当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大村聯隊區司令部

長崎県大村市の大村公園(玖島城跡)に大村聯隊區司令部がありました。
大村聯隊區司令部 カ「陸軍所轄」 境界石標(長崎)
▲大村聯隊區司令部跡に遺る境界石標

【探索日時】
平成24年11月27日






歩兵第四十六聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
歩兵第四十六聯隊 大村(大正15) 陸地測量部(長崎)
▲大正15年頃の地図(大正15年測量 大日本帝國陸地測量部地形図64 大村近傍)
 ※地図は施設に色付け加工しています。

歩兵第四十六聯隊 歩四十六 国土地理院 NI-52-17(22117)(長崎)
▲昭和22(1947)年1月17日の大村市周辺の空撮(国土地理院 NI-52-17)
 ※空撮は加工しています。

歩兵第四十六聯隊(現在)(長崎)
▲現在の地図に施設を転写
※緑文字が当記事の紹介施設
①歩兵第四十六聯隊 兵営
②大村陸軍病院
③歩兵第二十三旅團司令部
④放虎原陸軍練兵場
⑤池田陸軍射撃場
⑥大村憲兵分隊
大村聯隊區司令部
⑧大村陸軍墓地
名称については一般的な昭和11(1936)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
⑦ 大村聯隊區司令部
明治21(1888)年)5月14日、『大隊區司令部条例』(明治二十一年勅令第二十九號)により長崎市内に長崎大隊區司令部が設置されます。
明治29(1896)年4月1日、『聯隊區司令部条例』(明治二十九年勅令第五十六號)により長崎大隊區は大村聯隊區に改編され、明治31(1898)年11月10日、東彼杵( ひがしそのぎ)郡大村町(現、大村市)の玖島城跡に竣工した新築庁舎に大村聯隊區司令部として移転してきます。
昭和16(1941)年4月1日、大村聯隊區が長崎聯隊區に改称されたのに伴い、聯隊區司令部は再び長崎市内に移転、昭和20(1945)年3月24日、聯隊區司令部内に長崎地區司令部が設置され、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

長崎市内移転後の大村聯隊區司令部跡がどの様な経緯をたどったかは不明ですが、国土地理院の空撮を追うと、司令部庁舎は昭和40年代まで存在したようです。

現在、跡地は大村公園(玖島城跡)の藤棚広場になっています。
大村聯隊區司令部(長崎)
▲大村聯隊區司令部(撮影時期不明)

大村聯隊區司令部 聯隊區司令部跡(長崎)
▲現在の聯隊區司令部跡
 公園の一部になり痕跡は何も遺されていません。


カ 陸軍所轄(地?)
境界石標が1本だけ藤棚広場の南側、塀際にあります。
大村聯隊區司令部 カ「陸軍所轄」 境界石標(長崎)
▲当日は掘る道具を持っていなかったの確認出来ませんでしたが、「地」の字が埋まっていると思われます。

境界石標の付近に大村連隊区司令部跡の石碑があります。
昭和55年11月3日、元聯隊區司令部職員有志の方により建立されました。
大村聯隊區司令部 カ 大村聯隊区司令部跡 碑(長崎)
▲側面に大村聯隊區司令部の略歴が刻字されています。

大村聯隊區司令部 跡地に転がる石材(長崎)
▲周辺には石材が転がっていますが、詳細は不明です。


聯隊區司令部とは関係ありませんが、玖島城二之丸には各種軍関連の石碑があります。
忠烈 陸軍少佐佐藤嘉平次君碑
大正4年11月、有志により建立されました。
大村聯隊區司令部 忠烈 陸軍少佐佐藤嘉平次君碑(長崎)

佐藤嘉平次大尉(当時)は神道無念流の免許皆伝で、歩兵第四十六聯隊内随一の剣道の達人でもあり、また優れた人格者でもありました。
大村聯隊區司令部 佐藤嘉平次陸軍少佐(長崎)
▲佐藤嘉平次陸軍大尉(戦没後少佐)

大正3(1914)年9月28日、大正三四年戰役(第一次世界大戦)の青島要塞攻略戦において第四中隊を率い、青島北西の要地・浮山に進撃、独軍の銃砲火を避けるべく、裏手の断崖を登り攻略を目指しますが、機関銃射撃を受け胸部・腹部に被弾しながらも怯む部下を叱咤激励し突撃を指示し部下33名とともに散華、直後に中隊は浮山攻略に成功、その後の第十八師團の青島攻略に貢献します。
石碑の揮毫は青島要塞攻略戦の際、堀内支隊長として歩兵第四十六聯隊を率いていた当時の歩兵第二十三旅團長・堀内文次郎少将です。


歩兵第二十三旅團記念碑
裏面に歩兵第二十三旅團の略歴が刻字されています。
大村聯隊區司令部 歩兵第二十三旅團記念碑(玖島城)(長崎)

写真がピンぼけしていて建立時期は不明ですが、大正14(1925)年5月1日、第三次軍備整理(宇垣軍縮)により第二十三旅團司令部が復帰したところまでしか書かれていない(同旅團は昭和12年9月9日に復活)事から、大正14年頃に建立されたと思われます。


主要参考文献
『大村陸軍 : 郷土部隊五十年の足跡』(昭和58年8月 村井敏郎)

『大村市史』(昭和36年2月 大村市史編纂委員会)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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