当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

尼崎憲兵分隊

兵庫県尼崎市には尼崎憲兵分隊がありました。
尼崎憲兵分隊 北側(西側)石垣 北西から(尼崎)
▲敷地正面(西側)石積

【探索日時】
平成23年5月23日






尼崎憲兵分隊周辺
尼崎憲兵分隊 USA-M18-4-15(230220)(尼崎)
▲昭和23(1948)年2月20日の空撮(USA-M18-4-15)

遺構について※青字は地図にリンクしています
尼崎憲兵分隊
昭和16(1941)年12月9日、大阪憲兵隊 築港憲兵分隊 尼崎憲兵分遣隊が兵庫縣武庫郡大庄村字濵田崇徳院(現、兵庫県尼崎市崇徳院)に開設されます。
昭和18(1943)年11月27日、尼崎憲兵分遣隊は尼崎憲兵分隊に昇格、大阪憲兵隊に隷属します。
昭和20(1945)年3月30日、「決號作戰」(本土決戦)に向け『憲兵令』が改正され、憲兵司令部(東京)の隷下に各軍管區を管掌する憲兵隊司令部が設置、各憲兵隊司令部の管区内に憲兵隊地区が設けられ、各憲兵隊地区毎に地區憲兵隊が設置されました。
この改編に伴い中部憲兵隊司令部隷下の神戸地區憲兵隊 尼崎憲兵分隊となり、停戦を迎えます。

戦後、分隊跡地は司法省(現、法務省)登記所となり、現在は尼崎拘置支所となっています。

コンクリート塀
西側の民有地との境にコンクリート製の塀が遺ります。
尼崎憲兵分隊 西側コンクリート塀 東から(尼崎)
▲内側
 内側には支壁があります。

尼崎憲兵分隊 西側コンクリート塀 南西から(尼崎)
▲民有地側から


正面石垣
拘置支所正面に石垣が遺ります。
尼崎憲兵分隊 北側(東側)石垣 北東から(尼崎)
▲正面(東側)石積


尼崎市には昭和18(1943)年、大阪陸軍衛生材料支廠が大阪府港区から移転してきますが、現在は全域が学校、住宅地、関西電力になっており、遺構は皆無です。
大阪陸軍衛生材料廠(NI-53-14-12(23327)(尼崎)
▲昭和23(1948)年3月27日の空撮(NI-53-14-12)

大阪陸軍衛生材料廠(尼崎)
▲現在の地図
 10年程前まで汽缶場が教会に転用されて遺っていた様ですが、現在は建て替えられてしまいました。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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