当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

高槻城

今日はかねてから予定していた「高槻城」及び「工兵第四聯隊」の跡地を訪問してきました
今回は「高槻城」編を書きます。





高槻城祉は東西700m×南北800mの城域に三層の層塔式天守をはじめ各曲輪が本丸を中心に縄張りされた輪郭式の平城でしたが、現在は影も形も無く破壊されてしまいました
説明(障害者センタ前)現地説明板から

模型(城跡歴史館)「しろあと歴史館」の復元模型

場所は現在の阪急高槻市駅の南方にあり、城趾は城趾公園、槻の木高校、高槻第一中学、及び住宅地になっており遺構としては移築高麗門が城趾北方の本行寺、石垣の石が石碑の周辺に残っている程度で、城を感じさせるものとしては模擬石垣と復元?堀がある程度です

朝7:45に起床、準備して8:15頃出発します中2~高1まで3年間高槻に住んでいましたが、高槻城は初めての訪問です
祝日なので道も空いており、9:00頃に本行寺に到着しました。
車を寺の隣にある駐車場の整骨院の場所に停め、見学します
典型的な高麗門で、本体は当時のままのようですが屋根の部分は新しいものでなおされていました
城門(本行寺)

余談ですが、今日は成人式と言う事もあり社民党の辻本清美の辻立ちの準備がされていました・・・
さすがサヨ大国高槻元高槻市民として恥ずかしい・・・

続いて公園に向かおうとしたところ隣接する文化ホールで成人式が行われるようで、付近の道路は送迎の車や新成人、交通整理で混雑しています
祝日で適当に路駐しようと目論んでいたのですが、不可能な状態です
しろあと歴史館が10時会館(無料駐車場あり)なので待ってても良かったのですが、時間がもったいないので近くのコーナンに停めて散策します。

槻の木高校と野球場の間を抜けて高槻第一中の突き当たり右側に石垣の石と「高槻城祉」石碑と説明板があります
高槻城唯一の遺構ですが、公園内では無くなぜココ(道路の脇)なのでしょうか?
石垣

正面側に工兵第四聯隊の営門と哨舎があります(詳細は後日)。

公園敷地に入った正面に高山重友(長房、右近)のどこか西洋風な?銅像と模擬石垣と復元?堀があります。
高山重友像

ムムム・・・石垣は新しすぎて全くそれらしくありません
模擬石垣

公園内は庭園になっており、旧家を移築した歴史民俗資料館があります。
笹井家住宅

資料館内の民具をさっと見て、野見神社の境内にある護国神社を参拝に行きましたが、戎祭をやっておりごった返していました
護国神社

最後にしろあと歴史館の高槻城関連資料を見学し車に向かいました
瓦(城跡歴史館)

 高 槻 城 
平安時代中期の正暦元(990)年、近藤忠範が小丘であった久米路山に館を築いたのが最初と言われます。

南北朝の動乱期には駿河国入江荘の地頭・入江春則が足利尊氏の命により高槻城築城、室町時代から戦国時代初期にかけて12代にわたり周辺を統治していました。

天文22(1553)年、三好長慶が芥川山城に入城し畿内一円を制圧、高槻城は芥川山城の支城となっていたようです(城主は入江春継)。

永禄7(1564)年、長慶が亡後は三好三人衆の一人・三好長逸がこの地域一帯を収めていましたが、織田信長が摂津国に侵攻、永禄11(1568年)年芥川山城を落城、永禄12(1569)年、入江春継は足利義昭を奉じて上洛した信長に三好三人衆とともに敵対し「本圀寺の変」で義昭の屋敷を攻めますが敗死し、高槻城は開城降伏します。
信長は和田惟政を高槻城主とします。

惟政はキリシタン宣教師を保護し、ルイス・フロイスを信長に謁見させるなどしますが、元亀2(1571)年、白井河原の合戦で池田勝正、荒木村重と戦い敗死します。

惟政の子・惟長が後を継ぎましたが、天正元(1573)年、家臣の高山友照(飛騨守)、重友(右近)父子の下剋上に遭い城を追われ、高山友照、次いで重友が高槻城主となりました。

キリシタンであった重友は城内に教会を建て、宣教師を招くなどキリスト教の布教に尽力しますが一方で神社仏閣の破壊が行われます。
豊臣秀吉が天下を統一すると天正13(1585)年、重友は明石・船上城に移封します。

高槻城は豊臣家の直轄地となり代官数名や新庄直頼が城代となり、慶長20(1615)年、大坂の陣で豊臣家が滅亡すると、高槻城は元和元(1615)年6月に内藤信正、元和3(1617)年に土岐定義が城主となり、近代城郭として改修しました。

ついで松平家信、岡部宣勝、松平康信と城主が代わり、慶安2(1649)年に永井直清が城主となります。

直清は侍屋敷拡張、城下町整備、領内の水田開発、各所に碑を建てるなど文化行政にも力を注ぎます。
高槻城主として永井氏は13代に渡り、幕末に至りました。

明治7(1874)年、廃城となり、東海道線が敷設される際、石垣や木材などがその資材に転用され建物大半は破却、敷地は陸軍工兵第四聯隊の兵営、練兵場となりました。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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