当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

滋賀海軍航空隊/滋賀海軍航空基地(滋賀牧場)

滋賀県大津市唐崎には滋賀海軍航空隊、隣接する際川一帯には海軍の秘匿航空基地である滋賀牧場(まきば)こと、滋賀海軍航空基地がありました。
滋賀海軍航空隊 ア 隧道 最深部から入口(大津)
▲大津市に遺る滋賀海軍航空隊の分散格納隧道

【探索日時】
平成26年1月7日、31日






滋賀海軍航空隊滋賀海軍航空基地の概要
滋賀海軍航空隊は急増する海軍飛行豫科練習生(豫科練)に対応すべく、昭和19(1944)年6月1日、滋賀県滋賀郡に三重海軍航空隊滋賀分遣隊として開隊、8月15日、滋賀海軍航空隊に改編されます。

滋賀海軍航空基地は大東亜戦争末期に全国各地に60ヶ所設営された牧場(秘匿航空基地)の一つで、舞鶴鎭守府が所管、近畿海軍航空隊(奈良)滋賀分遣隊が管理しました。
昭和20(1945)年7月20日、特殊攻撃機「櫻花」四三乙型(陸上射出機発射型)の搭乗員訓練部隊として開隊した第七二五海軍航空隊が移駐、比叡山上に比叡山特攻基地が設営されます(比叡山上から櫻花を射出、滋賀海軍航空基地に降着予定)が、櫻花四三型練習機の開発が遅れ、錬成開始前に停戦を迎えます。

滋賀海軍航空基地は滋賀海軍航空隊内に設営されたため、「滋賀空の滑走路」と言った認識から同一の施設と思われがちですが、豫科練の基礎学習を行う滋賀空に滑走路は不要であり、所管元も違う(滋賀空:横須賀鎭守府、滋賀海軍航空基地:舞鶴鎭守府)事からも別個の施設です。

なお、特殊攻撃機「櫻花」について、“連合軍は愚か者が乗る兵器という意味で日本語の「バカ」からコードネームを「BAKA」とした”と言った様な説が流布していますが、『太平洋海戦史』で知られる米国の歴史家、海軍軍人のサミュエル・モリソンによるとコードネーム「BAKA」の意味は「愚か」では無く「信じられない」や「常軌を逸した」と言う畏怖の意味合い(日本語では「そんな馬鹿な!?」、関西弁では「んなアホな!?」)と説明しています。


遺構について※青字は地図にリンクしています
① 滋賀海軍航空隊
② 滋賀海軍航空基地
③ 大津海軍射撃場
海軍省は急増する海軍飛行豫科練習生(豫科練)に対応すべく、三重海軍航空隊の拡張を計画、第八十一回帝國議會(昭和17(1942)年12月26日~昭和18(1943)年3月25日)において「水陸諸施設急速整備ニ要スル経費」が承認され、三重海軍航空隊の整備が決定します。
昭和18(1943)年8月、海軍施設本部は滋賀県滋賀郡下阪本村、坂本本町、大津市志賀里町に広がる農地の地権者を滋賀縣女子師範學校代用付属國民學校(現、志賀小学校)に招集、海軍施設本部・松永大佐は地権者に、時局の推移から該当用地167,000坪の必要性を説明し売却を懇請、地権者も国のためと承諾します。
滋賀海軍航空隊 滋賀海軍航空隊 地鎮祭(大津)
▲滋賀海軍航空隊設営前の地鎮祭の様子

農作物の収穫期が終了した晩秋、舞鶴海軍施設部の指揮のもと、海軍協會滋賀縣支部員、在郷軍人會、勤労報國隊、學校報國隊の協力を得て航空隊・航空基地の設営が開始されます(買収の経緯については『軍都・大津』を参考にしましたが、『戦争と市民』の記述とはやや異なります)。
昭和19(1944)年6月1日、未完成の施設において三重海軍航空隊滋賀分遣隊が開隊します。
8月、滋賀分遣隊施設、滋賀海軍航空基地(1,000×60m転圧滑走路1本)が完成、15日、三重海軍航空隊滋賀分遣隊は滋賀海軍航空隊に改編されます。
昭和20(1945)年7月30日1500、滋賀空に敵艦載機が来襲、ロケット弾14発が投下されますが、被害は軽微でした。
8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

10月4日、米第136歩兵連隊(昭和21年5月3日、第35歩兵連隊に交代)により滋賀海軍航空隊、滋賀海軍航空基地は接収され、、航空隊は昭和21(1946)年7月、水耕農園(後、3回に分け返還)に、航空基地は進駐軍用の連絡飛行場に転用、昭和25(1950)年9月、射撃場が接収され進駐軍の射撃場に転用されます。
昭和33(1958)年7月15日、米軍より返還され、大蔵省に移管、航空隊跡は西側一帯が防衛庁(現、防衛省)用地、東側一帯が大津市に払下げられ住宅地に、航空基地跡は大津市に払下げられ学校・工場・住宅用地に、射撃場は陸上自衛隊の射撃場に転用され現在に至ります。

航空隊、航空基地と広大な施設でしたが、残念ながら殆ど遺構は遺されていません。
滋賀海軍航空隊 昭和20年9月11日 兵器軍需品現状目録 滋賀海軍航空隊(大津)
▲滋賀海軍航空隊・滋賀海軍航空基地
 『昭和二十年九月十一日 兵器軍需品現状目録 滋賀海軍航空隊』より

滋賀海軍航空隊 滋賀航空基地(現在)(大津)
▲現在に遺る遺構配置
※以下の数字、アルファベット等は上掲地図の表記参照

A 水源地・配水施設
京阪坂本線「穴太」(あのう)駅前に遺り、現在は京阪電鉄が所有しています。
昭和20(1945)年1月5日、水道が完成し水不足が解消されました。
滋賀海軍航空隊 A 配水施設 北東から(大津)
▲配水施設
 この櫓が当時の物か不明です。

滋賀海軍航空隊 A 配水施設(下部) 北から(大津)
▲現在でも結構な量の水が流れています。

滋賀海軍航空隊 A 配水施設(上部) 南西から(大津)
▲配水施設の北西にある取水施設


C 滋賀海軍航空隊跡
元航空隊隊員の方々により、平成7(1995)年8月15日、JR湖西線「唐崎駅」前に建立されました。
滋賀海軍航空隊 C 滋賀海軍航空隊跡(大津)
▲正面に設立の経緯、裏面に滋賀海軍航空隊の略歴が書かれています。


B 滑走路跡
昭和19(1944)年8月に完成しました。
現在は滑走路全域が文教ゾーンとして各種学校が建てられ、滑走路の区画が遺る程度です。
滋賀海軍航空隊 B 滑走路(滋賀牧場)跡(道路右側) 北東から(大津)
▲この道路を含む写真右側が滑走路跡


隊外物資格納庫
ア 隧道
滋賀海軍航空隊の唯一のはっきり遺る遺構です。
前回紹介した大津海軍航空隊の地下壕が発見された際、「大津市内に遺る唯一の地下壕」と報道されていましたが、その唯一の地下壕が破壊されたため、この滋賀海軍航空隊の地下壕が大津市内に遺る唯一の地下壕と言う事になります。
大津空の地下壕の様に破壊されかねないので、場所は伏せさせて頂きます。

奥行は30m(水没地点まで)あり、壕口から17m地点で右側に横坑があります。
滋賀海軍航空隊 ア 隧道 壕口(大津)
▲壕口

滋賀海軍航空隊 ア 隧道 壕口から(大津)
▲壕口付近はやや水が溜まっています。

滋賀海軍航空隊 ア 隧道 壕口付近から内部(大津)
▲内部は横坑より先がやや崩落しています。

滋賀海軍航空隊 ア 隧道 中央分岐部 壕口方向から(大津)
▲壕口から17m付近で右側に分岐しますが・・・

滋賀海軍航空隊 ア 隧道 中央分岐部(水没)(大津)
▲横坑は完全に水没しています。
 ただすぐ行き止まりの様です。

滋賀海軍航空隊 ア 隧道 最深部(水没)(大津)
▲本坑最深部は30m地点でやや右側に曲がりながら続きますが、水没により長靴では進めません。

滋賀海軍航空隊 ア 隧道 最深部から入口(大津)
▲最深部水没付近から壕口


イ 水槽
“ア”隧道の東側斜面上の削平地にあります。
幅77×奥行245×厚さ13cmあります。
滋賀海軍航空隊 イ 水槽 南東から(大津)


ウ 基礎
“イ”の水槽の南側にあります。
小型建物の基礎の様ですが、用途不明です。
滋賀海軍航空隊 ウ 便所?基礎 東から(大津)


周辺には地下壕の崩落跡と思しき箇所が点在しています。
滋賀海軍航空隊 エ 隧道跡(上段) 東から(大津)
▲完全に崩落しています。

滋賀海軍航空隊 オ 地下壕跡? 北から(大津)
▲崩落して溝状になっています。


展開部隊
滋賀海軍航空隊
昭和19(1944)年6月1日、滋賀縣滋賀郡において三重海軍航空隊滋賀分遣隊が開隊(入江淵平大佐)します。
甲種飛行豫科練習生 第十三期生1,000名(操縦専修)が三重海軍航空隊奈良分遣隊から転隊してきます(6月12日、到着)。
8月1日、甲飛十四期生1,700名(操縦、偵察)が奈良分遣隊から転隊してきます。

15日、滋賀分遣隊は滋賀海軍航空隊に改編(森本丞少将)され、横須賀鎭守府所管の練習航空隊に指定され、豫科練教育を担当します。
滋賀海軍航空隊 滋賀海軍航空隊本部庁舎(大津)
▲滋賀海軍航空隊本部部員
 前列左から5人目が森本丞少将

滋賀海軍航空隊は第十九聯合航空隊(練習聯合航空總隊、横須賀鎭守府に各所属)に編入、横須賀鎭守府部隊(野村直邦大将指揮)第十九聯合航空隊(久邇宮朝融王少将)に部署(作戦に関しては大阪警備府、舞鶴鎭守府各司令長官の区所)され、豫科練教育にあたります。
三重空西宮分遣隊(藤村政亮大佐)が滋賀空に移管、滋賀空に寳塚分遣隊(木下康夫中佐)が新設されます。
9月1日、甲飛十三期生の志願者から第一次特殊兵器(海龍)要員100名が選抜、3日、第一特別基地隊(大浦崎P基地)に転隊します。
滋賀海軍航空隊 滋賀空第一次特殊兵器要員(大津)
▲第一次特殊兵器(海龍)要員

15日、甲飛十四期前期生2,300名が入隊します。
30日、第十五期飛行専修豫備學生400名が入隊します。
10月1日、甲飛十五期生3,000名が入隊します。
3日、第二期飛行専修豫備學生200名が入隊します。

昭和20(1945)年3月1日、第十九聯合航空隊は解隊、滋賀空は舞鶴鎭守府麾下に新編された第二十三聯合航空隊に編入されます。
滋賀空は舞鶴鎭守府部隊(田結穣中将)第二十三聯合航空隊に部署され、引き続き教育にあたります。
滋賀空西宮分遣隊、同寳塚分遣隊がそれぞれ西宮海軍航空隊、寳塚海軍航空隊に改編されます。
同日、司令・森本丞少将は鹿児島海軍航空隊司令に転出、浦戸海軍航空隊司令・別府明朋少将が第二十三聯合航空隊司令兼滋賀空司令に着任します。
同日、甲飛十三期生(後期)の一部が豫科練教程を卒業し、飛練教程へ進みます。

3月26日、第二次特殊兵器(海龍・蛟龍)要員の募集が告知され、28日、甲飛十三・十四期生の志願者から200名が選抜、30日、大竹潜水學校柳井分校に転隊します。
4月1日、甲飛十六期生761名が入隊します。
24日、甲飛十四期生の志願者から水上特攻隊(震洋)要員326名が選抜、川棚臨時魚雷艇訓練所に転隊します。

5月、海軍航空本部・永石正孝大佐は特殊攻撃機「櫻花四三乙型(地上発射型)」の射出訓練用地として射出位置が高く、かつ急速に反復できる場所として観光用ケーブルカーがある生駒山と比叡山に着目、最終的に隣接地に発射された櫻花が降着する滑走路がある比叡山と滋賀海軍航空基地を選定、6月、不急線として休止中の比叡山鐡道線(坂本ケーブル)を資材運搬用に借受、滋賀空在隊者80名により比叡山鐡道線「叡山中堂駅」(現、ケーブル延暦寺駅)付近で訓練基地の設営を開始します。
比叡山特攻基地 (3)(大津)
▲資材運搬用に屋根を外した比叡山鐡道線のケーブルカー

6月1日、官房機密『飛行専修豫備學生、同豫備生徒及飛行豫科練習生教育ニ対スル非常措置』が通達され、豫科練教育の停止が決定、在隊の第十五期飛行専修豫備學生は陸戦訓練のため横須賀砲術學校館山分校(阿部孝壮中将)に転隊します。

15日、滋賀空、寳塚空の甲飛十三期生の志願者から航空特攻隊要員(櫻花・秋水)600名が選抜(伊吹部隊)されますが、櫻花・秋水の生産遅れのため部隊は第一・第二・第三山城隊、第一・第二播磨隊、近江隊に別れ、7月1日、滋賀空を退隊し、各海軍航空基地に派遣され錬成にあたります。

6月18日、豫科練教育が停止され、甲飛十三期生の志願者から特殊化兵要員(化学戦)100名が選抜され洲ノ崎海軍航空隊(舘山)に転隊、滋賀空在隊者の大半は隣接する滋賀海軍航空基地防衛のための陸戦隊、及び舞鶴鎭守府管下にある沿岸防御施設に派遣されます。

20日、第二期飛行専修豫備學生は陸戦訓練のため横須賀砲術學校館山分校に転隊します。
26日、甲飛十四期生からの選抜者が三重空を経由し、長野県野辺山に移駐し文部省一型初級滑空機、次いで十七試初歩滑空練習機「若草」により「櫻花」搭乗員の訓練(7月、「秋水」の説明がされる)を開始します。

30日、第二十三聯合航空隊は解隊され、滋賀空は横須賀鎭守府麾下の第二十聯合航空隊に編入され、航空、水上、水中特攻隊要員の基礎教育を実施するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

11月30日、残務整理を終え、滋賀海軍航空隊は復帰、復員完結します。


第七二五海軍航空隊
昭和20(1945)年7月1日、横須賀鎭守府所管の常設航空隊として香取海軍航空基地において開隊(鈴木正一中佐)、横須賀海軍航空基地を原駐地として聯合艦隊に所属します(軍隊区分は横須賀鎭守府部隊に部署?航空機定数は不明)。
七二五空は試作中の特殊攻撃機「櫻花」四三甲型(潜水艦射出型)、及び同乙型(陸上発射台射出型)の搭乗員訓練部隊として発足します。
比叡山特攻基地 櫻花四三型(大津)
▲櫻花四三型平面図
 全長8.164m、翼幅8.972m、翼格納時幅3.21m、弾頭800kg  
 ネ-二〇タービンロケット(ターボジェットエンジン)1、四式一號噴進器二〇型(加速用)1
 最大速度300節(555.6km/h)、航続距離150浬(277.8km)

20日、七二五空は設営が進む比叡山特攻基地に隣接する滋賀海軍航空基地に移駐、七二二空(神之池)より40名が、8月1日、七二二空より83名が転隊してきます。
飛行科、整備科は滋賀海軍航空基地に、主計科、通信科等一般隊員は比叡山延暦寺の僧房を間借りし宿営しました。
8月初旬、60mの射出機が凡そ完成、櫻花に見立てた櫓を射出し、射出機の試運転は成功します。
8月15日、射出機の竣工式を予定、櫻花四三型練習機(機体は6月27日、武山海兵團において射出試験に成功していましたが、量産が遅れ最終的に2機が完成したのみ)の配備を待つなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
比叡山特攻基地 櫻花四三型練習機 K-2(大津)
▲停戦後、米軍に接収された櫻花四三型練習機
 練習機として複座になるなど、櫻花四三乙型の実機とは形状が異なります。

比叡山特攻基地 (2)(大津)
▲数年前に見つかった比叡山特攻基地の概略図

比叡山特攻基地(大津)
▲比叡山特攻基地の想像図

比叡山特攻基地 (4)(大津)
▲停戦後、米軍により爆破破壊された比叡山特攻基地

待機中の特殊攻撃機搭乗要員には未だ定められた日課は無く滋賀海軍航空基地にあった零戦、九三式中練で特殊飛行(曲芸飛行)や、琵琶湖での水練、魚釣などをして暫しの余暇を過ごしていた様です。
七二五空で錬成を修了した櫻花四三乙型の搭乗員は各地に設営中の特攻基地に配備、周辺3乃至5基地を一群とし、決號作戰(本土決戦)に際して敵艦隊に一斉に突入する計画でした。
昭和20(1945)年7月14日、『官房空機密第一一四九號「櫻花四三型基地整備ノ件」』によると特攻基地の配置は以下の計画だった様ですが、資材不足から設営が大幅に遅れ、9月末時点で8基、最終的な完工は昭和21年1月末予定とされました。
● 関東地区
・熱海峠付近  射出機  8  8月末完成予定
・房総南部     〃  12    〃
・筑波付近     〃   6  9月末完成予定
・武山付近     〃   1   8月末完成予定

● 東海地区
・大井付近     〃   6   9月末完成予定
・朝熊山付近    〃   6     〃

● 紀伊水道
・田辺付近     〃   10     〃

※櫻花配備の基地名称は何れも未完成のため運用時の正式名称は不明です。
 拙ブログでは各地に設営された震洋配備の基地に倣い「特攻基地」(比叡山特攻基地)と記載させて頂いています。


主要参考文献
『日本海軍航空史 (2)軍備篇』(昭和44年9月 時事通信社)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (三)』(平成21年5月 渡辺博史)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (四)』(平成21年6月 渡辺博史)

『戦争と市民 湖国から平和へのメッセージ』(平成21年 大津市歴史博物館)

『軍都・大津』(平成12年 中島峰夫)

『続 軍都・大津』(平成14年1月 中島峰夫)

『丸 2013年 10月号』(平成25年8月 潮書房)

『神雷部隊始末記』(平成21年11月 加藤浩)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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