当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍航空廠 ・ 大阪陸軍航空補給廠

大阪府八尾市に所在する八尾空港に隣接して大阪陸軍航空廠(後に大阪陸軍航空補給廠が併設)がありました。
大阪陸軍航空廠 F 格納庫控壁 南東から(八尾)
▲国有地内に遺る格納庫控壁

【探索日時】
平成20年10月11日、平成22年3月17日、平成25年2月22日





大阪陸軍航空廠大阪陸軍航空補給廠の場所
大阪陸軍航空廠・大阪陸軍航空補給廠は大正陸軍飛行場の西側に隣接して大阪府中河内郡大正村(現、八尾市木本、西木本)、 同長吉村(平野区長吉長原)にありました。

大正陸軍飛行場(現在)
▲現在の地図(飛行場周辺)に施設を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
①大正陸軍飛行場
②第十一飛行師團司令部
大阪陸軍航空廠/大阪陸軍航空補給廠
④高射砲陣地(高射砲第百二十一聯隊第一大隊第二中隊?)


施設の概要
陸軍航空廠は、航空に関する器材、燃料等の購買、貯蔵、保存及び補給並びに航空に関する器材の廃品処分、及び修理を掌りました。
昭和19(1944)年、逼迫する戦局に鑑み陸軍航空補給廠が設置、航空廠が掌っていた航空に関する爆弾、燃料の購買、貯蔵、保存及び補給及び廃品処分を掌りました。


遺構について※青字は地図にリンクしています。
(番号・遺構配置は上掲地図参照)
③ 大阪陸軍航空廠/大阪陸軍航空補給廠
昭和13(1938)年6月18日に開校した阪神飛行學校(大正飛行場)は、昭和15(1940)年8月28日、阪神地区の防空飛行場用地選定を進めていた陸軍に敷地、建物、機材等全てを献納、閉校します。
閉校に先立つ6月6日、陸軍は飛行場用地拡張(拡張面積503,900坪:約6倍)予定地の地権者に用地買収の説明及び土地売買交渉を実施し、10月、拡張予定地の用地買収が行われます。
10月21日、地鎮祭の後、大阪府土木部担当のもと約250名の労務者が中心となり、近隣の勤労奉仕隊、學校報國隊の協力を得て飛行場拡張工事を開始し、12月、2回目の用地買収が実施されます。
昭和16(1941)年6月16日、大正陸軍飛行場が竣工、飛行場北東側に飛行戦隊兵営、同西側に航空支廠が設定されます。
8月1日、陸軍航空本廠(鳥田隆一少将、東京)隷下に大阪陸軍航空支廠が発足(小久保勝弘大佐)します。
昭和17(1942)年10月15日、陸軍航空本廠が陸軍航空本部整備部(鳥田隆一中将)へ統合された事により、大阪陸軍航空支廠は大阪陸軍航空廠(原弘大佐)に昇格、昭和19(1944)年10月10日、大阪陸軍航空補給廠(田中伊勢吉大佐、大阪陸軍航空廠長兼務)が廠内に設置されます。

昭和20(1945)年6月、大阪陸軍航空廠は設備、器材を近隣の民家、民間工場跡、国民学校、地下工場に移転し整備を継続するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎え、施設、設備、器材、兵器、軍需品を米軍に引き渡し、残務整理の後、11月14日、復員完結します。

昭和20(1945)年8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により大阪陸軍航空廠、同補給廠は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。
9月25日、米第6軍第1軍団が和歌山市二里ヶ浜に上陸、26日、大阪市内の住友銀行ビルに司令部を設置し近畿地方に進駐を開始し、南側の格納庫地区を接収しますが、北側の庁舎地区は接収されなかったため、払い下げられ戦災復興住宅に転用されます。
昭和29(1954)年、格納庫地区は飛行場とともに米軍より大蔵省に返還された後、民間機の格納庫・駐機地区になりますが、昭和59(1984)年、滑走路西端にターミナル地区が新たに整備され移転、現在も国有地のまま放置されています。

F 格納庫基礎
国有地内に遺ります。
南側の4対のみが遺されており、元々は北側に3倍程並んでいた様です。
なぜ南側の一部が遺されていりのか、逆に北側が撤去されたのか不明です。
大阪陸軍航空廠 F 格納庫支壁 北東から(八尾)
▲北東から

大阪陸軍航空廠 F 格納庫控壁 東側 北西から(八尾)
▲東側の近影

大阪陸軍航空廠 F 格納庫控壁 東側南端 西から(八尾)
▲控壁上面に遺る固定金具


G 駐機場・誘導路
格納庫内、格納庫前の駐機場、及び飛行場へ続く誘導路のコンクリート敷が遺っていました。
平成25年2月22日時点で東側のコンクリート敷が剥がされていたので、何かできるのかも知れません。
大阪陸軍航空廠 G 駐機場(八尾)
▲水が溜まっていますが、全面コンクリート敷の駐機場が広がります。


H 通用門(移設)
元々はこの場所にありましたが、道路拡張工事に伴い片方だけが近隣の公園に移設されました。
ただ、この中途半端な方法は何なのでしょう。
大阪陸軍航空廠 ウ 通用門西側 (移設)(八尾)
▲移設された通用門(西側)の門柱
 上部のみが切断され、さらに柵で囲まれているため、見にくい・・・いや醜い。

大阪陸軍航空廠 ウ 通用門西側 (移設)「通用門」門札(八尾)
▲門札には「通用門」の文字が遺ります。

大阪陸軍航空廠 ウ 通用門西側 (移設) 上部(八尾)
▲上部には電灯か飾りを取付けた跡が遺ります。


ウ 軍用側線
軍用側線は停戦後いち早く撤去され、農地になってしまったため、区画も殆ど遺っていませんが、線路脇の道床と思われる区画が一部遺されています。
大阪陸軍航空廠 H 側線跡 南から(八尾)
▲マンション脇に遺る直線の道床跡?


所在部隊
大阪陸軍航空廠(帥三四二〇四)
大阪陸軍航空補給廠(帥三四二〇九)
明治42(1909)年7月30日、『臨時軍用氣球研究會官制』(勅令第二百七號)において陸軍省内に臨時軍用気球研究會(長岡外史中将)が発足、気球、及び航空機に関する研究が開始されます。

大正8(1919)年4月15日、『陸軍航空部令』(勅令第百十一號)により臨時軍用氣球研究會は廃止され、陸軍航空部(井上幾太郎少将、東京)が設立、研究會が行っていた航空に関する調査、研究を継承するとともに航空に関する器材の製造、修理、購買、貯蔵、補給及検査を掌どる補給部が発足、所沢に補給支部が開設、大正9(1920)年9月28日、各務原支部が開設され、所澤支部に改称します。

大正14(1925)年5月1日、『陸軍航空本部令』(勅令第百四十九號)により陸軍航空部は陸軍航空本部(安滿欽一中将、東京)に強化改編されます。

昭和10(1935)年7月29日、『陸軍航空廠令』(勅令第二百二十三號)により、8月1日、陸軍航空本廠(長嶺龜助少将、東京)が設立、立川陸軍航空支廠(東京)、各務原同(岐阜)、昭和11(1936)年4月1日、平壌同(朝鮮)、昭和12(1937)年4月1日、屏東同(台湾)、昭和13(1938)年大刀洗同(福岡)が設置、航空に関する器材、燃料等の購買、貯蔵、保存及び補給並びに航空に関する器材の廃品処分、及び修理を掌りました。

昭和14(1939)年8月1日、各支廠は陸軍航空廠[地名]支廠と改称、昭和16(1941)年6月1日、各支廠は旧称に復し、滿洲陸軍航空支廠(奉天)、帯広同、宇都宮同、8月1日、大正陸軍飛行場の開場を待って大阪陸軍航空支廠(小久保勝弘大佐)が設置されます。
大阪陸軍航空支廠は各務原陸軍航空支廠から編合替えになった八日市、加古川両分廠に下關分廠を加え編成されます。

昭和17(1942)年10月15日、陸軍航空本廠の廃止、陸軍航空本部整備部への統合に伴い、各支廠は廃止され、各[地名]陸軍航空廠に改編、大阪陸軍航空支廠も大阪陸軍航空廠に改編されます。

昭和19(1944)年10月10日、『陸軍航空補給廠令』(勅令第五百八十三號)により東京、大阪両陸軍航空補給廠が設置、航空廠が掌っていた航空に関する爆弾、燃料の購買、貯蔵、保存及び補給及び廃品処分を掌りました。
大阪陸軍航空補給廠は同日、福岡支廠、10月30日、京城支廠を設置、釜山、大邱、(昭和20年6月10日、咸興に移転)、平壌、碧城に分廠及び出張所を設置します。

昭和19年7月9日、サイパン島を失陥、10月20日、レイテ島に米軍が上陸、25日、比島沖海戦に敗れたため、南方からの資源輸送が途絶、マリアナ諸島からのB29爆撃機来襲により生産設備が破壊され、航空機材、器材ともに生産が低下してしまいます。
各補給廠では事故機、故障機を回収、器材を取り外し活用するなど厳しい状況下、後方整備を続けます。

11月、第十六獨立飛行隊内に高高度戦闘機隊が編成され、百式司偵三型乙8機が大正に移駐、大阪陸軍航空廠では三十七粍機關砲(ホ二〇四)を機体背面に上向き砲に改造搭載します。

昭和20(1945)年1月23日、『工場緊急疎開要綱』が閣議決定され、航空機及同部品工場を最優先に分散疎開、地下施設への移転が示達され、大阪陸軍航空廠は疎開準備を開始します。

29日、『陸亞密第八百十九號』により、第十一飛行師團(北島熊男少将、大正)に特別攻撃隊の編成下令、航空廠は「と號改造」(特攻機への改造)を実施します。

3月31日、『昭和二十年 軍令陸甲第五十四號』により航空總軍司令部(河邉正三大将、東京)が臨時編成、4月7日、『大陸命第千二百九十八號』により航空總軍戦闘序列を発令、航空廠、航空補給廠は航空總軍隷下となります。

6月、大阪陸軍航空廠は工作機械、器材を近隣の民家、民間工場跡、国民学校、地下工場に移転し整備を継続するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

停戦後、施設、設備、器材、兵器、軍需品を米陸軍第98師団第389連隊に引き渡し、残務整理の後、11月14日、復員完結します。

大阪陸軍航空廠 疎開先
・名称(疎開軍需品):施設詳細 ※場所は大凡
富田林倉庫(各種器材):倉庫主任宅(大樂座)、富田林駅構内、養鶏場倉庫、新道倉庫(新道青年會館)、坂持第一倉庫(坂持青年會館)、同第二倉庫、山中田倉庫(松田サラン工場)

石川倉庫(各種器材):第一倉庫(大榮座映畫館)、第二倉庫(石川座)、第三倉庫(炭倉座)、第四倉庫(東山実行組合)、第五倉庫(一須賀同)、第六倉庫(山城同)、第七倉庫(坂口邸)

駒ヶ谷洞窟(工作機械、プロペラ、武器、発動機、電纜):地下壕

玉手山洞窟(車輪):地下壕

藤井寺整備工場(各種器材、器具):仲哀天皇陵南側

高田倉庫(各種器材):第一倉庫(大和電線工場)、第二倉庫、第三倉庫(高田電線)、第四倉庫(中和大教会)、第五倉庫(森川化学工業所)、第六倉庫、第七倉庫、第八倉庫

箸尾倉庫(各種器材):第一倉庫(廣橋邸)、第二倉庫(井上邸)、第三倉庫(廣橋邸)、第四倉庫(吉岡工場)、第五倉庫(教行寺)、第六倉庫

五位堂倉庫(通信器材):五位堂國民學校

櫻井倉庫(各種部品):長谷川邸、西田邸

下田倉庫(通信器材):下田國民學校

二上工場(工作機械):二上國民學校


編成部隊
第百四十五獨立整備隊(誠一九〇一七)
昭和19(1944)年7月27日、『軍令陸甲第九十三號』により大阪陸軍航空廠に第百四十五獨立整備隊の編成下令、31日、編成完結、大刀洗陸軍航空廠長隷下に編入されます。

8月10日、大阪陸軍航空廠を出発、11日、門司港に入港、9月4日、門司港を出航、大刀洗陸軍航空廠那覇分廠長の指揮下に入り、9月10日、那覇港に入港、9月12日、那覇港を出航、13日、宮古島に上陸、第三十九航空地區司令官の指揮下に入り、14日、第二十八師團隷下に編入され、10月1日、宮古島中陸軍飛行場に展開します。
10月25日、『航本機密第百三號』により大刀洗陸軍航空廠長、及び同那覇分廠長の指揮下を脱し、第五野戰航空修理廠長の隷下に編入され、第二十八師團区処下に入ります。
11月10日、第五野戰航空修理廠第一分廠長の指揮下に入りますが、12月10日、第一分廠長の指揮下を脱し、20日、第四分廠長の指揮下に入り、第二十八師團の区処下を脱します。

12月26日、宮古島平良港を出航、昭和20(1945)年1月20日、台湾蘇澳港に入港、21日、基隆に移駐、23日、を出発、23日、台湾中西部の北斗陸軍飛行場に展開、3月14日、臺中陸軍飛行場に展開、26日から6月20日まで「天一號作戰」(沖縄方面航空作戦)に参加、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

昭和21(1946)年2月18日、基隆港を出航、20日、大竹に上陸、22日、復員完結します。


主要参考文献
『河内どんこう 82~各号「戦争遺跡を訪ねて」』(やお文化協会)

『陸普第二三八號 聯合軍の軍需品引取に関し促進方配慮相成度件』

『帝国陸軍編成総覧』(昭和62年12月 上法快男編 芙蓉書房)

『続 陸軍航空の鎮魂』(昭和57年4月 航空碑奉賛会)

国土地理院 空撮
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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