三菱重工業株式會社 水島航空機製作所(第七製作所)・鶴集團 疎開工場
岡山県倉敷市連島(つらじま)町には三菱重工業株式會社 水島航空機製作所(第七製作所)の疎開工場、鶴集團 疎開工場がありました。

▲鶴集團 地下疎開工場
【探索日時】
平成24年3月20日、平成26年4月10日

<遺構について>※青字は地図にリンクしています。
三菱重工業㈱水島航空機製作所(昭和20年2月1日から「第七製作所」)は昭和20(1945)年5月、空襲激化から倉敷、井原などの遊休民間工場・空き学校、亀島山、龍ノ口、浦田などの地下・半地下工場に生産設備を分散疎開させます。
龍ノ口には地下壕と林間工場が建設され、水島航空機製作所の組立工場が疎開し「鶴集團」と呼称しました。
鶴集團の疎開工場は現在、地上施設が変電所建設、地下施設が学校、住宅地建設により殆ど破壊されてしまいましたが、基礎の一部、及び地下壕の一部が遺っています。

▲『戦略爆撃調査団報告書』に掲載の鶴集團疎開工場配置

▲遺構の配置
※地下壕は薄紫:計画/オレンジ:停戦時の状況/赤:現存です。
A 地下壕
二鶴旅館、市立旭丘小学校のある小山に地下壕が設営中でした。
『戦略爆撃調査団報告書』によると地下壕は計画では縦坑4本、横坑22本、全長1,200mを予定していた様ですが、進捗率25%程度で停戦を迎えた様です。
東側は早い段階に住宅地分譲に際し擁壁で埋められてしまい、西側も小学校建設に伴い破壊され、唯一遺った北西端の壕口もブロックで塞がれてしまいました。
近所の方によると地下壕は2本あり、うち1本は東西に貫通していたそうですが、『戦略爆撃調査団報告書』には貫通の記述は無く詳細は不明です。

▲唯一遺る壕口はブロックで塞がれています。
上の隙間から入ると・・・
壕口から13mで直角に右折、18mで崩落して塞がっています。
苦労して入った割にすぐに行き止まりでガッカリです!

▲突き当りから壕口方向

▲崩落箇所から

▲最奥の崩落箇所
B 建物基礎
鶴集團の疎開工場には停戦時、組立工場が9棟設営されていました。
現在はそのうちの2棟の基礎が辛うじて遺ります。

▲コンクリートの基礎は畑の境界として転用されています。

▲南北方向の基礎

▲南北方向北端の基礎には鉄筋が遺ります。

▲東西方向の基礎は入口と思われる開きがあります。
奥側にも南北方向の基礎があると思われますが、残念ながら埋もれている様です。
C 建物基礎
東側は変電所建設により破壊されてしまい、西側のみ樹園の中に遺ります。

▲木製掩体壕の基礎の様な形をしており、半円形の覆土式建屋だった事が分かります。

▲逆側(建物内側)から見た基礎

▲基礎後端は埋もれています。
<主要参考文献>
『水島自動車製作所50年史』(平成5年9月 水島自動車製作所50年史編さん委員会)
『倉敷の戦争遺跡マップ』(倉敷市 平成22年1月)
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▲鶴集團 地下疎開工場
【探索日時】
平成24年3月20日、平成26年4月10日


<遺構について>※青字は地図にリンクしています。
三菱重工業㈱水島航空機製作所(昭和20年2月1日から「第七製作所」)は昭和20(1945)年5月、空襲激化から倉敷、井原などの遊休民間工場・空き学校、亀島山、龍ノ口、浦田などの地下・半地下工場に生産設備を分散疎開させます。
龍ノ口には地下壕と林間工場が建設され、水島航空機製作所の組立工場が疎開し「鶴集團」と呼称しました。
鶴集團の疎開工場は現在、地上施設が変電所建設、地下施設が学校、住宅地建設により殆ど破壊されてしまいましたが、基礎の一部、及び地下壕の一部が遺っています。

▲『戦略爆撃調査団報告書』に掲載の鶴集團疎開工場配置

▲遺構の配置
※地下壕は薄紫:計画/オレンジ:停戦時の状況/赤:現存です。
A 地下壕
二鶴旅館、市立旭丘小学校のある小山に地下壕が設営中でした。
『戦略爆撃調査団報告書』によると地下壕は計画では縦坑4本、横坑22本、全長1,200mを予定していた様ですが、進捗率25%程度で停戦を迎えた様です。
東側は早い段階に住宅地分譲に際し擁壁で埋められてしまい、西側も小学校建設に伴い破壊され、唯一遺った北西端の壕口もブロックで塞がれてしまいました。
近所の方によると地下壕は2本あり、うち1本は東西に貫通していたそうですが、『戦略爆撃調査団報告書』には貫通の記述は無く詳細は不明です。

▲唯一遺る壕口はブロックで塞がれています。
上の隙間から入ると・・・
壕口から13mで直角に右折、18mで崩落して塞がっています。
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▲突き当りから壕口方向

▲崩落箇所から

▲最奥の崩落箇所
B 建物基礎
鶴集團の疎開工場には停戦時、組立工場が9棟設営されていました。
現在はそのうちの2棟の基礎が辛うじて遺ります。

▲コンクリートの基礎は畑の境界として転用されています。

▲南北方向の基礎

▲南北方向北端の基礎には鉄筋が遺ります。

▲東西方向の基礎は入口と思われる開きがあります。
奥側にも南北方向の基礎があると思われますが、残念ながら埋もれている様です。
C 建物基礎
東側は変電所建設により破壊されてしまい、西側のみ樹園の中に遺ります。

▲木製掩体壕の基礎の様な形をしており、半円形の覆土式建屋だった事が分かります。

▲逆側(建物内側)から見た基礎

▲基礎後端は埋もれています。
<主要参考文献>
『水島自動車製作所50年史』(平成5年9月 水島自動車製作所50年史編さん委員会)
『倉敷の戦争遺跡マップ』(倉敷市 平成22年1月)
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