当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

徳島陸軍墓地

日本のさくら名所100選に選ばれた徳島市の西部公園は徳島陸軍墓地にあります。
徳島陸軍墓地 A 忠霊塔 (2)(徳島)
▲忠霊塔

【探索日時】
平成22年2月25日、平成25年3月26日

【更新情報】
平成27年6月28日:大幅改訂(遺構追加、地図訂正、加筆訂正)






徳島陸軍墓地周辺の陸軍施設配置
歩兵第四十三聯隊 陸地測量部 大正9(徳島)
▲大正9年頃の地図(大正9測図 大日本帝國陸地測量部)

歩兵第四十三聯隊 国土地理院 NI-53-21-8 22108(徳島)
▲昭和22(1947)年1月8日の徳島市周辺の空撮(国土地理院 NI-53-21-8)
 ※空撮は加工しています。

歩兵第四十三聯隊 歩四十三(徳島)
▲現在の地図に施設を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
①歩兵第四十三聯隊 兵営
②徳島陸軍病院
③歩兵第二十二旅團司令部
④徳島陸軍練兵場
⑤徳島陸軍射撃場
⑥徳島憲兵分隊
⑦徳島聯隊區司令部
⑧徳島陸軍歩兵作業場
徳島陸軍墓地
※名称については一般的な昭和13(1938)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
(アルファベット・カタカナ等は上掲地図参照)
⑨ 徳島陸軍墓地
明治41(1908)年10月、歩兵第六十二聯隊兵営の設置に伴い、徳島陸軍埋葬地として開設されます。
昭和13(1938)年5月5日、『陸軍墓地規則』により徳島陸軍埋葬地は徳島陸軍墓地と改称されます。
しかし敷地は狭隘で参道も急峻だったため参拝が困難だったため、昭和14(1939)年5月、徳島聯隊區司令官・森本弉太郎大佐と清水良策徳島県知事は県民に改修を呼びかけ、8月1日、有志により徳島縣忠靈顯彰會(清水良策会長)が結成されます。

顯彰會は県内外に多くの賛同者を得て、12月13日、地鎮祭が斎行され、延べ172,000名の勤労奉仕により墓碑の整理、道場の新築、参道の整備、植樹献納等が実施され、昭和17(1942)年5月30日、忠霊塔が建立、8月8日、15,804坪の霊域が完成します。
徳島陸軍墓地(徳島)
▲竣工時の徳島陸軍墓地と忠霊塔

徳島陸軍墓地 参道(徳島)
▲現在の徳島陸軍墓地

昭和20(1945)年8月16日、停戦に伴い、米軍により破壊が指示されますが、墓守の方が「民間人が管理している」と交渉し、存続が決定しました。

昭和27(1952)年4月1日、徳島市が国から無償で貸与され、斎庭を公園として利用しています。
昭和46(1971)年、徳島市加茂名軍恩会を中心に徳島県忠霊塔守ろう会が結成され、毎年春と8月15日に祭礼を実施しています。

A 忠靈塔
昭和17(1942)年5月30日、建立されました。
斎庭から約20m上にあり、高さ12.34m、全面石張りです。
徳島陸軍墓地 A 忠霊塔(徳島)

忠霊塔に上がる階段の両側には4段の削平地があります。
恐らく改修前はこの段と忠霊塔のある頂上に上から将校、下士官、兵の順に個人墓標が並んでいたと思われます。
下から1段目
徳島陸軍墓地 1段目 西側(徳島)

同2段目
徳島陸軍墓地 2段目 西側(徳島)

同3段目
徳島陸軍墓地 3段目 東側(徳島)

同4段目
徳島陸軍墓地 4段目(徳島)


オ 陸軍墓地 参道標
上部は欠損して「地」の下しか読めませんが、上部は「陸軍墓地」と思われます。
徳島陸軍墓地 オ (陸)軍墓地入口(徳島)

徳島陸軍墓地 陸軍墓地入口(徳島)
▲参道入口
 この階段を登るのはかなりキツイです。


カ 忠靈顯彰記念碑
駐車場の隅にあります。
昭和17(1942)年8月8日、徳島陸軍墓地の改修を記念し建立されました。
徳島陸軍墓地 カ 忠霊顕彰記念碑(徳島)
▲陸軍墓地改修の経緯が刻字されています。


キ ドイツ軍俘虜の墓
忠霊塔の麓にあります。
第一次大戦時の青島攻略(大正3年10月31日~11月7日)の際、我が国の俘虜として徳島に移送され、徳島衛戍病院で没した2名の墓所で、昭和17(1942)年8月、陸軍墓地改修に伴い日独同盟の象徴として改葬されました。
戦後、改修されましたが、敷かれたタイルが非常に滑りやすく雨の日は要注意です。
徳島陸軍墓地 キ ドイツ兵 墓(徳島)


斎庭には各種団体の献木、献納品が点在しています。
徳島陸軍墓地 大日本愛國婦人會徳島市・・・(記念植樹)敷地北側(徳島)
▲ 大日本愛國婦人會徳島市(以下不明)

徳島陸軍墓地 皇紀二千六百年記念 愛婦富田分會(記念植樹)敷地北側(徳島)
▲愛婦富田分會 記念樹

徳島陸軍墓地 大日本婦人會國府支部(寄贈の椅子)階段下(徳島)
▲大日本婦人會國府支部


斎庭の西側には墓守の住宅があります。
善通寺から墓守として善通寺師管區司令官に招聘され、現在もお孫さんが住んでらっしゃいます。
徳島陸軍墓地 墓守宅と門柱(徳島)
▲居宅は建て替えられている様ですが、格式ある門柱が遺ります。


墓守宅の西側にある民間墓地は元々、大東亜戦争勝利後に英霊の遺徳を偲ぶ「国防館」(資料館)の建設用地(借地)でした。
戦時中、更地のままにしておくのは惜しいと、善通寺師管區司令官が墓守の方に畑にするように薦めたそうです。
残念ながら戦争に敗れてしまったため、地権者が別荘を建てる予定でしたが叶わず、畑を経て国に売却、さらに地元の寺に売却され現在に至る様です。
徳島陸軍墓地 敷地西側の「国防館」予定地(徳島)
▲国防館用地
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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