当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大和海軍航空基地 続編

最初の記事執筆時には踏査が途中だったので、再踏査をしてきました。
大和海軍航空基地 L 退避壕 南東から(奈良)
▲航空隊本部部員用退避壕の入口

【探索日時】
平成24年12月19日、平成25年1月25日






大和海軍航空基地(現在) 改定
▲現在の地図に施設を転写
 ・緑色・・・現存遺構
 ・ピンク色・・・滅失・未踏査
※滅失施設の位置は大凡です。


遺構について※青字は地図にリンクしています
(遺構場所など、上掲地図参照)
★下記紹介の遺構以外は前記事『大和海軍航空基地』を御覧ください。

⑤ 大和海軍航空隊・近畿海軍航空隊 居住区(航空隊本部・兵舎)
現在は隊内道路も滅失し、境界も判然としません。
大和海軍航空基地 航空隊居住地(奈良)
▲航空隊居住区 見取図

1隊門 2北門 3第二西門 4第一西門 5東門 6車庫 7衛兵詰所 8航空隊本部庁舎 9第一士官舎 10士官烹炊所 11航空隊本部第二庁舎 12第二士官烹炊所 13航空隊本部退避壕 14航空燃弾倉庫 15主計科倉庫(A糧食) 16銃砲倉庫 17主計科倉庫(B糧食) 18第一練兵舎 19主計科倉庫(C糧食) 20第二練兵舎 21爆撃講堂 22第二浴場 23第二烹炊所 24病舎 25第一兵舎 26第二兵舎 27第三兵舎 28十三粍単装機銃x4 29第二浴場 30酒保 31第一烹炊所 32第五兵舎 33第四兵舎 34第六兵舎 35第七兵舎 36第八兵舎 37練兵場 38配水施設
Ⅰ航空基地方面 Ⅱ設營隊方面 Ⅲ竹之内集落方面 Ⅳ竹之内隧道方面



L 航空隊本部部員 退避壕
新池の東120mにフェンスで囲まれた南側の壕入口があります。
資料では「天理教が管理しており入口は施錠されている」となっていますが、現地に行くと施錠されているのはフェンスのみで、壕自体の入口は鉄扉が付いているものの進入可能でした。
大和海軍航空基地 L 退避壕 南東から(奈良)

幅3x全長18mあり、内部は4室に区切られており、夫々の部屋の奥行は南側から5m・4m・5m・4mで、各部屋天井に電灯の配線が遺っています。
大和海軍航空基地 L 退避壕 ①部屋から北(奈良)
▲入口から内部

大和海軍航空基地 L 退避壕 ④部屋から南側入口(奈良)
▲北側の部屋から南側入口方向

大和海軍航空基地 L 退避壕 ①部屋 天井の電灯跡(奈良)
▲天井に遺る電灯の配線

元々の出入口は最北端の部屋の北側、北から2ッ目の部屋の東側、最南端の部屋の南側の3ヶ所ありましたが、現在は最南端の部屋の出入口以外はコンクリートで閉鎖されています。
大和海軍航空基地 L 退避壕 ④部屋 北側入口(奈良)
▲最北端の部屋にある入口(閉鎖)

大和海軍航空基地 L 退避壕 ③部屋 西側入口(奈良)
▲北から2ッ目の部屋にある入口(閉鎖)

内部は湿度が非常に高く、レンズが曇って撮影に苦労しました。

大和海軍航空基地 L 退避壕 東から(奈良)
▲退避壕は練兵場にありましたが、現在は畑になっています。


M 給配水施設
中池の南側の柿畑の奥の茂みに、浄化水槽と思われるコンクリート製の水槽があります。
場所からして航空隊居住地用だと思われます。
大和海軍航空基地 M 浄化水槽 南東から(奈良)
▲水槽全景

大和海軍航空基地 M 浄化水槽 北東から(奈良)
▲水槽内部は3ヶ所に区切られ、仕切り下部に開口部があります。

水槽の大きさは幅7.7×奥行4.9m、内部は2.8/2.1/2.8m幅の3ヶ所に区切られており、北西側に幅1.6×奥行2.1mの突出部があります。
大和海軍航空基地 M 浄化水槽 北から(奈良)
▲水槽北西側の突出部

大和海軍航空基地 M 浄化水槽 西側上端にある孔(奈良)
▲縁には直径16㎝の孔が8ヶ所ありますが、用途不明です。

一段低い場所に直径1mの潜孔(マンホール)があります。
水槽の写真を撮るのに夢中でハマってしまいましたが、幸い水も無く埋まっていたので事無きを得ました(笑)
大和海軍航空基地 M 浄化水槽と潜孔の位置関係(奈良)

この水槽は非常に分かり難い場所にあり、農作業をしている方に訪ねたところ単車で案内して頂きました。
この場を借りてお礼申し上げます。


N 地下壕跡
古墳の後円部墳丘上には十三粍単装機銃が4基据え付けられていた様です。
また、古墳裾を掘削し、地下壕があった様で削った跡が遺ります。
大和海軍航空基地 N 格納壕跡(奈良)


O 通信設備
下池山古墳の後方部墳丘上にコンクリート製の立方体の構造物があります。
構造物は70×70x高さ50㎝、上部にボルト2本(43㎝幅)があります。
空中線の基礎でしょうか?
大和海軍航空基地 O 台座(墳丘上)(奈良)

大和海軍航空基地には大和海軍航空隊、近畿海軍航空隊、第六〇一海軍航空隊戰闘第三〇八飛行隊、第五八一海軍設營隊が所在しましたが、どの隊の通信科(飛行隊は通信伝令員、設営隊は通信隊)が使用していたかは不明です。
古墳の発掘調査の際、前方部に半地下式の遺構が出土しましたが、残念ながら埋め戻されてしまいました。

古墳西側裾にもコンクリート製の擁壁と水槽(幅265×奥行163×深さ60㎝)の様な構造物があります。
大和海軍航空基地 O 擁壁(後方部西側) 南西から(奈良)
▲擁壁

大和海軍航空基地 O 擁壁(後方部西側) 方形構造物(奈良)
▲水槽?


P 地下壕
中山大塚古墳の東側くびれ部分に長さ3mの地下壕が遺りますが、詳細は不明です。
大和海軍航空基地 P 地下壕(奈良)


Q 軍需品倉庫
櫛山古墳の墳丘上に軍需品の倉庫が建てられていた様ですが、遺構は遺されていません。


R 兵舎跡
櫛山古墳の東側に兵舎数棟が建てられいた様ですが、遺構は遺されていません。


S 労務者飯場
新池西側、長岳寺西側及び東側等に労務者飯場があった様ですが、遺構は遺されていません。
長岳寺東側飯場の土地所有者の方によると、停戦とともに朝鮮人が基地設営に使役していた牛馬を食べてどこかへ去って行ったそうです。


T 戰闘第三〇八飛行隊宿舎(柳本國民學校)
戰闘第三〇八飛行隊の宿舎として柳本國民學校の建物一部を間借していましたが、校舎も建て替えられ面影はありません。


⑥ 第五八一海軍設營隊本部
JR柳本駅の西側一帯に第五八一海軍設營隊の宿舎、資材置き場がありました。
第五八一海軍設營隊は昭和20(1945)年5月15日、大和海軍航空基地増設のため大阪警備府麾下に編成されます。
大東亞戰爭停戦に伴い、8月22日、復員完結、施設は柳本町に移管された様です。

当時3棟並んでいた大型木造建物のうち、現在2棟が住居に改築され何とか遺っています。

あ 建物
西側の殆どが破壊され、遺された部分もかなり状態が悪いです。
大和海軍航空基地 あ 兵舎 南から(奈良)
▲南から

大和海軍航空基地 あ 兵舎 北から(奈良)
▲北から

大和海軍航空基地 あ 兵舎 内部(奈良)
▲内部天井の小屋組

設営隊宿舎や労務者飯場、倉庫と言われていますが、内部は簡単な小屋組で組まれており天井も高く、大きさから倉庫と思われます。


い 建物
あ建物に比べると残存度合いは高い(北側の一部が破壊)ですが、あ建物同様にかなり状態が悪いです。
住居化している部分は何とか持っていますが、退去した部分は屋根が落ちたりしており、危険な状態です。

大和海軍航空基地 い 兵舎 南から(奈良)
▲南から

大和海軍航空基地 い 兵舎 北から(奈良)
▲北から

大和海軍航空基地 い 兵舎 内部(奈良)
▲内部天井の小屋組


⑦ 竹之内隧道
航空隊居住区東側の竹之内集落を抜けた山際に無数の地下壕が掘削されていました。
大和海軍航空基地(現在) 竹之内隧道(奈良)
▲竹之内隧道配置

場所・形状は複数ある「大和海軍航空基地関連の引渡目録」、「飛行場水上機基地平面図」、手元の資料を参考に作図しているので、確実ではありません。
また、名称も弾薬引渡目録『彈藥 近畿海軍航空隊 大和基地』の付図を参照にしていますが、地図が大雑把過ぎるので間違っている可能性があります。
青色:現存
緑色:痕跡あるも崩落
桃色:痕跡無し・未踏査


U 空気圧縮機の架台
青池西側の柿畑の中にコンクリート製の架台4基が遺されています。
地権者の方によると、小川を挟んだ北側斜面の地下壕を掘削するのに使用されていたそうです。
大和海軍航空基地 U 台座 南から(奈良)

架台は幅125×奥行125×高さ46㎝が2基、幅190×奥行70×高さ46㎝が2基夫々南北に並んで合計4基あります。
夫々の架台にはボルトが前者4本(幅64、奥行73㎝間隔)、後者は6本(幅76、奥行30㎝間隔)あります。
大和海軍航空基地 U 台座① 北から(奈良)
▲幅125×奥行125×高さ46㎝の架台

大和海軍航空基地 U 台座③ 南から(奈良)
▲幅190×奥行70×高さ46㎝の架台


V 水槽
小川に架かる橋を渡った竹林の奥にコンクリート製水槽があります。
外寸幅194×奥行120㎝、深さ80㎝、縁厚15㎝あります。
大和海軍航空基地 V 水槽 東から(奈良)


W 水槽
青池西側の小道に沿って登って行った北側の急斜面下にあります。
外寸幅455×奥行360×高さ185㎝、深さ170㎝(土砂で埋まる)、水槽上端の縁厚14㎝ですが、内側の上端から50㎝で肉厚になります。
水槽北側(正面側)の両端に煉瓦で作った台の様な出っ張り(東側は崩壊)があります。
大和海軍航空基地 W 水槽 南西から(奈良)
▲斜面上から見た水槽

水槽北側(正面側)中央には小さい孔が横一列に5ヶ所、その下段に大きな孔が3ヶ所ある事から、貯水目的では無いようです。
地下壕掘削に使用する圧縮機の冷却用ではないでしょうか?
大和海軍航空基地 W 水槽 北側(奈良)
▲水槽正面の孔


X 水槽
隧道地区の最深部にありますが、正面側の半分は崩壊しています。
最初は笹に埋もれて良く分かりませんでしたが、笹を伐採し、内部もある程度掃除したところ全貌が分かりました。
外寸幅500×奥行336㎝、縁厚13㎝あります。
大和海軍航空基地 X 水槽 南西から(奈良)
▲内部は土砂で埋まっています。

躯体は煉瓦で表面がモルタル仕上げになっており、正面側は補強の控柱が並んでいます。
W水槽同様に正面側に孔が開いており、こちらも貯水用では無い様です。
大和海軍航空基地 X 水槽 北西側の補強(奈良)
▲水槽正面(左側)の控柱
 この右側に壁が続いていた様ですが、無くなっています。


Y2 機銃弾薬庫
十二神社の東側斜面に崩落跡が遺っています。
土地の方に聞くと数十年前までは地下壕が完存していた様です。
大和海軍航空基地 Y2 機銃弾薬庫 上部の崩落(奈良)


Y4 火工兵器庫
北側にある更地から小川の中を進むと、左側にある竹林にあります。
辛うじて壕口が遺りますが、殆ど埋まっているうえ壕口に太い竹が生えて進入できません。
大和海軍航空基地 Y4 木工機器庫(奈良)
▲壕口は30㎝四方しかありません。


Y6 Y7 Y8 Y9 竹之内十米隧道
名称からして10m前後の小型地下壕が並んでいた様ですが、全て崩落し溝状になっています。
大和海軍航空基地 Y6 壕口(崩落)(奈良)
▲斜面に点々と溝状の地下壕跡が遺ります。


Y15 地下壕跡
U空気圧縮機の架台の小川を挟んだ北側にあります。
壕口が崩落していますが、斜面が溝状になっていない事から内部は崩落していない様です。
使途不明ですが、柿畑の地権者の方によると内部はかなり広い様です。
柿畑にあった圧縮機から空気を送り込んで掘削していたそうで、圧縮空気を送っていた鉄管が遺っています。
大和海軍航空基地 Y15 西側壕口(崩落)(奈良)
▲崩落した壕口跡から鉄管が突き出しています。


Y16 地下壕跡
右手に青池を見ながら峠道を進むと左に資材置き場が見えて来ます。
そのまま資材置き場を通り過ぎると道が左右(左側未舗装と右側舗装)に分岐するので、左手の小さい橋を渡り未舗装の道を登ると右手に荒れた果樹園が出てきます。
その反対側の左(山側)にゴミが投棄されているので、その辺りを獣道に沿って進むと茂みの先に壕口①が見えます。
大和海軍航空基地 地下壕(奈良)
▲『飛行場水上機基地平面図』より推定の平面図
数字は長さ(歩測のため誤差有り)、オレンジ部分は崩落、点線は推定

大和海軍航空基地 Y16 ①壕口(奈良)
▲①壕口は巾180×高さ60㎝で進入可能です。

大和海軍航空基地 Y16 ②壕口(崩落)(奈良)
▲②壕口は崩落し、溝状(倒木の辺り)になっています。

大和海軍航空基地 Y16 BからA(奈良)
▲地下壕内部 B付近からA方向

大和海軍航空基地 Y16 G奥方向(奈良)
▲地下壕内部 G付近から奥

大和海軍航空基地 Y16 J奥の崩落部(奈良)
▲最深部は崩落して土砂で埋まっています。

Y15からY18にかけての地下壕は『引渡目録』に記載が無く、構造の複雑さから戦争末期に推進が予定されていた大本營海軍部、もしくは第三航空艦隊司令部用に掘削されていた地下壕では無いでしょうか?


Y17 地下壕跡
崩落しています。 
大和海軍航空基地 Y17 北東側壕口(崩落)?(奈良)


Y18 地下壕跡
かなり複雑な形状をした地下壕だった様ですが、残念ながら崩落して溝状になっています。
大和海軍航空基地 Y18 北東側壕口(崩落)(奈良)
▲東側の壕口?


Y19 二十二號隧道
青池の南側斜面に崩落した跡が遺ります。
大和海軍航空基地 Y19 西側壕口(崩落)(奈良)
▲西側壕口の崩落跡

大和海軍航空基地 Y19 中央壕口(崩落)(奈良)
▲中央壕口の崩落跡


Y20 地下壕跡
崩落し溝状になっています。
大和海軍航空基地 Y20 壕口(崩落)(奈良)
▲斜面が溝状に崩れています。


Y21 地下壕跡
全て崩落し溝状になっています。
大和海軍航空基地 Y21 壕口(崩落)(奈良)
▲道路右側の斜面が点々と溝状に崩れています。


Y22 地下壕跡
全て崩落し溝状になっています。
大和海軍航空基地 Y22 北側壕口(崩落)(奈良)
▲竹林の中に溝状に崩落した跡があります。


以下の地下壕は『飛行場水上機基地平面図』に記載されていますが使徒不明、痕跡も無く詳細不明です。
Y1 Y3 Y5 Y13 Y14

以下の地下壕は『飛行場水上機基地平面図』に記載されていますが山が荒れており、踏査できませんでした。
Y23 Y24 Y25

Y10 Y11 Y12 航空機格納防空壕
三間塚池の西側に練習機を分解格納していた地下壕があった様ですが、戦後に畑・民家になり痕跡も遺っていません。


Z1 Z2 Z3 Z4 Z5 Z6 Z7
『大和海軍航空基地関連の引渡目録』、『飛行場水上機基地平面図』に記載が無く、書名不詳のサヨク系資料に掲載されています。
場所からして第五八一海軍設營隊か戰闘第三〇八飛行隊に関する地下壕と思われます。
土地の方によるとZ2は現在は崩落していますが停戦後、内部に通信機があった様で米軍が毎日監視に通っていたそうです。
大和海軍航空基地 Z3 通信所壕(崩落)(奈良)
▲崩落したZ3地下壕跡


上記以外に「奈良隧道」(天理教教祖墓地の東側の山:崩落?)、「三輪隧道」(三輪山南麓?)がありましたが、いずれも未踏査です。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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