当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大村陸軍墓地 ・ 長崎縣忠霊塔

切支丹大名として有名な大村純忠の居城、長崎県大村市の三城(さんじょう)城跡に大村陸軍墓地、隣接して長崎縣忠霊塔があります。
大村陸軍墓地 I 長崎縣忠霊塔 (3)(長崎)
▲大村陸軍墓地に隣接して建つ長崎縣忠霊塔

【探索日時】
平成24年11月30日、平成27年9月25日





歩兵第四十六聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
歩兵第四十六聯隊 大村(大正15) 陸地測量部(長崎)
▲大正15年頃の地図(大正15年測量 大日本帝國陸地測量部地形図64 大村近傍)
 ※地図は施設に色付け加工しています。

歩兵第四十六聯隊 歩四十六 国土地理院 NI-52-17(22117)(長崎)
▲昭和22(1947)年1月17日の大村市周辺の空撮(国土地理院 NI-52-17)
 ※空撮は加工しています。

歩兵第四十六聯隊(現在)(長崎)
▲現在の地図に施設を転写
※緑文字が当記事の紹介施設
①歩兵第四十六聯隊 兵営
②大村陸軍病院
③歩兵第二十三旅團司令部
④放虎原陸軍練兵場
⑤池田陸軍射撃場
⑥大村憲兵分隊
⑦大村聯隊區司令部
大村陸軍墓地
名称については一般的な昭和11(1936)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
⑧ 大村陸軍墓地
   長崎縣忠霊塔
明治29(1896)年7月22日、歩兵第四十六聯隊兵営、歩兵第二十三旅團司令部、大村陸軍病院、放虎原陸軍練兵場、池田陸軍射撃場とともに大村陸軍埋葬地の敷地が東彼杵(ひがしそのぎ)郡大村町(現、大村市)の三城城跡に決定します。
明治30(1897)年6月10日、東彼杵郡西大村(現、大村市)に歩兵第四十六聯隊が移駐して来たのに伴い、大村陸軍埋葬地が開設されます。

昭和9(1934)年10月10日、埋葬地に隣接した大村町有地に、長崎縣忠霊塔建立委員會により長崎縣忠霊塔が建設されます。
歩兵第二百二十七聯隊(長崎)
▲昭和14(1939)年5月5日、忠霊塔斎庭において出陣祭に挑む歩兵第二百二十七聯隊

大村陸軍墓地 I 長崎縣忠霊塔 (2)(長崎)
▲上写真と同じ角度から見た忠霊塔

昭和11(1936)年1月20日、陸軍埋葬地に付属する陸軍省所有地と長崎縣忠霊塔に付属する大村町有地が交換され、陸軍墓地参道が急峻な階段から現在の緩やかな坂道に架け替えられます。

昭和13(1938)年5月5日、『陸軍墓地規則』により大村陸軍墓地と改称されます。

経緯は不明ですが、昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦後も破壊される事無く存続、現在は大村陸軍墓地、長崎縣忠霊塔(21,407㎡)ともに長崎県戦没者慰霊奉賛会により維持管理され、毎年10月20日前後に長崎県戦没者追悼式が挙行(平成17年からシーハットおおむら)されています。

大村陸軍墓地 大村陸軍墓地 配置図(長崎)
▲大村陸軍墓地 見取り図
 アルファベット、カタカナ・・・当時
 ひらがな・・・戦後


長崎縣忠霊塔
戊辰の役(明治元年)以降、上海事変に至るまでの国難に殉じた長崎県出身の英霊を祭祀するため、長崎縣忠霊塔建立委員會(歩兵第四十六聯隊長、大村聯隊區司令官、長崎縣知事及び市町村長)の呼びかけに応じた県民からの浄財、勤労奉仕により、昭和9(1934)年10月10日、竣工します。
現在は大東亜戦争までの英霊60,723柱をお祀りしています。
各地の陸軍墓地に建立されている忠霊塔は主に支那事変の英霊をお祀りしていますが、長崎縣忠霊塔は護國神社同様に戊辰の役以降の英霊をお祀りし、建立場所も陸軍省用地では無く、市有地にある点が異なります。
大村陸軍墓地 I 長崎縣忠霊塔 パノラマ(長崎)
▲長崎縣忠霊塔 全景

大村陸軍墓地 I 長崎縣忠霊塔(長崎)
▲横から見た長崎縣忠霊塔

忠霊塔は鉄筋コンクリート造、銅板葺きで中央の三重塔は23mあります。
各地に忠霊塔、忠霊堂は建立されていますが、両方を合わせた建物型の、しかもこれほど立派な造りの忠霊塔は初めてみました。
大村陸軍墓地 I 長崎縣忠霊塔 (4)(長崎)
▲長崎縣忠霊塔拝殿内

大村陸軍墓地 I 長崎縣忠霊塔 (5)(長崎)
▲「敵国降伏」の扁額(国の字は国構えの中に武)
 有名な筑前国一宮、筥崎宮の扁額を昭和13年9月、九州日報社が謹模し奉納した物です。
 「敵国降伏」は「敵国を降伏させる」では無く、「敵国が降伏する」と読み、「我が国の徳に依り自ら靡く」の意です。


カ 門柱
「か 戰爭事變戦没者合同碑」の門柱の様になっていますが、位置、雰囲気からして陸軍墓地の門柱の様です。
大村陸軍墓地 か 戦争事變戦没者合同碑(長崎)


J 将校墓所 (1名)
明治38年3月11日に滿洲渾河右岸高地で散華した山口兵助中尉が眠ります。
中尉の墓標は生け垣に囲まれた忠霊塔道場(忠霊塔管理奉仕の神職宅)の敷地内にあり、声を掛けをしたうえ参拝して下さい。
大村陸軍墓地 J 将校 墓標(長崎)

因みに神職宅は昭和22(1947)年に先代が忠霊塔、陸軍墓地の管理のため移住して来たそうです。


K 下士官墓所 (4名)
大村陸軍墓地 K 下士官 墓標(長崎)
▲昭和期の3名はお名前が読めますが、明治期の1名は殆ど読めません。


L 兵卒墓所 (9名)
写真を見て頂いたら分かる様に樹が茂り過ぎて奥の墓標が埋もれてしまっています。
他の陸軍墓地でも供花が根付いてしまい、墓標を覆う様に茂っているのを見かけます。
墓標の維持管理のためにも伐採した方が良いと思うのですが、どうなんでしょう?
大村陸軍墓地 L 兵卒 墓標(長崎)
▲全員が明治期に亡くなられている様ですが、刻字が摩滅しており余り判読できませんでした。


陸軍所轄地 キ・ク・サ・ト・ニ・ヌ ▲
陸軍用地 ケ・コ・シ~ソ・タ・チ・ツ ▲
陸軍(以下不明) テ・ナ ▲
参道から陸軍墓地を囲む様に境界石標が並んでいます。
チは参道改修の際に折れてしまった様です(神職談)が、それ以外は現在も国有地と市有地、私有地の境界として使用されています。
境界石標は「陸軍所轄地」8本と「陸軍用地」11本、どちらか不明3本が混在しており、忠霊塔建立前の陸軍墓地用地と建立後の土地交換による敷地改変が関係するのかと思いましたが、位置からしてそうでもない様です。

キ~テ・・・陸軍墓地・忠霊塔への参道沿いに並びます。
       “テ”は“え”の石碑基礎の下に埋まっており、やや見つけにくいです。
大村陸軍墓地 コ 陸軍用地(長崎)
▲コ 陸軍用地

大村陸軍墓地 サ 陸軍所轄地(長崎)
▲サ 陸軍所轄地

大村陸軍墓地 ソ 陸軍用地(長崎)
▲ソ 陸軍用地

大村陸軍墓地 テ 陸軍?(長崎)
▲テ 陸軍(以下不明)

・・・公衆便所の横にあります。

ナ・ニ・ヌ・・・陸軍墓地と忠霊塔の境にある生け垣沿いにあります。
        ヌは三城城の本丸空堀の際にあります。
大村陸軍墓地 ナ 陸軍(長崎)
▲ナ 陸軍(以下埋まっていて不明)

大村陸軍墓地 ニ 陸軍所轄地(長崎)
▲ニ 陸軍所轄地

ネ・ノ・・・神職宅の裏にあります。神職の許可を得て立ち入って下さい。
      “ネ”は排水口掘削時に倒れてしまった様です。
大村陸軍墓地 ネ 陸軍所轄地か?(長崎)
▲ネ 陸軍所轄地?
 倒れていて文字が読めませんでした。

大村陸軍墓地 ノ 陸軍所轄地(長崎)
▲ノ 陸軍所轄地

ハ・ヒ・フ・・・陸軍墓地の南側斜面の下にある小道沿いにあります。
        参道突き当りから民家に沿って行くか、神職宅から続く小道を下って行きます。
大村陸軍墓地 ハ 陸軍用地(長崎)
▲ハ 陸軍用地

大村陸軍墓地 フ 陸軍用地(長崎)
▲ フ 陸軍用地


大村陸軍墓地、長崎縣忠霊塔のある三城城跡の斜面に点々と地下壕の跡があります。
大村陸軍墓地 a 地下壕閉鎖(長崎)
▲ a 「い 永田隊招魂碑」の裏にあり、閉鎖されています。

大村陸軍墓地 b 地下壕閉鎖(長崎)
▲ b 「う 比島派遣 一瀬部隊忠魂碑」の裏にあり、閉鎖されています。

大村陸軍墓地 c 地下壕閉鎖(長崎)
▲ c 参道入口の階段を登った突き当りにあり、閉鎖されています。

その他、“ヌ”「陸軍所轄地」境界石標の北側、空堀内に開口している壕口がありましたが、堀内に水が溜まっており、行くのも大変なので、探索しませんでした。
しかも写真も撮り忘れました・・・
場所からして周辺住民の民間防空壕の様に思われます。


以下は戦後に建立された慰霊碑類です。
い 永田隊招魂碑
昭和44年10月、元ビルマ派遣歩兵第百四十六連隊第三中隊生存者により建立されました。
「永田隊」とは歩兵第五十五聯隊第三中隊(永田岩男大尉)の事です。
大村陸軍墓地 い 永田隊招魂碑(長崎)

う 比島派遣 一瀬部隊忠魂碑
昭和49年8月25日、一駿戦友会により建立されました。
「一瀬部隊」とは獨立歩兵第百七十九大隊(一瀬末松大佐)の事で、昭和19(1944)年4月13日、大村を出発、26月、ルソン島に上陸、6月10日、オリオン峠において優勢な米軍と交戦、一瀬大佐以下殆どが散華、9月17日、生存者はナトニンにおいて停戦を迎えました。
大村陸軍墓地 う 比島派遣 一瀬部隊忠魂碑(長崎)

え 龍六七三五部隊 慰霊之碑
昭和58年11月、大村歩兵第百四十六聯隊戦友会により建立されました。
「龍六七三五部隊」とは歩兵第百四十六聯隊の事です。
※部隊略歴については拙ブログ「歩兵第四十六聯隊」参照
大村陸軍墓地 え 龍六七三五部隊 慰霊之碑(長崎)

お 明治天皇御聖姿像
昭和53年6月25日、中心帰一の誠心を新にし、御聖徳を万世に伝え、祖国日本永遠の弥栄を庶幾うため、建立されました。
大村陸軍墓地 お 明治天皇御聖姿像(長崎)

か 戰爭事變戦没者合同碑
碑文が無いため建立年は不明ですが、署名に「長崎縣知事 西岡竹次郎」と有ることから、在任期間中昭和26年5月6日~昭和33年1月14日の間に建立されたと思われます。
大村陸軍墓地 か 戦争事變戦没者合同碑(長崎)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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