当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大津陸軍墓地

滋賀県大津市皇子が丘には大津陸軍墓地があります。
大津陸軍墓地 c 兵卒(滋賀)
▲大津陸軍墓地 兵卒墓所

【探索日時】
平成24年12月26日






大津市内の陸軍施設配置
歩九・大津少飛 遺構(現在)(大津)
▲大津陸軍少年飛行兵學校と遺構配置
①大津陸軍少年飛行兵學校
②京都陸軍病院 大津分院
③大津陸軍少年飛行兵學校(南側)・練兵場(北側)
④大津聯隊區司令部
⑤大津憲兵分隊
⑥(財)滋賀縣國防協會 大谷射撃場
⑦大津陸軍射撃場
大津陸軍墓地
※緑文字が当記事の紹介施設



遺構について※青字は地図にリンクしています
⑧ 大津陸軍墓地
明治8(1875)年1月19日、滋賀縣山上村(現、大津市)に歩兵第九聯隊兵営が竣工、3月8日、歩兵第九聯隊が大阪から移駐してきます。
明治8(1875)年8月、滋賀郡山上村字部屋ケ谷(現、大津市皇子が丘)の1,600坪を陸軍埋葬地として計画、官・民有地を移管・買収し、工兵第四方面(大阪)により造成され大津営所附属陸軍埋葬地大津陸軍埋葬地)として完成しました。

大正14(1925)年5月6日、第三次軍備整理(宇垣軍縮)に伴い歩兵第九聯隊は第三大隊を大津に残置し、京都に移駐、昭和9(1934)年4月11日、聯隊の滿洲駐箚に伴い第三大隊も大津を去りますが、大津陸軍埋葬地は京都深草に改葬されること無く現在地に遺され、昭和13(1938)年5月5日、『陸軍墓地規則』により大津陸軍墓地と改称されます。

経緯は不明ですが、昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦後も破壊される事無く存続、昭和51(1976)年、西大津バイパスの建設に伴い3段のうち最下段が破壊、墓標は2段目を拡張して改葬され、現在は我が国発展の礎になられた英霊559名が眠り、大津陸軍墓地護持奉賛會、大津市により維持管理されています。
大津陸軍墓地 大津陸軍墓地 配置(滋賀)
▲大津陸軍墓地 配置図
 赤ベタ:元の大津陸軍墓地範囲
 緑枠線:現在の大津陸軍墓地

h 将校墓所
20名が眠ります。
大津陸軍墓地 h 将校(滋賀)
▲将校墓標

大津陸軍墓地 h 将校 最上官 草場彦輔少将(滋賀)
▲大津陸軍墓地最高位の草場彦輔少将の墓標
 福岡出身。西南の役、明治二十七八年戰役(日清戦争)、台湾土匪討伐、
 明治三十七八年戰役(日露戦争)等で活躍、歩兵第九聯隊長、
 後備歩兵第六旅團長を歴任、遺言により当墓地に埋葬されました。
 近代における我が国の安全保障に一生を捧げて下さった偉大な将軍です。

大津陸軍墓地 h 将校 最大の墓碑(滋賀)
▲大津陸軍墓地最大の井戸順行中佐の墓標
 長州萩出身。第5代歩兵第九聯隊長


h1 大正三乃至九年戰役戰病死者之碑
シベリア出兵の戦病没者の合葬墓です。
大正11(1922)年6月に建立されました。
明治二十七八年戰役(日清戦争)までは個人墓標が建立されますが、明治三十七八年戰役(日露戦争)以降は戦病没者が増加するため、合葬墓が建立される様になります。
大津陸軍墓地 h1 大正三乃至九年戰役戰病死者之碑(滋賀)


h2 明治三十七八年戰役将校同相當官戦病死者合葬碑
日露戦争の将校、及び相当官の戦病没者の合葬墓です。
明治39(1906)年11月に建立されました。
大津陸軍墓地 h2 明治三十七八年戰役将校同相當官戦病死者合葬碑(滋賀)


h3 将校親族の墓所
この一画は元々陸軍省の用地では無い様で、草場彦輔少将の妻・榮子氏を始め、将校の親族10名が眠ります。
山口陸軍墓地に隣接して別区画で寺内正毅・壽一両元帥大将とその奥様の墓所はありますが、陸軍墓地に地続きで接続して埋葬者の親族の墓所があるのは珍しいと思います。
大津陸軍墓地 h3 将校北側の民間墓地(滋賀)


g 下士官墓所
没年月日から兵営で病気や事故で亡くなった18名の墓所の様です。
大津陸軍墓地 g 下士官(滋賀)


f  下士官墓所
明治二十七八年戰役(日清戦争)、台湾土匪討伐の際に戦病没された15名の墓所の様です。
大津陸軍墓地 f 下士官(滋賀)


f 1 明治三十七八年戰役戰没下士戦病死者合葬碑
明治39(1906)年11月に建立されました。
大津陸軍墓地 f1 明治三十七八年戰役戰没下士戦病死者合葬碑(滋賀)


f 2 明治三十七八年戰役戰没准士官戦病死者合葬碑
明治39(1906)年11月に建立されました。
大津陸軍墓地 f2 明治三十七八年戰役戰没准士官戦病死者合葬碑(滋賀)


e 下士官墓所
21名の方が眠ります。
大津陸軍墓地 e 下士官(滋賀)


c 下士官・兵の墓所
明治二十七八年戰役(日清戦争)、台湾土匪討伐の際に戦病没された207名の墓所の様です。
大津陸軍墓地 c 兵卒(滋賀)


d 下士官・兵の墓所
歩兵第九聯隊が大津に移駐した直後に兵営で病気や事故で亡くなった37名の墓所の様です。
大津陸軍墓地 d 兵卒(滋賀)


d1 ロシア俘虜の墓
明治三十七八年戰役(日露戦争)の際のロシア人俘虜イワン・ドラトフスキーの墓です。
大津陸軍墓地 d1 俘虜の墓(滋賀)


以下は昭和51(1976)年、西大津バイパスの建設に伴う墓地改修の際に破壊された最下段から改葬されました。
a 兵卒墓所
明治、大正期に亡くなった98名の方が眠ります。
大津陸軍墓地 a 兵卒(滋賀)

大津陸軍墓地 a 生兵(滋賀)
▲生兵・中岡捨吉氏の墓標です。
 生兵とは兵卒見習いの事で、国軍建軍当初にあった階級です。


b 兵卒墓所
明治、大正期に亡くなった137名の方が眠ります。
我が兵に混じって清國の俘虜2名の墓もあります。
大津陸軍墓地 b 兵卒(滋賀)


a1 明治三十七八年戰役戰没兵卒戦病死者合葬碑
同じ戦役で戦病没した将校、下士官の対面(墓地両端)に建立されています。
せっかく改葬するのであれば、もう少し近くに改葬したら良かったのにと思います。
大津陸軍墓地 a1 明治三十七八年戰役戰没兵卒戦病死者合葬碑(滋賀)


ヲ 陸軍地
大津陸軍墓地に遺る唯一の境界石標です。
本来の大津陸軍墓地境界の屈曲する部分を示しています。
大津陸軍墓地 ヲ 陸軍地(滋賀)


以下は戦後に建立された物です。
e1 大東亜戰戦没者之碑
戦後の建立です(建立年月日を見るのを忘れました・・・)。
大津陸軍墓地 e1 大東亜戰戦没者之碑(戦後)(滋賀)


h4 日清日露第一次第二次世界大戦各戦役戦没之英霊供養塔
昭和55(1980)年5月10日、滋賀県、大津市、護持奉賛會により建立されました。
大津陸軍墓地 h4 日清日露第一次第二次世界大戦各戦役戦没之英霊供養塔(滋賀)


b1 超日月光霊土
昭和52年11月10日、大津陸軍墓地護持奉賛會、建設省近畿地方建設局滋賀国道工事事務所により建立されました。
昭和51(1976)年、西大津バイパスの建設に伴う墓地改修の際に破壊された最下段の埋葬土を埋めた碑の様です。
大津陸軍墓地 b1 超日月光霊土(戦後)(滋賀)


b2 記念碑
大津陸軍墓地の言われ、西大津バイパス建設に伴う改葬の事が書かれています。
大津陸軍墓地 b2 記念碑(滋賀)


f 3 霊土
昭和51(1976)年、西大津バイパスの建設に伴う墓地改修の際に破壊された最下段の埋葬土を埋めた碑の様です。
大津陸軍墓地 f3 霊土(滋賀)


主要参考文献
『埋葬地開墾竣成ノ義ニ自申進(4より埋葬地開墾竣成上申)』(アジア歴史資料センター)

「歴史的文書」件名目録 明治期(滋賀県公式サイト)
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カテゴリ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カウンター
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。


●Facebookやってますので本名ご存知の方はぜひ。
目印は水木しげる先生風の自画像です(笑)

検索フォーム
リンク
地図・史資料
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
ライオンズニュース
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる