当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍造兵廠枚方製造所 枚方陸軍官舎/霧島寮

大阪府枚方市に所在した大阪陸軍造兵廠枚方製造所の周辺には所員・工員の陸軍官舎工員寮がありました。
④枚方官舎 I 南東から(大阪)
▲枚方製造所北側に遺る枚方陸軍官舎

【探索日時】平成27(2015)年1月20日





枚方市周辺の軍事施設配置
大造枚方製造所 枚方・交野全図(大阪)
▲昭和20(1945)年頃の枚方市周辺
※緑文字が当記事の紹介施設
①大阪陸軍造兵廠 枚方製造所
②大阪陸軍兵器補給廠 枚方分廠
③大阪陸軍造兵廠 枚方製造所 天之川工場
枚方陸軍官舎
大阪陸軍造兵廠 枚方製造所 養生校(技能養成校)
 〃         霧島寮(工員寮)
 〃         敷島寮( 〃 )
⑧大阪陸軍兵器補給廠 枚方分廠官舎
 〃         保健寮(工員保養所)
⑩高射砲陣地
⑪  〃
⑫軍用側線
⑬以下は別ページで紹介します


大阪陸軍造兵廠 枚方製造所 官舎・工員寮の概要
昭和13(1938)年1月、陸軍造兵廠大阪工廠(昭和15年4月1日、大阪陸軍造兵廠と改称)の開設に伴い枚方町(現、枚方市)の人口は急増、陸軍省の要求を受けた枚方町は7月25日、殿山に独身工員専用の軍需労務要員共同寄宿舎を建設します。
戦争の長期化に伴い、その後も工員は増加、陸軍省も周辺に工員寮を建設、枚方町も工員向け住宅を建設するとともに、住宅斡旋所を新設し遊休施設、提供された個人住宅の遊休部屋、離れ等の斡旋を開始します。

大東亜戦争停戦後の昭和20(1945)年8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により官舎・寮は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。
10月27日、枚方市は大蔵省に移管された陸軍省所轄の官舎、工員寮を戦災者、引揚者の住宅に充てるべく払下げを申請、昭和21(1946)年3月26日、使用が許可され入居が開始されます。
現在官舎、寮は全て払い下げられ一般住宅、一部は公園などになっています。


遺構について※青字は地図にリンクしています。
④ 枚方陸軍官舎
資料には記載がありませんが、米軍空撮に「らしい」建物群が写っていたので現地で取材したところ、現在の住人から「官舎だった」との証言を得ました。

現在は全て一般住宅に転用されています。
④枚方官舎(大阪)
▲現存する官舎建物(オレンジ色部分)

④枚方官舎 A 南西から(大阪)
▲A 南西から
 元々8戸1棟の長屋建てでしたが、中央の2戸連棟が遺ります。

④枚方官舎 B 北東から(大阪)
▲B 北東から
 両側の2戸以外が遺りますが、改築により外観がかなり新しくなっています。

④枚方官舎 C・E・F(奥から) 北東から(大阪)
▲奥から C・E・F
 各棟の一番北側の部分だけが遺り、当時の雰囲気を醸し出しています。

④枚方官舎 D 南西から(大阪)
▲D 南西から
 官舎地区特有の狭い道路のため、全体が見通せません。

④枚方官舎 G 南西から(大阪)
▲G 南西から
 この棟は両側が全て建て替えられ、1戸だけ遺っています。

④枚方官舎 H 北東から(大阪)
▲H 北東から
 この棟は全て2階が増築されています。

④枚方官舎 I 北東から(大阪)
▲I 北東から
 ブログトップ写真の反対側からの撮影です。
 外観は改装されていますが、最も当時の面影を残す一画です。

④枚方官舎 J 南東から(大阪)
▲ J 南東から
 官舎はさすが軍主導で建設されただけあり、躯体がしっかりしている様で、現在も現役です。

④枚方官舎 K 北西から(大阪)
▲ K 北西から
 長屋建ての様子が良く分かります。

④枚方官舎 L 南西から(大阪)
▲当官舎は全て連棟の長屋建てである事から下級将校以下の職員住宅と思われます。
 枚方製造所長(大佐)は他の場所に庭付きの官舎があったと思われますが、詳細は不明です。

④枚方官舎 M 北から(大阪)
▲M 北から
 当時の面影が最も残るであろう1棟(2戸)

④枚方官舎 a 境界石標?(大阪)
▲ a 境界石標?
 官舎地区の入口付近にありますが、完全に埋没しており詳細は不明です。

④枚方官舎 b 境界石標?(大阪)
▲ b 境界石標?
 同じく埋没しており詳細は不明です。


⑤ 養生校
工員養成学校です。
成立年月日は不明ですが大東亜戦争停戦後、、昭和21(1946)年4月、寄宿舎が大阪大学工学部枚方学舎の寮に、昭和22(1947)年3月、講堂が枚方町立中学校(現、市立第一中学)に転用されます。

現在、講堂のあった場所が枚方市立第一中学校に、寄宿舎のあった場所が住宅地になっており、遺構は何も遺されていません


⑥ 霧島寮
工員用の住宅です。
成立年月日は不明です。

現在、一般住宅に転用されています。
⑥霧島寮(大阪)
▲現存する官舎建物(オレンジ色部分)

⑥霧島寮 霧島寮 西から(大阪)
▲霧島寮全景

⑥霧島寮 A 西から(大阪)
▲A 西から
 霧島寮は7戸1棟でそれぞれの棟の端に直角に4戸1棟の住居(AとF)、逆側の端に大型の建屋(現在はそれぞれ2戸分の敷地の民家)が附属していた様です。

⑥霧島寮 B・C 南西から(大阪)
▲B(手前)・C(奥) 南西から
 
⑥霧島寮 C 南西から(大阪)
▲C 南西から

⑥霧島寮 E・D 北東から(大阪)
▲E(トラックの奥側)・D(若干背の高い倉庫を挟んだ奥) 北東から

⑥霧島寮 F 東から(大阪)
▲F 東から
 長屋建てに直角に並ぶ4戸1棟の建物


⑦ 敷島寮
工員用の住宅です。
成立年月日は不明です。
大東亜戦争停戦後の昭和21(1946)年3月26日、保健寮とともに最初に枚方町に払い下げられます。

現在は解体され公園になり、遺構は何も遺されていません


⑨ 保健寮
元々は精神病院「京阪病院」でしたが、昭和18(1943)年7月25日、厚生省により買収され、産業戰士保健寮に転用されます。
保健寮では過労の工員を短期収容し、保養に当たらせました。
大東亜戦争停戦後の昭和21(1946)年3月26日、敷島寮とともに最初に枚方町に払い下げられます。

現在は一般住宅を経て解体、跡地は走谷保育所になり、遺構は何も遺されていません


その他
昭和18(1943)年12月20日、元和年間から続く温泉旅館「鍵屋」が工員寮に転用されます。

昭和17(1942)年10月、陸軍省は津田町長尾(現、枚方市藤阪東町)に工員病院「大阪第一陸軍共済病院」の建設を開始、昭和18(1943)年12月、施設が8割程完成し開院します。
昭和22(1947)年4月、政府職員共済組合聯合會「長尾病院」に改組、現在は国家公務員共済組合連合会「枚方公済病院」になっています。
数年前まで汽罐場等数棟の建物が遺っていた様ですが、現在は全て破壊されてしまいました。
境界石標等が遺っているかも知れませんが、未踏査のため詳細は不明です。


主要参考文献
『枚方市史 第4巻』 (昭和55年 枚方市史編纂委員会)

『USA-M34-3-15』(国土地理院)
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No Title

はじめまして 私は枚方市中宮に住むものです 何気なく長屋があるのはしってましたが
陸軍の官舎とはしりませんでした。びっくりです
中宮東の町 都が丘にも古い長屋がまだたくさんありますが 写真をみているかぎりよく似ています。もしかして官舎だったものでしょうかね?

Re: No Title

中宮住民様、はじめましてこんばんは。

渚栄町の官舎については現地での取材だけが頼りで、全工員寮の地図が載っている『枚方市史』を始め各種資料にも記載が無く資料的な裏付けが無いのが痛いところです。

中宮東之町、枚方市都丘一帯の画一化された長屋群も国遷アーカイブ(戦後の米軍空撮)で「怪しい」と思い、枚方市にも問い合わせたのですが、明確な回答が無く不明です。
個人的には枚方市が主導で建設した工員向け住宅か禁野火薬庫爆発後に建てられた復興住宅では無いかなと思っています。
ここは今後の調査対象です。

No Title

お返事ありがとうございます わたしもウオーキングしながら 当時の遺構がないかさがしたりしていますが なかなかないですね
そうじゃないかなというふるいコンクリートのようなものはありますがどうだかというかんじです
いま 禁や合同宿舎が解体されておりいず
れ発掘調査が行われ一般にも開放されるでしょうね その時におそらく禁や火薬庫の遺構も出ると思います
すでに土塁は調査されかなり貴重なものらしいです

Re: No Title

中宮住民様、こんにちは。

こちらこそありがとうございます!
枚方市は大きな軍施設が3箇所ありましたが、史料が乏しいうえ開発が著しいので調べるのが大変です。
確かに「何となくそれっぽい」は多いですね(笑)
それが確実に「そうだ!」と言う確証が得られないのが歯がゆいです。

今冬、禁野に再度行ってみたのですが合同宿舎周辺は閉鎖されていたので、いずれ解体されるのかなと思っていたのですが、いよいよ解体されだしましたか。
ぜひ、前回の発掘調査の様な大規模な調査、及び現地説明会でも開いて欲しいです。

管理人のみ閲覧できます

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Re: No Title

中宮住民様
情報有り難うございます。

No Title

すいません あやまってなんでか非表示になってしまいました。広報ひらかたに載っていたものを記しただけです。

追記としまして もうご存知かもしれませんが
ひらかた文化財だより 103号に土塁の調査報告みたいなものがあります。ぜひ検索してみてください。では

Re: No Title

中宮住民様
こちらこそ、何か不都合な情報が含まれているのかなと思い、そっけない御礼になってしまいすみません。

『広報ひらかた』、『ひらかた文化財だより 103号』ともに初めて知りましたので、ありがたいです。
18日はぜひ行ってみたいと思います。

広報誌の記載では詳細が分からないので、現場で確認、質問してみたいと思います。
余り認知されていない様なので、ゆっくり見れそうですね。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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