当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

本能寺の変、新資料見つかる

天正10(1582)年6月2日、天下統一を目前にした織田信長は京都・本能寺に宿泊中、家臣の明智光秀が襲撃され自刃します。
この「本能寺の変」ですが、歴史を変えた一大事件と有名なわりに光秀の動機が不明で、今まで数々の説が唱えられてきました。






怨恨説、野望説、黒幕説などがある中、その他の一つであった「方針の相違説」を補強する資料が発見されました。

本能寺の変、謎に迫る資料見つかる 光秀が信長の方針転換に不服だったか?2014.6.23 18:45


 戦国時代に土佐の武将だった長宗我部元親が四国の領土をめぐり織田信長の命令に従う意向を示した内容の手紙が見つかり、所蔵する林原美術館(岡山市)と、共同研究する岡山県立博物館が23日、発表した。

 信長は、四国は元親の自由にさせるとの方針から一部しか領有を認めないと変更。手紙は明智光秀の家臣斎藤利三に宛てたもので、元親が従う姿勢だったことが確認されたのは初めて。

 手紙は1582年5月21日付で直後の6月2日に起きた本能寺の変は、織田と長宗我部の仲介役だった明智光秀が信長の方針転換に納得しなかったことが原因だと考える説もあり、美術館の谷一尚館長は「本能寺の変に大きく影響した要因ではないか」と話した。

 美術館などによると、手紙は室町幕府の13代将軍足利義輝の側近、石谷家に関わる古文書「石谷家文書」の中にあり、47点が三つの巻物になっていた。(産経関西


『石谷家文書』については所有する「HAYASHIBARA」のサイトを参照

「四国政策の方針転換」が本能寺の遠因になったと言う説は知られていましたが、この説を補強する史料が発見されました。
長宗我部ファンならお馴染みの明智家と斎藤家、長宗我部家のつながり、及び武将達ですが、変直前にこの様な書状が交わされていたのは驚きました。
個人的には「野望説」を取っていたのですが、今回発見された文章で「方針の相違説」も捨てがたくなりました。

そして何より驚いたのは、元親が信長との戦を避けるため信長の命に従い、攻略した阿波国の諸城のうち南の海部城、北の大西城を残し、東部の一宮城、夷山城、畑山城などから撤退していた事です。
当時、元親は四国統一の過程にあり、伊予、阿波は大半を、讃岐は半分を攻略していました。
しかし、友好関係にあった織田信長が西讃岐の十河存保や三好康長の救援要請を受け方針を転換、攻略した阿波国の諸城を明け渡すように求めてきます。
従来は信長の命を拒絶、三好康長が阿波入りした事で、元親に従っていた三好家旧臣が寝返り一宮城、夷山城、畑山城等を奪われたと言われていましたが、単に開場退去していた事を知りました。
ただ、手元の資料では信長に命じられた退去の範囲が「土佐・阿波2郡以外の全て」となっているのですが、実際はどうだったのでしょう?
当時四国で元親に抗していたのは阿波の三好、讃岐の十河(三好同族)、伊予の河野くらいで、このうち河野家は信長に敵対していた毛利家(小早川家)と通じていたので、やはり明け渡しは阿波のみ(東讃岐の香川信景は元親次男・親和を養子にして帰順済)と考えるのが妥当かなと思います。

後年、羽柴秀吉が四国征伐を前に土佐以外の3国を明け渡すように求めた際に拒絶し、さらに征伐が始まり前線の城が次々に落城する中でもなかなか降伏に同意しなかったのに対し、四国統一の過程だったとは言え、信長の明け渡し要求にはすんなり応じたのが興味深いです。
やはり、明智光秀の存在が大きかったのでしょうか。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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