当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

祝!松江城、国宝に指定!

現在我が国に存在する城郭のうち、江戸期までに築城された天守が遺る「現存12天守」のうち、松江城が4番目の国宝として指定される運びとなりました!
松江城  天守
▲松江城  天守






僕は現存12天守の中で松江城が最も好きな城です。
野面積みの石垣、均整の取れた下見板張りの望楼型天守、連郭式の曲輪など織豊期城郭の特徴を良く備え、古風な雰囲気がいかにも城郭らしいのが好きな理由です。
松江城  北惣門付近の石垣
▲北惣門付近の石垣

松江城  天守 (4)
▲天守

戦前は国宝の指定を受けていましたが、戦後に制定された文化財保護法により国宝から重要文化財に格下げされてしまいました。

松江城はかねてから官民一帯で国宝指定の推進運動を展開していましたが、建設時期が不明瞭と言うことで国宝指定には至っていませんでした。
松江城は慶長16(1611)年、仏の茂助こと豊臣三中老の一人・堀尾吉晴により築城された、と言われますが、それを裏付ける祈祷札が紛失していました。
しかし、この度建設時期を示した祈祷札が見つかり、裏付けが取れた事で念願の国宝指定になりました。
松江城天守の国宝指定答申の決め手となった2枚の祈祷札
▲松江城天守の国宝指定答申の決め手となった2枚の祈祷札(産経新聞より)

松江城ファンの一人として非常に嬉しい事です!

ただ、有名になると観光客が大量に押し寄せ、竹田城や姫路城の様にならないか心配でもあります。
反面、多くのお金が落ちれば整備も進み、明治以降に破却された櫓や門の復元が進む可能性もあります。


あのゆったりした古城の雰囲気、程よく賑わっている周辺の観光施設の空気も好きなのですが、どうなるやらです。
松江城  南櫓(左)・中櫓
▲復元された南櫓(左)・中櫓

松江城  太鼓櫓
▲復元された太鼓櫓

松江城“執念”の軌跡 国宝再指定を決めた「祈祷札」の発見 “格下げ”から65年、ついに悲願達成 2015.6.17 07:00



 松江市のシンボル「松江城天守」が国宝に指定されることになった。昭和25年の文化財保護法施行で国宝から重要文化財に“格下げ”されてから実に65年…。江戸時代初めに完成したことを証明する祈祷札の発見が決め手になり、国の文化審議会が文部科学相に改めて国宝に指定するよう答申した。長年の悲願が達成された瞬間、溝口善兵衛・島根県知事と松浦正敬・松江市長ら市民約250人が天守前に集まり喜びを分かち合った。市民らによる署名活動など官民が一体になって運動を繰り広げた紆余曲折の道のりを振り返った。(福本剛)

数奇な運命たどり、高いハードルが待ち構え

 「60年余りのときを経て、国宝になることが大変うれしい。いろんな思いが結実し、今日に至った。悲願が達成された」

 5月15日夕、雄大な松江城天守を背景に開かれた国宝指定答申の報告会で、松浦市長は顔を紅潮させながらこう語った。

 松浦市長が感慨に浸るのも無理はない。

 松江城は昭和10年、国宝保存法により国宝に指定された。しかし、戦後の同25年の文化財保護法施行で国宝指定の基準が変わり、判然としない歴史的事実が多いなどとして松江城は重要文化財にとどまった。以来、松江市は何度も国に国宝指定の陳情を行ってきた。

 松江市議会も国宝指定促進の決議を採択。遅々として進まない状況に市民らも立ち上がり、平成21年に「松江城を国宝にする市民の会」を設立。翌22年には文化庁に約12万8千人分もの署名を提出した。

 数奇な運命をたどってきた松江城の国宝指定は、まさに官民一体となった悲願だった。藤岡大拙・市民の会会長(82)は「結果的に、市民らの熱意がボディーブローのように効いてきた」と振り返る。

 だが、それだけの署名を集めても、国宝指定を受けるハードルは非常に高かった。というのも、文化庁に署名簿を提出した際、「今後は新しい知見の発見に努めてください」と伝えられたからだ。

 「新しい知見は、いつ発見できるか分からない。『道は遠い』というのが正直な思いで、国宝指定は難しいと思っていた」と藤岡さんは話す。

懸賞金かけて“お宝探し”も新たな難問が…

 一方、市側も重文から国宝に引き上げるためには新しい知見が必要だということは認識していた。22年には市の組織に「松江城国宝化推進室」を立ち上げ、専門家らによる松江城調査研究委員会で松江城の価値についての調査、分析を進めた。

 中でも、市がよりどころとしたのが、昭和12年の調査では存在したと記録に残っている松江城天守創建に関わる2枚の祈祷札。天守が完成したと伝わる「慶長16(1611)年」を裏付ける文言が書かれてあったというが、行方不明になっていた。そこで、市は平成23年4月、市民の協力を得るために懸賞金500万円を掲げて情報提供を呼びかけた。

 翌24年5月に、その“執念”がついに実った。市史料編纂室の職員が、松江城近くの松江神社で調査していたところ、「慶長十六」などと墨書きされた2枚の棟札を発見した。神社は明治時代の創建で、棟札は明らかに時代が異なっている。市が探し求めていた祈祷札かもしれないとの期待が膨らんだが、札には肝心の松江城を表す文言は確認できなかった。

 卜部吉博・市松江城国宝化推進室長は「松江神社で発見された祈祷札が、松江城のものであることを証明しなければならない。(札のあった場所を見つけるため)実際に城の柱一本一本に当てはめる作業が必要になる。気が遠くなるようだった」と新たな難問にぶつかったときの心境を明かす。

“国宝効果”てきめん、観光客急増

 くぎ穴やしみの跡などを調べながら柱に祈祷札を当てはめる作業に乗りだしたが、意外に早く問題は解決した。

 地階で目についた1本目の天守の柱に祈祷札を合わせてみると、ピタリとはまった。続いて、ちょうど向かい側に位置する同じ規模くらいの柱で、2枚目の札が一致することが確認された。「松江城のものに間違いない」と卜部さんらは確信した。

 この結果、松江城天守が完成したのは「慶長16年」と確定し、同時に文化庁が求める新知見の発見という条件もクリア。市民らの悲願だった国宝指定への道が開けた。

 松江城調査研究委員会はさらに調査を進め、城の構造で2階分の通し柱を多用し、島根県安来市にあった富田城の部材を一部使用していることなども突き止めた。中世から近世に向かう城の特徴を立証し、松江城の歴史的価値をさらに高めた。

こうした官民一体の取り組みで成し遂げた松江城の国宝指定。“国宝効果”はてきめんで、答申後初の週末となった5月16と17の両日で前週の約1・8倍の3665人が訪れた(松江城山公園管理事務所調べ)。また、松江城を紹介するホームページも、答申当日の15日だけで通常の10倍超ものアクセスが集まった。

 島根県では、出雲大社(出雲市)の約60年に一度という遷宮のクライマックス「本殿遷座祭」が25年5月に終わり、観光効果が徐々に落ち着いている。

 鷦鷯(ささき)修一・松江観光協会会長(85)は「遷宮が一段落したときに、今回のめでたい話。城の美しさは変わらないが、『国宝』のインパクトは相当なもの」と期待を込める。

 城周辺を巡る遊覧船の屋根には「祝 松江城国宝へ」の横断幕が掲げられるなど、祝福ムードが広がるなか、松江城の新しい歴史が始まろうとしている。(産経関西

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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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