当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

バンドン地下壕

インドネシア共和国の国都ジャカルタ市から南東に200km、避暑地として知られるバンドン市にあるジュアンダ森林公園内に地下壕があります。
バンドン地下壕-日本壕 ③~⑥壕口(手前から)(インドネシア)
▲岩肌に並ぶ壕口

【探索日時】
平成24年4月14日






遺構について※青字は地図にリンクしています。
(番号・遺構配置は上掲地図参照)
バンドン市は第十六軍のH作戰(蘭印攻略作戦)に際し、蘭印軍が後退し立て籠もったバンドン要塞があり、また昭和16(1941)年5月からは第十六軍が第七方面軍の作戦計画に基づき、バンドンを主抵抗陣地とし築城を開始しています。

地下壕はジュアンダ森林公園内の林道沿いに2ヶ所あり、手前の素掘り壕が「日本壕」、奥のコンクリート(漆喰?)巻立てが施されている壕が「オランダ壕」と呼ばれています。
ただ、よく見ると両方の地下壕は同じ設計思想で築造されている事から、両方とも同じ組織が築造したと思われます。
また片方(日本壕)が未完成な事から、戦争末期に第十六軍が築造中に停戦を迎えたと思われます。

バンドンは獨立混成第二十七旅團司令部(馬淵逸雄少将)が守備、他に第四鐡道輸送司令部、南方第五陸軍病院第一分院、南方軍野戰造兵廠、南方燃料技術研究所が駐留していましたが、どの部隊が使用、設定したかは不明です。
形状から陣地壕では無く、司令部等か物資の集積用と思われます。

両地下壕とも観光地として開放されており、入口で懐中電灯を貸してもらえ、案内係もいてます。
バンドン地下壕(インドネシア)
▲両地下壕の見取り図

A 地下壕
「日本壕」(Goa Jepang)と呼称されています。
内部は未完成で最深部は掘削中の痕跡があります。
案内係の説明は特に史料に裏付けされているとは思えず、結構いい加減な感じです。
バンドン地下壕-日本壕 ①壕口(インドネシア)
▲①壕口
 公園入口方向から最初にある地下壕です。

バンドン地下壕-日本壕 ①壕内(インドネシア)
▲①壕内
 L字型で直ぐに行き止まりになりますが、漆喰で仕上げられています。

バンドン地下壕-日本壕 ②壕口(インドネシア)
▲②壕口
 続いて出てくる壕口ですが、やや高い位置にあり、空気孔と思われます。

バンドン地下壕-日本壕 ②壕口 (3)(インドネシア)
▲②壕内
 高さは1m程度しかありません。

バンドン地下壕-日本壕 ③~⑥壕口(手前から)(インドネシア)
▲③④⑤⑥壕口
 続いて地下壕本体の壕口が並んで現れます。

バンドン地下壕-日本壕 ⑤壕口(インドネシア)
▲⑤壕口
 それぞれ壕口が微妙に異なります。

バンドン地下壕-日本壕 ⑥壕口(インドネシア)
▲⑥壕口
 それぞれ壕口が微妙に異なります。

バンドン地下壕-日本壕 ②-③-2 横坑(インドネシア)
▲主坑はそれぞれ大小の横坑で連結されています。
 こちらは小横坑

バンドン地下壕-日本壕 ⑥ 内部(インドネシア)
▲こちらは大横坑

バンドン地下壕-日本壕 ②-③-2 横坑前から③壕口(インドネシア)
▲②主坑から②壕口

バンドン地下壕-日本壕 ③壕口 右側の開口部(インドネシア)
▲③壕口には国内に地下壕でも良く見る開口部があります。

バンドン地下壕-日本壕 ④奥の開口部(インドネシア)
▲④主坑切羽の掘削跡

バンドン地下壕-日本壕 ⑥‐⑦-3横坑から⑦壕口(インドネシア)
▲⑦坑
 ②坑と同様、空気孔と思われ、壕床よりやや高い位置にあります。

バンドン地下壕-日本壕 B 今村中将居室?(インドネシア)
▲案内係の説明では「今村将軍(第十六軍初代司令官・今村均中将)
 の寝室」との事ですが、良くある2段になった掘削中の坑道です。
 

B 地下壕
「オランダ壕」(Goa Belanda)と呼称されています。
内部は全体にコンクリート(インドネシアの主要建築資材の漆喰か?)巻立てが施されています。
同じく案内係の説明は特に史料に裏付けされているとは思えず、結構いい加減な感じです。
バンドン地下壕(インドネシア)
▲両地下壕の見取り図

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑫壕口(インドネシア)
▲⑫壕口

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑬壕口・⑭壕口(左上)(インドネシア)
▲⑬壕口と⑭壕口(奥上)
 こちらの地下壕も空気孔と思われる細い地下壕があります。

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑫壕口 壕床に線路(インドネシア)
▲⑫壕口を入ると壕床に線路が敷かれた細い主坑があります。

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑮壕口(インドネシア)
▲⑮壕口(⑫壕口の反対側の壕口)

こちらの地下壕は線路が敷かれた中央の壕を中心に両側に串状に扉の付いた(跡)横坑(部屋)が並んでいます。
主坑は全て人が一人通れる程度の広さしか無い事から、地下弾薬庫と思われます。
バンドン地下壕-オランダ壕 ⑪ 内部から壕口(インドネシア)
▲⑪主坑
 かなり細いです。

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑪-⑫-1 横坑の⑪-⑫-2への縦坑(インドネシア)
▲C坑
 こちらもかなり細いです。

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑪-⑫-1 横坑(右は⑪-⑫-2への縦坑)(インドネシア)
▲⑪-⑫間の1本目の横坑(部屋)

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑪-⑫-2 横坑(左は⑪-⑫-1への縦坑)(インドネシア)
▲⑪-⑫間の2本目の横坑(部屋)
 床は全面石板貼りです。

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑪-⑫-2 横坑奥(⑪縦坑)の開口部(インドネシア)
▲⑪-⑫間の2本目の横坑(部屋)の奥にある開口部
 案内係の説明では「教会の鐘置場」との事です・・・???

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑪-⑫-4 横坑 E(インドネシア)
▲E⑪-⑫間の4本目の横坑(部屋)
 部屋前後に鉄製の扉跡が遺ります。
 案内係の説明では「俘虜収容所」との事です・・・???

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑪-⑫-5 横坑(インドネシア)
▲⑪-⑫間の5本目の横坑(部屋)
 各部屋は扉跡が遺り、非常に綺麗な状態です。

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑪‐⑫-5 横坑壕床の突起(インドネシア)
▲⑪-⑫間の5本目の横坑(部屋)壕床に遺る基壇

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑪-⑫-7 横坑 (2)(インドネシア)
▲⑪-⑫間の7本目の横坑(部屋)

バンドン地下壕-オランダ壕 G横坑 内部(インドネシア)
▲G横坑
 掘削中で素彫りのままです。

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑫-⑬-1 横坑(インドネシア)
▲⑫-⑬間の1本目の横坑(部屋)
 この部屋は他の部屋と様相が異なります。

バンドン地下壕-オランダ壕 ⑫-⑬-1 横坑 J配電盤(インドネシア)
▲⑫-⑬間の1本目の横坑(部屋)にあるJ発電設備?
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こんにちは

ご無沙汰をしております。
何時も素晴らしい資料をありがとうございますm(__)m
この前に地震が有りましたが 大丈夫ですか?

管理人のみ閲覧できます

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Re: こんにちは

奥山さま、ご無沙汰しております。
急激に気温が下がり、風邪などめしておられないでしょうか?

お褒め頂き光栄です。
最近、忙しくてなかなか更新ができていません(^_^;)

私の住んでいる地区は地震の影響も無く、全くもんだいありません。
ご心配頂きましてありがとうございます。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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