当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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武藏、発見!?

ネットニュースやNHKのニュースでも報道されている様ですが、武蔵(武藏)が見つかったそうです。
武藏 (3)
▲昭和19(1944)年10月22日、レイテ島に向けブルネイ泊地を出撃する武藏






艦首“菊の紋章”や機雷回避装置…「武蔵」原形で眠る可能性も 「発見した」とMS共同創業者ツイッター 2015.3.3 15:00


 世界最大の戦艦「大和型」の2番艦として建造され、昭和19(1944)年10月にレイテ沖海戦でシブヤン海に沈んだ旧日本海軍の戦艦「武蔵」(全長263メートル、6万9100トン)ついに発見-。見つけたのは米ソフトウエア会社Microsoftの共同創業者ポール・アレン氏で、3日に自身のTwitterで発表した。

70年ぶり、写真に「開」と記されたバルブ…1番艦「大和」は爆沈、バラバラ
 アレン氏によると、武蔵を発見したのは同氏所有の豪華ヨット「オクトパス号」で、深海約1000メートルの地点で発見、艦首の菊の紋章や巨大な錨(いかり)も発見したとしている。アレン氏が公開した写真には、御紋章とみられる木製部品が写っているほか、艦首フェアリーダーやムアリングパイプ(いずれもロープや鎖を通す係船器具)、磁気機雷避けの舷側消磁電路などがみられ、別の写真では「開」などと記されたバルブがはっきりと確認できる。

 武蔵が沈んだレイテ沖海戦は、日本側では「捷一号作戦」と呼ばれる作戦。フィリピン周辺海域で1944年10月23日~25日にかけて日米海軍が激突した。海戦としてはシブヤン海海戦、サマール島沖海戦、スリガオ海峡海戦、エンガノ岬沖海戦の4つの局面からなる。瑞鶴などわずかに残った空母艦隊を囮(おとり)として米空母部隊を引きつけ、その間に戦艦部隊がレイテ湾に突入、米戦艦部隊と輸送船や上陸部隊を攻撃するというものだったが、いわゆる「栗田艦隊の謎の反転」でレイテ湾突入には至らず、空母艦隊は壊滅。戦艦部隊も武蔵が魚雷約20本、爆弾多数を受け沈没するなど損失が多く、この海戦以降、日本海軍は大規模かつ組織的作戦が不可能となった。

 武蔵の沈没地点はこれまでおおよその位置が特定されていたが、発見には至らなかった。同型艦の大和は弾薬庫に引火、爆発して四散した状態で海底に沈んでいるのが確認されている。また米国では空母ヨークタウンがほぼ原形をとどめた姿で沈没しているのが発見され、米ナショナルジオグラフィック誌で特集されたこともある。(産経関西



「武蔵を発見した」とするポール・アレン氏のツイッター
武藏 発見
(訳)私のオクトパス号が昭和19(1944)年に沈没した戦艦武蔵の菊の御紋、
   主錨をシブヤン海の水深1,000mにおいて発見した。


※NHKニュースの画像

武藏といえば言わずと知れた大和型二番艦、三菱重工長崎造船所で建造された我が帝國海軍の誇る戦艦です。

昭和13(1938)年3月29日、起工、昭和15(1940)年11月1日、進水、昭和17(1942)年8月5日、呉海軍工廠において竣工し横須賀鎭守府籍に編入、昭和18(1943)年2月11日、聯合艦隊旗艦に(昭和19年5月4日まで)なります。

昭和19(1944)年10月24日、捷一號作戰においてレイテ島に上陸してきた米軍(D・マッカーサー大将)輸送船団を叩くべく、大和、長門とともに第二艦隊(栗田健男中将)第一遊撃部隊第一部隊第一戰隊(宇垣纏中将)に部署されブルネイ泊地からパラワン水道を抜け、シブヤン海に差し掛かった際に敵艦上機の波状攻撃を受け魚雷20本、爆弾17発、至近弾18発を受け(被害は諸説あり)沈没、艦長・猪口敏平少将以下1,023名が運命をともにしました。
武藏 (2)
▲対空戦闘中の武藏(奥は陽炎型駆逐艦)

武藏
▲護衛の駆逐艦清霜から撮影された武藏最期の写真
 左舷に傾斜し前甲板が大きく沈下しているのがわかります。

武藏が就役した昭和17(1942)年は既に太平洋の戦いは戦艦から空母・航空戦に推移しており、残念ながら武藏に活躍の場は無く、トラック泊地に停泊して動かない様から大和の「大和ホテル」と並び「武藏屋旅館」と揶揄されたりもしますが、その最期は我が国の造艦技術、不沈艦の名に恥じない頑強さぶりを発揮します。
直接の沈没原因は艦首喫水線下に受けた被雷による浸水で、同型の主要設計思想の一つである艦中央の主要防御区画は最後まで破られなかったと言われます。
この事から米軍は後に天一號作戰において沖縄に向かう大和を撃沈するため、「左舷側への攻撃を集中し転覆を計った」との俗説が生まれる程です。

今回、武藏を発見したとする上記のツイッターには上掲の艦首付近に加え、円形のハンドル状の写真掲載されています。
上掲の艦首付近の写真を見ると、木製の菊の御紋は脱落している様ですが痕跡はしっかり残り、特長ある御紋章取り付け板、その両側に見える2連のフェアリーダー(停泊時に艦体を固定する舫い綱を通す穴)、ムアリングパイプの穴(戦艦、空母など大型艦にのみある御紋章直下にある穴)、さらに舷外電路(菊の御紋とムアリングパイプの間ににある帯状の部材、磁気機雷を避ける装置)の大きさからして、武藏に間違いないと思います。

舷外電路に関しては「電路がむき出しだった」と言う説と「カバーが付いていた」と言う2説があった様に思いますが、この写真を見ると後者が正しい様です。

猪口少将以下の英霊を静かに眠らせて欲しいと言う思いもありますが、艦艇史が専門の僕としては謎とされている武藏の最終時の兵装、すなわち両舷に高角砲の代わりに増設された二十五粍三聯装機銃の数(これはほぼ片舷3基で確定)、及びその指揮装置の位置、探照灯の数、噴進砲の有無、機銃にシールドの有無など解明できたらと思います。

いずれにせよ今後の展開が期待されます。
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非公開コメント

お久し振りです。ご無沙汰してます。
ようやく発見されて良かったですね。
合掌

Re: タイトルなし

奥山様、こんばんは。

こちらこそご無沙汰いたしております。
武藏は有名だから探してもらえたので、まだ幸せな方ですね。
この近くには同じ戦艦なら壮絶な最期を遂げた扶桑(生還者なし)、山城(同10名)なども眠っていますが、発見される事は無いでしょう。
取り敢えずは今後の展開に期待です。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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