当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大正陸軍飛行場 柏原陸軍官舎/藤井寺陸軍官舎/藤井寺陸軍合宿舎

大阪府柏原市、及び藤井寺市に大正陸軍飛行場に所在した部隊の官舎合宿舎がありました。
大正 ⑩柏原陸軍官舎 F 南東から(八尾)
▲柏原陸軍官舎 将校用官舎

【探索日時】
平成24年10月6日






柏原陸軍官舎/藤井寺陸軍官舎/藤井寺陸軍合宿舎の場所
各官舎、合宿舎は飛行場と府道で連接、徒歩30分、車を使えば5分程の距離にあり、緊急時に即応できる位置にありました。
大正陸軍飛行場(現在)広域
▲現在の地図(広域)に施設を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
①大正陸軍飛行場
②第十一飛行師團司令部
③大阪陸軍航空廠/大阪陸軍航空補給廠
④高射砲陣地(高射砲第百二十一聯隊第一大隊第二中隊?)
⑤掩体壕
⑥予備滑走路
⑦  〃
⑧  〃
⑨掩体壕・機関砲陣地
柏原陸軍官舎
藤井寺陸軍合宿舎
 〃 陸軍官舎



遺構について※青字は地図にリンクしています。
(番号・遺構配置は各項の地図参照)
⑩ 柏原陸軍官舎
昭和16(1941)年頃、大正陸軍飛行場の設定に合わせ民有地に民間人が合同出資し、陸軍の一括借上げを前提に陸軍官舎基準に沿って准士官、将校同相当官用官舎として建設された様です。
大正 ⑩藤井寺陸軍官舎 空撮(八尾)
▲昭和23(1948)年2月20日の空撮(国土地理院 USA-M18-1-100)

大正 ⑩柏原陸軍官舎(八尾)
▲現在の地図に遺構を転写

現在は11棟程が遺されていますが、一部は空き家になり屋根が抜けるなど保存状態は余り良いとは言えません。
大正 ⑩柏原陸軍官舎 A 南東から(八尾)
▲A棟 2戸連棟
 形状からして准士官用と思われます。

大正 ⑩柏原陸軍官舎 B 南西から(八尾)
▲B棟 1戸建
 B~ I 棟は全て同型です。
 1戸建である事から下級将校用と思われます。

大正 ⑩柏原陸軍官舎 C 南東から(八尾)
▲C棟 1戸建
 住人の方によるとかなり上質の木材が使用されているそうです。

大正 ⑩柏原陸軍官舎 EDC 南西から(八尾)
▲EDC棟(手前から) 1戸建
 D棟(中央)は屋根が破損しています。

大正 ⑩柏原陸軍官舎 F 南東から(八尾)
▲F棟 1戸建
 格調を高める冠木門が遺っています。

大正 ⑩柏原陸軍官舎 IHG 北西から(八尾)
▲ I HG棟 1戸建

大正 ⑩柏原陸軍官舎 J左・G右 南東から(八尾)
▲J棟(右側はG棟の側面)
 上掲の棟に比べ敷地・建坪が1.5倍、庭もある事から中級将校用と思われます。


⑪ 藤井寺陸軍合宿舎
昭和17(1942)年2月、陸軍省が用地を買収、12月、准士官以下、兵、同相当雇員用合宿舎として建設された様です。
停戦後、建物は財務局から居住者に払い下げられ、敷地は昭和30(1955)年、藤井寺市に移管されました。
大正 ⑫藤井寺陸軍官舎・⑪藤井寺陸軍官舎 空撮(八尾)
▲昭和21(1946)年6月6日の空撮(国土地理院 USA-M157-A-6-172)

大正 ⑫藤井寺陸軍官舎・⑪藤井寺陸軍官舎(八尾)
▲現在の地図に遺構を転写

ほぼ完存していますが、全体的に増改築が施されています。
大正 ⑪藤井寺陸軍合宿舎 K(平屋) 南西から(八尾)
▲K棟 南西から
 南北(長手側)に漏れ無く増築されており、本来の外壁は一部しか見えません。

大正 ⑪藤井寺陸軍合宿舎 L 北西から(八尾)
▲L棟 北西から
 こちらも南北に一部増築されていますが、辛うじて当時の形状を留めています。

大正 ⑪藤井寺陸軍合宿舎 L 南西から(八尾)
▲L棟 南西から
 奥は増築で見えませんが、手前はほぼ当時のままです。

大正 ⑪藤井寺陸軍合宿舎 M 南西から(八尾)
▲M棟 南西から
 最も保存状態が良く、増築は北側のみに留まっています。

大正 ⑪藤井寺陸軍合宿舎 M 南西から (2)(八尾)
▲M棟 南側近影
 兵舎の様な外観です。

大正 ⑪藤井寺陸軍合宿舎 北東隅の建屋 北東から(八尾)
敷地北東隅にある建屋
 これも当時の建物と思われます。
 背後の平屋建てはN棟(食堂、炊事場棟)です。


  〃 陸軍官舎
昭和17(1942)年2月、陸軍省が用地を買収、12月、下士官、同相当雇員用合宿舎として建設された様です。
建物、敷地ともに昭和41(1966)年頃、大蔵省より民間に払い下げられました。
大正 ⑫藤井寺陸軍官舎・⑪藤井寺陸軍官舎 空撮(八尾)
▲昭和21(1946)年6月6日の空撮(国土地理院 USA-M157-A-6-172)

大正 ⑫藤井寺陸軍官舎・⑪藤井寺陸軍官舎(八尾)
▲現在の地図に遺構を転写
改築されている物も含め5棟程が遺っています。
大正 ⑫藤井寺陸軍官舎 O 北東から(八尾)
▲O棟(瓦葺き部分)
 官舎特有の細い路地のため、この角度が精一杯です。

大正 ⑫藤井寺陸軍官舎 Q 北東から(八尾)
▲Q棟(2戸連棟)
 樹木で見えませんが、2戸分が遺っています。

大正 ⑫藤井寺陸軍官舎 R 北西(八尾)
▲R棟(2戸連棟)
 この地区で最も保存状態が良い棟です。

大正 ⑫藤井寺陸軍官舎 S 北東から(八尾)
▲S棟
 連棟の1戸分が遺ります。

大正 ⑫藤井寺陸軍官舎 浴場の油槽?(八尾)
敷地内にある貯水槽
 当時の物か不明です。

紹介した官舎、合宿舎は大正陸軍飛行場に所在した部隊が使用したのは確実ですが、どの部隊が使用したかは不明です。
最高位の北島熊男中将(第十一飛行師團長)は他に官舎があったと思われます(中将の官舎にしては小さ過ぎますが、大佐時代から大正勤務なので、もしかしたらそのまま柏原官舎を使用していた?)が、資料によると柏原に佐藤武夫主計大佐(同経理部長)が居住していた様なので、神崎清大佐 (第十一飛行師團参謀長)、田中伊勢吉大佐(大阪陸軍航空廠長、大阪陸軍航空補給廠長)は柏原官舎を使用していたと思われます。

これらの官舎、合宿舎は現在も住居として使用されているので、見学の際は注意して下さい。


主要参考文献
『河内どんこう 90「戦争遺跡を訪ねて(13)」』(やお文化協会)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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