当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大正陸軍飛行場 予備滑走路・掩体壕

大阪府八尾市に所在した大正陸軍飛行場(現、八尾空港)は飛行場の2本に加え、近隣に3本の予備滑走路を備えていました。
大正予備滑走路 L 掩体壕 西から(八尾)
▲古墳に築造された無蓋掩体壕

【探索日時】
平成21年3月17日、平成25年2月22日






大正陸軍飛行場 予備滑走路の場所
大正陸軍飛行場の予備滑走路は大阪府中河内郡八尾町(現、八尾市楠根町付近)に1本、 南河内郡藤井寺町(現、藤井寺市藤井寺、藤ヶ丘)に2本設定されました。
なお、南側の2本は資料によって「藤井寺飛行場」と呼称している物もある様です。

※当予備滑走路の正式名称は不明なので、便宜上八尾側を「八尾」、藤井寺側を「藤井寺北」、「藤井寺南」と呼称します。

大正陸軍飛行場(現在)広域
▲現在の地図(広域)に施設を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
①大正陸軍飛行場
②第十一飛行師團司令部
③大阪陸軍航空廠/大阪陸軍航空補給廠
④高射砲陣地(高射砲第百二十一聯隊第一大隊第二中隊?)
⑤掩体壕
八尾 予備滑走路
藤井寺北  〃
藤井寺南  〃
掩体壕・機関砲陣地

⑩柏原陸軍官舎
⑪藤井寺陸軍合宿舎
⑫ 〃 陸軍官舎


要目
・八尾 予備滑走路:コンクリート舗装1,500×11m(両側10mづつは遮蔽物無し)
・藤井寺北  〃  :填圧600×11m
・藤井寺南  〃  :〃 500×11m(ともに両側10mづつは遮蔽物無し)


遺構について※青字は地図にリンクしています。
(番号・遺構配置は上掲地図参照)
⑥ 八尾 予備滑走路
昭和10(1935)年頃、大阪府により八尾と枚方を結ぶ府道(枚方八尾線)として計画、その終端部1,500mを滑走路として大阪府土木部により昭和12(1937)年に設定されました。
滑走路設定後、両脇10m幅は工作物の構築が禁止されます。

道路(滑走路)の敷設目的については
①コンクリート舗装滑走路設定の演習のため
②大阪陸軍造兵廠枚方製造所や東京第二陸軍造兵廠香里製造所、大阪陸軍兵器補給廠枚方分廠からの弾薬を大正陸軍飛行場に円滑に輸送するため
③大阪陸軍飛行場との連絡路開設のため
等諸説ありますが、②とするには道路建設計画の時期と枚方の全ての陸軍施設の開設時期が合いません(もとより製造品目が合わない)し、③の昭和10年では大正に飛行場すら無いので、大阪陸軍飛行場と連絡する先がありません。
以上の事から①の理由が妥当と思われます。
元々は大阪府土木部が府道敷設を好機にコンクリート舗装の滑走路設定を練習、その後、近隣に設定された大正陸軍飛行場の予備滑走路に指定されたのでは無いでしょうか。
大東亜戦争停戦後も滑走路として指定・継続され、昭和35(1960)年、指定解除されます。
大正予備滑走路 K 予備滑走路 南端から(八尾)
▲八尾予備滑走路跡の道路
 地下80cm程に当時のコンクリート舗装があったそうです。

K 説明板
滑走路南端付近の穴太南交差点の緑地帯にあります。
大正予備滑走路 K 予備滑走路 説明板(八尾)


⑦ 藤井寺北  〃
昭和20(1945)年7月頃に設定された様で、八尾同様に両脇10m幅の構築物は撤去され、工作物の構築が禁止されます。
大正予備滑走路 ⑦補助滑走路 南から(八尾)
▲藤井寺北予備滑走路があった道路の現状

当地は古市古墳群が広がり起伏に富んだ地形から、元々機材の退避場所として使用されていましたが、空襲後に機材を5km離れた飛行場まで戻すのは危険な事から道路を転用して滑走路が設定された様です。
西側には大阪陸軍航空廠の疎開整備場が移転して来ており、飛行場から府道で連接、さながら「小大正陸軍飛行場」の様相を呈していました。


⑧ 藤井寺南  〃
同じく昭和20(1945)年7月頃に設定された様です。
大正予備滑走路 ⑧補助滑走路 北から(八尾)
▲藤井寺南予備滑走路があった道路の現状


⑨ 掩体壕・機関砲陣地
古市古墳群の大鳥山古墳には墳丘部裾を掘削して掩体壕3基、後円部頂部に機関砲陣地(近接しているので機関銃?)が設定されています。
近年、整備され、非常に見やすくなっています。
古墳の裾野を掘削した掩体壕は京都陸軍飛行場(車塚古墳)にも見られます。
大正予備滑走路 大鳥山古墳(掩体壕・機関砲)(八尾)
▲大鳥山古墳実測図
 赤色部分が遺構

L 無蓋掩体壕
大鳥山古墳裾野西側を掘削して築造されています。
近年まで民家が建っており、その際に掘削されてしまい、他の掩体壕より拡幅されています。
内寸幅11.2×奥行7.0m
大正予備滑走路 L 掩体壕 西から(八尾)
▲無蓋掩体壕 正面(西から)
 馬蹄形をしているのが良く分かります。

大正予備滑走路 L 掩体壕 南西から(八尾)
▲無蓋掩体壕 向かって右から(南西から)


M 無蓋掩体壕
大鳥山古墳裾野北西側を掘削して築造されています。
だいぶ埋まっていますが、整備されているので見やすいです。
内寸幅7.7×奥行7.0m
大正予備滑走路 M 掩体壕 北から(八尾)
▲無蓋掩体壕 正面(西から)

大正予備滑走路 M 掩体壕 北西から(八尾)
▲無蓋掩体壕 向かって右から(南西から)


N 無蓋掩体壕
大鳥山古墳裾野北東側を掘削して築造されています。
内寸幅7.7×奥行7.7m
大正予備滑走路 N 掩体壕 北東から(八尾)
▲無蓋掩体壕 向かって左から(北東から)


O・P・Q・R 機関砲陣地
後円部頂部に機関砲陣地(近接しているので機関銃?)が設定され、かなり埋まっていますが砲座4基(直径3m)が遺されています。
大正予備滑走路 機関砲銃座 西から(八尾)
▲機関砲陣地全景(西から)

大正予備滑走路 O 機関砲銃座(八尾)
▲砲座 O
 砲座は全て殆ど埋まっており、「窪み」になっています。

大正予備滑走路 P 機関砲銃座(八尾)
▲砲座 P
 最も保存状態が悪く、雑草で埋まっています。

大正予備滑走路 Q 機関砲銃座(八尾)
▲砲座 Q
 ほとんど更地になり、熊手で浚って何とか分かる程度です。

大正予備滑走路 R 機関砲銃座(八尾)
▲砲座 R

当古墳以外に墓山古墳青山古墳周辺に機材が退避していた様です。


主要参考文献
『河内どんこう 82~各号「戦争遺跡を訪ねて」』(やお文化協会)

『古市古墳群(藤井寺の遺跡ガイドブック)』(平成5年、藤井寺市教育委員会事務局)
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非公開コメント

こんばんは

予備滑走路とは全く知らずに道を走っておりました。
よく調べて頂き ありがとうございました。m(__)m

Re: こんばんは

>>奥山様

大戦末期には大正に限らず陸軍は全国各地に道路を転用した予備滑走路を造っています。
戦後は道路に戻っているため、また資料も少なく「知る人ぞ知る」です。

こんばんは

良い資料をありがとうございます。
今でも欧州のスウェーデン等では一般道路が滑走路として使われているようですね。
それぞれの国が防衛に関して常日頃 念頭に於いての町作りを考えているのでしょう。
陸続きの国の歴史を学んでの事なんでしょうかね。

No Title

こんにちは。
藤井寺の二本の予備滑走路についてはまったく知りませんでした。
検索しても貴サイトが情報源のものしかヒットしない状態です。
お聞きしたいのですが、主要参考文献として挙げられている「河内どんこう」内に情報があるということでしょうか?

Re: No Title

>>とり様
こんにちは。

藤井寺の二本の予備滑走路については仰るとおり八尾の郷土史『河内どんこう』、及び同誌内連載の「八尾の戦争遺跡」を書籍化した『日常の中の戦争遺跡』(該当箇所は全く同じ内容)に記載があります。

該当箇所のコピーがありますので、拙ブログ左側最下段のメールフォームからメアド教えて頂けたら送信しますよ!

No Title

盡忠報國様

ご親切にありがとうございます。
メール送信致しました。
どうぞ宜しくお願い致します。

見学してきました!

ご無沙汰しております。
以前資料お送り頂きました南北滑走路、そして記事にある古墳の三基の掩体壕跡に先週お邪魔してきました。
どうもありがとうございましたm(_ _)m

Re: 見学してきました!

とり様

こちらこそご無沙汰しております。
もう行かれましたか!
相変わらずの機動力で感服いたします!
また記事、楽しみにしています(^^)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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