当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大村陸軍病院/歩兵第二十三旅團司令部/放虎原陸軍練兵場/池田陸軍射撃場

長崎県大村市にあった歩兵第四十六聯隊の兵営に隣接して大村陸軍病院歩兵第二十三旅團司令部放虎原陸軍練兵場池田陸軍射撃場がありました。
第二十三旅團 ア 門柱 南から(長崎)
▲児童養護施設に遺る歩兵第二十三旅團司令部の正門門柱と塀

【探索日時】
平成24年11月27日





歩兵第四十六聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
歩兵第四十六聯隊 大村(大正15) 陸地測量部(長崎)
▲大正15年頃の地図(大正15年測量 大日本帝國陸地測量部地形図64 大村近傍)
 ※地図は施設に色付け加工しています。

歩兵第四十六聯隊 歩四十六 国土地理院 NI-52-17(22117)(長崎)
▲昭和22(1947)年1月17日の大村市周辺の空撮(国土地理院 NI-52-17)
 ※空撮は加工しています。

歩兵第四十六聯隊(現在)(長崎)
▲現在の地図に施設を転写
※緑文字が当記事の紹介施設
①歩兵第四十六聯隊 兵営
大村陸軍病院
歩兵第二十三旅團司令部
放虎原陸軍練兵場
池田陸軍射撃場

⑥大村憲兵分隊
⑦大村聯隊區司令部
⑧大村陸軍墓地
名称については一般的な昭和11(1936)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
② 大村陸軍病院
明治30(1897)年6月10日、東彼杵(ひがしそのぎ)郡西大村(現、大村市)に歩兵第四十六聯隊が移駐して来たのに伴い、大村衛戍病院が開院します。
大正14(1925)年5月1日、第三次軍備整理(宇垣軍縮)に伴い、隣接する第二十三旅團司令部が復帰したため、敷地、建物が衛戍病院に移管されます。
昭和11(1936)年11月2日、『勅令第三百八十七號「衛戍病院令中改正」』により、10日、大村陸軍病院と改称します。
昭和20(1945)年8月9日、原爆投下による犠牲者を多数収容、治療にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の大村陸軍病院の分類は三等甲病院で、病床数250でした。

12月1日、陸軍省が第一復員省に改編されたのに伴い、大村陸軍病院は厚生省に移管され国立長崎病院に改称、昭和25(1950)年7月1日、国立大村病院(旧大村海軍病院)に統合され国立大村病院松並分病棟に改称、昭和43(1968)年10月1日、跡地に佐世保市から乳児院が新築移転し現在に至ります。

敷地は全面的に造成されており、遺構は何も遺されていません
第二十三旅團 ②大村陸軍病院の周囲に巡らされた鉄線柵(長崎)
▲大村駐屯地との境にコンクリート柵が立っていますが、見た感じ戦後の物の様です。


③ 歩兵第二十三旅團司令部
明治29(1896)年5月1日、熊本において編成下令、明治30(1897)年6月10日、歩兵第四十六聯隊とともに東彼杵(ひがしそのぎ)郡西大村(現、大村市)に移駐し、9月28日、歩兵第二十三旅團長・内藤正明少将発令、10月15日、歩兵第四十六聯隊第一大隊本部庁舎内において編成完結、明治31(1898)年9月、大村衛戍病院隣接地に新庁舎が竣工したのに伴い移転します。
大正14(1925)年5月1日、第三次軍備整理(宇垣軍縮)に伴い第二十三旅團司令部は復帰、敷地、建物は隣接する大村衛戍病院に移管されます。

昭和43(1968)年4月1日、旧旅團司令部跡に長崎市岩屋町から児童養護施設向陽寮が新築移転し現在に至ります。

ア 正門門柱
旅團司令部正門は現在も向陽寮正門として使用され、煉瓦造りの門柱3本が遺ります。
第二十三旅團 ア 門柱 南から(長崎)
▲第二十三旅團司令部 正門門柱

第二十三旅團 ア 門柱 東側 南から(長崎)
▲東側門柱 近影

第二十三旅團 ア 門柱 東側 南から (2)(長崎)
▲東側門柱には門札を掛ける金具が遺ります。

第二十三旅團 ア 門柱 西側 南から(長崎)
▲西側門柱(袖門左側、正門右側)


イ 
正門の袖門から続く煉瓦塀が遺されています。
第二十三旅團 イ 塀 南東から(長崎)
▲正門から続く煉瓦塀
 煉瓦塀は正門の両側に遺りますが、東側は正門付近のみ、
 西側は写真の様に道路に沿って数m遺ります。

第二十三旅團 イ 塀 南西から(長崎)
▲煉瓦塀 奥側から

第二十三旅團 イ 塀 裏側(長崎)
▲煉瓦塀の裏側はコンクリートで補強されています。


④ 放虎原(ほうこばる)陸軍練兵場
明治30(1897)年6月10日、東彼杵(ひがしそのぎ)郡西大村(現、大村市)に歩兵第四十六聯隊が移駐して来たのに伴い、放虎原陸軍練兵場が開設されます。
現在は一部が児童養護施設敷地、陸上自衛隊・大村駐屯地に、大半が付属する植松訓練場になっています。

上掲の『大正15年測量 大日本帝國陸地測量部地形図64 大村近傍』を見るとかなり歪な形に区画されていますが、停戦後の空撮『国土地理院 NI-52-17』を見ると現在と同様の四角く区画されています。

練兵場なので遺構があっても境界石標くらいですが、南側は大村駐屯地に含まれ滅失、北側、西側は民家が建て込んでおり踏査不能、東側は道路整備により何も遺されていませんでした。


⑤ 池田陸軍射撃場
明治30(1897)年6月10日、東彼杵(ひがしそのぎ)郡西大村(現、大村市)に歩兵第四十六聯隊が移駐して来たのに伴い、池田陸軍射撃場が開設されます。
現在、西側は住宅地、東側は長崎自動車道・大村インターチェンジの建設に伴い造成されてしまいました。


主要参考文献
『大村陸軍 : 郷土部隊五十年の足跡』(昭和58年8月 村井敏郎)

『大村市史』(昭和36年2月 大村市史編纂委員会)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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