当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大津海軍水上機基地 (大津海軍航空隊)

滋賀県大津市際川に所在する陸上自衛隊 大津駐屯地は大津海軍水上機基地の跡地にあります。
大津海軍水上機基地 A 格納庫 北から(大津)
▲大津駐屯地内に遺る格納庫

【探索日時】
平成24年5月12日、12月26日、平成25年5月11日、平成26年1月31日






大津海軍水上機基地の場所
大津海軍水上機基地には大津海軍航空隊が所在し、滋賀里に大津海軍射撃場、及び隊外格納庫(地下壕)がありました。

遺構について※青字は地図にリンクしています
大津海軍水上機基地
昭和11(1936)年4月、滋賀縣滋賀郡下坂本村(現、大津市際川)の琵琶湖畔に海軍航空豫備學生志願者に対し入団前の準備教育を行う(財)學生海洋飛行團(塚原二四三少将)の關西支部の設立が決定、7月10日、(財)學生海洋飛行團關西支部が滋賀飛行場において開部(昭和12年4月18日、竣工開部式、9月15日、(財)海軍豫備航空團大津支部に改称)します。
昭和16(1941)年5月、水上機練習航空隊の設立のため、大津支部は全設備を海軍省に献納し閉鎖されました。

海軍省は旧大津支部の敷地に加え、周辺用地50,000坪を1坪3円80銭(当時の平均的相場)で買収、大津海軍水上機基地の設営を開始、昭和16(1941)年10月14日、鹿島海軍航空隊大津分遣隊が開隊、昭和17(1942)年4月1日、大津分遣隊は大津海軍航空隊に改編(水上練習機24機)され搭乗員教育を開始、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
10月4日、米第136歩兵連隊(昭和21年5月3日、第35歩兵連隊に交代)により大津海軍水上機基地は接収され、Camp Ootu Area-B(キャンプ大津B地区)と改称され、兵舎、倉庫、兵器廠が設置されます。

昭和32(1957)年11月15日、大津海軍射撃場が、昭和33(1958)年1月10日、B地区が米軍より返還され、大蔵省に移管、9月、陸上自衛隊大津駐屯地が開設、昭和34(1959)年8月13日、第2教育団本部、第109教育大隊が駐屯、現在は中部方面混成団本部、第109教育大隊、第4陸曹教育隊などが駐屯し、我が国の平和を護っています。
大津海軍水上機基地 大津 平面図(大津)
▲大津海軍航空隊配置図(『大津海軍航空隊』より)
 ※原図は非常に不鮮明なので分かる範囲で復元しましたが、見間違いがあるかも知れません。

大津海軍水上機基地 大津海軍航空隊(21102(大津)
▲昭和21(1946)年1月2日の大津海軍航空隊跡地周辺空撮(国土地理院)

大津海軍水上機基地 大津海軍航空隊(現在)(大津)
▲現在に遺る遺構配置
※以下の数字、アルファベット等は上掲地図の表記参照

A 格納庫
大津駐屯地内に遺ります。
大津海軍水上機基地には最盛期に格納庫8棟がありましたが、大東亜戦争中に建物疎開により4棟が解体され停戦を迎えます。
平成初期まで北側にもう1棟遺されていましたが、惜しくも解体され、現在はこの1棟のみが残ります。
大津海軍水上機基地 A 格納庫 北から(大津)
▲正面側は琵琶湖を向いているので、陸上自衛隊の駐屯地外側を向いています。

大津海軍水上機基地 A 格納庫 北西から(大津)
▲格納庫側面には明かり取りの窓があります。

大津海軍水上機基地 A 格納庫 湖上東から(大津)
▲琵琶湖上から見た格納庫

大津海軍水上機基地 A 格納庫 西から(大津)
▲格納庫背面

床面積は1,370㎡あり、基礎は耐震化、外壁は鋼板に張り替えられていますが、内部は重厚な鉄骨が当時のまま遺ります。
大津海軍水上機基地 A 格納庫 内部(大津)
▲格納庫内部


F 建物
大津駐屯地内に遺ります。
詳細は不明ですが、停戦時の配置図、昭和21(1946)年10月2日の空撮にも写っています。
外壁は鋼板に張り替えられていますが、内部床板は木造です。
現在は資料館として使用されています。
大津海軍水上機基地 B 資料館(大津)
▲内部は大津市に所在した大津海軍航空隊、滋賀海軍航空隊、
 歩兵第九聯隊、陸上自衛隊大津駐屯部隊の資料が展示されています
 (内部は撮影禁止)。


G 際川神社
大津海軍航空隊の隊内神社としてお祀りされていました。
停戦後、陸上自衛隊大津駐屯地正門前の現在地に遷座され、地主神社と伴にお祀りされています。
大津海軍水上機基地 G 際川神社(隊内神社)(大津)
▲地主神社とともに1つの社殿に収まっています。

大津海軍水上機基地 G 落下傘型灯篭(左)(大津)
▲拝殿前の両側には落下傘型の灯籠が2基あります。

大津海軍水上機基地 G 落下傘型灯篭(右)(大津)
▲灯籠には「昭和十九年十月 大津海軍航空隊隊員一同」の刻字があります。


H 海鷲錬成之地 大津海軍航空隊
大津駐屯地内の資料館前にあります。
昭和53年12月8日、大津空会により建立されました。
大津海軍水上機基地 H 海鷲錬成之地 大津海軍航空隊 碑(531208大津空会建立)(大津)


ア 滑走台
大津駐屯地内に遺ります。
滑走台は幅100×長さ60mあります。
大津海軍水上機基地 ア 滑走台 南西から(大津)
▲陸上から見た滑走台

大津海軍水上機基地 ア 滑走台 湖上・東から(大津)
▲琵琶湖上から見た滑走台

※大津駐屯地の遺構については毎年5月初旬の創立記念行事、事前連絡での見学が可能です。
詳しくは大津駐屯地広報室にお問い合わせ下さい。



以下の遺構は全て大津駐屯地外の琵琶湖岸に遺ります。
琵琶湖岸へはコノ用水路沿いに出ることができます。
イ 滑走台
幅30×長さ50mあります。
大津海軍水上機基地 イ 滑走台 北西から(大津)
▲陸上から見た滑走台

大津海軍水上機基地 イ 滑走台上部 北西から(大津)
▲滑走台上面はコンクリート平板が敷きつめられています。


ウ コンクリート製構造物
外径5×内径3mの円形の構造物が遺りますが、湖岸の侵食により自重で傾いています。
位置からして水上機の発着指揮所ではないでしょうか?
大津海軍水上機基地 ウ 円形構造物 南東から(大津)

大津海軍水上機基地 ウ 円形構造物 南西から(大津)
▲円形構造物内部

大津海軍水上機基地 ウ 円形構造物 南側の構造物(大津)
▲円形構造物背後にある箱型の構造物


エ コンクリート基礎
用途不明です。
桟橋の基礎でしょうか?
大津海軍水上機基地 エ 桟橋基礎? 北西から(大津)


オ 滑走台
幅10×長さ35mあります。
大津海軍水上機基地 オ 滑走台 南から(大津)
▲写真では分かり難いですが、この滑走台のみ側面の石組みが他の2基と異なり、湖岸の擁壁と同様のため、大津海軍水上機基地の前身、(財)學生海洋飛行團關西支部の滋賀飛行場時代の物と思われます。

大津海軍水上機基地 オ 滑走台上部 西から(大津)
▲滑走台上面


カ 耐弾施設
基地護岸を利用して設営されています。
幅3×長さ5.5m、入口は両側にあり南側には爆風除けが附き、階段で基地から素早く降りれる様になっています。
大津海軍水上機基地 カ 南東から(大津)
▲南側の爆風除けの付いた入口

大津海軍水上機基地 カ 耐弾施設 北東から(大津)
▲北側の入口は爆風除けがありませんが、当時は土堤の
 爆風除けが付いていたのかもしれません。

大津海軍水上機基地 カ 耐弾施設内部 南から(大津)
▲内部には木製の内装が遺りますが、当時の物かは不明です。


キ コンクリート基礎
用途不明です。
桟橋の基礎でしょうか?
大津海軍水上機基地 キ 桟橋基礎?・カ 耐弾施設(奥) 北東から(大津)
▲琵琶湖側に円形の基礎が付いています。


ク 耐弾施設
基地護岸を利用して設営され、入口は湖岸側と南側にあります。
大津海軍水上機基地 ク 耐弾施設(大津)
▲平面図
 内部は入口すぐの小部屋と大部屋があります。
入口は幅75×高さ130cm、内部は幅200×高さ167cm、小部屋の長さ360、大部屋の長さ1280cm、壁厚は30cmあります。

大津海軍水上機基地 ク 耐弾施設 北東から(大津)
▲北東から

大津海軍水上機基地 キ 桟橋基礎?・カ 耐弾施設(奥) 北東から (2)(大津)
▲南東から

大津海軍水上機基地 ク 耐弾施設入口 北東から(大津)
▲入口は琵琶湖側に開口しています。

大津海軍水上機基地 ク 耐弾施設 小部屋 北から(大津)
▲入口すぐの小部屋
 内部は焚き火をしたのか、煤で真っ黒です。

大津海軍水上機基地 ク 耐弾施設 大部屋 南から(大津)
▲奥にある大部屋(南から)


ケ コンクリート桟橋
幅2×長さ20mあり、先端に湖面に降りる階段が付属します。
大津海軍水上機基地 ケ 桟橋 南から(大津)
▲南から
 状態は良好です。

大津海軍水上機基地 ケ 桟橋 南側の金具(大津)
▲桟橋の先端両側には鉄の輪が付いています。


コ コンクリート破片
不自然な小山に板状のコンクリート塊が並べられています。
引渡し目録の配置図は非常に不鮮明ながら、この辺りに滑走台の様な線が描かれている事から、滑走台の残骸かも知れません。
大津海軍水上機基地 コ 耐弾施設跡?のコンクリート片(大津)


サ コンクリート破片
コと同様に不自然な小山に板状のコンクリート塊が並べられています。
大津海軍水上機基地 サ 耐弾施設跡? 北東から(大津)

大津海軍水上機基地 サ 東側の桟橋跡 南西から(大津)
サの破片の北側に琵琶湖に向かって木杭が並んでいます。
 木製桟橋の支柱でしょうか?

また、湖岸には水上機基地から湖岸に降りるコンクリート製の階段が11基遺ります。
大津海軍水上機基地 階段③(大津)


以下は停戦時の配置図に無い事から、米軍キャンプ時の建物の様です。
B 木造建物
大津駐屯地内に木造の兵舎の様な建物が遺ります。
大津海軍水上機基地 C 南西から (5)(大津)


C 木造建物
同じく、木造のの建物です。
大津海軍水上機基地 D 南西から(大津)

大津海軍水上機基地 C 南側のコンクリート構造物(大津)
▲木造建物BとCの間にはコンクリート製の基礎が遺りますが、詳細は不明です。


D 木造建物
同じく、木造の建物です。
大津海軍水上機基地 E 北西から(大津)


E 木造建物
同じく、木造の建物です。
大津海軍水上機基地 F 南東から(大津)


隊外分散施設
大津海軍水上機基地の西側1.3kmの南滋賀、1.5kmの滋賀里の山麓に総延長1,120mの地下壕13本が掘削されていました。

南側隧道
南側は開発により早期に破壊されてしまいました。
大津海軍水上機基地 大津空 南側(大津)
▲『大津航空隊』所収の地下壕配置図を現在の地図に転写
 Bは完全に滅失、Aは僅かに壕口の痕跡が遺ります。

大津海軍水上機基地 ア 壕跡 (2)(大津)
▲ア 壕口跡

大津海軍水上機基地 イ 壕跡(大津)
▲イ 壕口跡


北側隧道
北側は近年まで1本遺っていた(下記の“キ”)様ですが、大津市により危険という事で簡単に破壊されてしまいました。
大津海軍水上機基地 大津空 北側(大津)
▲『大津航空隊』所収の地下壕配置図を現在の地図に転写
 配置図ではCとFは繋がっていますが、実際は“繋ぐ予定”で、実際は1本物だった様です。
 Cは現在、宗教施設の私有地に有り探索は自粛しました。
 D~ I は僅かながら痕跡が遺ります。

大津海軍水上機基地 ウ 壕跡(大津)
▲ウ 壕口跡

大津海軍水上機基地 エ 壕跡(大津)
▲エ 壕口跡

大津海軍水上機基地 オ コンクリート構造物(大津)
▲“ウ”の壕口跡付近にある“オ”のコンクリート構造物
 便所の跡でしょうか?

大津海軍水上機基地 キ 壕跡(大津)
▲キ 壕口跡
 近年まで遺っていましたが、大津市により破壊されてしまいました。
 
大津海軍水上機基地 ク 壕跡(大津)
▲ク 壕口跡

大津海軍水上機基地 ケ 壕跡(大津)
▲ケ 壕口跡

大津海軍水上機基地 コ コンクリート構造物 (2)(大津)
▲道路沿いにある“コ”コンクリート構造物
 航空隊とは関係ない物かも知れません。

大津海軍水上機基地 シ 壕跡(大津)
▲シ 壕口跡

大津海軍水上機基地 ス 壕跡(大津)
▲ス 壕口跡

大津海軍水上機基地 セ 壕跡(大津)
▲ セ 壕口跡


展開部隊
(財)學生海洋飛行團 關西支部
(財)海軍豫備航空團 大津支部

昭和9(1934)年10月19日、『海軍豫備員候補者令』 (昭和九年 勅令第二百九十三號)に基づき、6月1日、海軍省は海軍航空豫備學生志願者に対し入団前の準備教育を行うべく(財)日本學生航空聯盟内に海洋部(松原雅太大佐)を新設(海軍省令第十一號)、日比谷公園市政会館内に事務所を設置、7月10日、東京飛行場(現、羽田空港)において会員(大学・専門学校生)教育を開始します。
(財)日本學生航空聯盟海洋部は所要経費、必要航空機材等を全てを海軍省が交付、1年間の教育の教育を受講、卒業後は予備役海軍航空少尉に編入されました。
11月、航空関係の海軍予備士官の補習教育も開始します。
昭和11(1936)年7月10日、海洋部の組織を変更強化、(財)學生海洋飛行團(塚原二四三少将)に改編、理事長に海軍航空本部総務部長在職者、他の役員も全て在職の海軍航空本部及び海軍省関係局課員を充当し、同日、關東支部(松原雅太大佐、東京飛行場)、關西支部(堤政男大佐、滋賀飛行場)が開部します。

昭和11年4月、滋賀縣滋賀郡下坂本村(現、大津市際川)の琵琶湖畔に(財)學生海洋飛行團の關西支部の設立が決定し、用地買収を開始、7月、用地2,560坪の買収が完了、11月、海軍省建築局の設計、監督のもと㈱巴組鐵工所が施工にあたります。

昭和12(1937)年3月、格納庫(370坪)他10棟の建物、滑走台、桟橋等の施設が凡そ完成、4月5日、水上機専用の滋賀飛行場の使用が許可され、8日、第一年団員13名(後、23名追加)に対し水上飛行機(一三式水上練習機14機、九〇式同2機)操縦教育を開始、18日、關西支部の竣工開部式が挙行されます。

9月15日、(財)學生海洋飛行團は(財)海軍豫備航空團に、關東支部は東京支部に、關西支部は大津支部に改称されます。
12月1日、福岡支部(市來政章大佐、雁ノ巣第一飛行場)が開設します。

昭和13(1938)年4月、航空科海軍豫備練習生志願者への準備教育、及び同出身者への補習教育を開始します。

昭和13(1938)年、海軍省は航空軍備充実のため実用航空隊、練習航空隊、既存航空隊の拡張を計画、昭和14(1939)年3月7日、第七十四回帝國議會において『第四次海軍軍備充實計畫』(通称「マル四計畫」)が承認され、(財)海軍豫備航空團の海軍への移管が決定、の移管が決定、昭和16(1941)年5月、大津支部、滋賀飛行場の引継式が挙行され、大津支部は全設備を海軍省に献納し閉鎖されました。


大津海軍航空隊
昭和13(1938)年、海軍省は航空軍備充実のため実用航空隊、練習航空隊、既存航空隊の拡張を計画、昭和14(1939)年3月7日、第七十四回帝國議會(昭和13年12月26日~昭和14年3月25日)において『第四次海軍軍備充實計畫』(通称「マル四計畫」)が承認され、昭和16(1941)年5月、(財)海軍豫備航空團大津支部、及び滋賀飛行場が海軍へ移管されます。

昭和16(1941)年10月14日、水上機操縦教育を担当する鹿島海軍航空隊(山田道行大佐、茨城)大津分遣隊(堤政男大佐)が完成した大津海軍水上機基地において開隊します。
12月16日、大津分遣隊は第十一聯合航空隊、横須賀鎭守府航空部隊(横須賀鎮守司令長官指揮)に部署され、教育、特に指定される海面の哨戒、攻撃を下令されます。

昭和16(1941)年12月8日、大東亜戦争が開戦します。
開戦時の鹿島海軍航空隊の保有機は大津、北浦両分遣隊を合わせ水上練習機132機でした。

昭和17(1942)年4月1日、横須賀鎭守府所管の常設航空隊として、鹿島海軍航空隊大津分遣隊を改編し、大津海軍航空隊が開隊(堤政男大佐)、横須賀鎭守府第十一聯合航空隊(戸塚道太郎中将)に編入されます。
大津空は練習航空隊に指定され、水上機操縦教育を担当(九三式水上中間練習機24機)、第十一聯合航空隊、横須賀鎭守府航空部隊に部署され、教育訓練にあたります。

8月15日、司令・堤政男大佐は谷田部海軍航空隊司令に転出、霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊長・小橋義亮大佐が新司令に着任します。

昭和18(1943)年2月1日、新編された練習聯合航空總隊に編入されますが、作戦に関しては引き続き横須賀鎮守司令長官の指揮を受ける事を定められます。
5月22日、大本營海軍部は練習航空隊に対し、1日1回の対潜哨戒を日施哨戒で実施、船団護衛に1直1機以内で実施する事を下令します。
8月20日、司令・小橋義亮大佐は特設水上機母艦「君川丸」艦長に転出、君川丸艦長・八島元徳大佐が新司令に着任します。

昭和19(1944)年2月1日、大津空の飛行機定数が改編され、二座水偵の操縦教育が加えられ、九五式水上偵察機、零式水上観測機が配備されます。

8月下旬、飛行隊長・桑嶌康大尉、教官・小畑政次予中尉、森上飛曹は横浜水上機基地において水上戦闘機「強風」3機(2機?)を受領します。

昭和20(1945)年1月下旬、琵琶湖上空を通過するB29爆撃機3機を「強風」2機で邀撃、琵琶湖北部において三番三號爆弾を投下するも凍結により爆弾が外れず、銃撃するも有効弾は得られませんでした。

昭和20(1945)年2月16日、第十一聯合航空隊司令官・城島高次少将は練習聯合航空總隊司令官・松永貞市中将より、18日以降の教育訓練の中止と4月末までに特攻要員の訓練修了、及び大津空の教官要員30名から特攻要員の選抜を下令されます。

3月1日、練習聯合航空總隊は第十航空艦隊(聯合艦隊麾下)に改編(前田稔中将、霞ヶ浦)、第十一聯合航空隊は第十航空艦隊に編入されます。
大津空と第十一聯合航空隊は第八基地航空部隊(第十航空艦隊司令長官指揮)に部署され、特攻要員の錬成にあたります。
大津空では志願者から「神風特別攻撃隊 大津特別攻撃隊」を編成、九四式水偵7機が詫間海軍水上機基地(香川)に前進、待機します(後、大津に帰還、待機)。
大津海軍水上機基地 大津特別攻撃隊(大津)
▲出陣式の後、兵舎前で撮影された大津特別攻撃隊隊員

4月1日、司令兼副長・八島元徳大佐は舞鶴鎭守府を経て敦賀在勤武官兼舞鶴海軍運輸部敦賀支部長に転出、海軍兵學校教官兼監事・松木通世大佐が新司令に着任します。

5月5日、第十一聯合航空隊は復帰、大津空は大阪警備府(岡新中将)麾下に編入され、練習航空隊の指定を解除されます。
15日、大津空は護衛航空部隊(大阪警備府司令長官指揮)に部署され、水偵9機を大津、小松島、串本各水上機基地に配備(小松島、串本各分遣隊)し、紀州沖海面の哨戒にあたります。

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


主要参考文献
『海軍豫備航空團年報 第四號 昭和十二年度』(昭和15年6月 (財)海軍豫備航空團)

『日本海軍航空史 (2)軍備篇』(昭和44年9月 時事通信社)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (一)』(平成21年3月 渡辺博史)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (二)』(平成21年4月 渡辺博史)

『戦争と市民 湖国から平和へのメッセージ』(平成21年 大津市歴史博物館)

『軍都・大津』(平成12年 中島峰夫)

『大津航空隊』(アジア歴史資料センター)
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大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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