈱二見工場を借用(同二見工場)し、高槻工場に発動機工場の液冷発動機関連、二見工場に空冷発動機関連の職員、工作機械2,000台を疎開させ、5月、両工場は操業を開始します。

4月8日、『決號作戰準備大綱』の策定により、近畿地方の防衛作戦構想は阪神都市部と大阪湾岸の防衛を主眼とし、紀淡海峡を挟んだ和歌山県北部沿岸・淡路島が最重点地域となります。

5月6日、近畿地方の防衛を主管する中部軍管區司令部(内山英太郎中将)、舞鶴鎭守府司令部(田結譲中将)、大阪警備府(岡新中将)の陸海軍が起案、近畿地方行政協議會が承認した『近畿地方總力交戰準備要綱』により、近畿地方は5地区の防衛地帯に区分、南岸防衛地帯(和歌山県の大半、淡路島、大阪府の一部、三重県の一部)を最重点とし戦力を結集、地下工場建設中の高槻を含む北摂地区を大阪湾岸防衛地帯に指定し軍需品を防護し、前線への補給要地とする事が決定します。

6月、大阪師管區歩兵第一補充隊(大阪)、第三十一航空通信聯隊(野口重義少佐、篠山)の一部(磐手國民學校に宿営)、建築勤務第五百十四中隊(6月25日、京都師管區工兵補充隊(伏見)において編成、中部軍管區経理部事務所付近に宿営)、建築勤務第五百十五中隊(五百十四中隊と同様、芥川國民學校に宿営)、大阪陸軍兵器補給廠奈良倉庫(北宇智村)の建設にあたっていた中部軍管區特設作業隊の労務者80人、日窒化学工業㈱傘下の日窒鉱業㈱土倉鉱業所(滋賀)から鉱夫200人が高槻に移動、近隣の大阪高等医學専門學校、北野中學校、關西工業學校、堺商業學校、浪速商業學校等からの學校報國隊(材木運搬、道路補修、支保工作成にあたる)が建設に、茨木女學校の学生10名が中部軍管區経理部事務所に加わり、地下工場に加え決號作戰(本土決戦)に向けた軍需倉庫(地下、林間)の建設が開始されます。

6月9日、B29:24機、22日、B29:26機、26日、B29:31機、7月7日、B29:124機が明石市に来襲、川崎航空機工業㈱明石工場は機体工場、発動機工場の全てが破壊され操業を停止、地下工場建設現場も度々艦載機による機銃掃射を受けます。

8月10日、第一工場の地下壕16本(縦坑)が完成、うち6本には工作機械40台、発電機等の据付が行われ、20日の操業に向け準備、未成地下工場の建設を急ぐ中、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
予定では第一工場は地下壕16本に工作機械550台を設置、暖房・換気装置を備える計画でした。

10月30日、米国戦略爆撃調査団のJ・W・フレドリック中佐が実地調査に訪れます。

12月1日、陸軍省の廃止に伴い、高槻地下工場関連の設備は大蔵省大阪財務局に移管されます。

昭和21(1946)年1月20日、連合国軍最高司令官総司令部より『日本航空機工業、兵器廠及び研究所の管理支配、並びに保護維持に関する件』が発令され、川崎航空機工業㈱を含む全飛行機会社は賠償工場に指定されます。
5月31日、社名を川崎航空機工業株式會社から川崎産業株式会社(川重・鋳谷正輔社長)に変更、民需産業転換の許可を受けます。
明石工場は戦災を逃れた養成工場・運動場に賠償指定機械を集結させ賠償機械保守要員を配置、高槻工場は川崎産業㈱高槻精機製作所と改称、化学繊維機械の製作を開始します。

地下工場の第一工場は、停戦後間も無く採石場化されてしまい、地下壕も危険防止のため発破により破壊されてしまいます。

昭和23(1948)年、高槻地下工場建設のため借上・収用していた農地・山林が地権者に返還・払下げられ、地上構築物は地権者に売却されます。
しかし、飯場に朝鮮人労務者が居座り続け畑地復元を阻害、朝鮮人による農作物の窃盗、山林立木の盗難などが頻発、地元住民に甚大な被害を及ぼします。
その後も朝鮮人の不法占拠状態が続いたため、昭和40(1965)年、地権者が朝鮮人に退去を求め提訴、民事調停が行われ、昭和58(1983)年、地権者が朝鮮人に土地を売却する事で合意に達します。

現在、隣の茨木市の大阪海軍軍需部安威倉庫とならび反日・サヨク団体が入り込み、サヨク王国と揶揄される高槻市の土地柄もあり反日プロパガンダに利用されている事でも知られています。


主要参考文献
『岐阜工事局五十年史』(昭和45年 日本国有鉄道岐阜工事局)

『間組百年史』(平成元年12月 株式会社間組)

『川崎重工業株式会社明石工場50年史』(平成2年 明石工場史編纂委員会編 川崎重工業株式会社明石工場)

『米国戦略爆調査団報告書』

『官報』

・高槻市役所内展示

・アジ歴

・ほか書名不詳のサヨク系資料

・国土地理院空中写真(NI-53-14-7)

・ヤフー地図
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

おはようございます

ブログ主様へ
TBSの朝ズバを見ると日本の国を守る為の自衛隊の演習を非難する内容には呆れますね。
自衛隊の予算はNHKよりも低い予算で日本を守る自衛隊に感謝を表すべきではと思います。
日本国内を守る為の法律を反対を垂れ流して法律を作らせないマスコミ、マスメディアには日本を壊すつもりかと怒りを覚えます。
戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カテゴリ
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
カウンター
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。


●Facebookやってますので本名ご存知の方はぜひ。
目印は水木しげる先生風の自画像です(笑)

検索フォーム
リンク
地図・史資料
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
ライオンズニュース
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる