大阪陸軍兵器補給廠枚方分廠 現地説明会
本日は枚方市に所在した大阪陸軍兵器補給廠枚方分廠の現地説明会に行って来ました。

▲出土した火薬庫基礎と現存の土塁の一部(左)

今回の現地説明会は枚方分廠跡地に建てられた公務員宿舎の解体、関西外大用地拡張に伴う「禁野本町遺跡」発掘調査に伴うもので、コメント欄にて貴重な機会を教えて頂きました中宮住民様、この場を借りてお礼申し上げます!
大阪陸軍兵器補給廠枚方分廠は通称「禁野火薬庫」や「禁野弾薬庫」の名称で知られ、関西では比較的有名な軍事施設です。
しかし、拙ブログでも紹介した通り、その遺構は皆無に等しく、地上には殆どありません。
それだけに今回の現地説明会は非常に貴重な機会と言えます。
昨日の台風の影響により大阪府下の鉄道は軒並み運休・遅延しており、特にJRは酷い状況です。
早く走る電車なんかいらんから、悪天候でも停まらん設備をつくれ!とつくづく思います。
別件の調査があったので午前中に出発、別件を済ませ、13:00開始でしたが、30分程遅れて現地に到着です。
すでに1回目の説明は始まっており、50名程が見学しています。
流石に伏見城とは注目度が違うのか、参加者もまばらです。
と言うより、大抵の言説はこんなもんで、伏見城が異常だったのですが・・・。
今回の発掘調査は枚方分廠に唯一遺る遺構である土塁、及びその土塁が囲んでいた発掘調査により出土した五號乾燥火藥庫の基礎(昭和14(1939)年3月1日の爆発事故で倒壊)、さらにそれ以前に存在していたヰ號火藥庫(明治42(1909)年8月20日の爆発事故で倒壊)の基礎が対象でした。
ちなみに現地説明会では「井号火薬庫」と記載されていますが、「ヰ号火薬庫」の誤りです。
まずは受付で記帳し、資料を頂き、出土品を見学します。




▲配布された資料

▲発掘調査による出土品
左側は明治期の煉瓦(岸和田窯業製)、右側が大正・昭和期の煉瓦(大阪窯業製)
明治期の方が決めが細かいらしいです。

▲火薬庫の瓦

▲建築部材、砲弾を包む袋を塗ったミシンの部材

▲砲弾片、信管
続いて掲示してある資料を読みます。

▲今回の発掘箇所と説明
いよいよ遺構の見学です。
土塁
現存している枚方分廠唯一の遺構です。

▲以前、踏査した時の土塁
森の様になり、何だか分かりません。

▲同じ角度からの撮影
樹木が伐採され土塁が現れましたがボコボコです。
ヰ號火藥庫
ヰ号火薬庫は明治30(1897)年4月の砲兵第二方面本署禁野出張所(枚方分廠の設立当時の名称)の開設時に建設されますが、明治42(1909)年8月20日の爆発事故により倒壊、復旧の際に埋められ五號乾燥火藥庫の北側土塁が造られました。

▲ヰ号火薬庫(奥の煉瓦積み部分)

▲ヰ号火薬庫は地表にコンクリートで基礎を造り、その上に煉瓦で壁を立ち上げています。
明治期のコンクリートは非常に珍しいとの事です。

▲床下換気口は単なる四角い開口部で、建物を支える柱も地面に直接打ち込んでいます。
分かり難いですが、煉瓦の前にある穴が柱穴です。

▲ヰ号火薬庫の内部に転がっているコンクリート塊は、昭和14(1939)年3月1日の爆発事故で倒壊した五號乾燥火藥庫の基礎を
陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所(後、大阪陸軍造兵廠枚方製造所)に敷地を移管した際、地均しにより埋めた物です。
五號乾燥火藥庫
明治42(1909)年8月20日の爆発事故後の復旧に際し、倒壊したヰ号火薬庫跡を埋め、さらに既存の土塁を拡張し、五號乾燥火藥庫を新設しました。
昭和14(1939)年3月1日の爆発事故により五號乾燥火藥庫は倒壊、10月11日、五號乾燥火藥庫跡地は隣接する陸軍造兵廠大阪工廠 枚方製造所に移管され、土塁ごと地均しされ埋められました。

▲五號乾燥火藥庫の基礎(北端)、周囲の排水溝、土塁の土留 北東から

▲五號乾燥火藥庫の排水溝(南端)
基礎は昭和14年の爆発事故により北西端を残し吹き飛んだ様です。

▲昭和14年の爆発事故の焼土層(土塁の斜面に沿って黒い層が遺ります)

▲同じく爆発事故により歪んだ排水溝の石材(写真上)と焼けた石材(赤い石)

▲爆発事故により五號乾燥火藥庫は倒壊、北東隅(煉瓦のある部分)の一部を除き基礎も吹き飛んだ様です。
発掘時にはこの残存基礎の上に別の基礎が折り重なっていたようです。
気になるこの遺構の今後ですが、まず土塁は最初期の土塁が現在の土塁内にある可能性があり、断面調査を実施するそうです。
要するに現存唯一の土塁もさらに破壊されてしまいます。
その他の遺構については現在枚方市と関西外大の間で折衝中と言う事で、まだ不明の様です。
敷地の西端にあり邪魔にならない位置と思うので貴重な遺構だけに、残存の土塁、基礎とも何とか展示保存して欲しいところです。
最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
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▲出土した火薬庫基礎と現存の土塁の一部(左)


今回の現地説明会は枚方分廠跡地に建てられた公務員宿舎の解体、関西外大用地拡張に伴う「禁野本町遺跡」発掘調査に伴うもので、コメント欄にて貴重な機会を教えて頂きました中宮住民様、この場を借りてお礼申し上げます!
大阪陸軍兵器補給廠枚方分廠は通称「禁野火薬庫」や「禁野弾薬庫」の名称で知られ、関西では比較的有名な軍事施設です。
しかし、拙ブログでも紹介した通り、その遺構は皆無に等しく、地上には殆どありません。
それだけに今回の現地説明会は非常に貴重な機会と言えます。
昨日の台風の影響により大阪府下の鉄道は軒並み運休・遅延しており、特にJRは酷い状況です。
早く走る電車なんかいらんから、悪天候でも停まらん設備をつくれ!とつくづく思います。
別件の調査があったので午前中に出発、別件を済ませ、13:00開始でしたが、30分程遅れて現地に到着です。
すでに1回目の説明は始まっており、50名程が見学しています。
流石に伏見城とは注目度が違うのか、参加者もまばらです。
と言うより、大抵の言説はこんなもんで、伏見城が異常だったのですが・・・。
今回の発掘調査は枚方分廠に唯一遺る遺構である土塁、及びその土塁が囲んでいた発掘調査により出土した五號乾燥火藥庫の基礎(昭和14(1939)年3月1日の爆発事故で倒壊)、さらにそれ以前に存在していたヰ號火藥庫(明治42(1909)年8月20日の爆発事故で倒壊)の基礎が対象でした。
ちなみに現地説明会では「井号火薬庫」と記載されていますが、「ヰ号火薬庫」の誤りです。
まずは受付で記帳し、資料を頂き、出土品を見学します。




▲配布された資料

▲発掘調査による出土品
左側は明治期の煉瓦(岸和田窯業製)、右側が大正・昭和期の煉瓦(大阪窯業製)
明治期の方が決めが細かいらしいです。

▲火薬庫の瓦

▲建築部材、砲弾を包む袋を塗ったミシンの部材

▲砲弾片、信管
続いて掲示してある資料を読みます。

▲今回の発掘箇所と説明
いよいよ遺構の見学です。
土塁
現存している枚方分廠唯一の遺構です。

▲以前、踏査した時の土塁
森の様になり、何だか分かりません。

▲同じ角度からの撮影
樹木が伐採され土塁が現れましたがボコボコです。
ヰ號火藥庫
ヰ号火薬庫は明治30(1897)年4月の砲兵第二方面本署禁野出張所(枚方分廠の設立当時の名称)の開設時に建設されますが、明治42(1909)年8月20日の爆発事故により倒壊、復旧の際に埋められ五號乾燥火藥庫の北側土塁が造られました。

▲ヰ号火薬庫(奥の煉瓦積み部分)

▲ヰ号火薬庫は地表にコンクリートで基礎を造り、その上に煉瓦で壁を立ち上げています。
明治期のコンクリートは非常に珍しいとの事です。

▲床下換気口は単なる四角い開口部で、建物を支える柱も地面に直接打ち込んでいます。
分かり難いですが、煉瓦の前にある穴が柱穴です。

▲ヰ号火薬庫の内部に転がっているコンクリート塊は、昭和14(1939)年3月1日の爆発事故で倒壊した五號乾燥火藥庫の基礎を
陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所(後、大阪陸軍造兵廠枚方製造所)に敷地を移管した際、地均しにより埋めた物です。
五號乾燥火藥庫
明治42(1909)年8月20日の爆発事故後の復旧に際し、倒壊したヰ号火薬庫跡を埋め、さらに既存の土塁を拡張し、五號乾燥火藥庫を新設しました。
昭和14(1939)年3月1日の爆発事故により五號乾燥火藥庫は倒壊、10月11日、五號乾燥火藥庫跡地は隣接する陸軍造兵廠大阪工廠 枚方製造所に移管され、土塁ごと地均しされ埋められました。

▲五號乾燥火藥庫の基礎(北端)、周囲の排水溝、土塁の土留 北東から

▲五號乾燥火藥庫の排水溝(南端)
基礎は昭和14年の爆発事故により北西端を残し吹き飛んだ様です。

▲昭和14年の爆発事故の焼土層(土塁の斜面に沿って黒い層が遺ります)

▲同じく爆発事故により歪んだ排水溝の石材(写真上)と焼けた石材(赤い石)

▲爆発事故により五號乾燥火藥庫は倒壊、北東隅(煉瓦のある部分)の一部を除き基礎も吹き飛んだ様です。
発掘時にはこの残存基礎の上に別の基礎が折り重なっていたようです。
気になるこの遺構の今後ですが、まず土塁は最初期の土塁が現在の土塁内にある可能性があり、断面調査を実施するそうです。
要するに現存唯一の土塁もさらに破壊されてしまいます。
その他の遺構については現在枚方市と関西外大の間で折衝中と言う事で、まだ不明の様です。
敷地の西端にあり邪魔にならない位置と思うので貴重な遺構だけに、残存の土塁、基礎とも何とか展示保存して欲しいところです。
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