当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

明野陸軍飛行學校 監的所/通信所

三重県伊勢市伊勢市東大淀町に明野陸軍飛行學校監的所、同小俣町元町に通信所と言われる構築物が遺ります。
明野陸軍飛行學校 H 通信所 南西から(明野)
▲小俣町元町の水田に遺る耐弾通信所

【探索日時】
平成21年7月16日、平成25年11月8日





遺構について※青字は地図にリンクしています。
監的所
明野陸軍飛行場から北に2.5km離れた北浜中学の北側、堤防との境に遺ります。
明野陸軍飛行學校 オ 監的所 東から(明野)
▲北西から見た監的所
 辛うじて中学校の敷地にあったため、堤防建設の際も破壊を逃れた様です。

大正9(1920)年4月22日、三重縣度會(わたらい)郡小俣(おばた)村に広がる明野ヶ原に明野陸軍飛行場が設定され、陸軍航空學校射撃班が静岡縣濱名郡新居町から移転し、空中射撃の教育を開始します。
射撃班は大正10(1921)年4月1日、陸軍航空學校明野分校に、大正13(1924)年5月17日、明野陸軍飛行學校詳細は拙ブログ参照)として独立します。

空中射撃教練は流弾を防ぐため伊勢湾に面した北濱村の海岸一帯に空中射撃場地上射撃設備対地射撃用目標を設置し行われ、これらの射撃訓練の観測を行う耐弾コンクリート製の監的所が2基築造されました。
三重県戦争資料館によると昭和18(1943)年頃築造された様で、東側の1基が北浜中学校の北側に遺されています。
明野陸軍飛行學校 オ 監的所 北東から(明野)
▲北東から見た監的所
 当時は背後(南側、中学側)に土堤が築造されていましたが、
 現在は正面のコンクリート部分のみが遺されています。

明野陸軍飛行學校 オ 監的所 東から (2)(明野)
▲真横から見た監的所
 野砲射撃場に見られる監的壕と異なり、監視窓は無く正面側が窪んでいるだけです。
 どの様に使用されていたのでしょうか?

数年前まで西側800mの位置に同規模の監的所がありましたが、残念ながら破壊されてしまいました。
明野陸軍飛行學校 監的所(滅失分) (2)(明野)
▲破壊された監的所(三重県戦争資料館から転載) 南側(裏側)から

明野陸軍飛行學校 監的所(滅失分)(明野)
▲破壊された監的所(三重県戦争資料館から転載) 西側から
 上掲の現存監的所と比べ、若干形状が異なっていた様です。


通信所
飛行場から南南東2.3kmの水田の中に通信所と言われる耐弾施設が遺されています。
明野陸軍飛行學校 H 通信所 北から (2)(明野)
▲遠くからでも一際目立つ耐弾通信所

当時は外周に高さ3m程の土堤が廻らされ、さらに施設自体が盛り土で覆われ古墳状になっていました。
また、周囲には電柱が4本建てられ電線が引きこまれていた様です。
現在、外周の土堤、施設側面の盛り土、電柱は失われ、施設上に僅かな盛り土が残る程度です。

明野陸軍飛行學校 H 通信所 北西から(明野)
▲北西から見た耐弾通信所
 入口から見て幅10×奥行8m、北西端に幅3.5×奥行2.7mの庇が付いた入口があります。

明野陸軍飛行學校 H 通信所 北西から (2)(明野)
▲入口部分の近影
 爆風が直接入り込まない様に造られています。

明野には通信を主任務とする部隊として明野陸軍飛行學校通信班、同情報収集班、明野陸軍飛行學校を改編した明野教導飛行師團通信隊陸軍気象部明野観測所が所在しましたが、どの部隊が使用していたか詳細は不明です。

明野陸軍飛行學校 H 通信所 南東から(明野)
▲南東から見た耐弾通信所
 東・南・北側の壁面には電線を出していたと思われる孔があります。

明野陸軍飛行學校 H 通信所 東側の孔(明野)
▲東側壁面の孔
 孔の周囲には金具を固定していた跡らしき痕跡があります。

明野陸軍飛行學校 H 通信所 南側の孔(明野)
▲南側壁面の孔

他の陸軍飛行場同様、昭和19(1944)年7月、南方戦線における戦訓に基づいた陸軍航空本部からの「飛行場の要塞化示達」に則り設定されたと思われますが、詳細は不明です。
三重県戦争資料館によると昭和16(1941)年頃築造された様です。

※耐弾通信所は私有地の水田内にあるため、立ち入りは許可が必要です。
ただ、許可を得ても水田のため農繁期は外周が水浸しか稲の繁茂のため入れませんので、注意が必要です。
明野陸軍飛行學校 H 通信所 北から(明野)
▲夏場に行くとこの様な状態で、到底近付けません。

今回は関係者の方の許可、立会のもと中に入らせて頂きました。
調査の間、外で待っていてくれた関係者の方に、この場を借りてお礼申し上げます。
明野陸軍飛行學校 通信壕(明野)
▲耐弾通信所 内部見取り図

明野陸軍飛行學校 H 通信所内部 入口から(明野)
▲入口から内部
 入口付近は敷きワラ置場になっており入りにくいです。

明野陸軍飛行學校 H 通信所内部 出入口の天井(明野)
▲入口から内部へは4回屈曲(S字)した通路があります。
 通路は隈無くガラクタで埋まっていますが、何とか通過できます。

明野陸軍飛行學校 H 通信所内部 出入口(明野)
▲内部から通路
 奥の出っ張っている部分が入口から続く通路です。

明野陸軍飛行學校 H 通信所内部 南(明野)
▲内部南側
 壁面には板材を張った間柱が遺ります。

明野陸軍飛行學校 H 通信所内部 北(明野)
▲内部北側
 入口が入りにくい状態のため、内部は比較的良好な状態です。

明野陸軍飛行學校 H 通信所内部 北東(明野)
▲内部北東側

明野陸軍飛行學校 H 通信所内部 南の天井(明野)
▲天井部分に遺る梁と桁
 ここまで遺っている施設は珍しいです。

明野陸軍飛行學校 H 通信所内部 南の天井 (2)(明野)
▲天井材の一部が遺り、当時は全面板張りだった事が分かります。

明野陸軍飛行學校 H 通信所内部 北の床(明野)
▲床面に遺る謎の溝
 上掲見取り図の太線で示した複雑な形状の溝があります。
 電線を取廻す為の溝でしょうか?

なお、巷間では同様の施設が明野駐屯地内にも遺っていると言われますが、確認できませんでした。
戦後の米軍空撮では現在のテニスコートの辺りにそれらしい物が写っているのですが、詳細は不明です。
明野陸軍飛行學校 通信所?(明野)
▲昭和23(1948)12月17日の空撮(国土地理院 USA-R2303-57)
 左側が駐屯地内の構造物、右側が現存の耐弾通信所


主要参考文献
『三重の戦争遺跡 増補改訂版』(平成18年8月 つむぎ出版)

-Webサイト-
三重県戦争資料館
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どうもです

パカパカ端末にカード入れ替えで投稿です ほんまスマホにしてからいじる時間が減りました 笑 現明野駐屯地 今も軍跡が色々のこってるんですね(◎o◎)ほんと 時間があればあちこちと見て往時を偲んでみたいですが 現実行けないので貴ブログでバーチャル体験いたしております 監的小屋?てのは 対空射撃や戦闘機などの吹き流し射撃とかの状況を見るものなのでしょうか? 元の仕事柄 監的と言えば地下に潜って的を上げ下げの奴をイメージしてしまいます 笑 明野と言えば中隊旅行で三重方面にいったときに横を通った時にガイドさんが『右手に見えるのが航空自衛隊の明野基地ですぅ』?と言ったもんやから 皆から ありゃ陸自の航空やでーと突っ込んだ思い出があります(^O^)ガイドさんのもってるカンペには たしかに航空自衛隊となってたから困ってました 笑

Re: どうもです

ひろしさん、こんばんは。
スマホにかなり苦戦されている様ですね(^_^;)
多分、しばらくしたら慣れますよ!

拙ブログにて疑似体験して頂きましてありがとうございます!
ただ、写真では良く分からない遺構もあり、特に土製無蓋掩体壕は実際の物を見るとかなり迫力があり、是非現地を訪れて頂きたく思います。

当地の監的所は空中戦教育用、仰る通り吹き流し射撃の状況観測用ですね。

因みに小銃射撃場に付属する「地下に潜って的を上げ下げの奴」、監的濠は各地の射撃場跡にも殆ど遺っておらず、知る限りでは篠山に形状が分かる物、青野原にそれらしい物がある程度では無いでしょうか?

民間の知識は結構そのレベルが多いですね。
プロ相手にその発言はかなり赤っ恥ですね(笑)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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