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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

「戦車博物館」創ろう!

ネットで産経新聞WEB版を見ていて、この記事を見付けました!
大いに賛成です!






「戦車博物館」創ろう!実物大戦車レプリカ購入する民間人が訴える「軍事技術の保存」 2013.11.2 12:00


 戦前・戦後に開発された戦車や装甲車などを、産業技術の観点から保存・展示しようという活動を静岡県御殿場市の会社社長が進めている。地元自治体をはじめ重工業関係の技術者や元自衛官など幅広い層に支援の輪を広げており、旧日本陸軍の戦車の実物大レプリカも製作。日本初の民間による“戦車博物館”開設を目指している。

メカの魅力に取りつかれ

 計画を進めているのは御殿場市の自動車整備会社「カマド」の小林雅彦社長(43)。同市は近くに陸上自衛隊駒門駐屯地など自衛隊の関連施設が多く、「小学校の同級生にも『父が自衛官』という友人が1~2割はいました。一般公開などで、戦車に乗せてもらったこともあります」と小林社長。学生時代は「道路の歩道から演習中の戦車が見えるので、写真を撮りに行ったりもしました」と振り返る。

 実家が自動車修理工場ということもあり、メカの魅力に取りつかれた。なかでも陸上自衛隊の戦車は、重量約40トンと乗用車の約30~40倍、出力は1千馬力以上。そうしたパワーを制御する機械工学に興味をひかれたという。

 「『戦車は千社』といわれるように、1つの戦車を生産するには約1千社の企業が部品製造に関わっている。それぞれの社に独自の技術がある」。ところが、その技術の重要性を紹介したり、技術開発の歴史をたどれる施設は日本に全くなかった。

 「イギリスやアメリカはもちろん、同じ敗戦国のドイツでも、軍事に関するものは時代の最先端の技術資料として博物館で大切に保存、活用されているのに対し、日本では軍事関連というだけで忌避されてきた」と一念発起。日本にも同様の博物館を-と、一昨年、NPO法人「防衛技術博物館を創る会」を立ち上げた。

 昨年にはアメリカHBO社のテレビドラマ「ザ・パシフィック」の撮影のために制作された「九五式軽戦車ハ号」の実物大レプリカをオーストラリアのマニアから購入。今年3月に横浜港に到着した後、大規模な修理と整備を行い、9月に開催された東京ゲームショウや、7月開催の自作フィギュアなどのイベント「ワンダーフェスティバル」(ワンフェス)など各地のイベントに出展。文字通り黒山の人だかりとなる人気を集めた。

 技術保存の大切さについては信念を持っている。10月中旬には静岡市消防局が老朽化のため払い下げた「震災工作車」を落札した。戦車の上に重機を載せたようなデザインで、これも改造してレプリカの戦車にするのかと思いきや、「このまま貴重な資料として公開したい」という。

 「この工作車の転輪は、73式装甲車と同じ物です。こうした防災車両を作るにも、装甲車の技術が用いられている。例えば左右の履帯を逆回転させ、その場で360度方向転換する『超信地旋回』というのは、技術的には非常に高度なもの。どの国も持っている技術ではありません」

 博物館の設立も「情報は財産です。子供たちに伝える努力をしないと」との思いが原動力になっている。

 現在は防衛省から使用済み装備品の貸与を受けられるよう交渉するとともに、行政にも働きかけている。またタイなど外国で展示されている旧日本軍の戦車の里帰りを計画。国内では、終戦後まもなく浜名湖へ沈められたとされる四式中戦車の探索・引き揚げプロジェクトにも参画するなど“戦車博物館”の実現に向けて、着実に前進している。

 関西でも伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)など各地の陸自駐屯地では戦車の走行を見学したり、試乗したりする催しが開かれており、戦車や装甲車などのコアなファンは多い。小林社長の九五式軽戦車などが出展される機会はこれまでなかったが、小林社長は「活動をPRするためにも、要望があれば大阪をはじめ全国各地で九五式軽戦車を展示公開したいですね」と話している。

 同保存会への入会申し込み、問い合わせはメール(tank@k-m-d.co.jp)へ。

【用語解説】九五式軽戦車ハ号 1930年代に開発された主力戦車。全長4・3メートル、全幅2・07メートル、全高2・28メートル。日本戦車としては最多の2378輛が生産され、太平洋戦争全期間で戦った。米国や英国、ロシアなどの博物館に実物が保存展示されているほか、ペリリュー島や南鳥島などに残骸が残る。戦後も北海道では除雪車に改造されるなど長く使われた。(産経関西


実は僕が毎月立ち読みしている模型雑誌や軍事雑誌で「復興された九五式軽戦車のワンフェス出展」、「浜名湖への四式中戦車の探索・引き揚げプロジェクト」等記事中の出来事は断片的に知っていました。
それらの情報がこの記事で一つに繋がりました。
記事の題名を見た時は帝國陸軍の戦車、火砲を積極的にモデル化し、実物も購入して研究しているファインモールド社の社長かと思ったのですが、違いました(^_^;)

何れにせよ大東亜戦争に参加した各国の戦車では残念ながら我が国の戦車は弱兵装、弱装甲として酷評されています。
しかし、それは元々他国のように対戦車戦を想定しておらず、あくまで歩兵の直協兵器として使用するのが目的である用兵思想の違い、また田畑が多く、急峻な地形、未舗装の道路網という我が国の特性、さらに重量物を懸吊できない港湾施設・設備に合った軽量な戦車が必要だったからです。

我が帝國陸軍戦車の代名詞とも言える九七式中戰車ですが、開発当初は他の列強国の戦車と較べても劣るものでは無く、低燃費、長大な航続力など寧ろ優れている面もありました。

急速な戦線の拡大、連合軍とくに米国との戦いは我が国の戦車用兵思想を覆すものでしたが、我が国の資源、工業力では彼の国に対抗出来うる戦車の量産、開発は困難でした。
大戦末期には米軍のM4戦車に対抗出来うる戦車の開発を行いましたが本土決戦に備えるのが限界で、前線では現状持ち得る彼に劣る九七式中、九五式軽戦車で戦わざるを得ませんでした。

しかし、その様な困難な状況に置かれながらも我が戦車兵は圧倒的優勢な米軍戦車相手に勇戦敢闘、サイパン島の戰車第九聯隊、フィリピンの戰車第二師團、硫黄島の戰車第二十七聯隊、占守島の戰車第十一聯隊等など日頃の練武の成果を遺憾無く発揮し勇戦敢闘、自らの命と引き換えに鬼神をも哭かしむる戦闘を展開しました。

確かに技術の展示も大いに賛同するところですが、是非それらの戰車を駆って祖国の安寧と弥栄を願い悠久の大義に殉じた偉大な先人達の顕彰もして頂きたいところです。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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