当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

加古川第一陸軍病院

兵庫県加古川市尾上(おのえ)町に所在した陸軍航空通信學校 尾上教育隊に隣接して加古川陸軍病院がありました。
加古川陸軍病院は後に加古川第一陸軍病院と改称します。
加古川第一陸軍病院 セ「陸軍」 南東から(兵庫)
▲浜の宮公園に遺る加古川第一陸軍病院の「陸軍」境界石標

【探索日時】
平成25年1月31日





陸軍航空通信學校 尾上教育隊の現況
陸軍航空通信學校 尾上教育隊 加古川陸軍飛行場・陸軍航空通信學校尾上教育隊・加古川第一陸軍病院 最新(兵庫)
▲現在の地図に敷地を転写 
 尾上教育隊は官有林の松林に設定されましたが、戦後の空撮を見ても
 境界が判然としないため、特に東側境界は現地取材からの推定です。

※緑文字が当記事の紹介施設
④陸軍航空通信學校 尾上教育隊
加古川第一陸軍病院
※以下の遺構配置は上掲地図参照


遺構について
⑤ 加古川第一陸軍病院
昭和10(1935)年3月15日、陸軍省は進化が著しい飛行機を用いた航空攻撃に対処するため『防空四ヶ年計畫』を策定、同計画の一環として商業の中心地でもある阪神地区の防空のため、兵庫縣加古郡尾上村字今津(現、加古川市尾上町)に加古川陸軍飛行場と飛行第十三聯隊の設置を決定します。
昭和11(1936)年6月23日、第十師團経理部(秋澤穂一主正)は飛行場・聯隊兵営用地の買収、移転補償料等の交渉を開始、11月12日、ほぼ用地買収が修了、飛行場・聯隊兵営の設定とともに、10月26日、兵庫縣加古郡尾上村大字口里字濱ノ宮(現、尾上町口里)の風致保安林を大蔵省から陸軍省に移管し、陸軍病院の建設が開始されます。

昭和12(1937)年12月10日、姫路陸軍病院内に加古川陸軍病院が開設され、中部防衛司令部(蓮沼蕃中将、大阪)隷下に編入、昭和13(1938)年3月29日、濱ノ宮に新築なり移転します。
診療科は、内科、外科、眼科があり、歯科は姫路陸軍病院が診療しました。

昭和16(1941)年7月19日、第一飛行集團(牧野正迪中将)に隷属転移します。
昭和17(1942)年4月2日、兵庫縣加古郡神野村字西條(現、神野町西条)の歩兵第百六聯隊兵営に隣接して加古川第二陸軍病院が開院した事に伴い、加古川陸軍病院は加古川第一陸軍病院に改称され、15日、第一飛行集團の第五十一教育飛行集團(安倍定中将)改編に伴い隷属転移、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の病床数56、分類は三等甲病院でした。

10月2日、隣接する尾上教育隊とともに米軍接収を経て建物は解体され、元の松林に戻された後、現在は浜の宮幼稚園、住金社宅、マンション等になっています。

セ 陸軍
浜の宮公園駐車場の北西角に境界石標が遺ります。
この境界石標のある辺りに陸軍病院の正門がありました。
加古川第一陸軍病院 セ「陸軍」 南東から(兵庫)
▲ブロックに埋まっていますが、辛うじて「陸軍」の文字が見えます。

加古川第一陸軍病院 セ「陸軍」 北東から(兵庫)
▲頂部には十字の刻字に方角を示す矢印が南方向にのみ刻まれています。

加古川第一陸軍病院 セ北西の西門跡(兵庫)
▲加古川第一陸軍病院の正門跡
 痕跡すらありません。

この境界石標の北東側にコンクリート製の基礎が遺りますが、近所の方に聞いたところ米軍時代の物だそうです。
加古川第一陸軍病院 セ 北東の基礎(米軍時代)(兵庫)


ソ 境界石標
完全に埋没していますが、頂部に十字の境界標が見えます。
先出の方に聞いたところ数年前まで地表に出ていたそうですが、社宅建設に伴い埋められてしまったそうです。
加古川第一陸軍病院 ソ(陸軍)石標 北から(兵庫)


主要参考文献
『官報』

『続 陸軍航空の鎮魂』(昭和57年4月 航空碑奉賛会)

『加古川市史 第三巻 本編 III』(平成12年3月 加古川市史編さん専門委員)
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Re: 2011、9月27日に書かれていることについて

遂に60代になってしまったおばさん様
はじめまして、こんばんは。

レモーの位置ですが、大凡は以下に添付地図の赤塗部分になります。
http://blog-imgs-88.fc2.com/s/h/i/shinkokunippon/IMG.jpg

しかし、恐らく長年お調べの事と思いますので、この程度の略図は既知の事と存じ上げます。
これ以外の地図であれば大都市の公立図書館にある『戦史叢書』(公刊戦史)でビルマ方面作戦関連の巻、さらに作戦に参加した第五十四師團関連の部隊、特に歩兵聯隊の戦史をお読みになればもう少し詳しい地図が出ている可能性があります。

ただ、聯隊戦史はその衛戍地のあった都市の図書館にしか無い可能性が高いので、図書館相互協力を使って取り寄せる事になると思います。
因みに該当聯隊の戦史は『歩兵第百十一聯隊史』(姫路)、『渦まくシッタン 鳥取歩兵第百二十一聯隊史』(鳥取)、『歩兵第百五十四聯隊戦史略』(岡山)などがあります。

可能性は低いですが伯父様がお祀りされている護國神社に遺品館があればそこに、または伯父様が所属していた部隊のあった場所の自衛隊資料館に詳細な地図や関連資料が展示してある事もあります。
また、伯父様がお祀りされている靖国神社や軍関連の一次史料を保管している防衛省防衛研究所、慰霊、遺骨収集を管掌している厚生労働省に問い合わせれば、何らかの情報は得られると思います。

上記は比較的容易にたどり着く事ができると思います。


最も確実なのは伯父様が所属していた部隊の戦友会に問い合わせれば(護國神社を通じれば紹介して頂けるかも?)何度も慰霊巡礼などに行かれていると思いますので、かなり詳しい場所をご存知と思います。
ただ、戦友会は近年高齢化に伴い解散が相次いでいるので、何とも言えません。

ビルマはミャンマーに国名が改称した際に地名も変わってしまっているので、現在の地図を見ても地名が異なるので分かり難いと思います。

以上、簡単では御座いますが、私の知りうる方法をお答えいたします。

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Re: No Title

こんばんは。

伯父様の散華された場所を調べる上で私の拙いブログが一助となり嬉しく思います。
私も大叔父がブーゲンビル島で散華しましたが、当地の戦記を読むのは辛いものがあります。
大変とは思いますが、是非調査を進め少しでも伯父様に近づければと思います。

姪御様がビルマの地まで来てくれる事を伯父様もきっと喜んでいると思います。
お気をつけて行ってらっしゃいませ。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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