当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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高射第三師團 國次高射砲陣地

大阪市東淀川区西淡路には國次高射砲陣地がありました。
国続高射砲陣地 D三番砲座(左)・E四番砲座(右) 北から(大阪)
▲住宅に転用された高架式高射砲砲座(左:三番、右:四番砲砲座)

【探索日時】
平成20年6月15日、平成24年12月30日





國次高射砲陣地 周辺
国続高射砲陣地 國次高射砲陣地(23220・NI-53-14-8)(大阪)
▲昭和23年2月20日の陣地周辺空撮(国土地理院 NI-53-14-8)
 東側に北側に向いた砲座6基、西側に電波標定機の円形更地が見えます。

展開部隊について
近畿・北陸の一部・四国・中国地方の防空は高射第三師團(河合潔少将)が大阪市立美術館(天王寺)に司令部を設置し担当、摂津地域(北摂~大阪北部)の防空は隷下の高射砲第百二十二聯隊(五峯作一大佐)が攝南高等専門學校(現、大阪工業大学)に本部を設置し担当していました。
国続高射砲陣地 撃墜されるB29(大阪)
▲昭和20(1945)年3月14日の第一次大阪大空襲において
 高射第三師團隷下の高射砲第百二十一聯隊第一大隊の高射砲により
 撃墜されたB29爆撃機(左上)

國次高射砲陣地は南側にある柴島(くにじま)浄水場を防備するための陣地と言われ、第一大隊本部(山野広治少佐)と第一中隊(大原廣義中尉)が配置され、昭和18(1943)年秋頃、八八式七糎野戰高射砲4門が土堤で囲んだ砲座に配備されましたが、住宅密集地で視界が悪かったため、昭和19(1944)年6月、、コンクリート製高架式の砲座に改装が開始され、昭和20(1945)年6月、八八式七糎野戰高射砲6門に増備され完成しました。

陣地は入口が北東にあり、北側に兵舎、炊事場、浴場、医務室、北東隅に弾薬庫、南側に砲座、指揮所などがあり、陣地外周は基礎にコンクリートを使用し、塀は建物疎開時の廃材を利用し囲まれていました。
高架式砲座への改装に際し資材は陸軍需品廠大阪支廠(福崎)から直接搬入し、工事は地元建設業者が請負い、第一中隊の兵、学校報国隊の協力を得て建設されました。

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎え、残務整理の後、9月11日、復員完結しました。

停戦後、陣地敷地は住宅地になり、指揮所、砲座ともに工場、住宅として転用され、西端の六番砲座は早期に鉄工所に改造され半壊、平成元(1989)年にマンション建設に伴い東側の一番、二番砲砲座が破壊、平成24(2012)年8月、住宅化されていた四番、五番砲砲座が分譲地化に伴い破壊され、現在は三番砲砲座と指揮所のみが住宅として遺されています。
国続高射砲陣地 國次高射砲陣地(現在地図)(大阪)
▲現在の國次高射砲陣地周辺
 敷地に関しては空撮より推定

A 指揮所
鉄筋コンクリート製2階建てで、現在は民家に転用されています。
各地に砲座は遺っていますが、指揮所が遺っているのは珍しいのではないでしょうか。
北から伸びてきているバイパスの建設計画地に掛かっているため、今後の動向が注視されます。
国続高射砲陣地 A指揮所 南から(大阪)
▲南側から見た指揮所

A指揮所 北から (2)(大阪)
▲北側から見た指揮所(白い部分と両側の黒っぽい部分)
 上、及び北側から見ると“T”型をしており、北側上部には南側の幅の3倍の張り出しが出ています。

国続高射砲陣地 A指揮所 北から(大阪)
▲指揮所(白い部分)と北側上部にある張り出し(西側:黒い部分)
 東側の張り出し部は増築で隠れてしまっています。

国続高射砲陣地 A指揮所 裏側(大阪)
▲指揮所西側張り出し部分の下側
 張り出しは両端の細い柱で支えられているだけです。


B 一番砲砲座
Cの二番砲砲座とともに平成元(1989)年にマンション建設に伴い破壊されてしまいました。


C 二番砲砲座
Bの一番砲砲座とともに平成元(1989)年にマンション建設に伴い破壊されてしまいました。


D 三番砲砲座
鉄筋コンクリート製で、現在は民家に転用されています。
当時は高架上まで土堤が築かれフジツボ状になっていた様です。
国続高射砲陣地 D三番砲座 昇り口付近 北から(大阪)
▲北から西にかけての増築で砲座架脚周辺は殆ど見えません。
 階段は後付けです。

国続高射砲陣地 D三番砲座 東から (2)(大阪)
▲東側の駐車場からは比較的良く見えます。

国続高射砲陣地 D三番砲座 東側(大阪)
▲東側近影
 砲座の裏側には梁があります。

国続高射砲陣地 D三番砲座 東から(大阪)
▲東側のマンションから
 手前がDの三番砲砲座、奥に僅かに見えるのが下記Eの四番砲砲座

國次高射砲陣地で唯一完存、且つ全国的に見ても珍しい高架式砲座のため、Aの指揮所とともにバイパスの建設計画地に掛かっていますが、今後とも頑張って住み続け、保存していって欲しいところです。


E 四番砲砲座
鉄筋コンクリート製で民家に転用されていましたが、平成24(2012)年8月、分譲地化に伴いFの五番砲砲座とともに破壊されてしまいました。
状態が良かっただけに残念です。
大阪市も何とかならなかったのかと思います。
国続高射砲陣地 E四番砲座 北から(大阪)
▲在りし日の四番砲砲座

国続高射砲陣地 E四番砲座 昇り口付近  南から(大阪)
▲四番砲砲座の登り口
 元々は階段が付いていましたが、周囲に築かれた土堤を駆け上がる方が早く配置に付けたそうです。

国続高射砲陣地 E四番砲座 裏側(大阪)
▲四番砲砲座裏側


F 五番砲砲座
鉄筋コンクリート製で民家に転用されていましたが、平成24(2012)年8月、分譲地化に伴いEの四番砲砲座とともに破壊されてしまいました。
周囲が建て込んでおり、見通せませんでした。


G 六番砲砲座
停戦後、程なくして鉄工所の屋根に改造されたため砲座架脚の壁、砲座上の胸檣が撤去され半壊していますが、そのおかげで内部の構造が良く分かります。
国続高射砲陣地 G六番砲座(破損)(大阪)
▲六番砲砲座全景

国続高射砲陣地 G六番砲座(破損) (2)(大阪)
▲六番砲砲座裏側

国続高射砲陣地 G六番砲座(破損)屋上(痕跡無)(大阪)
▲六番砲砲座上部
 完全に塗り込められて何もありません。

※六番砲砲座は鉄工所の中にあり、仕事が休みの日曜に許可を得て立ち入っています。


H 電波標定機
昭和23年2月20日の陣地周辺空撮(国土地理院 NI-53-14-8)を見ると電波標定機の円形更地が見えます。
淡路中学の校舎が建っており、遺構は何も遺されていません。

国続高射砲陣地 國次高射砲陣地(現在地図)(大阪)
各遺構の解説でも述べましたが、地図を見て頂けたら分かる様に、北側から柴島浄水場へ抜けるバイパスの建設が迫っており、以前から計画地(上図水色部分)にかかる指揮所と三番・四番砲砲座が最も危機的状況と見られていましたが、そのうち2ッが遺され、遺ると思われていた五番砲砲座が破壊されてしまいました。
現在、バイパス建設計画は休止している様ですが、再度動き出すと現存遺構は確実に計画範囲にかかるため、予断を許さない状況です。
なお、以前から保存運動の様な活動をしている団体もありましたが、分譲業者に取材したところ「特に何も無かった」との事でした。
貴重な遺構だっただけに大阪市も動いて欲しかったです。


高射第三師團隷下、指揮下にあった高射砲陣地では國次と同様の高架式砲座が設置されていた陣地として以下が確認されています。
野里 高射砲陣地 (高射砲第百二十二聯隊第一大隊第五中隊、九九式八糎高射砲×6)
大阪市西淀川区にあり、淀川を挟んだ南側にあった野田高射砲陣地(詳細不明)とともに淀川大橋、大阪市内を防備していました。
野里高射砲 一番砲砲座(駐車場南西端)(大阪)
▲戦後の野里高射砲陣地 一番砲砲座

昭和50(1975)年代まで高架式砲座2基(一番三番)が遺されていましたが、現在はそれぞれ駐車場、工場になり破壊されてしまいました。


福崎 高射砲陣地 (部隊、備砲ともに不明)
大阪市港区の陸軍需品廠大阪支廠に隣接してありました。
大阪港 高射砲(福崎)
▲戦後すぐの福崎高射砲陣地

現在は配水池、工場になり、遺構は遺されていません。


尼崎 高射砲陣地 (高射砲第百二十二聯隊第二大隊第九中隊、九九式八糎高射砲×6)
尼崎市東七松町にあり、現在は橘公園内に砲座2基が遺ります。
詳細は拙ブログ「尼崎高射砲陣地」を参照。


住吉 高射砲陣地 (高射砲第百二十一聯隊第一大隊第四中隊、九九式八糎高射砲×6)
大阪市住吉区の小帝塚山古墳墳丘上にありました。
写真が遺されていませんが、影の大きさから高架式と思われます。
住吉高射砲陣地230220(NI-53-15-5)
▲昭和23(1948)年2月20日の空撮(国土地理院 NI-53-15-5)

現在は住吉中学校の体育館になり、遺構は遺されていません。


石津川 高射砲陣地 (高射砲第百二十一聯隊第一大隊第五中隊、九九式八糎高射砲×6)
堺市西区浜寺石津町西にありました。
石津川高射砲陣地昭和19年(堺 防空陣地)
▲昭和19(1944)年の陣地写真(指揮所から砲座方向)

現在は住宅地になり、遺構は遺されていません。


以下は少し個人的な話になります。
野里高射砲陣地の項で触れた野田高射砲陣地について、『高射戦史』やWEBサイト「高射砲陣地と防空砲台(Anti Aircraft Battery)」にも記載が無く、『砲兵沿革史』所収の高射第三師團配置図にそれらしい位置に高射砲の記号があるのみで詳細は不明です。
実は野田高射砲陣地の一部は僕の曽祖父の土地で、祖母の話では高射砲陣地があったのは確実です。
曽祖父は裸一貫で奈良から上阪、苦労のすえ事業に成功し資産を築き、阪神野田駅の一帯を購入、貿易会社を構え、それとは別に総檜造り3階建ての自宅、さらに借家5建程を所有していました。
昭和17(1942)年頃、陸軍から3階建ての建物は敵機の空襲目標になりやすいので何とかする様にとの注意を受けたため、自宅3階部分の撤去を考えていたところ、さらに野田駅前に高射砲陣地を設定するので、土地の借用と家屋の売却を要請され、500円程で売却し、近所にあった別の所有地に新しく家を建てて引越しました(その家の解体の際、僕が壁をめくったところ、昭和17年の新聞が貼られていました)。
この少し前、曽祖父は別件で他人の引越しを手伝っていた際に屋根から落ちて、体を悪くしてしまい程なくして他界、祖母は曾祖母とともに曾祖母の実家に疎開します。
大東亜戦争終結後、祖母は再び大阪に戻り、大蔵省大阪財務局に移管された高射砲陣地の地代を貰いに大阪陸軍造兵廠跡にあった大蔵省近畿財務局(昭和25年5月4日、改称)に通っていたそうです。

その高射砲陣地跡ですが、いつの間にか朝鮮人(祖母は「支那人」と言っていましたが、よくよく聞くと「三国人」と言っていたので朝鮮人と思われます)が勝手に入り込み、祖母(曽祖父には男子がいなかったので、長女の祖母が相続)に元の土地が返還された際にはあばら家を建てて住み着いていたそうです。
ほんの20年ほど前まで所有権や地代の事で係争していましたが、うっとおしくなって二束三文で売却してしまった様です。
陣地の詳細は不明ですが、地面に土堤で囲った砲座が6基あった様です。


主要参考文献
『高射戦史』(昭和53年12月 下志津(高射学校)修親会)

『高射砲陣地築設要領』(昭和18年 陸軍参謀本部)

『西淡路<国次>高射砲陣地調査報告書』(平成18年12月 大阪市教育委員会)

『大阪ジャーナル』
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野田高射砲陣地

はじめまして。
『戦史叢書19巻 本土防空作戦』に掲載された昭和十九年版「中部高射砲集団阪神要地防空配置要図」を元に現存する痕跡を追っていてこちらへたどり着きました。
話題の野田高射砲陣地、当該地点に陣地を示す丸印に「野田」と図示されていましたが、駅前の街中に家屋を撤去して作ったものだったとは驚きでした。過去と現在の航空写真で変遷を追っていますが、大泉緑地の北東(堺市北区中村町83−97あたり)に円形更地が残っていたり、まだまだ発見はありそうです。

Re: 野田高射砲陣地

inQue様
はじめまして。
1周間ほど不在にしていたため、返信が遅くなり申し訳ありません。

大都市大阪で要地防空を考えると住宅を撤去しての陣地設定はやむを得なかったと思います。

高射第三師團管轄の大阪方面で現時点で遺構が遺っているのは、私の知りうる限りでは拙ブログでも紹介している東淀川区の国次、摩耶山中腹、尼崎の橘公園、大泉緑地、それと未だ記事にしていませんが京都の花山(天文台)、加古川(三木陸軍飛行場隣接)くらいでしょうか。

また、新たな発見があれば御教示頂けたら嬉しいです。

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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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