当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

饗庭野陸軍演習廠舎

滋賀県高島市今津町に饗庭野(あいばの)陸軍演習廠舎がありました。
A 北東から (2)(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲医務室と言われる建物

【探索日時】
平成23年10月9日、25年9月15日






饗庭野陸軍演習廠舎の場所
饗庭野陸軍演習廠舎は饗庭野陸軍演習場の東端にありました。
饗庭野演習場(陸地測量部)着色(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲『大日本帝國陸地測量部39 彦根近傍』
 赤:演習場、紫:演習廠舎

饗庭野 現在(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲現在の自衛隊用地(灰色部分)
 陸軍演習場がそのまま防衛省用地に継承されています。

饗庭野陸軍演習廠舎(遺構配置)(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲饗庭野陸軍演習廠舎の範囲を現在の地図に転写


遺構について※青字は地図にリンクしています。
(番号・遺構配置は各項の地図参照)
① 饗庭野陸軍演習廠舎
明治19(1886)年3月、陸軍省は滋賀県高島郡饗庭村一帯に広がる饗庭野と呼称される台地3,215,575坪を買収、饗庭野陸軍演習場が開設されます(以降、明治41年に渡り逐次民有地を買収し拡張整備)。
明治42(1908)年、演習場東端の今津町大字大供(現、高島市今津町弘川)に大阪府泉北郡濱寺(現、大阪府堺市西区浜寺公園)にあった旧俘虜収容所予備病院の建物を移築し、饗庭野陸軍演習廠舎(建物24棟、13,921坪)が建設されます。
明治43(1909)年、前年に竣工した演習廠舎の南側に廠舎、厩舎など38棟(25,333坪)が建設されます。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、食糧増産のため旧演習場に入植者が移住しますが、昭和21(1946)年3月16日、饗庭野陸軍演習場は米軍により接収され野砲射撃訓練場として使用されます(昭和32(1957)年12月9日返還)。

昭和27(1952)年10月15日、警察予備隊は保安隊に改編、23日、保安隊今津特別訓練隊が新設され旧演習廠舎に駐屯、昭和29(1954)年7月1日、保安隊は自衛隊に改編、陸上自衛隊・第3特車大隊が創設、12月、第一営舎(現、今津駐屯地、旧演習廠舎は第二営舎と呼称)の完成に伴い移転、昭和30(1935)年11月、旧演習廠舎南側は防衛庁(現、防衛省)から今津町に払い下げられ、公営住宅「天神住宅」が建設されます。

昭和37(1962)年1月18日、第3対戦車隊が新編され第二営舎に駐屯します。
昭和40(1965)年、第3特科連隊(姫路)から第5大隊が第二営舎に移駐、昭和42(1967)年4月、第二営舎が整備されます。
平成6(1994)年3月、第3対戦車隊は廃止、平成18(2006)年3月27日、第3特科連隊が第3特科隊へ縮小改編され、第5大隊は廃止、第2営舎は饗庭野演習場・今津廠舎に用途変更され現在に至ります。

A 医務室
天神住宅内に遺る唯一の建物です。
地元の方の話では医務室だったとの事です。
集会所に使用されていた様ですが、現在使用されておらず放置状態です。
A 北東から (2)(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲北東から

A 北西から(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲北西から

A 南側の国旗掲揚台(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲医務室の南側にある国旗掲揚台
 当時の物か不明です。

B 建物
陸上自衛隊・饗庭野演習場 今津廠舎内にあります。
古い建物の様ですが、詳細は不明です。
B 南西から(饗庭野陸軍演習廠舎)

C 建物
同じく今津廠舎内にあります。
古い建物の様ですが、詳細は不明です。
C 北西から(饗庭野陸軍演習廠舎)

Cの東側に木造の建物(廠舎)4棟がありますが、こちらの「ぶらり重兵衛の歴史探訪」様によると“現存遺構は北側の1棟(解体済み)のみ”となっています。
ただ、こちらの「MANAZOUの近代建築・看板建築・レトロ探訪」様に近影が掲載されており、これを見る限り当時の建物の様に思います。
陸自の廠舎「(戦後)(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲今津廠舎内にある木造建物

演習廠舎(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲饗庭野陸軍演習廠舎の古写真
 良く似ている様ですが・・・?

ちなみに国土変遷アーカイブの昭和22(1947)年11月3日の空撮にはCとともに該当4棟も写っています。
饗庭野陸軍演習場(国遷アーカイブ)(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲USA-M628-2-296から切り出し

ア 陸 14
今津廠舎外周に境界石標が数本遺ります。
上部に「陸」、その下にアラビア数字の番号が刻字されています。
ア「陸」14(饗庭野陸軍演習廠舎)

イ 陸 13
イ「陸」13(饗庭野陸軍演習廠舎)

ウ 
「陸」の下に数字が無い様に見えます。
本来の演習廠舎の門はこの境界石標の辺りにありました。
ウ「陸」(饗庭野陸軍演習廠舎)

エ 陸 5
エ「陸」5(饗庭野陸軍演習廠舎)

オ ?境?
民家と道路の境にあります。
上部は折損、下部は埋まっており詳細は不明ですが、(陸)境でしょうか?
オ「?堺」(饗庭野陸軍演習廠舎)


② 饗庭野陸軍演習場
明治19(1886)年3月、陸軍省は滋賀県高島郡饗庭村一帯に広がる饗庭野と呼称される台地約3,000,000坪を射的演習御用地として中井弘・滋賀県令に買収の意向を伝えます。
明治22(1889)年6月11日、陸軍省は饗庭野3,276,661坪を買収、饗庭野陸軍演習場が開設され第四師團(大阪)管下とします。
明治41年(1908)年、周辺民有地4,235,000坪を買収し、演習場を拡張整備していきます(買収面積、時期は資料によってバラつきがあり詳細は不明)。
明治42(1908)年、饗庭野陸軍演習廠舎に廠舎、厩舎など24棟、明治43(1909)年、さらに38棟が建設されます。
廠舎建設以前は演習に訪れた部隊は付近の民家に分散宿営していました。
明治43(1910)年、『陸軍演習場規則』公布に伴い第四師團から第十六師團(京都)に移管され、京都、伏見、奈良、大津、敦賀の歩兵部隊、大阪、深山、由良、舞鶴、金沢の砲兵部隊が演習に利用します。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、9月18日、食糧増産のため政府は『軍用地開梱甲種食料増産隊動員』、11月9日、『緊急開拓事業実施要項』は公布、11月30日、演習場は陸軍省から大蔵省(現、財務省)に移管され、入植者が移住しますが、昭和21(1946)3月16日、旧饗庭野陸軍演習場は米軍により接収され野砲初撃訓練場として使用されます(昭和32(1957)年12月9日返還、陸上自衛隊・饗庭野演習場開設)。

昭和29(1954)年5月、演習場東端に新営舎の建設が開始され、7月1日、自衛隊が発足、旧演習廠舎に陸上自衛隊・第3特車大隊が駐屯します。
12月、第3特車大隊は第一営舎(現、今津駐屯地、旧演習廠舎は第二営舎と呼称)の完成に伴い移転、昭和37(1962)年1月18日、第3対戦車隊が新編され第二営舎に駐屯、第3特車大隊は第3戦車大隊に改称、今津駐屯地に第10、第13戦車大隊(昭和40年、日本原に移駐)が新設され駐屯します。
昭和47(1972)年12月、演習場南東端に航空自衛隊・饗庭野分屯基地が完成、昭和49(1947)年3月23日、第12高射隊が新編されます。
昭和61(1986)年10月31日、饗庭野演習場は日米共同使用地域に編入され、11月24日、第1回日米合同演習が実施されるなど、現在に至るまで我が国の安全保障のため重要な施設となっています。

あ 忠魂碑
大正9年10月に建設され、演習場内にありました。
あ 忠魂碑(饗庭野陸軍演習廠舎)

あ 忠魂碑 遺影(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲忠魂碑の横には国難に殉じた英霊の御遺影が掲載され、英霊を偲べる様になっています。

外周を回れば境界石標があると思いますが、過酷過ぎるので残念ながら回っていません。

「MANAZOUの近代建築・看板建築・レトロ探訪」様によると、演習場内には監的壕と思われる遺構も遺っている様ですが、残念ながら入れません。

また、国遷アーカイブの昭和22(1947)年11月3日の空撮には滑走路が写っていますが、詳細は不明です。
饗庭野陸軍演習場(国遷アーカイブ)(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲USA-M628-2-296から切り出し


主要参考文献
高島郡誌』(昭和2年 滋賀縣高島郡教育會)

『饗庭野』(平成19年3月 中島峰夫)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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