当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

伏見城(指月城)発掘調査 現地説明会

報道されていたのでご存知の方も多いと思いますが、先日出土した伏見城(指月城)の遺構の現地説明会に行って来ました。
指月 伏見城 石垣・堀(現地説明会)
▲出土した石垣・堀(奥)を前に現地説明会






伏見城といえば慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦の前哨戦で東軍の鳥居元忠が籠城、西軍に攻撃され落城した城が有名ですが、この時落城した伏見城は所謂「小幡山伏見城」と言われる2基目の城郭です。

伏見城は現在まで3基築城(最初期の隠居屋敷、遊園地も含めると5基)されています。
天正19(1591)年、豊臣秀吉は甥の秀次に関白の位と聚楽第を譲り、文禄元(1592)年、月見の地として有名だった指月に隠居屋敷の築造を開始します。

文禄2(1593)年、嫡子・秀頼が産まれ、大坂城を与える事にしたため、指月の隠居屋敷を城郭として大幅に改修、文禄4(1595)年、完成(所謂「指月伏見城」)しますが、文禄5(1596)年、慶長伏見地震により倒壊してしまいます。

文禄5(1596)年、倒壊した伏見城は破却され、北側にある小幡山に新たな伏見城(所謂「小幡山伏見城」)が築城されます。
その後、関ヶ原の合戦で伏見城は焼失、徳川家康により再興されますが、元和5(1619)年、廃城となり主要な建物は他の城郭に移築されます。

近代になり小幡山城は生前、この地がお気に入りだった明治天皇の桃山御陵に、指月城は工兵第十六聯隊の練兵場を経て団地になり現在に至っています。
伏見城 模擬天守
▲小幡山伏見城の花畑跡に建設された伏見城 模擬天守(遊園地キャッスルランドの施設)

今回出土した城郭遺構は文禄5(1596)年の慶長伏見地震により倒壊した伏見城で、所謂「指月伏見城」と言われる物です。

指月伏見城に関しては詳細な史料が無いため、凡その位置以外、その存在を含め、規模など長らく城郭ファンの間で論争となっていました。
今回遺構が発見された事により城郭としての存在が確定したと言えるのでは無いでしょうか。

実は現地には過去に近代の軍事遺構探索に訪れた事があり、今回の発見の報に接し地形を考えると北側に宇治川とそれに続く急峻な崖を擁し、天然の要害の様相を呈しており城郭を築くには適地と思いました。
つ陸軍省所轄地 南から (2)
▲北側斜面にある陸軍省所轄地の境界石標

出土遺構が指月伏見城のものと推定される根拠は担当者によると
①石垣の様式(種類、大きさ、組み方、仕上がりの様相)が同時期の秀吉城郭である聚楽第と共通し、且つ大坂城の石垣と類似している。
すなわち、自然石が多く、割石(石垣の間の隙間を埋める小石)が少ない。

指月 伏見城 石垣・堀 (4)(現地説明会)
▲出土した石垣

大坂城 現地説明会豊臣期石垣(説明板より)
▲【参考】大坂城の石垣

②出土した瓦に天下人の象徴たる菊の御紋、桐紋などの金箔瓦があり、且つ小幡山伏見城の出土瓦に比べ様相が古い。
また、土器片等が16世紀末の物である。
瓦類が大量に堀に投棄=堀に急速に埋められた痕跡がある。

指月 伏見城 出土品 (2)(現地説明会)
▲菊の御紋や金箔押しの瓦を含む出土品

指月 伏見城 石垣・堀 (2)(現地説明会)
▲急速に埋められた際の様相を示す石垣(脚立左側)

等が挙げられる様です。

現地説明会ですが、昨日の朝刊で知り、13:30~15:30の予定で実施されるとの事で行って来ました。
城郭関連の現説は何度か行った事があり、ある程度混雑するのは分かっていたので、40分前に着くように出発しました。
最寄り駅の京阪観月橋駅を降りると同じ様な香りのする人達がゾロゾロ・・・
これは嫌な予感がするので足早に進むと(゜Д゜;)
開始の40分前にも拘らず既に開場され第1班は入場し入場制限がかかっています。
会場に入れない方の行列も200名程で、最後尾に並びましたが、その後も増え続け第1班が終わる頃には500人程の列ができていました!
運良く第2班で入ることができ、出土状況を記した掲示板を見て、堀の部分から出土し並べられている石垣の石材を見て、いよいよ遺構の見学です。
指月 伏見城 言説掲示(現地説明会)
▲今回の発掘箇所(上)と発掘箇所断面(下)

指月 伏見城 資料(現地説明会)
▲配布資料(クリックで拡大)

指月 伏見城 資料 (2)(現地説明会)
▲配布資料(クリックで拡大)

指月 伏見城 資料 (3)(現地説明会)
▲配布資料(クリックで拡大)

指月 伏見城 資料 (4)(現地説明会)
▲配布資料(クリックで拡大)

指月 伏見城 出土石垣(現地説明会)
▲堀跡から出土した破却された石垣石材

当時の路盤は現在の地表から1.5m程掘り下げたところにあり、石垣は上段が破却されているものの下段の2段程が遺っています。
指月 伏見城 現説(現地説明会)
▲人が立っている場所が当時の路盤

石垣の際には犬走(幅50cm程の通路)があり、その前に幅5~7mの堀があります。
堀は発掘途中の様で深さは2m程、薬研堀(断面が逆三角形)の形状を呈していますが、実際は3m程ある様です。
指月 伏見城 石垣・堀 (3)(現地説明会)
▲左側から石垣、犬走、堀

指月 伏見城 石垣・堀 (6)(現地説明会)
▲反対側から

指月 伏見城 石垣・堀 (5)(現地説明会)
▲正面から見た遺構

気になる出土場所が城郭のどの部分に当たるかですが、説明によると「本丸石垣と、その周囲にあった堀(内堀)では無いか」との事です。
残念ながら今回の発掘だけでは全体の規模は分からないのが残念です。
指月 伏見城 出土品(現地説明会)
▲出土した遺物

最後に出土した金箔瓦、土器類を見学し、係の方に2、3質問をして会場を出ました。

現地説明会のニュース(MBS放送)

歴史的な発見を目の当たりにして非常に興奮しました!
歴史の瞬間に立ち会え、城郭ファンとして感激です!

さて、この城郭ファンにとってはS級の遺構の今後ですが、発掘場所は民間マンションの建設予定地ですが、施主の方が理解の有る方の様で、全部は無理でも一部を遺す方向で話が進んでいるそうです!
なんてありがたい話なんだ!!!
秀吉は生涯に数々の城郭を築城していますが、その全部が遺されておらず、遺構すら僅かです。
城郭史上、いや日本史上にとっても大きな発見であり遺構である指月伏見城の遺構は末永く遺していって欲しいと思います。
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カテゴリ
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
カウンター
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。


●Facebookやってますので本名ご存知の方はぜひ。
目印は水木しげる先生風の自画像です(笑)

検索フォーム
リンク
地図・史資料
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
ライオンズニュース
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる