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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大谷陸軍射撃場

滋賀県大津市大谷町には大谷陸軍射撃場がありました。
大谷陸軍射撃場 39(滋賀大津)
▲射撃場周辺に遺る「陸」刻字の境界石標
 (左は戦後の「国有林界」)

【探索日時】
平成24(2012)年12月26日、令和2(2020)年1月4日

【改定情報】
令和2(2020)年1月7日・・・遺構追加





大津市内の陸軍施設配置
大津少年飛行兵學校(現在)(滋賀大津)
▲大津陸軍少年飛行兵學校と遺構配置
①大津陸軍少年飛行兵學校
②京都陸軍病院 大津分院
③大津陸軍少年飛行兵學校(南側)・練兵場(北側)
④大津聯隊區司令部
⑤大津憲兵分隊
⑥(財)滋賀縣國防協會 大谷射撃場(旧 大谷陸軍射撃場
⑦大津陸軍射撃場
⑧大津陸軍大墓地
⑨大津陸軍小墓地
※緑文字が当記事の紹介施設



⑥ 大谷陸軍射撃場
  (財)滋賀縣國防協會 大谷射撃場

明治8(1875)年1月19日、滋賀縣滋賀郡別所村(現、大津市御陵町)に歩兵第九聯隊兵営が竣工、3月8日、歩兵第九聯隊が大阪から移駐してきます。
明治9(1876)年11月6日、陸軍省は滋賀郡大津町大谷北川の官山、弥勒谷・真直谷(現、大津市大谷町)の民有地計11,100坪を移管・買収し、歩兵第九聯隊管下の大谷陸軍射的場(後に大谷陸軍射撃場に改称)を開設します。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、昭和21(1946)年11月、米軍により接収され、大津南射撃場と改称されます。
接収中の昭和21年、所有権が滋賀縣國防協會から恩賜財団同胞援護協会京都支部に譲渡され、昭和32(1957)年11月5日、米軍より返還、京都府に移管、現在は住宅地になっています。

滋賀県総務部外務課作成の『駐留軍施設区域一覧(昭和32年7月末現在)』によると、停戦時の所有者が「滋賀縣國防協會」になっている事から、時期は不明ですが陸軍省から所有権が移行している様です。

移管時期については他の施設と同様に、大正14(1925)年5月6日、第三次軍備整理(宇垣軍縮)に伴い歩兵第九聯隊主力は第三大隊を大津に残置し、京都に移駐した時か、昭和9(1934)年4月11日、第三大隊が聯隊とともに滿洲駐箚に出発した時と思われます。


遺構について
大谷陸軍射撃場は外周に境界石標が多数遺り、ほとんどの石標が国有林境界石標と並んでおり、付近に目印の赤テープがあるため見つけやすいです。
石標は全て「陸」の表記しかありませんが、字体が2種類あります。
数が多いので抜粋して御紹介します。
大谷陸軍射撃場(滋賀大津)
▲大谷陸軍射撃場 遺構配置図

ア 門柱
東海自然歩道の斜面下に倒れています。
射撃場の入口は現在の様に南側では無く北側にあり、歩兵第九聯隊兵営からは山を越えて最短で接続していた様です。
大谷陸軍射撃場 ア 門柱(滋賀大津)
▲自然歩道造成の際に抜かれ投棄された様です

イ 門柱
上記アの5mほど上に転がっています。
大谷陸軍射撃場 イ 門柱金具(滋賀大津)

大谷陸軍射撃場 イ 門柱(滋賀大津)
▲扉の吊金具が遺ります


1 「陸」
駐車場奥の擁壁の上にあります。
大谷陸軍射撃場 ケ 「陸」(滋賀)


2 「陸」
国有林境界石標と並んでいます。
大谷陸軍射撃場 コ 「陸」(滋賀)


3 「陸」
殆ど埋まっている物も多いです。
大谷陸軍射撃場 サ 「陸」(滋賀)


5 「陸」 ※公園周辺はリンクを省略します。
こちらは隣に国有林境界石標がありません。
大谷陸軍射撃場 ス 「陸」(滋賀)

5から20は全て、この公園の外周にあります。


9 「陸」
大谷陸軍射撃場 チ 「陸」(滋賀)
▲埋もれている物もあります


11 「陸」
大谷陸軍射撃場 テ 「陸」(滋賀)


14 「陸」
大谷陸軍射撃場 ニ 「陸」(滋賀)


ヌ 「陸」 境界石標
大谷陸軍射撃場 ヌ 「陸」(滋賀)


17 「陸」
大谷陸軍射撃場 ノ 「陸」(滋賀)


18 「陸」
抜けて倒れています。
大谷陸軍射撃場 ハ 「陸」(滋賀)


20 「陸」
公衆便所の裏に抜けて転がっていたので、立てておきました。
大谷陸軍射撃場 フ 「陸」(滋賀)


21 「陸」
乗馬場の際に遺ります。
大谷陸軍射撃場 21(滋賀大津)


23 「陸」
大谷陸軍射撃場 23(滋賀大津)


25 「陸」
大谷陸軍射撃場 25(滋賀大津)


27 「陸」
乗馬場横から東海自然歩道に繋がる山道沿いに遺ります。
大谷陸軍射撃場 27(滋賀大津)


34 「陸」
大谷陸軍射撃場 34(滋賀大津)


39 「陸」
字体が他の境界石標と異なります。
大谷陸軍射撃場 39(滋賀大津)


40 「陸」
斜面のかなり上にあります。
大谷陸軍射撃場 40(滋賀大津)


42 「陸」
側溝に埋まっており刻字が読めませんが、材質からして陸軍の境界石標と思われます。
大谷陸軍射撃場 ヘ 「陸」?(滋賀)


43 「陸」
大谷陸軍射撃場 ホ 「陸」(滋賀)


45 「陸」
駐車場の奥、斜面上に遺ります。
大谷陸軍射撃場 45(滋賀大津)


49 「陸」
民家裏のフェンス沿いに遺ります。
大谷陸軍射撃場 49(滋賀大津)

西側は山際まで住宅が建て込んでおり確認できませんが、国有林界の表記から多数の境界石標が遺ると思われます。


主要参考文献
『戦争と市民 湖国から平和へのメッセージ』(平成21年 大津市歴史博物館)

『軍都・大津』(平成12年 中島峰夫)

『続軍都・大津』(平成14年1月 中島峰夫)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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